石田三成という男

 

 

 どれくらい経っただろうか。
六人がが湯あみを終えるのを待っていると、突然湯殿から悲鳴が上がった。
 弾かれたように立ち上がった三成が窓にかじりつくと、視線の先には目がけて襲い掛かろうとする男の姿があった。

「この日を待ちわびてたぜーーーーー!!!!! 今日こそ俺の女にしてや…ぶべぇ!!」

「痴れ者がァ!!!!」

 飛びかかろうとした男目がけて志那都神扇が振り込まれた。
弧を描いて飛んだ志那都神扇がエグイ角度で男の体に食い込む。

「ふぇ!? え!? 何!? 何?! どういうこと!?!」

 湯舟の中に肩まで浸かり、体育座りで胸元を隠すが、視線を周囲に走らせた。
やはり聡いのか、は打ち付けられて顔面から横滑りに大地を転がった男より志那都神扇の軌道の先を見た。

「え!? なんで!?!?!」

 ばっちり石田三成と目があう。
三成はから視線を外すと、襲い掛かった男を睨んだ。
三成の全身を強い憎悪と憤怒のオーラが包み込んでいる。

「くっそぉ!!! ! 俺は諦めねぇからなぁ!!!!」

 邪魔の入った男は捨て台詞を吐くと、そのまま山の中へと逃げて行った。
途中で妙な悲鳴が上がっていたから、三成達が突破しなかった罠に引っかかっているのかもしれない。

「えー、助六さん…まだ懲りないの…って、服ーーーー!!!!! 持ち逃げすんなーー!!!!!」

 勝手気ままな独り暮らし。脱衣所などあってないようなものだったのか、は自分の着替えを木々に引っ掛けていたようだ。それを襲い掛かってきた男に持ち逃げされたようで、涙目で絶叫した。

「ああああああああ!!!! どうしてくれるのよぅ!!!!!」

 上がるに上がれないと嘆くの声を聞きつけて、社の中から飛び出して追走し始めたのが、自称兄の清正と正則だ。そう遠からず、あの常習犯っぽい痴漢は二人の手で制裁を受けるだろう。

「っと、ここに来るまでに色々あったんで、あんまり綺麗じゃないかもしれないですがね。使って下さい。
 ないよりゃいいでしょう?」

 湯舟の中で縮こまり続けるの頭の上に降ってきたのは小豆色の羽織だった。
声に覚えがあるとが目を見開けば、

「どーも」

 軽快な調子で左近が手を上げていた。

「じゃ、着替えが済むまで左近らは社に下がってますので。ごゆっくり」

 左近に促されて殺意の波動に包まれていた三成が踵を返した。

『え…なんで…? この人達…どうやって???
 壁の落書きで家まで押し掛けるの?? あれってそんなにヤバい行為だった??』

 疑問符塗れの頭で考えても答えは出そうにない。
は悶々としながら左近の貸してくれた羽織に腕を通して己の身を包み込むと静々と湯殿を後にした。
 人目を避けるように裏口から寝室へと入って、箪笥から着替えを引っ張り出した。
洗濯したり手直ししたりで現在使える服と言ったらフード付きの純白の着物セットしかない。
状況が状況だっただけに、死装束と間違えられたらどうしようかと秘かに懸念しながら、袖に腕を通して、身だしなみを整えた。
 それから一つ深呼吸をして、小さく障子戸を横に引いた。
神仏を祀る部屋に当然のように腰を下ろしている四人の男―――左近、吉継、三成、幸村の姿に眩暈を覚えた。

「あ、やっぱり帰ってない」

「帰るわきゃないでしょうが。あんたに用があってわざわざ来たんですから」

 軽快な調子で左近がおいでおいでと手招きすれば、は渋々寝室を出た。

「おじさん…羽織、洗って返しますね?」

「そりゃどうも。別段気にもしませんがね」

 居心地が悪いのか、は顔見知りである左近の傍へと自然と寄ってゆく。

「あの…えっと…それで??」

 純白の着物に過剰反応しそうな幸村に「死装束じゃないです! 鶴のイメージです!!」と釘を刺した。
来客だというのにお茶一杯入れなかったのは、歓迎もしなければ、持て成す気も更々ない。
むしろさっさと帰ってくれという、意思表示だった。
 その辺を察しているのか、いないのか。全く意に介さず、大谷吉継は姿勢を正した。

「お初にお目にかかる、俺は大谷吉継」

『吉継?? あ、関ヶ原で小早川にやられた??』

「不躾に上がり込んですまないが、貴方に頼みがあってこうして尋ねた次第だ」

「は、はぁ…」

 吉継は懐から書面と、が作って貼り出していた塗り絵を取り出して床に丁寧に並べた。

「まずは俺の拙い遊びに付き合ってくれたことを感謝する。
 そして俺のささやかな願いが叶うのならば、貴方のような賢人を、俺は友に持ちたい。
 どうかその知恵を使い、俺と共に秀吉様を支えてはくれないだろうか??」

