囚われの姫君

 

 

 怒涛の台風二連発を凌いで、復興が始まって二ヶ月が経った。
季節は秋。山々が薄らと朱に色づき、吐く息が白さを増す季節。
自然の見せる黄・赤・朱の鮮やかなグラデーションに心癒されたのか、大事をとって静養がちだったもしっかりと回復し、本格的に復旧作業へと尽力し始めた。
 この頃になると、土砂崩れで閉ざされていた旧城へと続く街道が、ようやく回復した。
まだ他の地域への道は開けない。だが復興の第一歩を刻むにあたり、何の弊害もなくそれを成しえた事は、復興作業に当たる人々にとって、幸先の良いことであるはずだった。
 街道が復旧して二日目。
その事が旧城へと知れると、待ち構えていたように旧城から一通の書簡が届いた。

「何と書いてありますかいの?」

 秀吉に問われてが書簡に視線を落とす。

「えーと………左近さん、お願いします。達筆過ぎて読めない…」

 楷書ならばまだしも、崩されては拾い読み出来るのは形を成している漢字だけだとは目頭を押さえる。
苦笑しながら左近が受け取り、書簡にざっと目を通した。

「ふむ……旧城は無事ですが…ちょっと厄介なことになってますね」

「やっぱり、孤立させた時間が長過ぎた?」

 が暗い顔をすれば、左近はすぐに顔を上げて首を横へと振った。

「いや、そうじゃありませんよ。まぁ、予測の範疇ではあったんですがね…思ったよりずっと早かったな」

「勿体をつけんとさっさと言わんか」

 秀吉が急かした。
一方で評議場に誂えられている巨大な机の中央に座すは、眼下に広がる地図を見下ろしていて、自分が考えている事を早めに実行したいという様子だった。

「まぁ、これは評議に掛けた方がいいでしょう。街道整備に出てる幸村さんと慶次さんが戻るまで待ちましょうや。
 時に姫は今何をお考えで?」

 左近がから手渡された書を折り畳み、へと返した。
受け取ったは机の上の漆塗りの桐箱に書を入れると、眼下に広がる地図を示した。

「あのね、私、思うんだけど…旧直江領・旧伊達領・旧徳川領の三ヶ所へ兼続さん、政宗さん、家康様を
 戻そうかと思うの。で、旧北条領へは秀吉様か三成を派遣しようかなって思ってて…」

 それは一体どういうことかと名指しされた四名が立ち上がって進み出て来た。
彼らは早朝からそれぞれの職務に従事していたのだが、から勅命が下った為に、急遽予定を変更し、この場に出仕していたのだ。

「あ、別にお役御免って言うんじゃなくてね。
 現地の復興をする上でさ、元君主とか、その地で政務に関わっていた人が来た方が、そこに住む人達も
 落ち着くんじゃないかな? って思って。それに元々は皆さんが所持していた土地でしょ?
 私達なんかよりも、よっぽど各地の特性を知ってるはずよ」

「なほるど…道理ですな」

 家康が相槌を打てば、珍しく兼続が否を唱えた。

「私は賛同しかねるな」

「だめですか?」

「いや、私、政宗、三成は構わぬ。だが家康、秀吉はここへ残すべきだ」

 そこで言葉を一旦区切り、兼続は三成へと視線を移した。
屈折していても、深い愛情を傾ける相手から引き離される事に不快感を抱く友への配慮だったようだ。

「ここからならば旧北条は目と鼻の先。通えぬ距離ではないから三成でも良いだろう」

 発言を受けて三成が纏った不快感を緩和したのを確認した後、兼続はへと視線を戻した。

「我らの治めていた領地はともかくとして、元々徳川領は旧直江領と旧伊達領の狭間にある小国だ。
 要点さえ分かれば我らでどうとでも出来よう。家康まで駆り出す必要はない」

