開かれた扉 |
ゆるりゆるりと、意識は沈んだ。 『…こんなところで……終わるの? 有名になりたいとか、お金持ちになりたいとか、特別なことを求めている訳ではない。 『もっと、がむしゃらに生きればよかった……もっと……色んなことをしてみればよかった…』 既に心は諦めの境地。 『もし、もう一度……生まれ変わる事が出来たなら…………今度は……もっと…もっと別の生き方を……』 深海に沈んで行く彼女の視野を、柔らかな光が掠めた。 『…その願い……聞き届けよう…』 『…温かい……ここは、天国? それとも……私は、まだ生きているの?』 物事を冷静に判じるだけの余裕を失った中でした自問自答。 『…まだお前は生きている……… 今一度、問う。 彼は悲嘆にくれ、疲れ果てた眼差しをしていた。 『……もしここで、今一度……時間を与えたら……お前はやり直すことを誓ってくれるのか? 』 『うん、いいよ……私に出来るならね、なんでもやっちゃうよ? 柔らかく温かな光に誘われるように、意識はまどろむ。 『…そうか…では…汝にチャンスを与えよう……。 『…はーい、期待しないでね…』 老人の言葉を最期まで聞き届けることなく、意識は闇の中へと沈んだ。 『時空の扉は、今、こうして開かれる』 老人は歪む海面を通して空を仰ぎ見た。 『…異界の娘よ……我らの未来に…どうか、平穏を…』 老人が呟くと同時に、彼女を救った光は、海の奥深くで消失した。
時を同じくして。 「こりゃまた不可思議な取り合わせだねぇ」 「全くだ、あんた方もあの声を聞いたんで?」 「ええ、お二人も…ですか?」 寂れた城の天守閣、無人の上座を前に、三人の男が佇んでいた。 「幸村、お前さんは何をどう聞いた?」 2mはある巨躯を持つ度派手な装いの男が問えば、赤一色で揃えた鎧に身を包む若武者がハキハキと答えた。
「今日の日没と同時に、この城に来いと。さすれば私を導き、世界を変える方に出会えると。 「ほぅ、そうですか。俺は、軍師を努めろと言われましたよ」 左頬に傷のある長髪の男が混ぜ返すように言えば、幸村は自分が受けた質問を派手な装いの大男へと返した。 「慶次殿は?」 「俺かい? 俺は、護衛だとさ。一緒にいりゃ、大層面白い経験が出来るそうだ」 「信じてるんですか? 二人とも」 傷男からの問い掛けに、幸村は頷き、慶次は顎を掻く。 「お前さんはどうなんだい? 左近」 「…さてねぇ、こんな世の中だ。 三人の会話が一段落すると同時に、日が落ち始める。 「さて、どうなるか見物だな」 部屋の中に持ち込んだ行灯の火がゆらゆらと揺れる。 「…大の男が三人揃って、狐か狸に化かされましたかね」 左近が独白している間に、ついに日は落ちた。辺りに夜の帳が降りてくる。 「時間の無駄でしたな」 最初に神託を見限ったのは左近だった。 「お二人さん、あれ…どう思いますか」 「どうしたい?」 「どうかしましたか?」 問われて残された二人が同時に振り返れば、天に昇り行く月は、紅蓮に染まっていた。 「おいおい、こりゃ一体…」 三人で呆然と月を見上げている間に、月は黒く変色し始める。 「馬鹿な!! 今宵は月食じゃぁないはずだ!!」 肩から刀を落として、左近が叫ぶ。 「まるで怪談だな」 風の進行を視線で追えば部屋中を流れた風は、上座に灯した行灯の中の光すらも消し去って、そのままそこで費えた。室内に完全な暗闇を齎したのだ。 「随分とまぁ、凝ってるねぇ」 軽口を叩きながらも彼らの目に油断はない。 「慶次殿!!」 幸村に名を呼ばれて、慶次は目を見張る。 「これは…一体?」 その黄金色の微粒子は不思議と温かく、心地よいものだった。 「月の…加護ってやつかい?」 「一体、何がどうなってるってんだ…」
