零れ落ちて行く者

 

 

『うっ…痛たた…突然だなぁ…もう…今度は、何?』

 突然視界が暗転したかと思えば、肌寒い暗闇の中へと投げ出された。
両手を突いて立ち上がり、強かに打ちつけた膝小僧を擦る。
何が起きたのかおよその見当をつけたが、自分の予測が当たっているかどうかを気にして周囲を見やる。
 天は薄暗く、音はない。
足元を見下ろせば、進展も荒廃もない未来像。
 またもや自分はあの世界へと呼ばれたようだ。

『…今回は、誰の召致なんだろう…? この前みたいな思いをしなければいいんだけど……』

 は一瞬怖気づいたように小さく身震いした。
これまでの経験で、この世界への召致がいかに危険であるのか。
自分の肉体と精神に負担を掛けているのかを思い知っているのだから当然の反応だ。

『あの…誰かいませんかー? 来ましたよー、ご用件はー?』

 宛てはなく、安全である確証もないが、このままこの世界にただ留まっているわけにはいかない。
呼ばれたのであれば、相応の理由が必ずあるはずだ。
ならばそれを経て、皆の所へ早急に戻らねばならない。
その為の第一歩であれば、迷ってはいられないと考えたは、宛てもないまま広がる闇へと向けて呼びかけた。

『…おーい、誰もいませんかー?』

 進んでいるのかどうかも怪しい虚無の世界を、ただ一人でとぼとぼと歩きながら声をかけ続ける。
一刻、二刻、否、もっと長い時間だったのかもしれないし、短い時間だったのかもしれない。
一体どれだけの時間が経っていたのか定かではないが、は声を上げながら歩き続けた。

『…ふぅ…参ったな……本当に誰もいないの?』

 投げ出された時に受けた膝の痛みは、すでに消えていた。
けれども本来の肉体が抱えている疲労感は消しようのないものだ。
長期間に及ぶ戦で蓄積した疲れが、この世界でもの肩に圧し掛かる。
ついには疲れ果てて、その場に腰を下した。

『…はぁ…インテリさんでも、双子でもいいから……会いに来てよ……』

 しょぼつく視線に鮮明さを取り戻そうと目頭を揉み解し独白すれば、の背後で何者の笑い声が響いた。
まるでが疲れを見せるのを待っていたかのようだった。

『! 誰か…いるの?』

 瞬時にが振り返って、辺りを見回して探すが、誰の姿も見えない。

『…もしかして…』

 先のことを思い出し、は身を固くしながら立ち上がった。

「…クスクスクス…」

 何時どこから得体の知れぬものに襲いかかられるかもしれない恐怖に、足下からじわじわと浸食されてゆく。
喉は乾き、額には玉粒の汗が浮き上がってくる。
背筋を這いあがる寒気、高鳴る鼓動。
 は目を凝らしても見えるはずのないものを、懸命に目で追った。

『ど…こ? どこにいるの?』

「クスクスクス」

 問いかければ、嘲笑う声は常にの背後から上がった。
それがまた、の中に芽生えた恐怖心を煽る。

『い、言っとくけど、もう負けないからね!! 幸村さんも言ってくれたもの!!
 貴方方と私の信念は相慣れない…なら、心が強い方が勝つって…。
 私、自分が間違ったことしてるとは思ってない!! 

 皆の事も、あの子も、未来も…救いたい。だから、負けない!!』

 眼差しに力を込めて言えば、背を脅かしていた声が一瞬ぴたりと止んだ。
次の瞬間、足元から暗闇が噴出して世界を覆い尽くした。
静寂が広がり、光のない世界の恐ろしさを際立たせる。
 警戒心を解かずにが周囲を見回していると、闇の向こう側から一つの蒼い毬が転がって来た。
最初は弾み、徐々に躍動感を失った毬は、の足首に軽くぶつかって止まった。
が怪訝な顔をして両手で毬を取り上げるのと同時に冷たい声が響いた。

