暗闇の中で見つけた恋 - 幸村編

 

 

『か、勘違いなさらないで下さい!! 私達は、貴方の家臣です!!
 貴方を害そうなどとは思ってもおりませんっ!!』

『真田幸村、全身全霊を賭して、お仕え致します』

『ゆくぞ、風魔ぁぁぁぁぁ!!! 私の目が黒いうちは、城の敷居は跨がせないっ!!!』

 彼は何時如何なる時も、己の言葉を違える事はなかった。
清廉なまでに己を律し、未熟な自分を支える事こそ本懐と、言葉で、行動で、示し続けた。

『どうされたのですか、一体……何があったと言うのです、様!!』

様!! 何かを守る為に、何かを犠牲にする事は時として必要です。
 けれど私の知っている貴方は、それが出来ないお方だ。何もかもを守る方法を探す人です』

 時に、心を鬼にして重責に翻弄された自分を悟し、

『貴方を特別な人だと考えていました。
 仙女のように万能で、苦しみとは無縁で、どのような事でも容易くこなしてしまう方なのだと、
 勝手に思い込んでいた』

『お許し下さい、様。
 ……私は、背負わなくてもいいものを押し付け、貴方の臣だと口では言いながら、貴方に手を上げた……』

 時に、自分を責めて許しを希い、

『お願いです、様。どうか"もっとしっかりしなくては"などとは、思わないで下さい。
 貴方が背負ってしまった物の半分でいい、いえ、もっともっと少なくとも良いのです。私にも背負わせて下さい』

 心配だと全身で訴えて、泣いた。

様は、私の誇りです』

 真っ直ぐで、情熱溢れる青年。真田幸村。
引くことを知らず、信じるものを守る為ならば、命すら惜しまない。
彼の誠実さに、どれだけ支えられていたのかしれない。
 そんな彼の声を、暗くなった意識の奥底で聞いた気がした。

「…っ…う…ん……ん?」

 水滴に頬を打たれて、目を覚ました。
肌寒さを覚えて身震いしながら、視線を彷徨わせる。
するとぼやけていた視界に、見慣れた赤い鎧が飛び込んできた。

「幸村さん?」

 自分を包み込むようにして倒れているのが彼だと分かって安堵した。

「あ、そうだ…台風……あの時…水路…かな? 落ちたんだっけ…」

 虚脱感の残る体に鞭を打ちながら、幸村の下から這い出た。
どこかから響いてくるドドドドという音は、流れる水の音だと容易に分かった。
その速さから察するに、今現在、外に台風本体があることを知る。
 そう易々と身動きを取れる状態にないのは明白で、ならばどういった場所にいるのか確認しようと手探りで動いた。
三畳程度の広さを持つ部屋の四方は、岩でがっしりと覆われていた。
中央に板戸が填め込まれていて、奥にもう一室あるようだ。

「…ここは……どこだろう…?」

 見渡せる床の半分は、まるで大きな水槽のようだ。
台風によって流れ込んできた濁流よりも前に、地下水が流れ込んでいたのだろう。
満ちている水には比較的透明性がある。

その為見通す事の出来た水面の中には、よくよく見てみれば、階段が続いていた。
つまりここが階上で、気圧の関係でたまたまここへの浸水がないというだけの話だ。
 ともかく、一定の位置より競り上がってこない水に一先ずは安堵した。
今はそれだけの事実で充分だと、は水面に半身を浸からせて横たわる幸村の傍へと歩み寄った。

「幸村さん、起きて。ねぇ、幸村さん」

「…っ…くっ……様…?」

 横たわる彼を仰向けにしてから揺さぶれば、程無く幸村は目を覚ました。

「良かった」

 安堵を露に胸を撫で下ろせば、幸村は飛び起きて、の肩や頬に触れた。

様!! ご無事ですかっ?! どこかお怪我はっ?!」

「ないよ、全然。大丈夫」

 縋りつくように、それでいて今にも泣き出しそうな視線。
その視線を安堵を変える為には微笑んで見せる。

「良かった、本当に…ようございました…」

 幸村は感動と安堵のあまり、を思い切り抱きしめた。
正直、少し驚いた。何時ものように「無茶をするな」「貴方の代わりはいない」と怒られるものとばかり思っていた。
だが現実は、そうではなかった。彼は怒る暇もない程心配してくれていたのだ。
そうと知れば、申し訳なさが一気にこみ上げてきた。

