開かれた扉

 

 

 互いに距離を一歩も詰めぬまま交わされる会話は、堂々巡りの様相を呈し始めていた。

「つまり貴方方は、私の部下として私を支えて、この世界を制覇しろと…
 その声にそのように言われたと言うのですね?」

「はい、今世は乱れに乱れています。この乱世を諌める方が必要です」

 視覚と聴覚から得た情報から、彼の話が嘘でもでっち上げ出もないという事はよく分かった。
ここにはネオンが見せる華々しい明かりの余波もなければ、電車や車の音も聞こえない。
例えばここがどこか遠くの田舎町で、自分がなんらの理由でそこへ攫われたのだとしても、電柱一つ立っていないという現実への説明はつけられるものではない。
 こじんまりとした廃屋ならばまだしも、寂れていても結構な広さと高さを持つ城の天守閣であれば、TV番組のやらせやドッキリではない事は明白だ。
 それだけじゃない。
目前の三人は武士と自称するだけあって、揃いも揃って武器を所持していた。
現代なら銃刀法違反もいい所だ。

これらの点を考え合わせてみても、若武者のした説明を嘘と決めつける事は出来そうもない。

「で……それを私にやれと?」

「はい!!」

「えーと……無理だと思うんですけど……?」

「何を仰います!! 貴方は天に選ばれた方です、不可能などありません!!」

「いや、あの……それ、本気で言ってんですか?」

「はい!!」 

 曇りのない眼差しで若武者は快活に返事をする。正直、眩暈を覚えた。
彼には悪いが、到底正気の沙汰とは思えないし、自分の手には余り過ぎる話だと思った。
彼女は、困惑を隠すことなく顔に貼り付けて、周囲を見渡しながら考えた。
どうにかその責任を誰か他の者に転嫁出来ないものかと、手繰り寄せられる可能性の一つ一つを模索したのだ。

「ええと……すみませんが、貴方、お名前伺っても宜しいですか」

 三人を見回してから頬に傷のある男に視線を合わせれば、彼は煙管をしまいながらすぐさま答えた。

「島左近ですよ。渡り軍師やってます」

「軍師さん? あ、なら良かった、うん。はい、じゃ、決定!!」

「あ?」

「今日、この瞬間から、全ての権限を貴方に譲渡します。
 天下制覇でもなんでも好きにやっちゃって下さい」

 手にした莫大な権力をさらりと投げ出す姿に、カーニバル男は愉快だと笑った。

「ハッハッハッ、いやはや、本当だ。あんた面白いねぇ」

「なっ、何笑ってんですかっ!! 全然、面白くなんかありません!!
 それに私、元々一般人なんですよ?! ただの市民、平民であって、政治家じゃないんです!!
 だから急にそんな権限与えられても困ります!!」

 懸命に訴える彼女に若武者がおずおずと問い掛ける。

「あの、貴方は、我々の為に選ばれてここへ来たのではないのですか??」

「いや、だってちょっと待って下さいよ。
 そもそもここってどこなんですかっ?? 私にはそれすら分からないし。

 それに私は私の仕事もあって生活もあるので、早く家に帰って明日の支度をしたいんですけれど…」

「じゃ、偶然だと? 身に覚え一つないと仰る?」

 左近の問いに、彼女は思わず詰まった。

「そ、それはその……」

「心当たり、あるんですね?」

「だって、海に溺れてる時に……そう、溺れて死に掛けてる時に聞かれたから…。
 なんてゆーか、破れかぶれと言うか……行き辺りばったり任せてみようかな…みたいな……」

 しどろもどろ答えれば、呆れたような視線と、驚きに満ちた視線に射抜かれる。

「ほら、そういうのあるでしょ? なんとなく、ノリで安受け合いしちゃって後悔しちゃうって事!!
 第一、夢だと思ったのよ。走馬灯っていうでしょ? あれの親戚みたいな感じで」

