千日戦争開幕

 

 

 斎藤龍興が齎した嫁取り騒動が引き金となって勃発した家臣団の一斉挙兵と、竹中半兵衛の引き起こした立て篭もり事件が決着して、かの者の浪費癖のツケを家全体で払い始めてすぐの事。
 まさか自分の腹心の部下が民や朝廷まで巻き込んでクーデターを起こそうなどとは想像していなかった豊臣秀吉は、隔離された蔵の中―――――現在の執務室で他の書簡に紛れ込んでいた一通の書状を見て、真っ青になった。

「…どうされましたか?」

 一服つこうかと湯呑に茶を入れてる家康に声をかけられると、秀吉はぶるぶると震えながら彼を見た。

「秀吉殿?」

 恐怖がそうさせるのか、それとも焦りなのか、秀吉の歯はガチガチと鳴るばかりで明確な言葉を紡ぎださない。
辛うじて手にしていた書状を差し出せば、家康が「拝見致す」と言いおいてから取り上げた。
家康が書状の中を改めること数秒、無言になること数秒。
中身の重大さを知った彼もまた、顔面蒼白になった。

「な……なんと!!!」

 狼狽しだす家康を見る事でようやく冷静さを取り戻したのか、秀吉が立ち上がる。

「こ、こうしちゃおれんわっ!! なんとか龍興を追い出して、様に返り咲いてもらわんとっ!!」

「ですな、強硬手段に訴えてでも…!!」

 家康が続いて、二人して蔵の中の二階から一階へ降りて、戸に噛り付いた。
そこで二人は初めて、自分達が何者かによって蔵に閉じ込められていることを知った。
 半兵衛の気遣いの賜物か、食事は定期的に運び込まれていたし、必要な資料はこの蔵に全て揃っている。
何か用があれば、門の前にいる兵が迅速に動いてくれたし、執務に熱中していたせいもあって、厠へ立つ回数も比較的少なかった。
 浪費癖の酷い斎藤龍興の気質であれば、策謀を張り巡らすとしても土台、出来る事は知れている。
何せこの蔵への転居を言い出したのはに信服している半兵衛だ。不信感を抱く必要もない。
そう考えていただけに、彼らは自分達の置かれている現状に全く疑いを抱いてはいなかった。

「……ん? お、お、おっ?!」

「どうされました?」

「外から閂がかけられとる」

「えええっ?!」

 こんな事しているわけにいかいないのに!!
それよりも何故、誰がこんな事を?!
脳裏に駆け巡る感情は多々あれど、手にしている書状が告げる緊急事態に勝るものはない。
 二人は悲壮感を漂わせながら、蔵の中で喚き散らした。

「誰かーっ! 誰かおらぬかーっ?!」

「開けてちょーっ!!」

 蔵の中で響く声は分厚い扉に隔てられて曇るもの。なかなか的確な言葉として伝わるものではない。
普段なら気を回して瞬時に反応して御用聞きにつく二人の門兵も、元を正せば竹中半兵衛の引き起こしたクーデターの賛同者だ。現状がクーデターの正念場であれば、おいそれと反応したりはしなかった。
 無論、彼らとてこの蔵に閉じ込められている者が自分達の首を声一つでどうにか出来る相手である事は知っている。
だとしても、かつての名君復活劇の一端を担えるのであればそれでいい。
かの者の復活、復権こそが、自分達の子を慈しむ未来に繋がるのだと信じているのだから。

「な、なんぞ、あったのだろうか…」

「か、かもしれんなぁ…」

 騒ぎ続けてきっかり一刻が経って、扉を叩き続けて疲れ果てた二人は互いに背を貸し合い座り込む。

「こんな事なら、武器くらい持ち込んどくんだったわ」

「ほんに…筒槍さえあれば、このような扉など…」

 嘆いていても始まらない。
手にしている書状が告げる火急の事態は刻々と現実として差し迫っているのだろうから。

そこを思えば、声が枯れようとも、へばって座り込んでいるわけには行かないと、二人は立ち上がる。
彼ら二人が改めて戸を叩こうと拳を振り上げた。
直後、彼ら二人の拳は宙を泳いだ。同時に目には眩い光が差し込んでくる。

「へっ?」

「おわっ!!」

 バランスを崩して蔵の外へと転がり出る二人の前には華奢な足首が覗く。

「「っ!!」」

 二人が咄嗟に思い当たる人間の顔を思い浮かべ、互いに視線を送り合っていると、頭上で懐かしい声が響いた。

「全く!! 何やってんですか、二人を幽閉だなんて!!
 ほら、小六さん!! そこの変な壷、どかしてさっさと売って!!
 なんで皆して、半兵衛さんの策に乗っちゃうのよ? 大事になっちゃったでしょ?!
 勘助さん、そこの廊下にかけられている良く分からない絵、さっさと撤去!!
 馬場さんと昌信さんが大事に運ぼうとしている鎧一式だけど、大して価値がないなら、皆で使っちゃっていいから。
 だからそんな後生大事に運ばない!! さっさとこの悪趣味な内装売り飛ばすわよ!!」

「「様〜!!」」

 敬愛する君主であり、溺愛する愛娘のような存在でもあるの快活な声。
これを聞いて大地に突っ伏したままの二人は感動に満たされる。
嬉しげに声を上げた二人を見やる余裕もないのか、は怒鳴り続けた。

