簒奪者の恋

 

 

"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"

 

 何時からだろうか。
不思議な夢を見るようになった。

 

"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"

 

 なだらかな丘陵一面に色とりどりの花が咲き乱れる。
甘い香りに酔いしれて、そよ風の流れに目をやれば、花弁が花火のように天へ向けて舞い上がった。

「…綺麗…」

 穏やかな日差し。
怖れることなど何もない、心地よい世界。
夢だとは心のどこかで自分でも分かっている。
けれども夜が明けるまでのほんの一時、この世界に溺れてみても悪くはないのではないかと思った。

 

"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"

 

 この心地よい夢に対して、気味の悪さを覚えたのは、夢を見始めてから一週間もした頃のこと。
夜毎見る夢の世界の風景に、一片の変化もなかったことが原因だ。
 敏いは、いくら自分が深層心理では癒しを求めていたとしても、連日連夜同じ夢を見るものではないのではないかと考え始めた。
 甘美な世界に身を置いていながらの表情が曇る。
夢を見せている"誰か"は、それが気に入らないようで、一層穏やかな景色を見せた。

「……お気に召しませぬか? 花はお嫌いですか?」

 どこからともなく、声が響く。
聞き覚えのある声。
そうだ、夢の世界に入ると同時に、聞いた和歌を詠む声と同じ声だ。

「嫌いではないの」

「では、何故? お顔が曇っていらっしゃる」

「ただ、虚しいなって思った」

「虚しい?」

「ええ……これは、夢……現実ではないわ」

 の言葉に声の主が息を詰める。

「私の身を置いている現実は、こんなに綺麗な世界ではないの」

「…嘆かれますな、必ずお救い致します。我が君…」

 馴染みのない声に"主"と呼ばれる違和感。
否、どこかでこの声を聞いている。けれどもそれが思い出せない。
絶対に、どこかで声の主とは会っている。なのにそれがどこだったのかが思い出せない。
 記憶に薄い男の声が、和歌を読み、自分の事を主と呼ぶ。
何か得体の知れぬ出来事に足を突っ込んでしまっているのではないかと、自然と恐怖を覚えた。

「…だ、大丈夫だよ…私は…平気」

「誠でございましょうや?」

「うん、私の傍には皆がいてくれる」

「……………皆、とは?」

「慶次さんも、幸村さんも、左近さんも、孫市さんも、三成も……それだけじゃない。
 家康様、秀吉様、信玄公、兼続さん、政宗さん、半蔵さん、長政さん、市さん、ちゃん……
 多くの人が傍で支えてくれているから私は大丈夫」

「人徳であらせられる」

 言葉とは裏腹に、返された声は硬かった。

「ところでね、一つ聞いてもいいかな」

「はい、なんなりと」

「ごめんさいね、とても失礼な事だと思うんだけど……」

「どうぞ」

「貴方は、誰? 私、きっと貴方を知っている気がする。でも思い出せないの」

 言の葉を発した次の瞬間、の見ていた景色は、ステンドグラスが砕け散るかのような音を奏でて崩れ落ちた。

「!?」

 驚き、暗転した世界で立ち尽くす。
浮遊感のある暗闇の中で、四方八方へと視線を向けた。

『違う……これは、夢の中だ……あの世界ではない……でも、なんでこんな夢を…?』

 夢であるならば、実害はない。
時を待ち、朝が来ればこの不可思議な世界からも解放されるはずだ。
そう思い、ただ静かに時を待った。
 一刻、二刻と時間は過ぎて、意識は夢の中から現実の世界へと向かいだした。
暗い世界が白んでゆく。
耳に、現実世界の喧騒が届く。

