剣が峰演舞

 

 

 千日戦争開幕から一ヶ月が経とうとしていた。
季節は如月。山々の木々に薄らと木の芽が見え始める季節。
これまでに双方が出した負傷兵の数は、軽く一万を超えていた。
内訳としては軍の方が圧倒的に不利だった。
 だが軍の威勢は、依然として衰えが見えない。

『これは何か策を講じているか。まぁ、いい。しばらくは好きにさせようか』

 このしぶとさがただの虚勢ではないと気が付いていたのは、毛利・北条本陣の中ではただ一人だけだった。
毛利家当主・毛利隆元の隣に座す黒色の陣羽織に身を包む老齢の男だ。
この男が毛利の軍師を務めているようだ。
彼の出自は不明だが、軍師としての慧眼は確かだった。
 武田騎馬が地を駆ければ、鉄砲隊を前に出し。
が迅速に反応して後詰となる左近・三成の指揮する歩兵を出せば、彼は自軍の騎馬隊に歩兵の横腹を突かせた。
それを阻む為にまた武田騎馬が地を駆けるというように、互いに一歩も引かぬ戦いが続いて、更に三ヶ月が過ぎた頃。
ついに領へと続く森林地帯の前方、軍後詰の後方に幾つかの出城と陣が姿を現した。

「一発でいかせてやるぜ」

 季節は皐月に変わり、山々が新緑に彩られる頃合。
櫓を備えた出城に配備された孫市率いる弓兵が連弩のような弓撃を開始、前線の働きを支援する。
 敵の意識がそちらに向いている間に、秀吉の指揮の元で計略の準備は着々と進み続けた。

 

 

様、ほんに、ほんに、お気を付け下されよ」

「うん、無茶はしない」

「少しでも危険を感じたら、策は諦めて戻って下されよ」

「うん、すぐ逃げる」

「ほんに…」

「家康様、見送り有り難う。行ってきますね」

「…様…」

 左近に策を与えられたが特別に組まれた兵と共に進軍を開始する日。
家康は愛娘を送り出す父の眼差しで、何度となく釘を刺した。
城下町の際まで見送りに出ていた家康は、の姿が見えなくなるまでその場を動かなかった。
 ようやくの率いる一隊の最後の兵の後ろ姿が見えなくなってから踵を返した家康は、雑務の嵩んだ城に戻るまでの道のりを、後ろ髪引かれるように何度となく振り返りながら進んだ。
 許される事ならば、今すぐにでも筒槍を手にして後を追うのに。
けれども自分に託されたのは、この城下町の再建と守護。
何よりも武将を一人も引き連れずに進軍する事にこそ、今回の策の強みである以上、追随する事は許されない。
家康は心労で痛む胸を押さえながら帰路を急いだ。
 兼続、政宗の言葉ではないが、一刻も早く自分に出来ることを片づけて、の守護へと赴きたい。
彼の背はそう強く物語っていた。

 

 

 それから二日後、軍と毛利・北条連合が争う大地から数里離れた山道の中を進む一団があった。
敵の目を欺くように旅の一座の姿をとってぬかるんだ山道を進むこの一団の中に、は身を寄せていた。
掻き集められるだけの太鼓と楽器を手に進む者の大多数は、皆女性と見紛うばかりの美丈夫だ。
敵の目に留った時になんとか誤魔化せるようにと、左近が選りすぐった者ばかりだ。

「着いたみたいね。早速、準備に取り掛かりましょう」

 かつて武田信玄が高みの見物を決め込んだ高台の更に上に布陣する。
武具を扱うわけではないのか、用意をされたのは祭器とも思える大がかりな篝火と舞台だ。
彼らは策に必要な下ごしらえを迅速に終わらせると、撤退に即した道を整備、確保した。
 一方その頃、豊臣秀長が預かる本陣には、秀吉から堅牢な出城の建設がほぼ完了したとの報が届く。
秀長はすぐさま櫓を備えた陣にて奮戦している孫市に伝令を飛ばした。
伝令を受けた孫市が雑賀衆の一部に合図を出し、森の中で作っていた投石機を堅牢な出城へと納入する。

「全て整ったんさ。後は夜を待つだけじゃ、敵のたまげた顔が見ものじゃな」

 そう一人呟いた秀吉は、各陣から陣へ、出城、祭壇へと篝火を配置した。
この篝火の点火の瞬間こそが、劣勢のから優勢の毛利・北条連合軍への手痛い洗礼の口火となるのだ。

 

 

