治外法権の女

 

 

 大谷吉継にが仕えるようになって一月が過ぎた。
秀吉や吉継はに日頃は舞姫として好きに過ごしてよいと言ったが、石田邸の隅の離れを社宅として提供されている手前、出来ることはするとは述べた。
 それならばと吉継がに与えた最初の仕事は、読み書きを覚える事だった。
図面は読める、口頭の受け答えも打てば響く回転の速さだ。
そんなを内政補佐として使うことを考えた時、最大のネックは、には文字が読めない事だった。
 高札に掲げられた問題を三成の前で解いた時に帳面や白壁によく分からぬ文字を書き連ねたから、全く書けないという訳ではないだろう。の故郷と、ここで使われる文字が異なるだけなのではないかと、吉継と三成は考えた。
故には吉継の執務室の隅で文机を並べて日がな一日、朝から晩まで手習いの教本の書写に明け暮れていた。
元々呑み込みも早いし、回転も速いから、の読み書きの習得速度は早かった。
 流石に古典や漢詩、俳句、短歌といった教養まで求められると眉を寄せて嫌がったが、日常生活で求められ、内政官として望まれる程度の事務処理に必要な読み書きは、一、二週間で覚えた。
 最近は得意の算術を使った税務関係の仕事も手伝うようになっていた。

、少しいいか」

「あ。三成さん」

「お前が処理したこの帳簿、全面的に間違ってる」

 三成が提出された数枚の書面と小冊子を持参して吉継の執務室に現れた。

「え。全部ですか!?」

 仰天するの背後に三成は腰を下ろして、持ってきた書面と数冊の書物を文机の上に広げた。

「計算ではなく、掛け値に使う資料が違うのだ」

「あ、そうだったんですね」

 納得とばかりには相槌を打った。

「この項目とこっちの項目は赤い冊子の掛け値を使うが、残りの項目は青の冊子から掛け値を拾わねばならない」

「なるほど〜」

 どこからどの数字を拾うのか、丁寧に一ヶ所づつ示す三成を見る吉継の目は柔らかい。
常であればこんな失敗をすればブチギレて、担当者を自らの執務室に呼びつけでネチネチと詰りそうなものだが、が相手となると勝手が違う。
 吉継を経由する仕事は全て自分で持って来るし、が居れば無駄に茶など飲んでいって長居する。
が不在の時などは、敷居すら跨がず廊下から書物を投げ入れて立ち去るというのに、この落差だ。
これを面白がらずして何を面白がればいいというのか。

「処理の仕方を教えるから、覚えてくれ」

「はい、お手を煩わせて申し訳ありません」

「気にするな」

「はい」

 寄り添い頭を突き合わせている二人を見ていると気を利かせて席を立った方がいいのかとも思うが、二人きりにするとが嫌がる。三成と二人きりになることが嫌なのではない。は主従になってしまった以上、吉継の傍にいる事が職務だとでも思っているようで、何も告げずに置いて行くと困惑するのだ。
 一度三成に任せて一人で昼食を取りに出かけたら、戻って来たにブチギレられた上に泣かれた。
あまりにも派手に泣いて暴れたから、様子を見に来た秀吉と利家と清正にこってり絞られた吉継である。
 以来、彼は学んだ。厠であっても一声かけてから席は外さねばならないのだと。
 まるで親鳥の後をついて回る雛鳥のようで愛らしいと思うが、こんな調子なら自分ではなく三成の下に付けるべきだったと吉継は秘かに後悔した。

『と言っても、算術士としては手放したくもないのだがな』

「…なるほど。お里事情が違うから、地方ごとであっても掛け値は統一出来ないんですねぇ…」

 三成の説明を聞きながら、は自分用の帳面にメモを取る。

「そういう事だ。季節や年度ごとに出来高も変わるからその都度掛け値も見直してやらねばならない。
 お前がかつて世話になっていた村の為に持ちかけた交渉を、国規模で考えなくてはならないわけだな」