「まだ寝ているのか? 全く、どうしてこうも寝起きが悪いのか」

「お前さんがそれ言うのかい?」

 室の外で、三成と慶次の声がする。

「人のふり見て我がふり直そうとは思わないんだな、お前」

「黙れ、俺は常に定時には起きている。
 そもそも貴様はなんでこの部屋の前にいる?」

「全くだ。孫市さん、まさかとは思いますが夜這いじゃないでしょうね?」

「左近殿もどうしてここにいるのですか? 持ち場が違うと思いますが」

「幸村、目が据わってるぜ」

「以前も申し上げたはずです、何か間違いがあるようであれば、命の保証は致しかねます」

 孫市、左近、幸村の声が続いて混じる。

『あー、皆起しに来てくれたんだなぁ……早く起きなきゃね…』

 作りだされた麗しい景色よりも、彼らの傍がいい。
例えそこが凄惨な現実であっても、一人ではないから乗り越えることが出来る。
思いを現すように、の顔が自然と穏やかな笑みを湛えた。
 世界が白む。暗闇が、夢の世界が遠のいて行く。

 

"玉の緒よ たえなばたえね ながらへば 忍ぶることの弱りもぞする"

 

 自然と瞼が開くと同時に、耳元にはあの和歌の響きだけが残った。

 

 

 目覚めて一度大きく伸びをしてから身を起こした。
手早く仕度を整えて室から出れば、見慣れた顔が揃いも揃って冷戦に突入していた。

「皆おはよう〜」

「おはようございます、様」

 幸村を筆頭に挨拶を交わし、執務室へと歩を進める。
その間に後をついてくる三成の口から、怒涛の執務計画が飛び出し続けた。
何時もの事ではあるが、"休憩"の一文字は全くなくて、聞いている最中に視線で慶次と孫市に逃亡計画を練るように強請ってしまったくらいだ。

「聞いているのか?」

「エ? あ、うん。聞いてるよ。大丈夫、平気」

 三成の問いを苦笑いでやり過ごし、逃亡計画を現実に移すべく思考を巡らせようとすれば、左近がそれを阻んだ。

「すいませんがね、姫。今日ばかりは逃亡されちゃ困ります」

 先手を打たれて、が息を呑んで歩みを止める。
まさか左近が三成側につくとは思ってもいなかったからだ。
引き攣った笑みを口元に貼り付けたに対して、左近は苦笑しつつ言った。

さんの事で、姫には骨折ってもらう事になりそうなんですよ」

「え…ちゃん、どうかしたの? そういえば最近、姿見かけなかったけど…。
 …里帰りしてるとかそういうのじゃないの?」

「実は…ちょいと面倒な事になってましてね。対処法間違えると、更に面倒になりそうなんですよ」

「え゛、そ、そうなの? 一体、何? どうしたの…?」

「…実は…」

 

 

 時は少し遡り、阿国が領に訪れる前の事。
京の都において徳川家康は、窮地に立たされていた。
先の暗殺事件に関する疑惑を白日の下に正すという名目で呼びつけられて参内してみたものの、実情はそうではなくて、談合裁判そのものだった。
 評議の場は首謀者が既に関係各所へ根回しをし終えた後で、官爵の一番低い家に全ての罪を擦り付けようとしているのは明らかだった。
 そうと分かっていても、引き下がることは出来ない。
家康はの身を護る為、何度罵倒されようとも頭を下げ続け、懸命に食い下がり、逆転の時を待ち続けた。

「…当家と致しましては、この度の件は誠に遺憾。
 しかしながら当家とて災いを得たようなものでございまして…」

「徳川殿、分を弁えられよ」

「は、はは…」

「他の国々が相応の配慮をしておるのに、そなたの主は何をしておられる?」

「はっ……それは…その…」

 何か口を開こうとすれば各国の代表に、家柄や官爵を盾にやり込められてしまう。
の為、お家安泰の為であればどんな屈辱にも耐え忍ぶ覚悟だ。
だがこのように喋らせて貰えないのでは、お話しにならない。

かといって事実無根の疑いを掛けられている場での発言権の為に、金子にものを言わせれば、疑惑がより一層黒に近づいて見えてしまうだろう。

「女子であろうとも主は主、かような時にこそ、出馬せねばならぬのが世の道理であろう」

「はっ、誠にもって…申し訳ございませぬ。で、ですが、先の騒動において当家の姫にも災いが…」

「だまらっしゃい!!」

「は、ははっ! も、申し訳ございませぬ!」

 一事が万事この調子で、全くもって、こちらの主張は聞いてもらえない。
正当な権利を主張しようすれば、あっという間に議題をすり替えられてしまうのだ。
 やはり発言権を得る為に方々に僅かばかりの心付けをしなくてはならないか? と考えるも、思いとどまった。
そのような余裕は現在の家にはなく、ましてや焼け石に水程度の心付けでは、劣勢挽回は夢のまた夢になってしまうのではないか。
 耐えることに長けている家康でも、今回ばかりは密かに焦っていた。

