鏡越しの世界

 

 

 痛めた腰が完治したある日の事、の元を秀吉が訪ねた。

「は? 舶来品の調査…で、ございますか???」

「ええ、お願い出来ますか?? 秀吉様なら色んな人脈があるんじゃないかな? って、思って」

「は、はぁ……分かりました。サルめにお任せ下され」

「はい、お願いします!」

 の執務室を辞した秀吉は顰めっ面で廊下を歩き出した。
書庫から出てきた三成が秀吉に気がついて後を追う。

「どうされましたか、秀吉様」

「三成か…うーん、参った」

「というのは?」

 一歩下がった位置を歩きながら、三成は秀吉の言葉を待つ。

「上奏したんじゃ、北条攻めを。時節は整い、人脈も豊富、人心もこっちに傾いとる。狙うなら今じゃ」

 秀吉の様子から結果を悟った三成は淡々と答えた。

「なるほど、確かに我らはここに来て日が浅い。今一つ、信も、功もありませんからね」

 三成の言葉に秀吉は同意と否定を同時に示した。

「ああ、わしは様の元でもっともっと上に行きたい。じゃがきっかけがない。
 こうして上奏してみても、様にそのおつもりがない以上、動くに動けんのさ。
 うーん…信がないという訳もなさそうなんじゃがの〜。何がいかんのじゃろ、おみゃーさんはどう思う?」

 視線だけで真意を問い三成の前で足を止める。三成もまた倣うように立ち止まった。
三成を見た秀吉の顔は、珍しく困惑で満たされていた。

「どうと申されましても…」

「あー、待てよ。なぁ、三成」

「はい」

 閃いたとばかりに秀吉は掌を打ち鳴らす。

「あのお人は、もしかしたら戦をした事がないんじゃないか?」

「え?」

 

 

 それから一刻と経たずに諸将が詰めている評議場で真意を問えば、秀吉の推測した通りの結果が待っていた。

「そういや、こっちから攻めた事はなかったねぇ」

 顎を掻いて答える慶次に、

「我らも無血開城に等しい帰順でしたからなぁ」

 筆を止めて思い出したように言う家康。

「防衛戦ならば、ありとあらゆる意味で度々経験があるのだがな」

 そこへ湯飲みを傾ける兼続の声が重なった。

「やっぱりか〜、とことん平和主義なんじゃな〜。しかしそれ、まずくにゃーか」

「まずいとは…?」

「どういう事ですか、様は様なりに充分やっておられます!!」

 兵の鍛錬から戻ってきた幸村と長政が、着替えを済ませて話に混ざった。
話の趣旨を履き違えているのか、幸村は少し不満そうな口ぶりだった。
秀吉は柔和な笑みで彼を諌めた。

「いや、それはよく分かってるんさ。そういう意味じゃないんじゃよ。
 わしが言いたいのは、実際様を慕ってくるもんはぎょーさんおるよ」

「だが土地がない」

 秀吉の言葉を補うように三成が言えば、秀吉はこくこくと大きく頷いた。

「あー、言われてみれば……そうかもしれませんね」

 ここ数日で持ち込まれる苦情件数が増え始めている。
そこに事に気がついた左近が、確かめるように政宗の机の上においてある帳簿を改めた。

「そろそろ、限界なんじゃにゃーかね」

「民は殿を慕い寄る。しかし、受け入れる器が足りなくなってきている…そういう事か」

「確かに、見過ごせぬ問題ですね」

 兼続、長政が渋い顔をした。思案している様子だった。

「じゃ、戦だな。丁度いいじゃないか、北条には借りがある」

 慶次が目を光らせれば、秀吉は座ったままの彼を見下ろして首を横に振った。

「それがそーもいかんのじゃ」

「秀吉様は先程その旨を上奏した。しかし無碍なく却下された」

「代わりに舶来品の調査を依頼されたわ」

「舶来品…ですか?」

「ああ、幸村もそう思うじゃろ? "なんで今、舶来品?"」

「え、ええ…ですが様の事、何かお考えがあるのではないかと…」

「そうなんじゃが、当面の問題はそっちより器が先じゃ。このままじゃは足元から崩れる」

 秀吉の言葉に左近が政宗の机の上から帳簿を取り上げ、続いて家康が取り組んでいた帳簿を取り上げた。

「左近が上奏しましょう」

「私も、共に参ります」

「付き合うぜ」

「頼むわ」

 古株三人組が室から出て行くのを眺める秀吉の浮かない顔を見て、家康が言った。

「きっとお考えがあっての事ですよ。あの方は新旧隔てるような事はなさいませぬ」

「そうか?」

「ええ」

「なら、ええんじゃがな」

 秀吉は活躍の場を渇望するとばかりに小さな肩をかくんと落とした。
三成がすかさず彼の前へ書棚からとった分厚い帳簿を差し出す。

「舶来品の出所と、取扱店一覧です」

「まずは小さなことからコツコツと…じゃな」

 それを取り上げて、秀吉は一人城下へと降りて行った。

 

 

