傍にいるということ - 孫市編

 

 

 開いた宴の幕が閉じて数刻。
これだけ酒が入ればなんとか眠れそうだと判じたは、自室で横になりかけていた。
そこへ不意に訪れた者がいた。孫市だった。

「失礼、まだ起きているかい?」

「あ、はい。大丈夫ですよ」

「こんな時間に邪魔した非礼は詫びよう、でもどうしても今日中に話しておきたかったんでね」

「いいえ、どうぞ」

 羽織を一枚掛けてから部屋の中へと招き入れた。
就寝するつもりだった為、火を落としてしまった火鉢に再び火を入れようと格闘すれば、孫市が代わってくれた。

「こういう事は任せなよ」

 流石に狙撃手だけあって、火の扱いはお手のものというところだろうか。
孫市が火鉢に向えば、あっという間に消えていた炭に火が点った。

「で、あの…今夜は一体どうして…?」

 互いの間に火鉢を挟んで対峙すれば、孫市は改めて居住まいを正した。

「孫市さん?」

「貴方を害そうとした咎、平にお許し願う」

 片手を畳へとついて平伏した孫市を見て、は動揺した。
中腰になり孫市の肩へと手を伸ばす。

「な、え? もしかして、そのこと? あ、あの、それはもういいですから!! だって、もう済んでる話だし」

 の声が充分過ぎるほどの困惑を孕んでいることを確認してから、孫市は面を上げた。
胸中に治めていた何かに触れるところがあったのだろうか。
彼は面を上げてすぐ、ほんの少し目を細めた。微笑に通づる柔らかさが、そこにはあった。
 けれども彼は再び面持ちを改めて、言う。

「あの平手打ちのことか? 本当に、お嬢さんはお優しいね」

「お嬢さんって…私、そんな年齢じゃないんですけど…」

 照れていいのか揶揄されていると判じて怒ればいいのか迷う。
が表情でそう示せば、孫市はすぐさま肩を竦めて見せた。

「生憎、俺はまだ貴方をどう呼ぶか決め兼ねているんでね」

「でも、やっぱりお嬢さんってのはちょっと違う気がするんですよ」

「まぁ、それはおいおい考えるとして…本当に、すまなかったな」

 また頭を下げそうな孫市に向いは気にしていないと首を大きく横へと振った。

「貴方は許してくれると言ったが、俺としてはきちんとしときたかったんだ」

 歯の浮くような口説き文句が耐えない男だけに、孫市が今見せている誠実さには驚かされる。
まさかとは思うが、孫市の普段のあれはポーズなのではないか? と勘繰りたくなるほどだ。

「今後の為にもな」

「今後?」

「ああ」

 火鉢の上へと掌を差し出されて、首を傾げた。
視線で掌を乗せるように促されて素直に応じれば、孫市は掌をの白い手の甲へと己の唇を落とした。

「なっ!!」

 赤面したへ軽いウィンクを見せて、彼は口の端だけで微笑む。

「…つまり、こういう事」

「こ、こういう…って」

 あまり長く触れ過ぎて警戒されても面倒だと、孫市は自らの手を離した。
彼は指先で銃を真似てを狙い定めると、軽く指を動かした。狙撃のジェスチャーだった。

「一目惚れってのも、有りだろ?」

「ひ、ひっ、一目惚れ?!」

「ああ」

 臆面もなく肯定し口説かれた。
だが相手はあの孫市だ。何時もの彼独特の社交辞令かもしれない。
勘ぐり丸出しの視線を送ってみたが、そうではないようだ。
彼が向ける眼差しはそうした色を一切まとってはいなくて、動揺してしまう。
は頬を赤らめながら口をパクパクさせ続けた。

「その様子じゃ、"私達知り合ってまだそんなに日がないのに"って所か?」

 ほんの少し身を乗り出して伺うような視線を送れば、は言葉を失ったまま頷き続けた。
孫市はの分かり易い反応に苦笑しながら言った。

「生憎、俺は貴方のことをずっと前から知ってる」

「え…?」

「俺は傭兵集団の頭領だぜ? 情報収集は怠れない」

「あ、あの…私の世論での評判とかもご存知なんですか?」

 期待半分、怖さが半分という様子で問いかければ、孫市は姿勢を改めた。
足を崩して胡坐をかき、気持ちと距離を作る。
もどかしがったは、自ら境界線としていた火鉢を越えて孫市の傍へとにじり寄った。
 そうなることを想定していたように孫市は口の端で笑う。