 理路整然と反意を示した兼続の言わんとしている事を、その場に居合わせた全員が瞬時に悟った。
分かっていないのは、本人だけだ。

「ああ、なるほどね。そういう事ですか」

「え?」

「姫、兼続さんは姫の発作を気にしてんですよ」

「あ、ああ…あれ、ね」

 歯切れの悪い回答をして見せて、そういう事ならば兼続の言葉にも合点がゆくとは頷く。
そんなの反応を見た孫市は、この中にあってただ一人、それを目にしていないせいか怪訝な顔をした。
彼は護衛の任を担う慶次の代わりとしてずっとこの場にいたのに、今の今まで我関せずという体だった。
だがの身に関わる事となると、放ってはおけないとでも言うように、すぐさま落ち着けていた腰を上げた。

「発作? 俺は初耳なんだがな」

 孫市は後方から手を伸ばしての肩を抱くと、の顎をしゃくり上げた。

「あー、なんというか…その……声をね、失う事になった原因というか…なんというか…」

 すっかり慣れてしまっているせいで悲鳴一つ上げずには言い淀む。

「嫌でもその内目にすることになる。脱線させるな」

 すると例によって三成が冷徹に言い放ちつつ、扇を振り下ろした。アーツ2がの顔を掠めて飛ぶ。
三成はしれっとした顔で孫市の魔手からを保護すると、話を元へと戻した。

「あれは何時来るか分かりませんしね」

「現実的な話、あれが起きた時、殿を呼び戻せるのは家康しかいない。彼を遠ざけるのは危険だ」

 間髪入れず、左近が言葉を続ける。左近の言葉を継いだのは提案者の兼続だった。

「それも…そうか…」

 眉を寄せるへと政宗が言った。

「これだけ荒れておれば当面戦の心配はあるまい。攻めようにも道が開いておらぬしな。
 だが殿、心されよ。目の上のたんこぶは他にもある」

「たんこぶですか?」

「ああ。最たる例はあの乱破よ。
 仮に殿が発作の中にあって、またあいつが来ようものなら…面倒どころの話ではないわ」

「確かにな。手勢は薄い、姫の意識は戻らないじゃ、こっちは踏んだり蹴ったりだ」

「うーん、じゃ…どうしようか?」

 唸るの前で兼続は言う。

「まずは幸村や慶次に街道復旧の目処を聞いた方が良いだろう。
 旧城を経由するにしてもしなくても、我らが動けるかどうかはそれからでなくては決められぬ」

「…そっか…」

「ならば、先程の話へ話を移したらどうじゃ? ものはついでじゃ、一時あやつらを呼び戻してもよかろう」

「そうですね、そうしましょうか」

 の一声を受けて二刻後、慶次・幸村両名が自身の愛馬を駆って復旧中の街道から舞い戻った。
二人の代わりに現場監督へと差し向けられたのは伊達成実と蜂須賀小六だった。
慶次と幸村は泥だらけの全身を湯で清めた後、評議場へと現れた。