「今日はしつこいな」

 やがて日は傾き始めて、夕焼けが天を染め、闇が降りてくる。

「何か策があるやもしれぬ…本陣におわす軍師殿に指示を仰ぎ、ここは一旦引くことを考えてはどうか?」

「深追いは危険やもしれぬ」

「いや!! ここは一層強く攻め込み、それから撤退した方がよかろう」

「何を怖気づいているのかと笑い者になる!!」

「むぅ、それもそうか…」

 なかなか引こうとしない勢の攻撃に引くに引けない敵方の前線部隊は、迷いあぐねながらも、知らず知らずの内に誘い出されていた。
 夕暮れ前に開戦して、今は夜。
これだけ長時間戦っていれば、双方疲労が溜まっているはずなのに、軍の兵にはあまり負担はないように見える。
そこが分からない、兵数は俄然こちらの方が有利であるはずなのに敵は士気にすら衰えを出さない。
まるで自分達に意思はなく何かに操られてでもいるかのようだ。
軍の動きは明らかに不自然で不気味だと、毛利・北条の将兵は首を傾げる。
 だが彼らの疑問も無理はない。
騎馬、歩兵が入り乱れる事によって、軍は巧みに兵の入れ替えを行っていた。
政宗、兼続が送り込んだ兵の半数以上が、主力として歩兵、騎馬隊へと組み込まれて出撃していたのだ。
 一方で前田慶次、伊達成実、馬場信春、蜂須賀小六を始めとした一部の武将が策の為に選りすぐった兵と共に夜まで体力を温存した。後詰を預かっていたはずの三成、左近の姿も見えず、彼らの率いていた歩兵隊の統率は浅井長政、井伊直政に任されている。姿を消した二人は、投石部隊の配置された出城の中にあった。
 湧き上がる違和感と疲れに塗れた敵兵は、徐々に撤退を考え始める。
けれどもそれを選ぶ前に、軍は動いた。

「そろそろ、いくか」

「「「おうよ!!」」」

 慶次達が騎馬を揃え、井伊隊、長政隊が道を開けた。
突然現れた騎馬隊の中央では松風が鋭い眼差しで敵兵を睨み、鼻息も荒くたたらを踏む。
気圧されする敵兵達は身動ぎ一つしなかった。彼らにしてみればすぐに襲いかかってこない事が不気味で、どうするのがよりよい選択なのか、瞬時には判断できなかったのかもしれない。

「な、なんだ…?!」

 敵が固唾を呑む中で、雲が流れ、戦地に生暖かい風が吹いた。
銀色の雲が夜風に吹かれて月を覆い隠す。
それと同時に、突然の陣に向かい、山々に配置された多くの篝火が灯った。
 視覚効果で怯んだ敵兵へに向かい騎馬が突撃を開始する。
雄々しい騎馬隊の蹄の音に潜むように、ドコドコドコドコと聞いた事もない調子で陣太鼓が鳴り響き出す。

「こ、これは…一体?!」

 盆地の地形が音を反響し、攻め上がって来た騎馬隊の蹄の音と相まって、恐怖を揺り起こすような音量になる。
そして音は、敵が気がついた時には、耳慣れぬ音曲へと姿を変えていた。

「何が起きようとしている?!」

 敵兵の目と鼻の先に松風の巨体が迫る。
次の瞬間、山間の高台に密かに誂えられた祭壇に一瞬の内に火が入った。

「な、何だ?!」

 何が起きているのか、そしてこれから何が起きるかのかが分からずに、敵は動揺するばかりだ。
そこに畳み掛けるように、祭壇に白装束を纏った女が一人、現れた。
 混乱する敵の視線が山腹で舞うへと釘づけになる。

「! 一体何…わぐっ!!」

 そこを突くように後続の騎馬隊が攻め上がった。
厚みを持っていた毛利・北条連合の陣容が対応出来ずに突き崩されてゆく。

「どけどけぇぇぇぇ!!」

「ひっうわあああ!!」

 統制の崩れ始めた敵兵を弾き飛ばしながら駆け回る騎馬の上では、成実、小六、信春が楽しげに鼻歌を歌っていた。
奏でられる音曲に合わせているのか、祭壇に立ったが純白の巫女装束を揺らしながら、一本の剣を携えて軽やかに舞い始める。

「なんだ?! あれは?!」

 楽隊が奏でるリズミカルなユーロビートに合わせて、が剣を天高く突き上げた。
それに合わせて、駆け回っていたはずの騎馬が馬首を返した。

「何っ?!」

 武田騎馬が勢いに乗らずに反転したことを受けて、毛利・北条連合は咄嗟に条件反射した。

「い、今じゃ!! 押し返せッ!!」

 それを読んでいたかのように、舞台のが曲に合わせて剣を振り下ろした。
白装束の袖がふわりふわりと華麗に揺れる。
袖の緩やかな動きに重なるかのように、戦場では何かが風を切る音がした。

