狂った歯車

 

 

 懇談会が始まって二刻。
歌会が恙無くすみ、次は楽の披露とばかりに、華美な娘達が舞い踊る。
酒を酌み交わしながら続けられる茶番劇に、当然のことながら、は飽きていた。

「失礼、姫様のお支度に…」

 影武者の手を取り、その場から一時離席しようとする。
三成・家康が目配せして続こうかとすると、何故かそこで立花ァ千代が彼らを退けた。

「女子には女子の事情がある。察せよ」

 影武者、で厠へと移動する際、供をしたのはァ千代だ。
彼女は至極自然な立ち居振る舞いで、二人の後について来た。
影武者としては自分がの警護を担うので必要はないという眼差しだったが、ァ千代が意に介す事はなかった。

「はー、なんか面倒くさい会だねぇ…」

 手洗いを済ませ、思い切り中庭の前で伸びをしてストレッチをするに向けてァ千代は溜息を吐いた。

「貴様には野心はないと見えるな」

「天下を平らげるとか、そういうの?」

「ああ」

「そういうの、あまり興味はないかな。もっともっと器の大きな人が、治めればいいと思う。
 私はそれよりも、まず今は自領の復興が最優先事項かな」

「変わった女だ」

「お互いさまでしょ?」

 肩越しに振り返り、が言えばァ千代が顔を顰めた。

「違いない」

「さてと、戻ろうか。姫様もいい?」

 影武者が静かに頷く。
三人が揃って戻ろうかという矢先、が足を止めた。

「どうした?」

「ちょっと待って」

 が石造りの上へと降りて中庭を横切った。
庭先の木の上に巣を掛けていた鳥の雛が、誤って落ちてしまっていたのだろう。
こじんまりとした池の上に浮いている蓮の葉の上で、ぷるぷると恐怖に怯えて震えていた。
それをふとした瞬間に目端に捉えたは、雛を巣へと戻してやろうとしたのだ。

「よっと…ちょっと待っててねー。怖くないからねー」

 蓮の葉の上から雛を救いだし、飾り岩を器用に登る。
白壁に手を掛けてよじ登り、木の上へと腰を落として、ようやく巣へと雛を戻してやった。

「はい、到着。もう落ちちゃだめだぞ〜?」

 あるがままの姿で、心優しく振舞うを遠目に見てァ千代は思わず微笑んだ。

『作法は確かに褒められたものではない…。
 …が、真の姫とは、あのように慈愛に満ちていなくては……誰からも愛されぬ…』

「…そろそろ行こう。銀狐が心配する」

「うん、今降り…」

 掛けられた声に応えて、が白壁へと手を伸ばして身を寄せたところで固まった。

「…………!!」

「どうした?」

 その瞬間、目にしたものにの全身から血の気が抜けた。

「ぎ……」

「む?」

「ァ千代さん、どうしようっ?!」

「まさか降りれないのか?」

「そうじゃなくて……!! 誰か、誰か人呼んで、早く!!」

 肩越しにが振り返るの時同じくして、他の顔のすぐ傍を、何かが過った。
ァ千代の本能が警鐘を鳴らした。

「壁の向こうで、覆面の人に斬られてる人がいて血塗れになってる…!!」

 話している間にァ千代は中庭へと降りて、の手を引いた。
白壁から力づくで引き剥がされたの後を追うように、覆面姿の曲者達が白壁を乗り越えて姿を現す。

「…見たな…」

「…運の悪い女子だ」

「口を封じよ」

 曲者達は言葉少なく意志を確認し合うと、とァ千代を取り囲んだ。

「貴様らに討たれる程、この命安くはない!!」

 ァ千代が雷切を構え、が影武者の元へ駆け寄る。
影武者がを伴いその場から逃れようとするのと同時に、ァ千代が曲者達と切り結びあう金属音が上がり始めた。
 いくらァ千代でも多勢に無勢、女性の体力で、持久戦に持ち込まれてはひとたまりもない。
そう判じたは途中で影武者の手を振り切って回廊を走った。

「な、どちらへ!?」

 ずざざざーっ!! と滑り込みでもするかのような要領で駆け抜けて、警護班の行き交う通路へと辿り着く。

「曲者!! 曲者がすぐそこにっ!! 厠の壁裏で誰かが斬られて血塗れになってます!!」

 そこで叫び声を上げれば、武士達は怪訝な顔をして見せた。

「何、ボヤッとしてるの!? 早くしないと、あの人死んじゃう!! 誰か早くお医者様呼んでよ!!」

 金切り声をあげて叫べば、ようやく武士達は動き出した。
ただ彼らは、の想像したのとは異なる動きを見せた。皆、自分の君主の身を案じ我先にとばかりに動き出し、誰一人として手傷を負った者の為に動こうとはしなかったのだ。
 は全身から火が出る程の怒りを覚えて、地団駄を踏んだ。

