金の矢・鉛の矢 - 左近編

 

 

 浅井城から城への帰り道、は一旦私邸に身を寄せることにした。
執拗な追撃から逃れている最中、何時もの発作で意識を失っていた経緯を鑑みれば、中休憩はあって不思議はないとお供を仰せつかった井伊直政と酒井忠次は考えた。その休憩の理由が、実は浅井城からの移動に使われた輿の揺れから来る腰痛だとは、到底言い出せる雰囲気ではなかった。
 は心配する井伊直政と酒井忠次の追及を苦笑いで交わし、かつて慶次・孫市と同居していた私邸の門を潜った。

『取り合えず、寝室で寝転がりたい…一、二時間でいいから休みたい…腰、地味に痛い……』

 己の腰を摩りながら、覚束ない足取りで私邸の廊下を進むが、途中で視線を止めた。
中庭の人影に気が付いたからだった。
 庭師が好意で整えてくれた中庭に居たのは、島左近。の軍師だ。
彼は何故か中庭で七輪を出して餅を焼いていた。
 が城に戻ってからというもの、この私邸は基本的には空き家だ。
幸村や左近や慶次や孫市がそれとなく立ち寄って館の維持をしてくれていると聞いている。
今日は左近が様子を見に来てくれたようだ。

『あ、左近さんだ。相変わらず背中広くて頼もしいなぁ…』

 左近の背を見て、は懐かしそうに頬を緩めた。
悟られぬように抜き足差し足で近寄ってゆく。
飛びかかって脅かすか、それとも両手で目隠しでもするかと考えている内に、件の軍師が先に声を上げた。

「お帰りなさい」

「え、バレた?! まだ何もしてないのに!?」

「何するつもりだったんですか」

 くっくっくっと肩を揺らして笑った左近が身を起こして振り返った。

「お帰りさない、姫」

 しっかりと視線を合わせて言われて、はふぅと一つ息を吐くと口を開いた。

「ただいま」

「はい、お帰りなさい」

 何気ない挨拶を交わしたら、どちらからともなく笑いが零れた。
不思議なもので、彼の顔を見たら腰の痛みも何処へやら。あっという間に霧散した。
懐かしいだけではない、勝手知ったる我が家とでも言うべきか。言わずとも自分の考えを悟ってくれるであろう男が傍に居てくれるという事実が、体に圧し掛かっていた負担を軽くした。

「もー、何? なんで笑うのー?」

「いや、姫だって笑ってるじゃないですか」

「まぁねぇ、なんかさ。左近さんの顔見たら、妙にほっとしちゃってさ」

「ほほう、それはまた。男冥利に尽きますな」

 羽織の中で腕を組みながら、掌で顎を摩る独特の仕草が、なんだかとても懐かしい。
は縁側から中庭に降りて、左近の隣に立った。
七輪で大きく膨れ上がってゆく餅を見下ろした。

『おやつかな?』

「で? 土産話はないんですかい?」

「ん〜。何かあったかな〜〜」

 が額に指先を寄せて、眉間を揉み解した。

「お。久々ですねぇ、その仕草」

「え? そうだった?」

 何かを考える時の、独特の癖。
懇談会の出席のために離れ離れになった時間は一月にも満たない。
なのに二人が体感した時間の長さは一年にも匹敵するような気がするから参ってしまう。

「久々ですよ、とてもね?」

 置いて行かれたことを視線で責められて、は苦笑いで誤魔化す。
離れている間に少しでも寂しいと思ってくれたらこんなに嬉しい事はない。
が、恋愛依存体質には程遠いにそれを求めてみても無駄なことで。
想定していた通り、は心細い思いをするにはしたようだが、左近が望む形の寂しさを感じてはいないようだった。