「三成ーっ!! 税率どうなってんのーッ!? 早く引き下げなさいよ!!!!
 皆生活できなくて困ってんだからね!!」

「言われなくてもやってますよ」

 三成が声だけで答えるとは頷いて、蔵に続く回廊の窓から頭だけを出して、階上に向い叫んだ。

「左近さん、そっちはどうっ?!」

「えー、あー、まぁ…ここは左近にお任せ下さい」

「今の間は一体、何?」

 同じように階上で顔だけ出した左近に問えば、彼は眉を八の字にして見せて、顔を顰めた。

「推して知るべし、ですな。この階見たら、姫、きっとあの男を殺したくなりますよ?」

「そう、分かった……そっちは任せる」

「そうして下さい」

 が「全く、どこをどうすりゃ、民の血税こんなに無駄遣いする気になるのよ…?」と一人愚痴る。
余程苛々しているのか、今にも柱を蹴り飛ばさんばかりの勢いだ。

「ん?」

 腕組みして苛立たしげに片足でたたらを踏むの視線が大地へと向いた。
そこで突っ伏している二人の男に重なる。
 突っ伏したままの二人の視線の先、の後方に立つのは竹中半兵衛。
彼の掌中では官位授与を示す書面が燦然と輝く。

 在野に下りたはずのがこうして城内で采配を揮っているという現実もある。
察しの良い二人はすぐに気がついた。待ち望んだ"その日"は、今日だったのだと。
何がどうしてそうなって、こうなったのかは全く分からない。
だが今となっては過程よりも結果が一番だ! とばかりに、二人は破顔した。

「何時まで寝てんですか!! 二人とも、早く起きて!!」

 言葉と裏腹に差し出された両の手を、秀吉、家康はすぐさま掴んで起き上がる。
そしてそのまま同時にを抱き締めた。

様!! よう戻られました!!」

「ああ、懐かしいわ〜!! わし、ずっと待っとったんじゃー!!」

 驚きはしたものの、この二人にこうして歓迎される嬉しさは格別だ。
は寄せていた眉から力を抜いて満面の笑みになった。
繋いでいた手を放させて、改めて二人の肩を抱いた。

「ただいま」

 二人にしてみれば感極まり過ぎたかな? と、冷や汗をかくところだがの奔放さは野に下っても変わるものではなかったようだ。
それを向けられる声と態度で知り、二人の胸には感動がこみ上げる。
二人は改めての事を強く強く抱き寄せた。

「なんも御変りはなかったかの!?」

「生活に窮しては?!」

「うんん、大丈夫。慶次さんも孫市さんも御近所さんも良くしてくれたし、左近さんがその都度差し入れもくれたし」

「左様か、ようござった」

「うん、ところでさ、二人とも閉じ込められていたのはいいとして…何、叫んでたの?」

 視線を合わせたの問いかけに、二人の顔色はみるみる変わって行く。

「どしたの? 秀吉様? 家康様?」

 交互に見やれば、二人は慌てて距離を置いて、膝を折ると一通の書面を差し出した。

「お下知を!!」

「ご決断下され!!」

「ん? 何これ?」

 が呑気に差し出された書面を取り上げて中を改める。
この時代独特の、相変わらずの達筆だが、にも拾い読み出来る部分はあった。

「えーと…何々? 毛利…から…かな? …へ……降服勧告…? え、これって…所謂…宣戦布告ーッ?!

 絶叫に周囲で従事していた諸将の動きが止まる。
買いこまれたガラクタと思しき骨董品が、相次いであちこちで落ちて割れる音がした。
先頭を歩いていた将兵がショックで硬直したものだから、後方に続いていた一介の兵が躓いて、運び出している
骨董品共々将棋倒し現象を引き起こしたのだ。

兵への損害はなかったが、これによって多くの骨董品が転売不可能な破片と化した。

「っと、ごめん、高坂さん、半兵衛さんと財源回収処理一任する!!」

「畏まりました」

「承りました」

 財源の回収が見込めなくなった事も痛いが、それ以上に痛恨の事態が起きていると判じたは、勢いよく身を翻すと駆け出した。

「三成!!」

「なんだ、だから今やっていると言って…」

「そうじゃない!! シャレになんない事態になった、左近さん連れて半刻で評議場に」

 廊下を疾走したは城を出ようとしていた三成を見つけると、彼の肩に噛り付いた。

「ところで孫市さんは?」

「あのクズを大工と共にシメてるのではないか?」

「じゃ、彼も呼び戻して。出来れば、慶次さんも」

「慶次を呼び戻したら連絡がつかなくなるぞ。挙兵した連中はどうするつもりだ?」

「ええと…状況を考えると、それはそれで都合がいい…かも?」

 いまいち歯切れの悪い言葉を紡ぎ、慌てふためき続けるを落ち着かせようと、三成がの両肩を抑えた。

「どうした? 何があったのだ?」

「ちょっとツラ貸して。そんなに大声では言えない」

「ン?」

 押し殺した声でが言えば、三成は眉を動かして、続いての耳元へと己の顔を寄せた。
何も知らぬ面々が見たら、二人は恋仲そのものだ。
城門からすぐの所でやっているせいで、まだ捌けていない一揆衆からは丸見えである。

 

 

- 目次 -