「もう、なんなのっ!? この非常事態に…最低ッッッ!!」

 叫ぶや否や、はそのまま身を翻した。
後を追ってきた影武者の制止も聞かずに感情のままに駆け出して、先程の路地を目指す。

「ん? ありゃ、確かの…」

 そんなの姿を、明智側の警備を担っている利家が認めた。

「おい、どうした?」

「又左さん?! 丁度いいところに!! ちょっと手を貸して下さい!!」

 怪訝な顔をするものの、同時に彼の脳裏には柴田勝家の言葉が浮かび上がった。

『わぬしの目は節穴か。馬の上にいたが、誠の姫よ』

 勝家の漏らした独白の真意を見極めようとでもいうのか、彼は望まれるままの後に続く。

「こっち、確かこっちです!!」

 延々と続く白壁の廓を二人で走り、二回曲がり角を曲がると、件の現場が見えて来た。

「おい、こりゃなんだっ?!」

 利家が叫び、全身に覇気を漲らせる横で、は斬られた武士へと駆け寄った。

「もし、もし、大丈夫ですか?! ねぇ、生きてたら目を開けて!」

 声を掛け、脈を測り、その武士に微かに意識があることを確認する。
武士は息も絶え絶え、何かを訴えようとした。

「…あ…止めさせ………暗殺……」

「だめ、今は話さないで!!」

 が自分の着物の帯を解き、包帯代わりに彼の体に巻きつけてきつく縛り上げてゆく。

「その声は…まさか、そこにいるのか?!」

 白壁の向こうからァ千代の驚愕の声が上がった。

「ァ千代さん、無事ですか?! 
 ごめんなさい、利家さん以外、助けに来てくれなくて…!! ァ千代さんも早く逃げて下さ…」

 言葉は続かなかった。
首の後ろを利家に掴まれて後方へと転がされたのだ。
尻もちをついたが見れば、自分が先程まで膝をついていた場所に無数の手裏剣が突き刺さっていた。

「気にいらねぇな!! かかってきやがれ!!」

 利家が身構えた。

「貴様は明智の…!! 丁度良いわ!! 積年の恨み、ここで晴らしてくれる!!」

「ああっ?!」

「殿の仇!! その身で思い知るがいい!!」

 忍者を交えた覆面集団がどこからともなく現れた。

『マズイ…絶対にこのままじゃ……』

 は立ち上がると再び駆け出した。

「誰かあの女を追え」

 追い縋ってくる武士の繰り出す一撃を交わし、何度か難を逃れるものの、廓のでこぼこ道に足を取られた。

「キャァ!!」

 転んだ直後、隙ありとばかりに斬り込まれる。
それを同時に二つの金属音が弾いた。
右から振り込まれた刀を受け止めたのは立花ァ千代の番えた雷切。
左からの刃を止めたのは、宿にいたはずの狼の牙だった。
 が何故ここにいるのかと驚き、目を丸くすれば、狼の姿が陽炎のようにゆらゆらと揺らめいた。
程のなく、その揺らめきの向こう側から姿を現したのは…

「…クックックッ……吹きすさぼう…」

 神出鬼没の禍々しい忍者、風魔小太郎だった。

「風魔?! えっ、ちょ、えええっ?!」

 動揺しているに小太郎は言った。

「…随分と余裕のある事だ……」

「ハッ!! そうだ、早く助け呼びに行かないと…!! 風魔、助けてくれて有り難う、ここお願いね!」

 が立ち上がり再び逃げようとする。
その間に段々と騒ぎは大きくなり始めた。
最初にが救いを求めた武士達が警鐘を鳴らし、自身の君主を護るべく、懇談の場へとなだれ込んだからだ。

「ッ!!」

様!!」

 三成が舌打ちし、家康が礼もそこそこに席を立つ。
同じく松永久秀が席を立った。
利家が明智玉―――ガラシャを自身が敷いた警備網の中へと避難させ始める。
 松永久秀は反目しあうはずの間柄でありながら、何故か明智の息がかかった者には一切興味を示さなかった。
彼は自分の配下に矢継ぎ早に言った。