「それにねぇ……流石に少し、焼けました」

「え、焼くって何?」

 意味深に笑った左近は七輪の上へと視線を落とした。

「餅? 餅を焼く……焼く……え、ヤキモチ??? 左近さんが??」

 素っ頓狂な声を上げたを縁側へ行くように視線で促して、左近は菜箸で焼いている餅をひっくり返す。

「えー、焼けましたよ〜? なんでしたか…ああ、そうだ。
 腹に一物ないように見えないと駄目で? 左近は一物孕んでなくてもそう見える…でしたか?」

「えー、今それ、蒸し返すの〜?」

「いやぁ…姫の為の軍師なんでねぇ。腹に一物孕んでて当たり前っちゃー当たり前なんですけどねぇ。
 それが理由で置いてけぼりってのは、流石にねぇ」

 程よく焼けた餅を菜箸で持ち上げた左近は七輪の傍に用意しておいた小皿に乗せた。
調味料は予め縁側に揃えておいたようだ。
小皿をへと差し出して、好きなように味付けをしろと視線で促す。

「あ。どうも。えーと…じゃ、黒蜜と黄な粉にしようかな?」

 は小さじで黄な粉を振り掛け、続いて掌にすっぽり収まる陶器を傾けて黒蜜をかけた。
「頂きます」と言い置いてから、餅を箸で摘まみ上げてかぶりつく。
焼きたてほやほやの餅の熱に四苦八苦しているようだが、弾力と味の塩梅はいいのか満足そうだ。

「甘いのがお好きですねぇ」

「さふぉんさんはせうゆでいい?」

「まず呑み込んでからにして下さいよ」

 眉を八の字に曲げ、片目を閉じて熱さに悶えながら、新しい餅に醤油さしから醤油を落として、海苔を撒き始めたの行動力に左近は苦笑いを隠せない。
 差し出されたおやつをそのまま堪能すればいいのに、誰かが居れば相手の分も同時に用意しようとする。
らしい思考と行動がなんとも愛おしい。

『分け隔てがないというか…なんというか…』

 身分の違いを考えれば、が食べ終わってその後、場を辞して初めて自分が口にするのを許される物を、その場で共有させようとする欲のなさ。
 それはが生まれ育った平和な世界で当然として培われた感覚の一つなのだろうが、戦国の世であれば珍しいもので、分かっていてもなかなか慣れられるものではない。

「帰郷を労い持て成すつもりが、左近が持て成されてどうすんですか」

「え。だめ? 醤油と海苔嫌い?」

「そういう話じゃなくてですね」

 ずれた論点で返されて、笑いが尽きない。

「なら、どうぞ?」

 差し出された小皿の上の餅を、左近が菜箸で取り上げた。

「どうも、頂きます」

「どうぞどうぞ、って焼いてくれてたのは左近さんだから私がどうぞって言うのもおかしな話なんだけどね?」

「まぁねぇ? それはそれでいいと思いますよ〜」

 問い返すも次は醤油と海苔にするつもりなのか、同じように餅を加工していた。
黄な粉と黒蜜の時と違って、豪快に手で海苔の部分を摘まむに左近が少し驚いたような視線を向けた。

