傍にいるということ - 三成編

 

 

 思った以上に豪華になった酒宴をお開きにしてから数刻後、は自分の執務室に戻っていた。
時刻としては丑三時一歩手前。
そんな時間に無人であるはずの室内から何者かの気配がすれば気になるのは当然で。
自室に戻ろうとしていた三成は自然と足を止めた。

 先のように外敵が侵入している可能性もあるから、用心するに越したことはない。
彼は己の気配を断ち、懐に忍ばせた扇に手を掛けた状態で、の執務室と廊下とを遮る襖に貼りついた。
襖を小さく引いて覗き見するのに充分な隙間を作り、そこから室内の様子を伺う。
 薄明かりの中に佇む人影が見えた。

? なんだ、お前だったのか」

 浮かび上がるシルエットから誰なのかを悟った三成が、溜息を吐いてから襖を大きく横へと引いた。

「ん? あ…三成」

 灯篭に照らし出される漆塗りの文机の前に座していたが振り返る。
三成に視線で「こんな時間に何をしている?」と問われたは、苦笑しながら文机へと視線を戻した。
最初から動かしていた手を休めずに、溜まっていた書簡に判を押して行く。

「なんかね、目が冴えちゃって……折角だから滞ってた仕事、こなしてた」

 三成は一度だけ眉を動かすと返事もせずに開いていた襖を閉めた。
半刻後、三成は再度の執務室へとやって来た。

「入るぞ」

「あ、うん。いいよ、でもどうしたの…って、あ…お茶? 淹れてくれたの?」

「飲め」

 横柄な口調でありながら、差し出されたお茶の温かさ、優雅な香りに癒される。

「有り難う。でもさ、せめてお茶受けに羊羹くらい付けてくれても…」

 が「頂きます」と一人愚痴て湯呑みを傾ければ、横に座した三成の口から素っ気無い返事が飛んできた。

「深夜の甘味は太る原因だと喚いていたのはどこの誰だ?」

「…うぐっ!! ここでそれを持ち出すわけ?」

「俺の記憶が確かなら、言いだしたのは…」

「ええ、そうね。そうですよ。私ですよ。すいませんでしたね。
 ったく…あんたってさ、本ッッッ当に何時も何時も一言も二言も多いのよね」

「悪かったな」

 悪態を吐くくせに、結局は傍に居て付き合ってくれる。
言葉にしない分行動で示す三成の気質を悟りつつあったは、彼なりの不器用な優しさを感じて小さく微笑んだ。

「何を笑っているんだ」

「んー? 別に〜」

 自分だけが分かっていればいいと、は口篭る。
浮かべた笑みの向こうにあるものが穏やかさだけではない事を気取って、三成は再び眉を動かした。
彼は自分の胸に湧き上がってきた感情を持て余しているようだった。

『…こんな時、何と言ってやればいいのかが分からない』

 常眠を貪るのが大好きな彼の想い人は、戦国の世にあって尚、彼女独自の規則正しい生活を好んだ。
一定の時間がくれば、何があろうと、どんな事があろうと眠ってしまう。
そんな人が目が冴えて暇を持て余したと、だから終わっていない仕事をこなしていると、そう言った。
そんな事が、本当にあるだろうか?

『……あるはずが…ない』

 つまりそれは、彼女の心が眠りを拒否するくらい張り詰めているという事。
抱えてしまった重み以外に目をやる事が出来ずに苦しんでいるからに違いない。

『痛感する…俺は小さい……こんなにも無力なのか』

 三成が師と仰ぎ敬愛する秀吉は"人たらし"との異名を持つ。
こんな時、彼だったらなんと言うだろう? 
具体的に思いつかないが、これだけは分かる。
彼ならば、きっと上手い事を言って、彼女の心を軽くしてやる事が出来るのだろう。
それがどうだ、性質の違いとは言え自分には慰めてやる事も、癒してやる事も出来ない。
口を開けば、本心とは真逆の罵詈雑言。怒らせてばかりで、言葉で彼女を救えたためしがない。

「三成、どうしたの?」

「何がだ」

「さっきから一人で百面相」

 面と向って問われて、三成は目を見張る。
顔色一つ変えていなかったはずだが、彼女にはそうは見えていなかったのだろうかと、内心で焦る。
対してはしてやったりという顔をした。

「…三成ってさ、意外と顔に出るよね」

「ハァ?」

 そんな風に言われたのは初めての事で、思わず声を上げれば、は湯呑を傾けながからからと笑った。
湯呑に添えていた片手を離して、自分の眉頭を突付いて示す。

「ほらー、今もまた眉が動いてる」

「眉くらい動く」

「そうそう。三成の場合はさ、口元よりも目元とか眉が感情を表すよね?」

 が再び湯呑み持ち上げて、お茶を呑む。

「皆、そうではないのか」

「まぁ、そうなんだけど…なんていうのかな〜、三成の場合は独特なんだよねぇ」

「独特…か」

 中身を空にした湯呑みが文机の上へと置かれた。
そこに三成が自然な仕草で二杯目の茶を注げば、は得意気に微笑んだ。

「秀吉様、左近さん、続いて私。で、その後が兼続さん」

「なんだ、それは」

「三成専用の喜怒哀楽、読み取り検定の有段者番付よ」

 そんな物を密かにつけていたのかと、眉を吊り上げれば、は一人で勝手に納得し頷いていた。

「やっぱ経験の差かしらねー。あの二人には敵わないのよね。まぁ、元々勝とうとも思ってないんだけど」

「くだらんな」

「まぁまぁ、そう言わないでよ。
 勘違いされやすい三成の事をそれだけ心配したり、見てくれてたり、理解してくれてる人がいるって事なんだから。
 鬱陶しがらずに感謝しなきゃ」

