傍にいるということ - 風魔編

 

 

 空元気を振り撒くだけ振り撒いた酒宴をお開きにした後、は早々と床に着いた。
温かい布団に身を委ねて目を閉じれば、入った酒の力もあってかすぐに緩い眠りの世界へと誘われた。
これで甘い夢の一つでも見れれば言うことなしなのだが、そう問屋が卸すはずもなく、見たのは悪夢だった。
内容としてはさほど重いものではない。ただ単に、自分のいなくなった世界で過ごす親しい人の姿を、その人の傍で見続けなくてはならないというものだった。
皆自分の死を悼んでくれているが、実際に自分は生きている。
悲しみにくれる家族、友人を前に、何度声を張り上げても声は届かず、触れることも出来ない。
これでは死んでいるのと変わりがない。虚しくて、苦しくして、寂しくて、押し潰されてしまいそうだ。

「う…ぅぅぅ……っ…う………お…重い……」

 どれくらい眠ったのだろうか、部屋の中の温度が急激に下がった。
胸の上に妙な圧迫を覚えて、見ていた悪夢の世界から、現実へと意識が向い動き出して行く。

「……うーん、うーん…寒い……重たいよぅ……」

 どんどん圧迫が酷くなり、ついに耐えられなくなって、は閉じていた瞼を開けた。
途端、目に入ったのは夜の闇の中で光る黄金の光。

「ヒッ!!」

 驚愕と恐怖で絶叫する前に、唇を塞がれた。
口の中にひんやりとした冷気が流れ込み、同時に舌の上を何かが這い回る不快感に背筋が粟立った。

「ッ!!!!」

 この感触に覚えがあったは、渾身の力を込めて圧し掛かる重みの元を突き飛ばした。

「…はぁ…はぁ…はぁ…!! あ…あ……あんた…一体、何を…」

 布団から飛び起きて部屋の隅へと退避すれば、闇の中に転がったはずの人影は消えていた。

「…?」

 錯覚か、はたまた夢の続きだったのか? と目を凝らし、何度か瞼を擦った。
周囲を確認するように、天井、床、襖と灯りの消えた室内を見回す。
そんなの背後から太い腕が伸びて、の事を包み込んだ。

「っ!!」

 悲鳴を上げる前に体が浮き上があった。
咄嗟に両の瞼を閉じる。
何が起きているのか、これから起きようとしているのかという不安がある反面、妙な落ち着きもあった。
には与えられ続ける感覚に覚えがあったからだ。

「……何時までそうしている?」

 瞼を閉じて、身を固くし続けること数分。想像通りの声がの耳を擽った。
そこでようやくは閉ざしていた瞼をゆっくりと開いた。
瞬間、目に入ったのは満点の星空と大きな月。
あまりの美しさにしばし見惚れてしまった。

『…あ…綺麗だなぁ……』

 けれども何時までもそうしているわけにもゆかない。
は惚ける意識を叱咤としようと己の首を軽く左右に振った。
それから現状を把握するために、視線を動かす。
目に入ったのは遠くなって行く城と城下町に連なる長屋の屋根。
時間が時間なのか、城下町には人影は殆どない。
仮にあったとしても、相手が相手だ。早々見つけられるものでもないだろうと、溜息を吐いた。

「…あのさぁ……風魔、今度は何?」

 躍動によってかかる浮遊感に胃がほんの少し波打つ。
あまり長時間こうされていると、また酔ってしまうかもしれない。
 神々しくも柔らかい光を放つ月明かりの下、の体は彼の手によって夜空の中を泳ぎ続ける。
不本意な話だが、最近はこうして誰かの肩に担がれることにも慣れてしまった。
最たる原因になる男の肩に大人しく収まっているのは癪ではある。
だが自分にどうこう出来る物でもないだろうと判じたは、彼が飽きるのを待つとばかりに力を抜いた。
それを感じ取ったのか、風魔は口の端を吊り上げて薄く笑った。

「声が戻ったか」

「ええ、お陰様で」

 程なく城下町の灯りは山の裾野の向こうへと消えた。
辛うじて城の天守閣を目視できる雑木林の中へと辿りつく。

「あのさ、なんでいちいち木の天辺なのよ? 危ないじゃないよ!」

 降ろされた木の上で両腕を幹に絡ませて、安全を確保する。
己が身の安全を確認した上で風魔を睨みつければ、枝の先端に降り立った彼は白々しい顔をしていた。

「ここならば逃げられまい?」

「ええ、まぁそうですけど…ってゆーか逃げたくたって私は普通の人間なんだし、
 あんたみたいな忍者から逃げようとしたって、逃げ切れるようなもんでもないでしょうよ。
 一体何? 何の用なの? 風魔」