「姫、失礼しますよ」

 左近、慶次、幸村の三人での室の前へとくれば、は文机の上へと突っ伏して眠っていた。

「ありゃ、まずったかな」

「……ん…」

 久々に見た寝顔に役得と思ったのは束の間だった。
眠りの中にあるの顔には、緊張と、僅かな苦渋がある。
この表情には見覚えがあった。
以前は突如として現れた愛用の針入れに触れた瞬間、意識を飛ばした事がある。
その時に酷い錯乱状態に陥ったのだが、今見せている表情は、その時に見せた表情に相違ない。

「……ええ、見えてる………これは、一体…?」

 寝言とも取れぬ独白に合わせて、がくんと体が動く。
仰け反るように起き上がり、の体はそのまま後方へと流れるように倒れる。
貼り付けにでもされたかのように畳の上に横たわれば、畳の上での長く艶やかな黒髪が散らばり曲線を描いた。
 ご覧の通り、彼女は眠ってなどいなかった。
見開かれた大きな瞳がどこか遠くを眺め、何かを探すように虚空で彷徨う。

「…………急ぐ? 何を?? ……え、きっかけ? 大きな、きっかけがいるのね…?? それは何?」

 誰かと会話でも交わすように、はぼそぼそと呟き続けた。

「知っているはず? 私が?? 待って、教えて…!!」

 差し伸べられた掌は、間違いなく目に見えぬ誰かを追いかけていた。
慶次、左近、幸村が顔を見合せて、伸ばされた手を取ろうと動く。

「ッ!! ひっ…あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 次の瞬間、は大きく息を吸い込んだかと思えば、絶叫した。
両手で己の体を抑えてのた打ち回る。
文机が邪魔をして、大きな動きがとれないことが災いしたようで、左右に身を捩る動きは徐々に激しさを増した。
揺れた文机の上に置かれた筆、硯、湯飲みが畳の上へと落ちて、染みと傷をつける。
慌てて慶次が文机をどかし、左近がに手を掛ける。幸村が落ちた備品の片付けに追われる中、の悲鳴を聞きつけたのか、階下の執務室に詰めていた者達が駆け上がってきた。その中には三成の姿もあった。

「何事だ、左近」

 彼が視線を向ければ、慶次と幸村に介抱されるの表情は険しく、混濁した意識の中でしきりに訴え続けていた。

「熱い…!! 熱いよ……!! 苦しい……こんな……こんなに苦しかったの? こんなにも……!!」

 怪訝な顔をした三成の後方に居た家康が、顔面に悲壮を貼り付けて進み出る。
彼は迷わずに幸村を押し退けるとの手を取った。

様、様!! しっかりなされよっ!! 家康にござるっ!!」

 掌に感じた温かさに呼び戻されるかのように、の混濁とした眼差しが正気を取り戻し始めた。

様!! 家康の声をお聞きくだされっ!! 儂はここにおりますぞっ!!」

「え……あ? …あ、ああ…ここは…?」

 家康の声に導かれるようには周囲を見回した。
見慣れた家財を一つ一つ確認するように視線を動かし、次いで、自分を包み込む大きな手を追いかけた。

「あ……慶次…さん? 家康様も……それに…皆…?」

「水、飲めますか」

 箪笥の上に並べておいた予備の茶器を取り上げて、水差しから空の湯飲みに移す。
左近が湯呑を差し出せば、は震える指先で受け取った。

「あ、ありがとう…」

 上手く指先に力が入らないのか、湯飲みが小刻みに揺れる。
慶次が手を伸ばして、補佐する。
ゆっくりと喉の奥に冷えた水を流し込んで、深呼吸を何度か繰り返した。

「ごめん、皆……もう大丈夫……ちょっと、驚いただけ」

「姫、それじゃ納得出来ません」

 慶次に支えられたままのの前へ左近が腰を落とし、真剣な眼差しを見せる。

「ちゃんと、説明して下さい。何を見ていらっしゃるのか、何を背負われているのかを」

 辛そうに眉を寄せて言葉を飲み込むに、左近の後方に立ったままの三成が言った。
彼の言葉は他の将と違いに対して冷たいものだったが、客観的な事実でもあった。

「言えないと言うのならば、見せるな。そのような様、理由もなく見せられ続ければ、いずれよからぬ噂を呼ぶぞ。
 悪評は国を傾ける。もっと自覚しろ」

「……あ、そうか……そうだよね……ごめんね、気がつけなくて…」

 冷たい指摘に幸村が三成を嗜めようとするのをは掌の動きだけで止めた。

「いいの、幸村さん。三成の言う通りだから。考えが足りなかった…ごめんなさい」

「…様…」

「話してくれますね?」

「うん……そうだね……今夜にでも……政宗さんや秀吉様が戻ってからでいいかな…。
 …ちゃんと整理してからじゃないと………話したくても上手く話せる自信がないから…」

 虚ろになるの視線が、疲弊の強さを示す。

「分かりました」

 これ以上は無理だと判じた左近がの手から湯飲みを取り上げた。
それと同時に、慶次がを両腕で抱かかえたまま立ち上がる。

「少し、休みなよ。さん」

「うん、そうする……」

 随分と高くなった視野で周囲を見回せば、家康が力の抜けたままのの手を取った。

「ここにおりますよ」

「有り難う……家康様、このまま…もう少し傍に…」

「ええ、ええ。おりますぞ」

 安堵の笑みを漏らしたは、そのまま意識を深い闇の中へと落とした。

 

 

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