人は石垣

 

 

 同盟国からの帰順願いを受けて、実情を見る為に三成、孫市が領を後にして二週間が経った。
無理しがちだったと共に寝食を取ることで定期的に休まざる得なくなり、順調に回復の兆しを見せていた。
 旧領以外へと続く街道の復旧は、当然のことながらまだ始まっていない。
資材の手配を済ませて、復興作業用のシフトを組んで、ようやくこれから着工というところだ。
このような進展具合だから、新城からは旧城を経由しなくてはどこへも行けない。
こうした背景もあり、三成や孫市も視察行脚に難渋している様子だった。
 領の現在置かれている立場や抱えた諸々の実情を重く見た左近が、復興支援の妨げへの懸念を理由にして領へと繋がる街道各所に厳重な検問を敷いた。
その為今領へと出入り出来るのは、資材を運ぶ問屋と、書を運ぶ飛脚くらいなものだ。

「ようやく…一ヶ国か…」

 松風を借りたものの、一日での往復は無理だと判じた三成は、視察は続け様に済ませてくる事を決めて、その旨を示した書簡を城へと送った。
届けられた書簡を見てれば羅列された文面には一寸の隙も、無駄もなかった。
訪れた国の抱えた問題、現実、今後の展望をまとめて的確に記してある。
相手にも思惑があるだろうからそう簡単に内情の全てを見せてくれるはずがない。
だが彼はそれに近しい情報をこの短期間に引き出して見せた。
ということは、相当苦労があったに違いない。そこを考えれば頭が下がる思いだ。
 は届いた書簡を前にしみじみと呟いた。

「それにしても……」

「どうしました?」

「うん、奇麗な字だと思って……もうね、神経質なのが目に見えて分かるくらいの達筆」

 真剣に書簡を見ているから何か考えがあるのかと思ったのに、蓋を開けてみれば他愛無い感想だった。
それを受けて書簡を持ってきた左近は肩を揺らして笑った。
彼としては張り詰め通しのが、彼女らしさを取り戻しつつあることが純粋に嬉しかったのかもしれない。
不思議そうな顔をするの視線に気がついて、左近は居住まいを正した。

「さて、どうしましょうかね。この国は…」

「そうねー。人的被害が少ないみたいだけど、代わりに田畑の復興は厳しそう」

「人的被害が少なければ、兵力増強に役立ちますな。ただ兵糧で足を引っ張られそうだが…」

「これから視察する別の国の田畑の被害が小さいといいんだけど…
 そんなオチなら最初から帰順を願ったりはしないか…」

「ですなぁ…」

「まぁ、でもいいんじゃないか」

 二人の間で胡坐をかいていた慶次が手にしていた書簡を二人の前へと放った。
その書簡には女性が好むような香を炊きしめてあり、季節の花も添えてある。孫市からの書簡だ。

「現地じゃ三成が顔出したこと、純粋に喜んでるらしいぜ。の姫様の手が入る可能性が出てきてるってな。
 土地のもんに慕われてるってのは、大助かりのばすだぜ?」

「うん、そうだね。ただ…手を入れるのはいいけど……城主の人がどう思うかが問題…。
 帰順させるのはいいとしても、手にした立場とか権限を快く放り出すとは思えないし…」