「ごめんね、何時も何時も心配掛けて」

 なすがまま、身を任せ、答えるように彼の背に手を回した。
落ち着かせるように、安心させるように、ぽんぽんと背を優しく撫でれば、幸村は我に返り、瞬時に距離をとった。

「も、も、ももも、申し訳ありませっ!!」

「あー、もういいから。大丈夫だから。衝動って誰にでもあるものだから。
 不敬とか全然思ってないから平気だよ」

 恐縮し後悔する幸村には苦笑しながら対応する。

「それよりも、幸村さんはどう? 平気? どこも怪我とかしてない?」

 幸村は二つ返事で「平気です」と答えると、その場に立ち上がった。

「それにしても、ここは…一体?」

 助け出してくれた本人の言葉とは思えぬが、無理もない。
あの極限状態で、濁流の中を人を一人抱えて泳ぐという事は並大抵のことではあるまい。
大方彼も、本能的に助かる道を選び出しただけなのだろう。

「私もよく分らないんだけど…この水路っていうか、脱出路みたいなの作る時の休憩室か何かかもしれないね。
 ここが階上ってだけみたいなの」

 それから部屋の中央に填め込まれている扉を指で指示した。

「あの扉が外に続いているといいんだけど…」

 を守るように立った幸村は、それはないと首を横へと振った。

「残念ですが、それはないやもしれません。もし外に続いているなら、雨水が流れ落ちてくるはずですから」

「あー、そっか。でも、ここにいるよりはいいかな?」

「そうですね、私が開けましょう」

「うん。お願いします」

 幸村が扉と向かい合い、立てつけの悪くなっている扉と格闘する事、数分、扉はギシギシと音を立てて開いた。

「…あ。休憩室だったね、やっぱり」

「そのようですね。ただ休憩室にしては、随分と作りがいいようにも思いますが…」

 舞い上がった微かな埃を手で振り払いながら、二人で中を覗き込んだ。
手狭な部屋の中には、囲炉裏や簡素な寝床がある。

「何か使えそうな物ってあるかな?」

「まず、暖を取りましょう。風邪をひきます」

「それもそうだね。何か使える物があるか調べるね。幸村さんは囲炉裏お願いね」

「はい」

 二人は部屋に入る前に着物に染み込んだ水分を絞り落とせるだけ落とした。
それから迷わずに隣室へと足を踏み入れる。
 程無く備え付けられた棚の上から火打石と炭を見つけた幸村が囲炉裏へと向かう。

その間には裁断前の布と、荒縄を見つけ出した。

「良かった〜。これで着物、干せるかも」

 独白して備え付けの棚と棚の間に荒縄を張った。
それから己の羽織っていた着物を脱ぎ捨てる。

「っ!!」

 囲炉裏と格闘していた幸村が、気がついて顔をあげた。
途端、視界に入ったのは、降臨した時そのままの、ほぼ裸と言って過言ではない姿だ。
彼は慌てて背を向けた。水着姿のを目にした為か、ほんのりと赤面していた。

「幸村さん、火、どうなりそうですか?」

「あ、はい。そろそろ点きますよ。ご安心を」

「そっか、良かった。じゃ、幸村さんもさくさく服脱いで乾かしちゃって下さいね」

「え?!」

 思わず手にしていた火打石をとり落とせば、は開いたままの板戸を閉じながら「当然でしょう?」と言った。

「いや、で、ですが…あの」

 密室に二人きり。
そんな裸に近い状態でいたら、理性が持たない。
仮に邪な思いを制御し切れても、この状態を誰かに見られて誤解でもされたら大変だ。
の威光に傷がついてしまう。

あれこれと先々のことを想像し、幸村は狼狽する。
そんな幸村の傍へと戻ってきたは、理路整然と言った。

「幸村さん、ここで幸村さんが風邪引いたりしたら、私は本当に路頭に迷って死んじゃうと思うですけど、
 それでも脱いで暖をとるのは嫌ですか?」

「い、いえっ、決してそのような事は!!」

「じゃ、はい。これ巻いて下さいね」

 見つけ出した裁断前の布を突き出して、はそれからすぐに背を向けた。

「恥ずかしいだろうから私はこっちを向いていますね。終わったら言って下さい」

「は、はい…すみません」

 幸村は落した火打石を取り上げて、囲炉裏に火を入れると、に言われた通り鎧と着物とを脱いだ。
棚と棚の間に張り巡らせた縄へ着物を掛ける。
それから幸村は渡されていた裁断前の布を取り上げた。
何かを隠そうとでもするように、手早く体に巻きつける。