 そう言って、二杯目の茶が入った湯呑みをは取り上げる。
そんなの横顔を見て、彼はふと寂しさに襲われた。

『…もし、ここに居たのが…俺ではなく……秀吉様や、左近なら……重荷を軽くしてやる事が出来たのだろうか……』

 何も言わない人だから。
何一つ、目に見えるものを求めようとしない人だから。
力になりたいと思い、同時に強請って欲しくなる。

『俺だけに…与えられるものがあればいい……俺だけに、強請ればいい……』

 そう易々と叶う望みではないと知りつつ、想いは胸の奥から溢れ出た。
出口のない感情の波は、甘美でありながらあまりにも苦々しい。放り出せるものならば放り出したいと願う反面、放り出せるような瑣末な想いであれば、端から抱く事もなかったと自嘲する。

『…叶うはずもない夢を見ている……俺は、一体どうしてしまったのか…。
 …どうして、この女をこんなにも求めてしまうのか。

 ……は主、俺は従…この想いは…届くはずもないものだというのに…』

 自然と二人の間には沈黙が広がった。
片や己に課せられた使命に疲弊し、想定外の差し入れに癒されて。
片や甘く切ない片思いに身を焦がす。
同じ空間にいながらなして、あまりにも違う心情を二人は抱いている。
それが言葉にせずとも分かるから、切なくて、悔しくて、寂しくて堪らないと、三成の横顔が訴える。
 だがはそれに気がつかない。
平常時であれば違ったのだろうが、胸に刺さった棘の痛みを持て余しているというのがの現実だ。
三成の中に生じている変化に気が付けないでいるのも、無理のない話なのかもしれない。
 沈黙が続き静寂に満ちた室の中に、ある時ふと一つの小さな溜息が落ちた。だった。
三成が我に返り、視線をへと向ければ、は湯呑を手にしながら両の瞼を閉じて、しみじみと言った。

「三成ってさ…お茶入れるの上手いよね。
 秀吉様に見出されたの、お茶を出したからなんだって? なんか納得の腕って感じ」

「…な、なんだ、唐突に…」

 三成の声には珍しく動揺が含まれていた。

「いいじゃないよ、別に…これでも褒めてんだから」

 「嫌だった?」と視線で問われて、三成はそっぽを向いた。
自身の頬が熱を帯びたように感じたのは、きっと錯覚ではないだろう。
彼はの唇から洩れた一言が、嬉しかったのだ。

『…不思議な女だな…』

 三成は背けた視線を戻して、の横顔を見つめた。
自然と、眼差しは眩しいものでも見るかのように細くなった。

『…本当に、不思議な女だ…俺の事を褒めるなど…』

 自覚があるのかないのかは定かではない。だがこれだけははっきりとしている。
彼女は時折こうして身動きがとれなくなった三成を、自然な言葉と仕草で、思考の渦中から救い出してしまう。
 の様子を見る限り、やはり無自覚なのだろう。
だがそれをさらりとやってのけてしまう人だからこそ、三成はには敵わない。

「…なんかさ、三成の淹れたお茶飲んでると胸がほっとする…熱くなるだけじゃなくて…癒しってやつ?
 感じるんだよねぇ」

「癒し…?」

 まじまじと急須を見下ろす三成の前で「言葉のあやだと」は笑う。

「そう…温まるというか、安心するというか…ささくれだってたり、疲れてる心がね、スーっと解放されてくの。
 つまりは、癒されるのよ」

「そ、そうか」

「…うん…それに…」

 不快感を覚えているわけではないと理解して、三成はほんの少し安心する。
対してそんな三成の隣に座したままのはといえば、何か思うところがあるのか湯呑の中で踊る茶葉を眺めていた。

「それに…?」

「……忘れかけていた日常を思い出す…」

 薄緑色の液体の中で緩やかに舞う茶葉に、自身の姿を重ねでもしたのだろうか。
はそう言って小さく首を横に振り、肩で息を吐いたかと思えば、次の瞬間には天井を見上げた。
その時に見せた恋い焦がれたような眼差しから、彼女が見ているのはもっともっと遠いところである事を悟った。

「日…常…?」

 無言で頷くの横顔を見て、三成の胸の中に広がっていた虚しさ、寂しさが一層色濃くなった。
ここにいる事自体が異例の事。どれだけ時間が経とうともの中では日常になりはしない。
遠回しに、そう言われたような気がしたのだ。

「…元の世界ではね、お昼休みに皆でお茶を飲むのよ」

 思い出すように瞼を閉じて、懐かしそうには語る。

「今日はお天気がいいね。あのお店に入ったアロマが良かったよ。
 駅中のショップが来週からバーゲンだよね…とかさ。

 交わす内容は何気ない事ばかりなんだけど…不思議と胸が弾むの何の」

 分からない単語ばかりだが、の顔を見ていればよく分かる。
それこそが、彼女の日常。彼女が今一番欲しているものだ。

「…懐かしいな…」

 そこでは言葉を止めて、閉じていた瞼を開いた。
手にしていた湯呑を一時、文机の上へと降ろす。
そして軽くなった己の掌を見下ろし、ゆっくりと開閉する。

その時に見せた笑みは、これ以上はない寂しさを含んでいた。
 手に届かぬものに恋い焦がれて、悲しみ嘆きながらも、それをひた隠しにしようとする。
想い人の持つ強さと悲しさを目の当たりにすれば、自然と彼の胸には焦燥と嫉妬とが湧き上がってくる。

 

 

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