「そこは左近が上手くやりましょう」

「なんだかダークな仕事させてるなぁ……ごめんなさい、左近さん…」

 申し訳なさそうにが眉を寄せれば、左近は肩を竦めた。

「何言ってんです、軍略家の腕の見せ所ですよ。
 それにしても…個性が出来ますな。まるで恋文だ」

 孫市からの書簡を取り上げた左近が口の端を歪める。
するとが添えられている花を取り上げて香りを楽しみながら、柔らかく微笑んで答えた。

「どこにいても色男さんは手は抜かないって事かな? でもこういうのって、なんだか孫市さんらしいよね?」

 左近、慶次が盛大に顔を歪めた所で、廊下を小走りで進む足音と小さな鈴の音がした。

「あの足音は…」

様!!」

「「「ちゃん」さん」」

 三人同時に同じ名前を上げて、寸分違わず言い当てた。
三人は互いに成果に笑っていたが、当の本人はそれどころではないと顔面蒼白だった。

様!! 失礼致しますわ」

 歩みを進めて、の前へと後数歩というところで、例によって盛大に転ぶ。

「きゃう!!」

 顔面から畳にぶつからなかったのは、先を読んだ慶次が片腕を差し出して受け止めてくれたからだ。

「あ、も、申し訳ありませんわ」

 慶次の手を借りて姿勢を改めた所で、は胸元から一通の書簡を取り出した。
この書簡にも香が炊きしめてあり、季節の花が押し花されていた。

「わぁ…綺麗〜。こういうのもいいね」

「旦那様が…この鈴と一緒に送って下さったのですわ〜」

 呑気なの反応に、は嬉しそうに頬を綻ばせた。
それからすぐに我に返ったように、首を横へと大きく振った。

「ハッ! そ、そうではないのでしたわ。様、逃げましょう!!」

「逃げるってどこへ?」

 にしては突拍子もないなと思いながらも、は顔色一つ変えずに対応する。
二人のやり取りを見守る慶次と左近は、笑っていいのか怖がっていいのかが分からずに顔を強張らせていた。
なにせ、鬼とまで呼ばれているあの服部半蔵だ。
同業者の中でも恐怖の代名詞として有名な彼が、こと細君に関してはこの配慮。
たかだか一通の手紙に、香に押し花に土産まで付けている。
一体どんな顔でそんな事をしているのかを想像すると、息を呑む以外に出来る事はない。

「それにしても…これ綺麗だね。いいなぁ」

 押し花に指先を走らせて褒めるの表情の柔らかさを盗み見て、二人は、女はやっぱりこの手の物に弱いと納得する。こういう配慮をきちんとするから、服部夫妻は夫が館をあけがちでも、夫婦仲においては常に円満なのだろう。

「見習うべきかねぇ」

「かもしんないですね」

 しみじみと呟く二人との前にいるは、脱線する話を本筋に戻したいのか、涙目になり始めた。

様〜!! の話を聞いて下さいませ〜」

「あ、ご、ごめん! ごめん! で、何? どうしたの? 半蔵さんが怪我でもした??」

「そうじゃありませんわ!! 旦那様が文で…」

「うんうん」

 半蔵に限って怪我だのなんだのありえまい。
闇討ちこそすれ、される事とは無縁な気がする。
その為か、は呑気に茶器の支度をして、湯呑に用のお茶を入れ始める。
怖れ多いから自分がやると、が逆に急須を取り上げて、手際良く茶を入れた。
 、左近、慶次、自分の分と入れて、差し出して「これで気は済みましたか?」と視線で訴えた。

様にお知らせしなさいって」

「何を?」

「毛利がこの機に乗じて攻めてきます!!」

「ぶーーーーーーーーっ!!!」

 「だから早く逃げましょう!!」と叫ぶの前では、飲んだばかりのお茶を盛大に噴き出した。
湯呑を手にしていた左近の手から湯呑みが転げ落ち、慶次の中の湯呑は力加減を誤ったのか粉々に砕けた。

「えっ?! うぇ?! ハァアアアア!? 何? それ、どうゆうことっ?!?!」

 は己の口元を拭い、懐から取り出した手拭いで汚れた文机の上を拭いた。
その間にが広げた書簡の一節を示した。

「書簡、ここです。ほら、ほら、御覧下さい!!」

 文面は、行商にある夫が妻へと宛てたただの近況報告に過ぎない。
けれどもの言葉を借りるのであれば、こういう事だ。

「私達、二人の間でだけ交わす隠語があるのです」

「それでなんて書かれてんですか?!」

 我に返った左近が湯呑を取り上げて、に習うように机の上を片付けながら問う。
慶次も己の手に飛び散った茶を懐から出した手拭いで拭い、飛び散った湯呑の破片そっちのけで聞き入っていた。