「あ、お行儀悪いって思いました?」

「ええ、まぁ」

 否定をしないでいると、は苦笑して見せた。

「そっか。こういう食べ方はここではしないんだ?」

「手掴みでいくのが、そちら作法で?」

 問い返せばは「んんん〜」と唸る。多少なりとも考えているようだ。

「揚げ餅っていうのがありまして」

「唐突に何の話ですか」

「まぁまぁ、聞いて下さいな。お煎餅の一種なんですけどね〜」

「ほう」

 真似して左近が菜箸から指先で海苔の部分を摘まんだ。

「指先でこうね、摘まんで食べる訳です」

「ほうほう」

 相槌を打ちながら己の口に醤油と海苔で加工された餅を運んだ。
適度に熱が取れた餅が纏う香ばしくもしょっぱい味付けに自然と頬が緩んだ。

「ね? お煎餅と同じで、指でいく方が…醤油と海苔は美味しいでしょう?」

「なんですかね、これ。気安くなりますな」

「でしょう? でしょう?? 庶民の味方って感じの味になるよね??」

 力説するには申し訳ないが、いまいちその感覚はよく分からない。

「因みにですね、醤油に砂糖を少しかけて海苔で巻くのが最強です」

「試してみますか」

 追加の餅を入れてやると左近が視線で七輪を示せば、がすかさず空いた小皿を差し出してきた。
受け取って餅を乗せて、へと返す。

「砂糖の用意はしてないんで…どうしたもんかな」

 左近の独白を他所に、は動く。

「黒蜜で代用できるんじゃない?」

「いけますかねぇ?」

「同じ甘い調味料だし何とか…」

 試してみて、先に口にしたの眉が歪んだ。

「ん〜、なくは……ない…気がしない…でも、ないんだけど……駄目か大丈夫かと言われたら…」

「言われたら?」

「限りなく大丈夫寄りのダメですね、これ」

「駄目なんじゃないですか」

 左近が大きく笑った。

「ったく、横着するからですよ」

 肩を揺らして笑いながら傍に寄ってきて、館の奥へと声を上げだ。

「おーい、誰かいるか? 砂糖、持ってきてもらえますかね〜?」

 しゅたっ! と効果音が上がり、調味料が揃えられた盆の上に新しい調味料の入った器が現れた。
黒砂糖が詰まったそれを置いたのは、影に紛れての警護を担う伊賀の忍だ。

「半蔵さんじゃなくて良かった」

 の率直な感想に左近は「違いない」と笑う。

「えーと、骨折り?」

 忍びたるもの「ありがとう」よりも「骨折り」の方が掛けられる言葉としては適切で、嬉しいものだとかつてに教えられたが天井に向かって言えば、天井の板が僅かに軋んだ。
 本日傍に控えている忍びはまだ忍びとしては駆け出しなのかもしれない。気配が分かりやすい。

『護衛としてはそれもどうなのかとは思うが…。ま〜、今は俺が傍にいますからねぇ。それでもいいでしょ』

 その辺に言及することなく左近はの隣へと移動した。
黒砂糖を一つ取り上げて小皿の端で潰してるの隣に腰を下ろす。

「で、どうやって食すので?」

「今作ってるからちょっと待ってて〜」

 軽い調子で答えるが、家臣が主君の手料理を口に出来る栄誉などそうは得られない。

「そこはの君主が女性であればこその特権ですかねぇ」

「え、何が?」

「いやいやいや、こっちの話です」

 これで「お手製の煮込み料理を食ったことがある」と事あるごとに自慢していた傾奇者と傭兵の牽制を突っ撥ねられると左近は口の端を吊り上げた。

「はい、醤油と砂糖の甘辛餅! 完成!」

 レシピは単純で、焼いた餅に砂糖と醤油を混ぜたたれを塗り、海苔で包んだだけという簡素なものだが、おやつとしてはそれで充分だろう。
 それに何より想い人の手料理という最強のスパイスが効いている以上、不味いはずがない。

「ん、これ、まずいな」

「え、お口に合いませんでした?」

「いや、そうじゃなくて…」

 落ち着けたばかりの腰を上げだ左近は、差し出された甘辛餅を口に入れて咀嚼しながら七輪の傍へと歩を進める。
そして七輪の上に新しい丸餅を所狭しとばかりに並べだした。

「これ、後を引きますね」

「でしょう? 美味しいよね? 最強だと思わない?」

「ええ、黄な粉と黒蜜は左近にゃ、ちと甘すぎる。が、醤油と海苔は塩気が強くて酒が欲しくなる。
 だがこれはヤバい、マズイ、甘さと辛さが絶妙で、酒はなくとも止まらなくなる」

 「正に最強だ」と左近は一人で納得したように頭を縦に振っていた。
ヤバいだのマズイだの、らしくもない言葉がぽんぽん口から飛び出すのは、の傍にいる影響だろう。
彼女が事あるごとに口にする独特の意味合いを持つ感嘆詞が、左近にもすっかりうつってしまっていた。