「ん…? 今何か音が…」

 敏い者は違和感を抱えたが、それを言葉にするよりも早く、事は起きた。
慌てて前線を押し上げようと駆け出した敵軍へ向けて、天から数多の巨大な岩が降り注いだのだ。
これは軍の後方に展開された投石隊による攻撃だ。

「ひっ!!」

「あぐっ!!」

「うあああ!!」

 出城の中に隠された投石機からの攻撃は、騎馬に翻弄される敵にはどう見えているのだろうか。
まして戦場を駆け回る騎馬隊を護るように飛んでくる岩々は、舞台で舞い踊る巫女の動きに合わせて落ちて来るように見える。これではまるで自領に身を寄せる者を護る為に揮われる妖術だ。

「だ、だめだ…に、逃げろッ!!」

「そうはいくかあぁぁぁ!!」

「うがぁ!!」

 逃れようとすれば、再び馬首を返した騎馬の攻撃に合う。
騎馬に備えれば騎馬は引き、その撤退を援護するように巨石が襲いかかってくる。
岩を避けようにも、夜の闇の中では、軌道が読み取れない。つまり、逃げようがないのだ。
騎馬隊の撤退が真の撤退なのであれば、攻め上げる。
まさか敵も味方の騎馬に向って投石を行うはずがない。
そう信じて進軍すれば、出城から無数の矢を浴びせかけられ、後退しようとすれば隊列を整えた騎馬に再び襲われる。
その後は、形式は違えど、結果は同じ。騎馬か、投石か、弓兵か。何かの餌食になるという結末に変わりはなかった。

「どうした? 前線が総崩れではないか!!!」

「行くぞ!!! 味方を救うのじゃ!!」

 後方に控えていた一軍が、味方を救おうと慌てて大地を駆けた。

「ひっ!! どうしてだ、何故後方からも敵が!?」

「ぐぁ!!」

「ち、違います!! こ、これは……」

「ど、どけっ!!」

「なんなんだ……一体、何が起きている?! どうして…味方が我々を…?」

「違いますよ!! 救援です!! 彼らは救援に来てるつもりなんです!!!!」

「何?! この有り様が奴らには見えぬのか!? これでは儂らは身動きが取れんではないか!!」

「ひっ!!」

 混乱し、呆然とする敵将へ向けて騎馬を操る武闘派三人衆―――――蜂須賀小六、馬場信春、伊達成実が迫る。

「その首、貰ったァァァァァァ!!!!」

「がはぁ!!」

「敵将、討ち取ったり!!!」

「あ…ああ……ど…どうしてだ!! どうして…!!!」

 次々に将が討たれ、従っていた兵には戦慄が走った。

「何が起きている?!」

「今は夜だぞ!! 何故あいつらは、岩に穿たれぬのだッ?!」

 よかれと思ってした救援行動が仇になる。

「早く味方を救うのだ、遅れをとるな!!」

「ひいっ!! 来るなぁ!! 今来ないでくれぇ!!! に、逃げ場が!!!!」

 まるで挟撃でもされているかのように、前線を預かる敵は逃げ場を失い混乱を来す。

「まだまだ、これからよっ!! 我が力、見よやぁぁぁ!!!」

 大きく動揺し、恐怖が広がる毛利・北条連合へと向けられた軍の攻撃に容赦はなかった。

「そろそろ曲が転調する頃だな」

「用意を急げ」

「こっからが激しんだよなぁ〜、"めどれー"とやらは」

 各出城に身を置く、左近・三成、孫市が音曲に合わせて指令を出す。

「撃て!!」

 陣の中に配置された面々は、敵味方が布陣している地平を見ることなく投石攻撃を繰り返した。
一方で、前線を掻き乱す騎馬隊も、独自の判断と思える速さで撤退と攻撃を繰り返す。
現場の流れを目視して確認し、判断しているのは、櫓を備えた陣に展開する弓兵隊だけだ。

「撤退!! 迅速に撤退せよッ!!」

「引け、引けー!!」

 布陣していた毛利・北条連合全体に撤退令が発令されて、敵はほうほうの体で引き上げて行く。
さざ波が引くように前線から消えた敵兵への追撃は、投石の飛距離の瀬戸際まで騎馬との連携の元、行われた。
 二刻にも及んだこの波状攻撃で出たの損害は皆無で、誘い込んだ兵と援護にきた敵兵の被害は二万にも及んだ。
後に魔女説の一端を担う事になる計略が初めて世にお目見えした夜だった。
この計略を後世の人々は"剣が峰演舞"と呼んだ。

 

 

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