「国規模か〜。お話が大きいなぁ…。これだと算盤弾ける人が少ないと事務処理、大変ですね」

「吉継がお前を求めた理由がよく分かるだろう?」

「はい」

 の視線は帳簿から離れず、三成の視線はから離れない。
切ない一方通行だが、二人を並べてみるとなかなか絵になると思う。

『もう少し体を傾けると三成の胸にすっぽり収まると思うのだがな』

 二人が動かないから、重なり合う角度を探すように吉継の方が首を傾ける。

「…何やってるんだ、お前…」

 そんな吉継に気が付いて三成が怪訝な顔をした。

「いや、もう少しこう…三成、体を傾けてみないか」

「なんで?」

「そうするとうまい具合にお前達が重なる」

「…馬鹿か?」

 三成が呆れたような声を上げて、身を起こして腕を組んだ。

「そもお前がきちんと冊子の件をに教えてやれば、こんな二度手間になっていないと思うんだがな?」

「え、でも私が勝手にやっちゃったからいけないんで…吉継さんのせいじゃないような気がするんだけど…」

「部下の監督も上司の職務の内だ」

 「それもそうか」と口籠るに計算を続けろと三成は指し示す。
は素直に従って帳簿と向き合う。

「そういうお前の軍師は今どこで何をしているんだ?」

「執務室で仕事しているが?」

「で、お前はここで油を売っていると」

「人聞きの悪い」

 なんとなく部屋の温度が下がったような気がしてが顔を上げた。
至極楽しそうに目を細めてほくそ笑む吉継が、腕組みして冷笑を讃える三成と見つめ合っている。

『ひっ! 何この空気!?』

「今日、これで何度目だ?」

「何がだ」

を雇用してからやたらとお前がここに来るな…と思ってな」

「雇ったはいいが、の能力を生かし切れていないお前に変わって俺が指導しているのだろうが」

『え、なんで喧嘩腰? なんで冷戦勃発してるの?』

「それはそれは痛み入る。俺はてっきり誰かさんが目の保養目的でこちらに足を延ばす理由を模索した流れで
 こうなっているのかと思った」

「才ある者に適した仕事を配分しているに過ぎないが??」

 二人の背後に竜虎の陽炎が見えた気がして、はドン引きだった。
元々の直接の上司は吉継だ。に任せる仕事の裁量も彼の管轄になる。
その彼が三成と被る職務をに任せている時点で、仲違いではない事くらいお察しなのだが、口論のネタにされているに分かるはずがない。
 餌は与えるが、代わりに弄らせろと言わんばかりの吉継と、分かっていて敢えて罠にはまりつつ突っ撥ねる三成。
二人の独特な距離感にが慣れるのには、もうしばらく時間がかかりそうだ。

「はいはい、ちょいと失礼しますよ〜」

「あ。左近さん、ナイスタイミング!」

 件の軍師が吉継の部屋にやってくる。
三成や吉継に用事があって訪ねて来たわけではない。
左近が顔を出したのは、の本日の業務終了を告げに来たに過ぎない。
 が吉継に提示した雇用条件の一つに定時退社があった。
女子の身だ、執務室に泊まり込みというのも宜しくないから吉継もその条件をあっさり呑んだ。
 左近が迎えに来たのは、自分も仕事上がりなので、ついでに送って行こうというわけだ。

「上がれますかね?」

「えーと…」

「構わぬ。急ぎの仕事でもない。もし今日教えたことに自信がなければ、明日改めて聞きに来るがいい」

「そうだな、三成が懇切丁寧に手取り足取り腰取り教えてくれるだろう」

 意味深に笑う吉継を恨めしそうに三成はねめつける。

「多分大丈夫だと思うけど、一応、確認がてら明日伺いますね」

「了承した」

 自分の文机の上を片したが立ち上がる。

「それではお先に失礼します、お疲れ様でした」

「ああ、お疲れ様。明日も頼む」

「気を付けて帰るのだぞ」

「殿、俺がついてるんでお任せください」

 ぺこりとお辞儀して室を後にするに続いて左近が身を翻す。
部屋から遠ざかってゆくの気配が消えたことを悟った吉継が三成を手招きする。
三成がの文机の傍から吉継の文机の前に移動した。