 吉継の言葉を反芻しているのかは無言だ。
じっと吉継はの心の動きを観察するように見つめて、回答を待っている。

「え? あの、ちょっと待って下さい、今なんて?」

「俺の友人になってほしい」

「その後」

「秀吉様を共に支えてくれ」

「嫌ですけど?」

 軽快な言葉のキャッチボールは、予想外の剛速球で第一ラウンドを終えた。
何とも言えない静寂が室に降りるのと同時に、出入り口の戸がガタガタと音を立てた。
全員の視線がそちらへと向く。

「はぁはぁはぁ…なんなんだ、あいつは…」

「え? あれ、清正公さんと正兄! 二人も一緒に来たの?」

「すまん、あの野郎…腰巻食いやがった…」

「俺と清正で着物は取り戻したんだけど…悪ィな…」

 全力で追いかけっこでもしていたのだろうか、肩で息を吐く清正と正則が取り戻した着物を差し出してきた。
辛子色と薄灰の合わせが風雅な着物を受け取って、は自分の横へと置いた。

「それで、あの…助六さんは?」

「「河原に沈めてきた」」

「ならばよし!」

 清正と正則からの報告を受けて、納得の結末だとばかりには親指を立てた。

「あいつ何時もあんななのか」

「うん、ここに住むようになってからほぼ毎日。年齢が近いせいか何かと…ね。
 流石にお風呂場まで来たのは今日が初めてだったけど…」

 は苦笑いを見せてから立ち上がった。
室を横切って台所へと進む。
本来なら一切対応するつもりはなかったのだろうが、顔見知りが一人から三人に増えたことでそうも言っていられなくなったのだろう。いそいそとお茶の支度をし始めた。

「…陶器なんかはまだ手に入れられる程裕福でもないので、ご勘弁ください」

 裏の竹林から切り出したのだろうか?
竹を加工した湯呑を人数分並べて、煮だしたお茶を回し入れるように注いだ。
お盆ごと回すようにして給仕し、毒の類は入っていないと証明する為に、一番最初に呑んで見せる。

「…それでですね。それ、飲み終わったら帰って下さいね??」

 淡々と要件を告げるには吉継の誘いに対する感謝はない。
身分も弁えず、どういう躾を受けているのかと幸村が多少なりとも困惑していると、は独白した。

「そっか〜。清正公さんと正兄達が登って来ちゃったから罠がなくなっちゃったんだなぁ…」

「う!?」

 確かにその通りで、一同、返す言葉もなかった。

「それで助六さんも登って来れちゃったし、私は風呂を覗かれるわ、下着も盗まれて食われるわしたんだなぁ…」

 は遠い遠い目をしていた。

「えーと…なんか、すみませんね」

 罪悪感を抱いたのか左近が謝罪する。

「いえ…いいんです…着物は返ってきたし……はぁ…明日からまた罠作るのかぁ…」

「身の危険を厭うのならば、ここを出たらどうだ? 住むところならば俺達がどうにかしよう」

 三成が切り出した。
吉継の申し出はにべもなく断られたが、まだ諦めたわけではないだろう。
自分とてこの不思議な女に興味が尽きない。出来れば傍に置いておきたいと秘かに願う。

「それって、住処を用意するから貴方に仕官しろという事ですか?」

「どう受け取って貰っても構わぬが」

「お断りです」

 言葉のキャッチボール第二段も、あえなく剛速球で終了した。

「あの、ここから離れたくない理由でもあるのですか?」

 追い縋るように幸村が控え目に問えば、はお茶をごくりと一口飲んで深い溜息を吐いた。

「あのですね。なんでもいいんですけど、1つ聞いてもいいですか?」

 全員が押し黙る。

「吉継さんはもういいんです、さっき聞いたから。でもね。貴方方、一体誰ですか?
 見知らぬ男性が徒党を組んで約束も取り付けずに突然訪問して、士官しろとかしないとか…正気ですか」

 言われてみればその通りだったと幸村は慌てて居住まいを正した。

「申し遅れました。私は真田幸村と申します。こちらは石田三成殿、吉継殿の親友です。
 貴方を得る為に知恵を拝借しました。そして貴方に羽織を貸し出したのは島左近殿。三成殿の軍師です」