 無言のまま目と鼻の先に佇んでいる風魔の狙いが分からなくて、は眉を動かす。

「な、何? 私の顔、なんかついてる??」

 答えずに、との距離を詰めた風魔は、極々自然な仕草で腕を伸ばした。
無理やりを抱きかかえ、自分の腕の中へと閉じ込める。

「ちょ、止めてよ、落ちる!! 落ちちゃうってば!!」

 慌てたが金切り声を上げだが、が咄嗟に伸ばした両手でしがみついた風魔の体は、先程までが腕を絡めていた木の幹よりも固く、大きく、どっしりとしていて、逞しかった。
大地に根ざした巨木のように芯が一本通り、不動という体だ。
不思議と、その固さと大きさに、先程腕を絡めていた木の幹から得る以上の安堵を覚えた。
安心を糧に、言葉を呑んだを見下ろし、風魔は腕を動かした。
次の瞬間、ビリッ!! と大きな音が鳴って、夜着が裂かれる。

「んなっ!!」

 叫ぶ前に口を腕で塞がれた。
何が起きて、どうしてこんな目にあっているのかが分からないの意識は混乱を極めた。
 の意識の動きを全く気にせずに、露にした背中を風魔の冷えた指先がなぞる。
胸板に額を預けている以上、露になった胸元を見られる心配はないのだろうが、不安は不安だ。
は自分の両手で懸命に胸元を隠した。
風魔の体から腕を放す事によってバランスを失い転落するかもしれないという恐怖はあったが、彼の両手に囚われている以上その心配もないのではないかと、微かな望みを抱いていた。

「…伊賀の薬か」

 対して風魔はの心の動きには興味がないのか、己の目的だけを淡々とこなしていった。
巻かれていた包帯を外し、貼り付けられていた膏薬を取り外す。
半蔵が作ってくれた膏薬は、哀れにも夜の闇の中へと落ちて消えた。
取り外された包帯だけが風魔の腕に絡み、緩やかな風に煽られてゆらゆらと揺れていた。

『あ、ああ…そ、そういう…事ね、一応罪悪感とかあって、心配してくれたりもしたのね』

 風魔の漏らした独白から、一先ず貞操の危険はないのだと安堵の溜息を漏らした。
頭上でカチャカチャと音がして、次の瞬間には、背に出来た傷に何かが塗られている感覚が広がる。
 は胸元を抑えていた片手で、自分の口を塞ぐ風魔の腕を突付いた。
叫ばないことを暗に伝えれば、風魔はすぐに口元へかけていた腕を外してくれた。

「三度夜を迎えた後、跡形もなく消えよう」

「あ、有り難う」

 一応礼は言ったものの、としてはこれから先をどうするべきかと思い悩んだ。

「あ、あのさ…風魔」

 聞いているかどうかも怪しい風魔に、は言う。
その間に風魔は取り外していた包帯を自身が塗った薬の上へと巻きなおしていた。

「まだ、離れないでくれる? 胸、見えると困るし……後さ、出来ればここから降ろして欲しいんだけど……」

「さて、どうするか」

 楽しんでいるとばかりに弾む声、それに腹が立ったは顔を上げた。

「あ、あのねぇ!! 折角見直してあげたんだから、そういう時は最後までいい子でいてよっ!!」

 瞬間、交わった視線から、思わずは目を逸らした。
恐怖といえば、恐怖なのだろうが、生死を分かつような類の恐怖ではなかった。
ただこのまま視線を交わしていると取り返しのつかないことになりそうな何かが、風魔の瞳の中には重く揺らめいている気がしてならなかった。
女の第六感みたいなものだったが、その予感は、程無く的中する事になる。

「女、どうした?」

 問われて、は口篭り続けた。

「と、とにかく、一度降ろして。お願い。ここ、怖い」

「高所は嫌いか? バカは好きだと聞いたが」

「それって何、私がバカだって事?!」

 目を合わせるような勇気がなくて、下を向いたまま問いかければ、風魔は淡々と答えた。

「人の身のでありながら、非力なくせに我に逆らう……そんな女はお前が初めてよ……愚かな話だ」

「えーえー、そうでしょうよ。あんたから見りゃバカ丸出しでしょうよ。
 でも知ってた? バカに構う奴も実は同レベルのバカなのよ」

 やさぐれ満開で反論を試みた。

「このままここへ捨て置くか?」

「すみませんでした、降ろして下さい」

 歯軋りしつつ訴えれば風魔は愉快そうに笑う。

「良かろう」

 そのまま抱かかえられて雑木林の麓へと降りた。
絶叫マシン並みの重力を感じるかもしれないと、再び瞼を閉じたがその心配はなかった。
風魔の操る風に身を委ねて、緩やかに降りた為だ。