「お待たせしました」

「で、俺らを呼び戻してまでの話ってのはなんだい?」

「すいませんね。だが姫の一存にするにゃ、ちょいとばかり厄介な話でしてね」

 を中心にしている評議場で、定位置へとそれぞれが着くのを待って、左近はがしまった書簡を取り出した。

「じゃ、説明しますよ」

 その場に介した重鎮―――――秀吉、家康、慶次、幸村、孫市、兼続、政宗を見回し、左近は口を開いた。
場にいなかった慶次、幸村に配慮して彼は最初から説明した。

「先程、長政さんから書簡が届きましてね。内容としてはあの台風による被害と、処理に関する報告だ。
 だが問題は、その後にある一文だ」

「一文?」

 反芻したの前で左近は頷いた。

「"同盟九ヶ国内六ヶ国、帰順を乞うべく使者が訪れて候。ご裁可を願い奉る"ってね」

「へ? えっと、それって一体…どういう…?」

 全員が顔色を変えて、もまた指折り数え始めた。
記憶を頼りに指を折り、片手で足りなくなって来たところでは考える事を放棄するとばかりに顔を上げた。

「…えーと……その提案、もし受け入れちゃったら、一気にすごい所領数になりません?」

「なりますねぇ。名を連ねている地の所領数は、多い所で四つ、平均しても二つだ」

「あの、どうして急にそんな事に?」

 幸村の問いに左近は書簡をひらひらさせながら言う。

「何、簡単な話だ。どいつもこいつも、あの台風でやられたって話です」

「ハァ?」

 が呆れたような声を上げれば、左近がへと視線を移した。

「姫。自覚がないでしょうが、姫はとんでもない事をしでかしたんですよ」

「え? え? 何が?!」

 大きな瞳を見開いてきょろきょろと周囲を見回すへ左近は言う。

「姫の世界では違和感はないんでしょうが…。
 この世界では、どんなに長く大地に根付いた民だって、天気の予測は出来てもおよそ翌日止まりだ。
 まさか四日後に襲い来る台風の、方向、大きさ、速度までは予測出来ない」

「…あ、あれは、私の力じゃなくて、ツールの予報があったから…」

「しかし様であればこそ、あのからくりを扱えたのでは?
 わしらもちぃっとは触っとったが、さっぱりじゃったしな」

 秀吉の言葉に、それもそうかとは口篭った。左近が再び口火を切る。

「あの巨大な台風を相手に、上陸する前に備えられたのはだけだ。
 最初の一発は耐えられても、どこも次のまで予測はつかない。つまり、防ぎ切れなかったって事です」

「お前にも分かるようにもっと具体的に説明しよう」

 左近の言葉を継いだのは三成だった。
の傍で采配を奮っていた彼は、誰より早く左近の言わんとしている事を悟ったのだ。
の視線は左近、秀吉と流れて三成へと向いた。

「あの猛威の後だ、兵糧や薬の需要が高くなるのは当然だ。どこも喉から手が出る程欲しているはず…。
 元々市場にある品数は有限だ。となれば、今、どの市場も品薄になり、高騰していて不思議はない。
 だが我が領下はそれらとは無縁だ。元々こっちが買い集めた結果、有限だった品数が減少したのだろうからな」

「なるほどなぁ。余所と違ってには女神が趣味で作らせてた井戸や城壁の恩恵もある」

「恩恵?」

 孫市が理解したとばかりに指を打ち鳴らし口を挟んだ。
の視線が三成から孫市へと移った。

「この手の自然災害の時は大抵人口が激減するものさ。二次災害となる疫病だって侮れない。
 だが女神はずっと前から上水下水の隔たりの確立を急がせていた。結果、領では疫病が発生していない。
 貴方の機転で疫病の恐れどころか、民、兵馬、家畜に至るまで、の損失は少ない。
 なんせあの騒ぎの中で、負傷者こそ出てはいるが、死者は皆無なんだからな。これは大きいぜ?」

 慶次が相槌を打てば、の視線は孫市から慶次へと移った。

「家屋こそ大量に潰れたが、そんな物は、人がいりゃ幾らでも作り直せるからねぇ。
 いいかい、さん。こっちの世界で起きる自然災害ってのは大抵民を犠牲にするもんだ。
 お上の対応が後手後手に回れば、それだけ人心離れに繋がる厄介なもんなんだよ」

 三成が視線で周囲を黙らせて、再び口を開いた。
それに合わせての視線が三成へと戻る。
なんとも忙しないが、話している相手と視線を合わせるというのは、の根っからの癖だから仕方がない。

「慶次の言う通りだ。分かるか? 我らは国の立て直しに尽力しているが、帰順を申し出た国々は、
 立て直す為の財はあっても、肝心の人を失い、人心は離れつつあって、留め置こうにも、
 それを成しえる物資がない」

「下手をすれば疫病なんかも起きてるかもしれないねぇ」

 慶次の横やりに眉を動かし、は独白した。

「それって…つまり…もしかしてもしなくても…」

「ああ。どこもかしこも、国として、成り立たなくなってる」

「何時反乱が起きてもおかしくないって事さ。まー、普通に時間の問題だろ」

 の懸念を、間髪入れず三成と孫市が肯定した。

 

 

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