『うっひょう! 関ヶ原西側の面々かぁ』

 清正と正則は顔見知りのようだから割愛したと幸村に説明されては納得したとばかりに頷いた。

「で、俺達は貴方をどう呼んだらいいんですかね? まさか本気で木花咲耶姫とお呼びしろと?」

 混ぜ返してくる左近には視線を合わせた。

「あんなバレバレな偽名使ってるんです。素性を暴かれたくないと想像できませんか?」

「出来ますよ? けど俺らも名を明かしたんだ。次は御嬢さんの番じゃないですかね?」

「…それもそうですね、と申します。ただの隠遁者です。
 ということでお引き取り下さい」

「御冗談を。その若さで隠遁ってのはないでしょう。町でも随分有名なようですし?」

 ぐいぐい食い下がってくる左近にはやり難そうな視線を向けた。
序列は下だと言われたが、恐らくここにいる面々で一番厄介なのは彼なんじゃないかと、察しを付けたようだった。
 きっとこの男は剛速球を投げても拾ってきて投げ返す。
彼自身がやりやすいと思う球が返球されるまで諦めそうにない。
どうしたものかとが眉を寄せていると、

「あの…差支えなければお聞かせ願いたいのですが…」

 幸村が遠慮がちに問いかけてきた。

殿は、どこかのお家の末裔…なのでしょうか?」

「え、なんで? どうしてそう思うのですか?」

「いえ…天下に名高い豊臣の配下に招致を受けて、にべもなく断られるのであれば相応の理由があると思うのです。
 下々の話では身寄りがないとか。もしや豊臣にご親族を討たれましたか」

「例えば桔梗紋の家系とか?」

 幸村の言わんとしたことを察したようにが混ぜ返した。
三成、吉継、清正、正則の顔色が変わる。

「冗談です。単純に天下に興味がないんです。今の生活が性に合ってます」

 秀吉の子飼い相手に下手な煽りをするつもりはないと、は首を横へと振った。

「この社での生活の、何がいいというのだ」

 三成の問いに、は「そうですねぇ」と思いを巡らすように瞼を閉じた。

「まず、気楽です。時間に急き立てられてないのがいいですね。
 朝日が昇ったら起きてご飯を炊いて、陽が落ちたら眠る。とても健全な生活です」

 昼夜がないような生活でも強いられていたのだろうか?
至極当たり前の生活を、は言外に贅沢だと評した。
いまいち彼女の幸福感の軸がどこにあるのかが分からない。

「富にも名声にも興味はないというのか」

「ないですね、全く。今の生活で、私には十分です」

 これはまたどうしてやり難い相手に当たったものだ。
豊臣の得意とする調略は、大半は利益による懐柔だ。
それが全く通じない賢人などといったら、今は亡き竹中半兵衛くらいだ。
彼は利益ではなく秀吉の人柄に下った。
 が半兵衛と同じ価値観を持つならば、実利を考えて立ち回ることが多い三成や吉継に下すのは容易じゃない。

「困りましたなぁ」

 左近が自分のお茶を飲みながら愚痴を装って言う。

「天下に出ないから、どこかに属さないから安堵しろと言われましてもね。
 才覚ある者を放置してちゃ、何時どこに獲られて敵に回られるか分からない」

 脅しになるかならないかのギリギリの線を匂わせてみれば、はさらりと答えた。

「だからさっさとお帰り下さいと言ったんです。
 今なら皆さんの来訪は、そうですね。厠を借りに立ち寄った程度で誤魔化せます。
 どの道私の存在に気が付いているのは貴方方だけなのでしょう?
 ならこのまま立ち去ってもらいさえすれば、誰かに勘繰られる事はないと思いますが」

「こりゃ驚いた。先読みの天才ですか?」

「いいえ、ただ屁理屈並べてこのお話を有耶無耶にしたいだけです」

 海千山千の渡り軍師を相手に怯むことなくは舌戦を繰り広げる。
こうして言葉を直に交わすまでは、単純に計算に長けているだけなのかと思っていたが、そうではないらしい。
認識を改めなければならないようだ。

「分かった。今日の所はお暇しよう」

「吉継?!」

 三成と幸村が吉継の決断に驚く。
ここで引くのかと視線で問いかけてみれば、吉継は一切諦めてはいないと視線で語った。
涼やかでありながら揺らぐことのない視線が、まっすぐにを射抜く。

「突然の来訪だ。こうしつこくされては殿もお困りだろう。
 俺の意思は変わらない。貴方を友人にと強く望んでいる。叶うまで何度でも足を運ぶつもりだ」

 「以後よろしく」と笑顔で言われては目頭を押さえた。

「いい性格してますね…流石大谷刑部…」

「何か?」

「いえ…三顧の礼を尽くされても、心は変わりませんよ」

「三国志までご存知か。益々興味が尽きない」

「ンンンン〜〜〜〜」

 表情を変えず、言葉の調子も変えず、脅すでも泣き落とすでもない。
吉継のあるがままの流れを受け入れて、その上で行動を起こそうとする姿勢には頭を抱えた。
やり難い相手なのは左近だけではないらしい。

「友達にもならないし、貴方に仕えることも私はしません。
 二度手間を省くべく、お断りする理由を申し上げましょう」

「伺おう」

 

 

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