臨戦態勢を維持する彼らの前で黄金色の微粒子は、歪みの中央へと向かいゆるりゆるりと動く。 「…本当に降臨するってのかい?!」 半信半疑だった神託の信憑性を痛感したのか、慶次が目を爛々と輝かせる。 「なっ! 女性?!」 幸村が最初に大きく反応した。 「そんな…我らを導くのは、女性だというのか…?!」 「これじゃまるで天女降臨だな」
動揺を露にする幸村の隣で構えていた左近は、彼女に意識がない事を見取ると構えていた刀をその場へと降ろした。 「これはまた魅惑的というか、恥じらいがないというか、面妖と言うか…」
明るくなった部屋の中、巨漢の慶次に抱かれると一層小さく見えてしまう女性の装いは、なんとも形容し難いものだった。羽衣のように薄い布を身に纏ってはいるが、その下は、局部を隠す場所にだけ布を纏っているという状態だ。 「不思議なもんだな」 左近の独白に、反意を示す者はない。 「魅力的な人ではあるんだけどねぇ…」 油断は出来ない。 「……慶次殿…」 「気絶…してるみたいだねぇ…」
夢でも幻でもないと慶次が呟けば、左近が動いた。己の陣羽織を脱いで彼女を包み込む。 「幸村、火鉢頼めるかい?」 「え、あ! そうですね、借りてきます」 慌てて天守から飛び出して行く幸村とその場に残った慶次、左近の耳に、彼らを導いた不可思議な声が再度響いた。
"ゆめゆめ忘れることなかれ、汝らの命は、この者と共にあり" "日の本の命運も、これまた、同意なり"
「…ん……っ……」 夜が明けて行くと同時に、肌寒さを覚えた。 『…あー、そうも…言ってられないか……支度、早くしなくちゃね…』 毎日している葛藤に終止符を打って、彼女はゆっくりと閉じていた瞼を開いた。 「あ……れ?」
定まらぬ視界で得た情報は、己が想定していた光景とは全く別の景色を映し出していた。 「…………えーと?」 眼前に広がるのは、襖と屏風。 「……んー…と…」 理解が及ばない。 「あ、あの…」 「え?」 他に人がいた事への安堵と、少しの驚きと共に振り返った。 「…………えーと……?」 どんな二の句を次げばいいのかと、思い切り困惑を顔に貼り付けたままでいると、顔に傷のある男が吸っていた煙草の吸殻を火鉢の中へと捨てて、煙管で彼女の事を指し示した。 「すみませんがね、そろそろ、隠してもらえませんかね?」 「え?」 示されて、己の姿を見れば、間違いなく海で溺れた時と同じ装いだった。 「あ、あの……ええと、その……お世話になりました」 上擦った声のままジリジリと後退する姿に、正座していた若武者が慌てる。 「か、勘違いなさらないで下さい!!
「は、はぁ? えーと、なんのドッキリですか? それとも、なりきりかなんかかな?? 「ドッキリ? なりきり? それは一体…??」 「ええ? 違うんですか?! じ、じゃぁ…何が目的で…?」 互いに混乱しているのは明白だ。 「おや、幸村はもう降参かね。もっと奮戦してくれると思ってたんだが」 カーニバルでもあるまいし、一人でこんな派手な格好をしくさって。 「慶次殿、頼みますよ!!」 「仕方ないねぇ」 豪快に笑うカーニバル男と赤面して固まりまくる若武者。 「なぁ、お嬢さん。あんた、最近妙なじーさんの声を聞いた事はないかい?」 「お年寄りの??」 仕事柄毎日接しているが、どのおじいさんの事だろうと、己の記憶を探った。 「ああ、"日の本を制しろ"とかな」 「そんな要求は特には…」 「そうかい? 言い方を変えてもいいんだぜ」 「言い方ですか?」 「ああ、"天下を治めろ"とか"導け"とかな」 記憶を漁り、そこでふと、気が付く。 「"導く"? "あの世界を導く"? チャンス……え、あ、あれって……夢、じゃなかったの?!」 目を丸くした彼女の脳裏には、水没して行く自分が見た不可思議な光景がありありと蘇っていた。
|
戻 - 進 |