「はぁ…」

 大地へと降りたって、ようやく安心出来ると肩で息を吐いたのも束の間だった。
は両手で胸元を隠しながらも、指先だけで額を抑えた。

「あの……風魔さん…………地面に、降ろして欲しいんだけど?」

 折角大地に降り立ったと言うのに、風魔は何時まで経ってもを離そうとはしない。
内心で「もっとちゃんと理解しろよ」と悪態を吐きながら、は努めて笑顔を向けて頼んでみた。
途端、風魔はの背と膝小僧の裏に入れていた己の腕を降ろした。
当然2mの巨体から突然大地へと放り出されるはめになり、はしたたかに腰を打ちつけた。

「あんたね、アホなんじゃないの?! 降ろす時は降ろすって先に言いなさいよ!!
 ンな事ばかりしてると、慶次さんに言いつけて…」

 打ちつけた腰に生じた痛みに怒りのままに声を張り上げた。
瞬間、延びてきた風魔の腕に首を絞められた。

「っ!?」

 殺されると直感し、片目を閉ざして奥歯を噛みしめた。
咄嗟に風魔の腕を両手で掴んで、ツボを押そうとする。
が、それよりも早く滑り込んできた風魔の腕の感触に、は凍りついた。

「あ…!! な、何…して………やめ…て」

 冷徹な眼差しでの目を覗きこんで、彼女の心の動きを堪能するとでもいうように、風魔は薄く笑う。
力で敵うはずもなく、落ち葉の上で押し倒されて馬乗りされた。
もがいたせいで純白の夜着と、巻かれた包帯に土埃が付く。

「ちょっ、風魔!! よして、やだっ!! やぁッ!!」

 両の瞼を閉じれば、眦に涙が浮かんだ。
何も答えない風魔との距離が縮まり、風魔の吐く冷たい息が首筋を掠める。
背筋に言いようのない悪寒が湧き上がってくる。
滑りこんだ大きな掌は心臓の上で動かない。

「や…だ………!! 助けて、慶次さん!! 左近さんっ!! 幸村さん!! 三成ッ!!
 誰でもいいから、助けてッ!!」

 足をばたつかせながら、腹の底から声を上げれば、首へかかった圧迫が消えた。
代わりに、唇へと噛みつかれた。
流れ込む冷気で心は冷え込み、背に走る悪寒は一層強くなる。
だが同時に、施された戯れはこれ以上はなく濃厚で、その熱に脳裏はぼやけた。

「な……風魔……ちょっと…」

 呼吸が苦しくなるまで貪られて、唇を解放された時には互いの唇に糸が引いていた。

「どう…して?」

 大粒の涙を零しながら問えば、風魔は顔色一つ変えずに答えた。

「したいからだ」

「?!」

 再び距離を詰めようとする風魔の横っ面を、思わずは力一杯張り倒した。

「止めてよ、馬鹿!! こういう事は、したいからって一方的にしちゃいけないことなのよ!!」

 動きの止まった風魔に向って、は泣きながら震える声で言う。

「いい? こういう事は、女をとても傷つけるの。
 誰彼構わずに、ノリだけでしていいことじゃないの!! 分かるッ?!」

「嫌か」

「嫌に決まってんでしょ!! いきなりなのよ?! こういう事は、特別な人とだけ、することなの!!」

 その言葉を聞いて、風魔の目が据わる。

「!」

「ならば…すれば特別か」

 再び力ずくで唇を奪われた。
それどころか風魔は破いた夜着をずらしての上半身を露にすると、胸の谷間を始めとしたあちこちへ
舌を這わせ始めた。きつく吸い上げて、鬱血跡を幾つも刻み付けて行く。

「風魔、風魔、待って、聞いて!! こんなの間違ってる!!」

 金切り声を上げて訴えれば、風魔はの眦へと舌を這わせた。流れ落ちる涙を、舌先で拭う。

「特別って言うのは、一方的じゃダメなの。ちゃんと、相手の気持ちを考えてあげないと、いけないの」

「気持ち? くだらん」

「"くだらない"とか、"したいからする"だけじゃだめなの。
 風魔は、なんで特別になりたいの? 特別にしたいの? 特別にしたいなら、相手を大事にしなきゃだめ。
 でないと、誰も風魔の特別にはなってくれないのよ」

 犯されかけていると知りながら、には焦りがなかった。
今までの風魔の行動に、幼児性にも似た野生を感じていたからだ。
 己の掌で風魔の腕を掴んで言い聞かせるように、真っ直ぐに風魔を見て訴えた。

 

 

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