「……酷いことをいうのね…まるで、私達が悪者みたい…」

『! 貴方は、誰?! なんで、邪魔をするの?』

 声の主をの姿を求めて、は視線を彷徨わせる。

「言っても分からないなら、見て、感じさせてあげる」

『え?』

 問いかけには一切答えず、声は一方的だった。

『よく、ごらんなさい』

 その言葉が終わると同時に、掌中の毬が眩いばかりの光を放った。
危険を予測し、毬を手放そうとするが、磁力に繋がれた磁石と磁石のようにぴったりと掌に吸い付き離れない。
覚悟を決める余裕もないまま、の視線は両手の中に収まる毬と重なった。
 濃厚な青で満たされていた毬は、徐々に透き通っていき、やがて一つの現実をに突きつけた。

 

 

「なんだよそれ、一体どういうオチだよ?!」

「戦国ならあって不思議はない……同盟反故…簒奪だ…」

 双子が茫然としながら独白する。

「くっそ!! あれだけ死に物狂いだったには何の得もなしかよ!!」

 頭に来ると、弟が手にしていたコップを壁に向かって叩きつけた。

「それより大事な話って言うのは?」

 怒る弟の肩を軽く叩いて宥めながら兄が問う。口調こそ冷静だが兄の目にも怒りは浮かんでいた。
たが彼は弟よりも合理主義なのだろう。
一時の怒りに身を任せるよりも、この結果が齎す次の事象に対応するべく、意識を切り替えることにしたようだ。
 冷静な兄の問いを受けて、多少冷静さを取り戻したのか、弟は肩を落としながら答えた。

、会って話してみたんだけどさ。民間人だった。しかも文系」

「そうか、それでか…。僕とシンクロ率が悪かったんじゃなくて、ただの体力の限界?」

「そうなる」

 弟が言わんとしている事を言葉尻で悟った兄が呟けば、弟はがっくりと肩を落とした。

「これから救援する時は、ちゃんと考えなきゃ…」

 言いかけた弟の顔が青ざめた。

「どうしたの?」

 首を傾げたのも束の間、兄もまた異変を肌で感じ取った。
二人の掌が、爪先が、透き通って消えて行く。
 彼ら二人が同時に机の上に広がる"神託の書"へと視線を向けた。
"神託の書"には新しい一節が浮かび上がりつつあった。

「…ああ…また…宿命が…変わる…」

「すまない、救世主……僕達はここまでだ…」

 二人が悔しそうに視線を伏せる。
それと同時に、彼らの姿だけでなく彼らの住む世界そのものが透き通って消えて行く。
二人が口にした通り、宿命の変化によりあっという間に世界は立ち消えた。
世界の跡地となった場所には、近代的な風景はなく、音もなかった。
そこに残ったのは、砂塵だけだ。

 

 

 映像が消えると同時に、掌に吸い付いていた毬が砕け散った。

『…あ……あぁ…ああ……そんな……そんな事って……一体、どうして?! どうしてなの!?』

 時空を隔てていても、同じ目的の為に尽力していたはずの存在。
顔を知らず、声だけでしか交流をしていなかった。
それとて長い時間の流れの中で見ればほんの一瞬の邂逅。
けれども彼らの存在にどれ程、心強さを貰っていたかしれない。
その同士が、目の前で煙のように、幻のようにたち消えた。
そこに映りだした姿が、彼らの異なる未来、平穏であればまだいい。
だが映った世界は、荒廃へと繋がる未来像に他ならない。

"鍵を握る者よ、私も何時かお前の前から姿を消す事になる。だがゆめゆめ忘れることなかれ。
 それは間違いではない、未来があるべき姿に戻りつつある徴に過ぎぬ"