「もう平気です」

「はい」

 が振り返って囲炉裏へと寄り添う。

「なんとか一段落ってとこかしら」

「はい」

 幸村は囲炉裏を挟んで、の対極に腰を下した。
そうした所でも、家臣の礼を欠かない幸村の誠実さには頭が下がる。

「幸村さん」

「はい?」

 顔を上げれば、が安心しきった眼差しを向けていた。

「ありがとう」

「え?」

 意図が掴めずに目を瞬かせれば、は恐怖を隠すように無理に笑った。

「実は今回ばっかりは流石に、もうだめだって…思った」

 水路へと落ちた瞬間の事を言っているのだと察して、幸村は喉を鳴らした。

「でも幸村さん、飛び込んで助けてくれた。あんなに凄い流れだったのに……。
 本当は、怖かったでしょう? だから、ごめんなさい。それと有り難う」

 眦に浮かんだ涙を指先で拭うを見て、幸村は言葉を失った。

「幸村さん?」

「いえ、勿体ないお言葉です…私は、貴方さえ生きていて下さればそれで良いと…そう思ったまでで…」

 彼にしては珍しく言葉を濁していた。
俄かに視線を伏せる幸村は、の視線から逃れたがっているように思えた。

「幸村さん…? あ、もしかして、この前の崩落の時の傷とか痛んでます?!」

 身を乗り出そうとするに慌てて、幸村は首を大きく横へと振った。

「い、いえ!! そ、そういうわけではなく…あれは、ただ避ける時に捻っただけで…然程痛みはありません」

 「じゃ、何故?」と問われても、返答に困った。
まだ湿り気を帯びた体で、裁断前の布に身を包むを前にして、悪い虫が騒いでいるわけではない。
ただ彼は、に隠している一つの真実が露見する事を恐れたのだ。

様は、私がいるから、落ち着いている。
 もし……もし私の意識が、命がなくなってしまったら?

 ……この方は、どうなるのだろうか……ご自身を見失ってしまうのではないだろうか…』

 悪い想像だと否定したくても容易には出来なかった。
腕に残る痛みより、腹部に走る痛みがきつい。
飛び込んでを抱き寄せる時にした無理が祟ったようだ。
常日頃から欠かさなかった鍛錬のお陰で致命傷を免れてはいるが、この分では肋骨にひびくらいは入っているだろう。
 果たしてもつのだろうか、誰かがこの場へ助けに来るまで。もしくは自分がを城へと戻すまで、自分の体と意識は闇に呑まれることなく続いて、を守り切る事が出来るのだろうか。
 それを考えると、自ずと疑念が湧き、恐ろしくなる。

『誰でもいい、どうか、どうか、早くここへ』

 どのような劣勢の戦の中に身を置こうとも、これ程の恐怖と焦燥を感じた事はない。
ただただ今は、純粋に自分との共存を、城への帰還を信じているの眼差しが怖い。
の期待を裏切ってしまうかもしれない現実が怖ろしい。

『私は…間違っていた……そうではないのだ…それでは、いけないのだ…』

 今の今まで幸村は思い違いをしていた。
一人の兵として、武士としてを支え、護ればそれでいいのだと。
 彼女の命を守る為ならば喜んでこの身も魂も差し出す。
自分が選ばれたのは、今回のような事が起きた時に彼女の盾となり、時として身代わりになること。
その為だけに、天に自分は選ばれた。
彼女の為に他国を制圧する必要があるとするのならば、それは慶次の武だけで事足りる。
政治や軍略は左近が担う。彼は武芸の腕もなかなかのものだ。
そんな彼らと比較した時、自分には何もない。
 なのに、自分は天意に導かれた。
それは、何故なのか?
それを常に考える。
 そして考えた時に辿りつく答えは、何時も一つだ。

 

"真田幸村はの為の人柱"

 

 これしか、彼には思い当たらなかった。
だが、それでいいと、そう思っていた。
他の誰でもない、深い慈愛の精神を持つの為の身代わりになれるというのであれば、それは名誉だ。
そう思ったからこそ、今の今まで骨身を削り、支えて来ることが出来たのだ。
 これから先も、に対する思いにはなんら変わりはない。の為にならばどんな危険も厭わない。
だがそれだけでは足りない。それだけでは、駄目なのだと、の言葉で気がつかされた。
 目前で囲炉裏に寄り添って、楽観的に微笑むの価値観の中には、誰かを身代わりにして生き抜くという価値観はない。どんな非常時であっても、その思考に例外はない。

 

 

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