「昼日中らお酒は流石に飲めないもんね〜」

「ええ、殿にバレたら頭蓋カチ割られます」

「だーよーねー」

「そこの所行くと、甘辛餅…茶で舌鼓打つのに丁度いい」

「でしょー? やっぱ甘辛餅、最強だね」

「ええ、最強です」

 すっかり魅せられた左近に強請られて、はそれからも彼の胃袋が満足するまで甘辛餅を作り続けた。

「で、ヤキモチが何だっけ?」

 たらふく甘辛餅を胃に収めて、満足したように縁側に腰を下ろした。
床に両手をついて空を仰いでいる左近に、は問いかける。
 置いて行かれた意趣返しのつもりで、わざとらしく縁側で餅を焼いてみたら、逆に胃袋を満たされて骨抜きにされた身としては、耳が痛くなる。

「えー、まー、いやー、何と言いますかねぇ…」

 言葉を濁して察してくれと視線で訴えるが、は楽し気にほくそ笑ぶばかりだ。

「焼いちゃった〜? 誰にかな〜〜?」

「誰にでしょうねぇ〜」

「三成と一緒に居たかった?」

「御冗談を、気が休まりませんって」

「分かる」

 の即答に左近が噴き出す。

「じゃ、誰かな〜〜?」

「そうですなぁ、誰でしょうなぁ」

 誤魔化しながら左近は湯呑を取り上げた。
残念なことに湯呑の中はとっくに空になっていて、間が持たない。
がクスクスと笑い、急須を持ち上げる。
 とっくの昔に空にしたはずの急須にいつの間にがお代わりが? と視線で問いかければ、の影の中からにゅっと手が伸びあがって鉄瓶を掴んだ。天井裏に潜んでいたであろう伊賀の忍びだった。
 影が音もなく移動して行く。鉄瓶に飲み水の補給をしに行くらしい。
本日傍に控えている忍びは、戦向きではないのかもしれないが、こうして身の回りの世話をするのにはうってつけなのかもしれない。

「なるほどね」

 納得して湯呑を差し出せばが急須を傾けた。
程よい色と香りを纏った緑茶が湯呑にこぽこぽと注がれる。
自分の湯呑にもお代わりを注いだは、急須をお盆の上へと置いた。

「で? 何にヤキモチ焼いちゃったの?」

 姉が弟を諭すような、母が子を諭すような声色がくすぐったい。

「軍師ですからね、左近は」

「それで?」

「あの場で飴にも鞭にもなれないと言われると…ね」

「だってさ、左近さん、きっと有事になったら軍師じゃなくて鬼になるでしょ」

「ああ…なりますね。こと、貴方絡みだと。俺は気が短くなる」

「でしょー? それじゃ、今回は駄目だもの」

「確かに、御見それします」

 降参とばかりに肩を竦めたら、は少しだけ得意気に胸を張って見せた。

「どう? 私も君主として成長してるでしょ?」

「ええ。とてもね」

 柔らかい視線でを見守る左近の目には、数多の感情が見え隠れする。
一介の市民が短期間で君主として申し分ない判断を下せるようになったという誇り。
そんな君主に仕え、支え、育んできたのは自分だという自負。
 一方で、彼女が立派になればなる程、募るのは一抹の寂しさ。
が君主として申し分ない素養を身に付けるという事は、同時に、らしい素朴さを失うという事。
特にの場合、望んでこの地位にいる訳じゃない。已むに已まれぬ事情が度重なった結果、ここに腰を落ち着けただけ。そして、代われる者が居ないから、それを受け入れただけだ。
 君主として支え、育んだ。軍師としては誉だろう。
だが一介の男としては、愛する人から平穏を奪った。
 その事実が、どうしたって背中には重く圧し掛かる。

『殿や幸村さんのように、安寧を齎すと…妄信出来たらな…どんなに良かったか』

 思い描いた上司や同僚と違い、左近は夢を見ない。
世を渡り歩いた経験がそうはさせてくれない。
それが偶にきつくなる。

 

 

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