 かつての前に現れた使者の一人は語った。
その言葉に潜む冷淡な現実の一つを、今、こうして目の当たりにした気がした。

『……どうして…? 何でなの! なんで、こんなことに…?!』

 力を失ったがずるずるとその場に崩れ落ちた。
戦で長期間張り詰め続けた精神は、身を寄せる国に戻ってほんの一時でも安堵を得た。
その中での突然の招致では、再びあれだけの緊張感を持つことは出来なかった。
が見せていた気丈な姿は、今、この世界であっては、脆いガラス細工と同じだ。
 邪な言葉を投げかけられる事。
先のように、我が身に降りかかるであろう激痛と恐怖。
それらには覚悟を持って当たる事は出来ても、こうして視覚で同士の費える姿を見せられては耐えようがなかった。
 の目頭が熱を持ち、頬を大粒の涙が伝い落ちて行く。

『そんな……そんなつもりじゃ……これでいいというの? こんな事が、繰り返されてる…?
 これが本当に正しい形なの? 私が選んでる道は…本当に、正しいの?』

「…そうだ、失うのは誰しも辛い…」

 揺るぎない未来像を見せた声が強い口調で語り始める。

「私は…私達は…その者達と同じ…」

『え…?』

 涙を拭う事を忘れたが顔を上げれば、暗闇の中に揺らめく多くの影を見た気がした。

「…お前が書き換えた為に、消えた未来……そこで暮らす我らの生はどうなる?」

「生きたい…俺達だって!!」

「あんた、ずるいよな。自分の仲間が消えて泣くんだろ? でも俺達は平気で消すんだよな?」

『違う…平気なんかじゃない……違う…私は…』

「詭弁だろ? だって、俺達は…あんたが作った未来には存在してないんだ」

「ねぇ、分かんないの? あんたの存在が未来を乱してるのよ」

 ざわめく影が、波状攻撃のようにを非難する。
けれどもその非難に含まれるのが、ただの憎悪ではなく、痛切な願いである事もまた事実だ。

「あんたのさ、選ぶ未来って、何の為? 誰の為のもの?
 なんであんたの選ぶ未来から私達が追い出されなきゃならないの? 理不尽じゃん」

「神様気取りかよ?」

『違う……そうじゃない…そうじゃなくて…私は、ただ…』

「ただ、何? 自分の大切な人を護りたいって? それは俺らだって一緒だよ」

「そうじゃ…わしはええ、だが孫は許してくれんかのぅ…? お嬢さん」

 瞳を大きく見開いて、は息を呑んだ。

「お姉ちゃん、ぼく、いけないことした?」

 無邪気な幼子の声に、罪悪感が芽生える。心が握り潰されるような痛みを覚える。

『…そんな……私……私…』

「お嬢さん、気がつきませんか? 貴方の選択の向こうには、多くの命が犠牲となる。
 貴方の同士だって…ああして、砂塵の中に消えてしまう…」

「不毛だと思ったことはない? 貴方の力で彼らは命を繋ぎ、貴方が後手に回れば、
 歪みを正そうとする時空の意志の前に、また掻き消される事になる…」

「…虚しい……虚しくて、とても悲しい輪廻だわ」

『…私が……諦めれば…?』

「そう……貴方が諦めれば…多くの命が生を繋げる。
 貴方の同士も、こんな再生と死を繰り返さなくて済むようになる」

 幾重にも重なる声が、影があの黒い液体へと姿を変えた。

「勘違いしないでくれ、俺達は悪意があるわけじゃない。ただ生きていたい。
 それをあんたに分かってほしいだけなんだ」

 の背後から、黒い液体がじわじわと忍び寄り始める。

「誰が死んで、誰が生きるかをあんたが決めるのか? あんたのどこにそんな権限がある?」

『……それは……私は…そんな、そんなつもりではなくて……私……私…』

 唇を噛み締めて、が瞼を閉ざす。
頬を伝う涙の量が増えて行く。
 黒い液体がの背に、倍以上の高さとなって差し迫った。
液体の一部が鋭い鎌へと形を変える。
息を殺し、殺意を押し殺した液体が鎌となって襲いかからんとする。

 

 

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