「私が欲するのはの姫、ただ一人だ。誰よりも早く見つけ出し、保護せよ。
 よいか、髪一房さえ欠けてはならぬ。邪魔する者は誰であろうと消してかまわぬ」

「ははっ」

 彼の配下が動き出す。
事態は今まさに風雲急を告げていた。

 

 

 会談前夜、城。
蔵と蔵の狭間に急ごしらえで作られた板垣があった。
その中に、あの正体不明の物体が鎮座していた。
今日も今日とて、は一人でこの場へとやって来て、掃除に明け暮れていた。
城内に梶が参内するようになってからというもの、何かにつけて嫌味を言われ、嫌がらせをされている。
今となっては、が気を抜いていられるのは、この場所だけだった。

「ふぅ……もういいかしら…」

 が一通りの掃除を終えた時。ぱたん、と小さな音がして黒塗りの塊の一角が開いた。
は驚いて、手にしていた桶と手拭いをその場へと落とした。
辺りに水が散らばり、大地の色が変わる。
 何時ぞやのように、悲鳴を上げて逃げ出して、誰かを呼びに行くことが最善である事は重々承知していた。
だがその判断をすぐに実行しなかったのには理由がある。
 実はこの塊がこうした不可解な動きを見せたのは、初めてではない。
他の者の前では起きていないようだが、少なくともの前では、この不可解な出来事はこれで三度目なのだ。
一度目は塊の一角がチカチカと光った。
次は、が手にしていた携帯電話という名のからくりに似たツールと同じように音を奏でた。
そして三度目、つまり、今。ついに塊の一角が開いた。

「……あの……何方ですの? 悪戯はよして下さいまし…」

 は及び腰になりながら周囲を見回しつつ訴えた。答えはない。

「…あの…」

 ぱたん、と音がして開いた一角が閉じる。
ほっとしたのも束の間、今度は一角がチカチカと光った。

「本当に、どなたですの?」

 見た事もない塊の起こす不可解な現象が薄気味が悪くて、身震いする。
これがの私物であろうという予測がつかなければ、とっくに夫に願い出て、破壊して貰っているところだ。
 牛よりもずっと大きな体躯。黒々と光る皮膚。
触ってみたところ、直接の害はなかったが、光沢のある体…と呼んでいいのかが不明だが、とにかくその体はツルツル滑々していて手触りは悪くはない。悪くはないが、とても冷たかった。
その冷たさから、明らかに血が通っていない事が想像できた。
血も通わぬ不可解な塊が見せる怪奇現象。恐れるな、という方に無理がある。
 ぱたん、と音がして再び一角が開いた。
左右にある四枚の羽根の、前方だ。
羽根は、一度だけではなく、二度、三度と緩やかな開閉を繰り返す。

「……呼んでいる? もしかして、呼んでいますの??」

 が独白すれば、その声に応えるように、塊の前方で光がチカチカと点滅した。

「…ごめんなさい、貴方の主は、今ここに居りませんの」

 それは分かってでもいるというのだろうか。
塊は、再び羽根をぱたぱたと動かした。

「他の方ですの? 何方をお呼びすれば宜しいのですか??」

 懸命に意思疎通を図ろうとするに対して、純白の強烈な光が当たる。

「私?」

 問いかければ、また肯定の合図のように、小さな光が点滅した。

「…何も、酷い事はしませんか??」

 肯定の合図を確認してから、はおずおずと進み、開いたままの羽根の前へと立った。

「まぁ!!」

 そこで目にした空間に、は大きく眼を見張った。
見た事もない塊の体の中には、人が座れそうなスペースが前方に二つと、後方に三つあった。
不謹慎だとは思うがグロテスクな印象はなく、快適そうだなと思った。

「あの、それで…なんですの??」

 身を屈めて無人の体の中に問う。
すると前方の黒い壁に、人の形をした絵が浮かび上がった。
絵はこの黒い塊の中に自らを投じて、が快適そうだと感じた椅子に座すという動作を繰り返した。
それがこの塊の願いだと判じたは、迷いあぐねはしたものの、そのまま従う事にした。
不気味さは消えていないが、これがの私物であれば、自分を害する事はないのではないかと考えたのだ。
 は草鞋を脱いで塊の中に入った。

「し、失礼致しますわ」

 中腰になり絵の通りに前方の椅子に正座する。
すると開いていた羽根がぱたんと、音を立てて閉じた。
暗闇の中に閉じ込められた不安で泣きそうになる。
脅えて周囲を見回していると、突然、塊の体内に光が灯った。

 

 

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