「で。どうなのだ? 少しは進展しているのか」

「進展していたらこうして顔を見に来るものか」

「全く、難儀なものだな」

「うるさい」

「顔はいいのだから、上手くやったらどうだ」

「顔で落とせるならとっくに落としているとは思わんのか」

「道理だな」

 揉めていたかと思えばこれである。

「だが同居にまで持ち込んでいるのだ、少しはおいしい思いもしているのだろう?」

 吉継が頬杖をついて聞かせろと視線で訴える。

「茶すら出ぬのになんで話さねばならぬ」

「茶の代わりに左近が仕事を何故あんなにも早く切り上げるようになったか、教えてやるから話せ」

「チッ」

 舌打ちした三成の前に、床置きのお茶セットを引き寄せて吉継は押し付ける。

「なんで客の俺に入れさせようとするのだよ?」

「お前の入れる茶が一番美味い」

「ったく…」

 諦めたように三成がお茶を淹れ始める。

「で、左近がどうしたと?」

「幸村情報なのだが、帰り道、左近はと共に下町へ通っているそうだ」

「下町?」

「ああ、舞台があるだろう? あそこで一曲舞ってから、お前の館に戻っているのだそうな」

「ああ、なるほど…それを見に行くついでなのか」

「そういうことだ。お前が変わってやればもっと仲を深められるのではないか」

 湯呑に注いだ茶を吉継の手元に押し出しながら、三成は少し思い悩むような表情になる。

「どうした? 今更きっかけがないとか言い出すなよ?」

「そうではない、実はな」

「うん?」

 湯呑を傾ける吉継に三成は言った。

「舞こそ目に入れてはいないが、あの音は夜ごと愛でている」

「というと?」

「風呂に入っている時に、良く歌っているのだよ」

「ああ、そういう事か」

「そういう事だ」

 どうりで三成が泊り込まずに本宅に戻るようになったわけだ。
の入浴の時間に合わせて帰宅し、縁側で一献傾ければ、彼だけが聞ける美声がそこにはあるわけだ。

「しかしその程度で満足して良いのか?」

「甘んじるつもりはないが、仕損じてはあいつが居ずらくなるだろう」

「…なるほど…」

『あの石田三成でも臆病になるか』

「もっと着実に地固めがしたいのだよ」

「そうか、上手くゆくと良いな」

 三成は湯呑を取り上げて口元に運びながら吉継をねめつけた。

「なんだ?」

 言いたいことがある時、言い出せずに飲み込む三成独特の癖を目にした吉継が眉を動かした。

「どうした? 何かあるのか?」

 吉継が問いかければ、三成は視線を外しながら問うた。

「お前はいいのか」

「何が?」

「元々を求めたのはお前だろう。お前はを女子として見てはいないのか?」

 ああ、そういう事か。恋に落ちたが故に、人間関係の基準がそこに寄ってしまうのだろう。
三成は吉継との仲が主従以上の形をとらぬという確約が欲しいのだ。
 つんけんしている知恵者でありながら、時折子供っぽいこの友人の不器用さがおかしくなる。
吉継は年長者の余裕をふんだんに見せつける様に笑った。

「常々忘れぬように心がけてはいるが、見てはいないな。あれはお前の女だろう」

「……断言するな、まだ何も進展していない」

「頑張れ」

「どうして、お前はあいつに惹かれなかった?」

「惹かれたぞ? あの回転の速さは新鮮だ」

「女としてだ」

「そこは何とも言えぬ。芸は見事だと思う、声も姿も美しい。
 だが…なんというか…そうだな、俺からするとは少し面倒くさい」

 適した言葉を探しながら吉継は語る。

「頭が良すぎるのだ。女子独特の器用さや強かさではなく、ただただ賢い。
 まるで男の様に振る舞う所とかが、何かあるのではないかとこちらを構えさせる」

「それで?」

「それが、俺には面倒くさい。頼ってくれればすぐにでも力を貸すのに、それは望まない。
 なんというか…自立…というのか? 自分の身は自分で立てるという自信がな。
 まるでお前には頼る意味がないと突っ撥ねられているようで…こう、少しばかり寂しくてな。
 深い仲になりたいとは思わせない」

「…ふむ…」

 三成が思案顔になる。
今度はお前の番だと言わんばかりに吉継は三成をじぃっと見つめた。

「お前には、そう見えていないのだろう?」

「ああ、まぁ、そうだな。なんと言うか……上手くは言えないのだが…。
 風呂で気を抜いている時のの歌声は、何時もどこか寂しげなのだ。
 美しい音色だが、まるで泣いているような…心細さを漂わせている」

「ほう」

「気を引きたくて、誰より秀でたくて、聞いたことがある。
 欲しい物はないか? したい事はないか? 力になれる事はないか?」

「答えは?」

「何時も何もないと朗らかに微笑んで首を横に振る。
 それがお前には突っ撥ねているように見えているのかもしれないが、俺には…そうは見えない」

「どう見えてる?」

 三成は湯呑の中に視線を落とした。

「諦めているように見えるのだ。本当に欲しいものなど、手に入らぬと。
 もうずっとずっと昔に諦めたと…そう言われたような錯覚を抱く」

「ああ、なるほどな。だからお前はに固執してしまうのか」

 挑戦する前から諦められる事が、この切れ者には納得いかないのだ。
特に惚れた相手が抱く諦めだ。そこから切り離してやりたくもなるだろう。

が求めるもの、望むものがなんなのかが分からない。
 だが少しでも手助けしてやれたらいいと思う」

「ままならぬな」

「ああ。ただのお節介なのだよ。が望んでいるとも限らぬのに」

 恋に狂っているからだろうか、珍しく三成は自嘲的だ。

『だがあの手の女が頼る時は、天地をひっくり返すような事をしでかした時だろうな』

 言葉にせずとも三成にもそれが先読みできるのだろう。
だから彼はこうして気を落としている。

「そうならぬように、その前に関係を深められることを祈ろう」

「祈るだけなのか」

「こうしてお前に関わる業務を任せているだろうが。おねだりが過ぎるぞ、三成」

 ふふふ、と笑われて三成は不貞腐れた。

『本当に似合いだよ、お前達は。心が通い合うと良いな』

 

 

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