「だが、現実は違ったようだねぇ」

 ぐぐっと息を飲んで、彼女は答えを、いい方法を探すとばかりに頭を抱え込んだ。

「ああっ!! もう、どうしたらいいの!? あれが契約だと言うなら、破棄!!
 何方か他の方を当たって下さいよっ!! クーリングオフ、お願いしますっ!!」

 喚き散らし始めた彼女を左近が諌めた。

「まぁ、無理でしょうな。
 現れた時の様子からしても…お嬢さんは、ここではないどこかから、ここへ連れて来られてる。

 しかもその様子じゃ、命を契約の対価にしていらっしゃる。
 反故って事は、死じまうって事なんじゃないんですかね」

「!?!!!!?」

 絶句する彼女を見て、若武者が咎めるような視線を左近に送れば、左近は肩を竦めてそれを受け流した。

「あ、あの、あの、だから、だったら、さっきも言ったように、全ての権限の譲渡を…!!」

「まぁ、まぁ、落ち着きなよ、お嬢さん」

 カーニバル男の声を受けて、彼に視線を合わせれば、彼は柔らかい笑みを浮かべていた。

「やるだけ、やってみてから譲渡でもいいんじゃないのかい?」

「…え…?」

「何もかもなくなってるわけじゃない。あんた、命を拾った。天下を伺う為の城も、こうして持った。
 家臣候補もここにいる。これだけお膳立てされて、何もせずに逃げ出すってのかい?
 それはそれで、随分と都合のいい話じゃないのかい?」

「だって、私、本当に本当に平民なんです、帝王学も政治学も何も学んではいないんです!!
 そんな人間に統治されたらされる方だって…」

「まぁまぁ、だから。補佐役がいるだろう」

 そもそも天下統一など、一日二日で出来るものでもないと悟されて、ようやく抱えていた緊張の一部が解れる。

「…あの、私は仮にそれでいいとして……皆さん方はそれでいいんですか?
 こんなわけも分からなくて、頼りない君主なんか頂いたら、大変だし…
 それこそ、命が幾つあっても足りないんじゃないかと思うんですが…」

 どうか辞退してくれと、内心で拝み倒す思いで三人を眺めた。

「私は、信じています。あの光景を目にすれば、信じない訳には参りません。
 真田幸村、全身全霊を賭して、お仕え致します」

「前田慶次だ、派手に楽しもうや」

 眩暈を覚える彼女が最後の砦とばかりに左近を見つめれば、左近は不適に笑った。

「で、姫。左近の服の着心地は如何ですか? もし宜しければ、新しい着物などご用意致しますが?」

 がっくりと両手を床に着いて、うなだれて……それから彼女は腹の底から声を絞り出した。

「……です…よ、宜しくお願いします……」

 

 

 翌日、居住区や評議場の整理を一通りし終わった頃。

様、失礼します」

 の部屋の前に来た幸村は、襖越しに声を掛けた。
けれどもいくら声を掛けても反応らしき反応は得られず、思案した幸村は評議場にいる左近と慶次の元へと足を運んだ。

「姫が?」

「ええ、何かあったのではないかと…」

 不安そうな面持ちの幸村を従えて三人での部屋の前へ来ると、左近は一声かけてから襖を横へと引いた。
部屋の中は物気の空で、破れた襖の無地の部分には、ザクザクと小さな穴が連続で空けられていた。
からのメッセージのようだ。

「無理…御免…」

 辛うじて読める漢字を拾い読みし、意図を把握して窓枠へと身を寄せれば、慶次は豪快に笑った。

「いやはや、本当に面白いねぇ」

 窓枠に括りつけられた帯の連なりを見れば、がそれを伝って逃亡したのは一目瞭然だ。
彼女の思い切りの良さに幸村は絶句し、左近は呆れ果てたような顔をする。

「…往生際の悪い姫様だ」

 そう言いながら左近が目を凝らせば、白昼堂々、着崩した状態の着物姿で森の中に逃げ込んで行くの姿が見えた。

「慶次殿」

「おうさ、あんたらも来るかい?」

「そうですね、特別する事もないですしね。余興にゃ、丁度いいでしょう」

 さっさと身を翻して歩き出した二人の後を、幸村だけが強張った面持ちで追いかけた。

 

 

 一方、はというと…。
警備配置すらままなっていない城を抜け出して、逃走に全身全霊を傾けていた。

「無理無理無理無理、絶対に無理。そもそも見知らぬ男三人と同居なんてどうかしてる!!
 大体、ここどこよ? 戦国時代って、冗談じゃないわよ!!
 巻き込まれたら、命が幾つあっても足りないじゃないの!!