「教えて下さい、孫市さん」

 自分は周囲が期待する名君となれているだろうか? と問うへ孫市は言う。

「それがな、情報、全然掴めなかったんだな、これが」

「エ?」

 宛が外れたと目を丸くするの前で孫市は指折り数えるように話した。

「客観的に見ても民の評判は悪かないだろ。近隣を抑えてた家康の方が石高が上になったのに無血開城に帰順だ。
 その前から北条領からは貴方を慕って民が逃げ込み続けたし、北条の尖兵である秀吉と三成が下った。
 北条との戦の時も下ったばかりの秀吉を使うという点を考えても、女だてらに胆が据わってる。
 その戦でも北条側の民の造反や密告が相次いだ事からしても他を圧倒する魅力が、貴方にはある」

 それだけ知っておきながら情報は何も得ていなかったと言うのか? 
視線で問えば孫市は、機先を制した。

「そう、それしか俺は知らなかった。貴方の事といえば誰もが知ってる現状しか、俺の耳には届かない。
 だから依頼を受けたのさ。そうする事で、貴方と接触する機会が持てるからな」

「接触する…機会? 最初から、殺すつもりではなくて会いたかっただけだというの?」

 の問いに孫市はほんの少し黙った。

「いや……それもちょっと違うな。仕事は仕事だ、請け負った以上きちんとこなすぜ。
 ただ今回は失敗して登用されちまっただけの話だ。北条からの仕事は失敗、それで終わりさ。
 だから安心していいぜ、今の俺に貴方を害する意志は一片もない」

 本当だろうか? と視線に疑問をにじませたの前で軽く両手を上げて、身を改めてみろと示す。
は素直に応じて掌で孫市の脇腹や背に手を回して改めた後、ようやく納得したように頷いた。

「満足した?」

「ええ、ごめんなさい。それと有り難う」

「いやいや、安心してくれて何よりさ。何せ俺は新参だからな。信がなくて当然さ」

「…ねぇ、孫市さん。どうして?」

 姿勢を正した後、は問いかけた。

「どうして私に会いたいと思ったの?」

 孫市は不敵に笑う。

「さっきも言ったろ? 会ってみたかったんだ。
 天下に名立たる戦人・武士・軍師が相次いで膝を折った相手がどんなお嬢さんか、知りたかったんだ。
 なんせ慶次を御すだけでも普通の大名なら気苦労だ。それをいとも容易くこなし、軍師はあの左近だろ?
 幸村はまだ分かるとして、タヌキ親父を従えて、挙句はあの兼続と政宗までもを御している。
 それを成した者が絶世の美女ともなりゃ、そりゃ普通に興味も湧くだろ?」

「…は、はぁ…」

 先に上がった家臣の事はともかくとして、自分の事、引いては絶世の美女と言うフレーズには語弊がある気がすると、の表情が物語る。
 それを見ていた孫市が珍しいものを見るように小さく眉を動かした後、薄く笑った。

「孫市さん?」

「いや、すまないな。本っっっっ当に、貴方は変わり種なんだと思ってね」

「変わり種? 私が?」

「ああ」

 大きな瞳を瞬かせるの前で孫市は指折り数えつつ示唆した。

「普通の女性は、褒められれば喜ぶか、当然という顔をするか、動揺するか、嫌悪するかだ。
 ところが貴方は美辞麗句を真に受けず、その言葉の奥に潜む真意を知りたがる。敏い証拠だな。
 実に変わり種だ、だから面白い」