『いかん、このままでは事実無根の罪を擦り付けられてしまう……どうすれば…』

 そんな力関係が一転したのは、評定が開かれて三日後。
懇談会の主催者を務めた松永久秀が、詮議の場へと現れたからである。

「遅れを取り失礼しました。何故か私にはこの件についての招集がかかりませなんだ。
 が、かの懇談会は私、松永久秀が立案したもの。
 私にも関わりあることと考え、遅ればせながらこの詮議に参列させて頂きます」

「何故松永殿まで?」

「…話が違うぞ…」

「…気にする事はない、当初よりの手筈通りで…」

 ざわめく人々を詮議を取り仕切る者が視線で黙らせた。
その間に久秀はゆったりとした歩みで家康の横を通り過ぎ、上座へと進んだ。
彼のトレードマークと化している純白の束帯の裾が、ふわりふわりと揺れる。
見る者の心を自然と奪う所作。表情は相変わらず穏やかで、眼差しは理知的そのものだ。

『何故!? この男までもがこの場に…!?!?!』

 彼の登場を受けて、いよいよ益々もって、大変な事になったと家康は胆を冷やした。
板間についた指先が俄かに震え、汗が噴き出してくる。
喉が渇き、鼓動が上がった。
 家康の懸念に関心はないのか、松永久秀は悠然とした立ち居振る舞いで、急ごしらえで作られた席に着く。
結末の見えぬ詮議が、再び始まった。

「では続きを、徳川殿。貴殿の主は何故参内されぬのか。後ろ暗いことがあるからであろう?」

「い、いえ、そのような事は…」

「黙らっしゃい!!」

「は、っは…も、申し訳ありませぬ」

「先の騒乱が如何に重要か、家は理解しているのか?! あのような場で騒ぎを起こせば」

 また糾弾が始まった。
家康の孤独な戦いは続くかと思いきや、風向きは突然変わった。

「待たれよ」 

 静観するものと思われていた松永久秀が口を開いたのだ。
白々しい眼差しで家康を見ていた人々の視線が、松永久秀に集中した。

「どうかされましたか、松永殿」

「この詮議、些か不自然さを感じる」

「何?」

「何故、誰一人として、徳川殿の弁を聞かぬのか」

「それは…」

「これでは家が首謀であると最初から決まっているかのようではありませんか。
 帝の御膝元でかような詮議がまかり通れば、世に正義が示せなくなるのではありませぬか?」

「う、うむ…」

「それとも……何か、裏で決まり事でもあるのですかな?」

「め、滅相もない!!」

「それは失礼」

「と、徳川殿。何か申し出たき議があれば、これへ」

「は、はは!! 有り難う存ずる。先の騒乱にて死傷者が出た事につきましては、誠に遺憾!
 ですが当家が禍根とのお話は、全くの事実無根でござる」

「では家は全くの無関係と申されるか?」

 家康は深々と頭を下げて、懸命に弁舌を揮った。

「はは!! 先に戦を終えたばかりの当家には、皆様方の主を害して得られる利などはございません。
 人心こそ我が姫に添っておりまするが、当家が有する力はそれのみ。
 当家はあの場に招致頂いたどの武家よりも将兵の数は少なく、幕府の覚えもめでたき者ではございませんゆえ、
 仮に策を弄じて領地を拡大しようとも、恙無く運用することなどは出来ませぬ」

「しかしかの地では騒動の最中、珍妙なからくりが突如として乱入。
 姫と共に関所破りをしてまで立ち去ったと、聞き及んでいるが?」

「あの混乱の中でござる!! 命を考えるは当然にございまする。関所破りの非礼は、平にご容赦願いたい!!」

「何を…」

「徳川殿の弁は一理あると思われますな」

「ま、松永殿…?」

 

 

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