「今、旦那様は行商に扮しているのですけど、既に毛利の陣中にいらっしゃるようです」

「陣中って事は…もう布陣してるって事?! マジで? 攻めてくる?? このタイミングで?!」

「はい、私宛の…」

「そうか、奥さん宛ての文に偽装したんだな」

「はい、きっと。これらの一節をご覧下さい」

 の言葉に従い、、左近、慶次が文へと視線を落とす。

「"法事は桜の節句に世話になったお寺"に"五升のお酒"に"お餅の購入は万全"?」

「敵は五万、兵糧も万全とあります。距離も、間がありません」

 の言葉を受けて、左近が相槌を打った。
彼の表情は引き締まっていて、何時もの穏やかな雰囲気は微塵もない。
彼が今纏うのは軍略家としての雰囲気それのみだ。

「この寺ってのが場所ですね?」

「はい、里で唯一の寺の事を示し、南西にあります。里から寺への距離は二日と掛りません。
 でもその寺へは獣道を使うと一日で行けてしまうのです」

「って事は、奴ら、被害の少ない獣道を見つけたって事か?!」

「かもしれませんわ。それに気がかりなのは、この一節もです」

「えーと…"駕篭を用意せよ"? これが何?」

「…申し上げ難いのですけど……」

 こくんと喉を鳴らして、は言った。

「多分、この地はもう囲まれつつあるという事ですわ」

 顔面蒼白になると左近の横で、二人の反応を見取ったの顔が不安一色に染まった。
感極まって来たのか、は今にも泣き出しそうだ。

「ですから、逃げましょう!! せめて旧城へ下がって、皆様をお呼び下さい。
 そしてそこで再起を計って下さいまし!!

 様の身に何かがあったら、は…はっ!!」

 それぞれの思惑を察した慶次が溜息を吐いた。
彼は覚悟を決めるように一度瞬きすると、己の膝を打ち、すぐに立ち上がった。

 

 

「俺じゃないってのはどういう事だ! 幸村はこれまで復興に従事してきた。俺の方が余力があるだろう」

 一刻と経たずに評議場に集った、左近、幸村、家康、秀吉の前で、慶次が吼えた。

「慶次さん、言ったでしょう。あんたには姫の護衛役がある。この場を離れて貰うわけにはいきませんよ。
 ここは幸村さん、大殿、左近が行きます」

 話が見えずにが視線を巡らせれば、慶次は珍しく険しい面持ちをしていた。

「どうあっても俺はここってことかい」

「冷静に考えてみて下さい。殿に松風を貸してるんですよ? あんたの機動力、えらい下がりようだ。
 阿吽の呼吸の松風がなくて、あんたの実力、どこまで発揮できますか?」

「何、心配には及ばんさ。復興すら済んでない荒地に攻めてくるって事は、敵も騎馬じゃない。
 ってことは地の利はこっちにある。兵力の差があろうとも、地の利を踏まえりゃ、互いの条件は五分だぜ」

「違いますね。敵はこっちより兵が多く、疲弊している者も少ない。
 対してこっちは旧以外でも復興の真っただ中で支援の期待は出来ない。
 地の利だってこんな騒ぎの後じゃ生かしようもない。季節は冬に差し掛かり、貯め置いた兵糧も、
 復興のためのものであって、この戦には使えない。って事は籠城も無理だ。
 五分なんかじゃない、明らかに、こっちが不利だ」

「だから、俺が蹴散らして出鼻を挫くって言ってんだ。どけよ」

 ギラギラした眼差しで睨み合う慶次と左近の間に秀吉が割って入った。

「まぁまぁ、その辺にするんさ。二人とも。様が怖がっとるわ。
 それにな、慶次。包囲網の方が囮かもしれん。乱破が差し向けられとったら、どうするんじゃ?
 そっちの方が面倒じゃ」

 ぐっと拳を握りしめ、息を呑む慶次にが寄り添う。
慶次の太い腕に触れたの指先は、微かに震えていた。
慶次がを見下ろせば、の視線は不安に揺れながら、一人黙々と出兵の支度を整える幸村に向いていた。

「大丈夫です、様。すぐに蹴散らして戻りますから」

 注がれる視線に気がついた幸村は、安心させようと微笑む。
だがこのところの激務の無理が祟っているのか、彼の眼の下にはクマが浮き彫りになっている。
彼とともに出ると言った左近とて、例外ではない。何度となく目頭を揉み解しているところをよく見ている。
城の中を忙しなく駆け回っている家康や秀吉も、睡眠不足が続いているのか、たまに欠伸を噛み殺してる事があると聞く。慶次が言うように、この場で余力があるのは慶次だけだ。

「慶次さん…ここは皆を信じよう……それしか、ない気がする…」

 は擦れた声で訴えた。
驚いたように慶次がを見下ろせば、もまた無理やり納得しようとしている顔だった。

「慶次さんの言う事、尤もだと思う。でも左近さんが言うからにはこれが一番いいんだよ、きっと。
 慶次さんは確かに誰よりも強い。それは私が一番よく知ってる。
 でもね、左近さんは軍略のプロなのよ。
 こういう事って、私の命だけじゃなくて、に住む皆の命を左右する事だもの。

 だったら、こういう時は左近さんの力を頼らなきゃ…って、私はそう思う」

 

 

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