 孫市は小動物を眺めるような柔らかな視線でを眺めて独白した。

「秀吉が腹を括った理由がよく分かる……貴方は、ほっとけない……男にそう思わせる女だ」

 しみじみと漏らした声に、がまたもや不思議そうな眼差しを見せた。自覚がないらしい。
孫市は脱線しつつあった話を元に戻すかのように一度小さく息を吐いて、口を開いた。

「俺は貴方が女である事を知っていた、斬新な物の考え方をする事も知っていた。
 大層美しい人だってのも聞いてたし、家臣に溺愛されている事も知っていた」

「…は、はぁ…」

「だが、実際はこんなに華奢な体で、片意地だけで生きているような悲しい人だとは、ちっとも想像しなかった」

 孫市の言葉にが目を丸くして答えた。

「か、片意地?! わ、私そんなに頑固ですか?!」

「ああ、頑固だね。お嬢さん、女はもっと狡賢く生きなきゃだめだぜ。
 辛い事に向き合うなら、尚の事、事前の根回しは必要だ」

「ね、根回し?」

 「ああ」と頷いて、孫市はの肩へと腕をかけて抱き寄せると耳元で囁いた。

「辛い事、苦しい事と向き合うなら、自分の支えになり護ってくれる男の一人や二人、先んじて用意しておくもんだ」

「え? あ、あの…一応、慶次さんや左近さんや幸村さんを始め、頼もしい家臣が私にはいますけど…?」

 「そうじゃない」と孫市は首を横へと振った。

「あいつらは兵だ。貴方を護るために身を斬る覚悟の一つや二つはある。だが、精神的にはどうだ?
 俺の見立てじゃ、貴方は男としては誰一人、信用していない。違うかい?」

 ズバリ確信を突かれては息を呑む。

「いくら身に余る事に取り組んでたって、女として""として今を楽しむ余裕を忘れちゃならない。
 だがあいつらじゃ貴方にはそれは与えられていない」

「…そ、そんな事は…」

 言いよどむの唇にそっと人差し指を乗せて言葉を奪う。

「聞いたぜ、貴方はこの世界の人間じゃないそうだな」

 視線の動きで肯定すれば、孫市はうんうんと軽く頷く。

「だからって、この世界の男に恋しちゃならないって事にはならないだろ?
 それとも、この世界の男は、貴方の世界の男よりも見劣りするかい?」

 唇に添えられていた指を離して、答えを求めれば、は眉を八の字に曲げた。

「正直な話、見劣りは全然してない。寧ろ、逆かもしれない。
 ……でも、この時代と私の世界とでは大きく価値観が違うわ。だから、なんていうか…その…」

「恋はし難い?」

 頷いて肯定し、はその理由を述べた。

「最たる違いは、側室。この世界では認められているでしょう?
 でも私の世界ではそういう概念はもうないの。

 似たような事をやっている人もいるけれど、大抵の場合後ろ指を指される事なのよ」

 そこでは孫市と距離をとるように身を起こした。

「孫市さん、その…孫市さんの気持ちは驚いたけど、純粋に嫌われるよりは好かれる方がいいし、嬉しいとは思う。
 でも、私…そういう対象で見る事は出来ないと思うの」

「俺が、ありとあらゆる花を放っておかないから…だよな?」

 分かっているじゃないかと、顔に感情を滲ませれば、孫市はの肩にかけていた腕を自ら離して肩を竦めた。

「心外だな」

「貴方流の礼儀だから、ですか?」

「いいや」

 真っ直ぐに視線を向けて、孫市は言う。

「これでも俺、真剣な恋には臆病且つ慎重な男なんだぜ?」

「やだ、なんだか想像つきませんよ!」

 思わず噴出してぱしぱしと肩を叩けば、孫市の答えは意外なものだった。

「当たり前だ、ただ一人"この女だ"って思った女に見せりゃいいだけの顔だからな」

 何時もの軽快な調子はなく、至って真面目、低い声に驚いて顔を上げた。
眼前にある孫市の顔は、が今まで見てきた顔のどれとも異なる顔だった。

「ま、孫市…さん…?」

「俺は、貴方だけにその顔を見せたいって話だ」

「あ、あの…それは、その……さっきも言った通り…」

「ああ、俺達、まだ日が浅い。互いの事は何も知らない。だから、知ってほしいし、知りたい」

 孫市は真面目な顔で改めてを抱き寄せて手を取った。

「貴方がこの顔の俺に慣れられないと言うのなら、何時もの俺でいよう。努めてな」

 指先に軽く口付け、刷り込むように彼は言う。

「だが忘れないでくれ、俺の本心はこっちだ。俺がこの顔を貴方の前だけで晒すように、
 貴方にも俺の前では君主ではなく""としての顔を晒してほしいって、お願いさ」

「ま、孫市さ…あ、あの……展開が速くて…ついていけな…」

「悪いね、もう少し深く言わせてもらうぜ」

「ええっ?!」

 照れと混乱の極地で泣き出しそうなの願いを、孫市はあえて無視した。

 

 

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