 諌めて欲しいっていうのなら、私じゃなくて第六天魔王でも呼べっつーの」

 鬱蒼と生い茂る草木を掻き別けて、町へと続く街道に出る。
右も左も分からぬが、取り合えず太陽を目印にして道を選んだ。
少しでもポジティブでいたいという思いが後押しした選択だった。
山間をずんずん突き進み、分かれ道に差し掛かった頃、足に疲労を覚えて、腰を降ろす。
そこへお約束とばかりに山賊が現れた。

「……うーそーでしょーっ!!!」

 こんな展開はTVの時代劇だけでいいと悲鳴を上げながら、はそのまま成す術もなく、荒くれ者の掌中に落ちた。猿轡を咬まされ、全身を簀巻きされて連れて来られたのは、山間の小屋などではなくて、なんと自分が逃げ出した城下町の中にどどーんと聳え立つ大きな商店の裏庭だった。

『これは…もしかして…もしかするのか…?』

 流れ落ちる冷や汗もそのままに、きょろきょろと辺りを見回せば、の想像は正にビンゴで。
庭に立つ二つの蔵の一方から、と同じように誘拐されたらしいうら若き乙女達が連れ出されていた。
乙女の皆様は、悲嘆に暮れてメソメソと泣き続け、完全に脅え切っている。
そんな乙女達の姿を見て愉悦を覚えているらしい変態が一人。
きっとここの店主だろう。見た目こざっぱりとした着物を、それはそれは下品に着こなしている脂ぎったデブオヤジだ。そのオヤジと改めて視線が合って、意識が一瞬飛びそうになった。

「へへ、なかなかの上玉でしょう?」

「少々毛色が違うようだが…まぁ、いい。新しい御殿様もこれだけいれば、どれかお気に召すだろう」

 このオヤジ、もう常習犯なのだろう、山賊とのやり取りに無駄がない。
彼らは少々の金子をやり取りしながら、実に恐ろしい事を言いあっていた。

『…つまりなんですか。この子達は私への貢物ですか…』

 もうアホかと。
冗談じゃないと。
そんなくだらない事の為に、白昼堂々、誘拐及び人身売買をしているのかと。
突っ込みどころは満載で、更には昨夜から続く理不尽な要求と現実に、募り続けたストレスは臨界点突破寸前だ。

「まぁ、その前に…ちょーっと味見くらいはいいかなぁ…」

 脂ぎった手で顎をすくわれて、臭い息を吐く醜悪な顔を寄せられると、ついに我慢が出来なくなった。

「ふざけんなーっ!!!」

 気合と根性で猿轡をずらして、怒声と共に強欲オヤジへと強烈なヘッドバットを一発お見舞いする。

「なっ!! この女ァ!!」

 途端、品の悪い取り巻き連中に張り倒されて、大地に突っ伏した。
頬に痛みを覚えて、もう一発殴られるかな…と歯を食いしばって目を閉じた。
瞬間、庭の板垣を漆黒の巨大な影が突き破った。

「しゃあ!!」

 馬上で鉾を振り回し、を取り押さえる男達を弾き飛ばした男は、馬から飛び降りるとを庇うように前へと進み出て、大見得を切る。

「前田慶次参上!! お前さんら、粋じゃないねぇ…」

 ドスを効かせて睨めば男達は一瞬怯む。
が、すぐに、大勢の配下を庭へと呼びつけた。

「お、おのれ〜、このままで済むと思うなよ…」

「それはこっちの台詞だ、このデブ!!」

 恨みがましい発言をする醜悪なデブに対して、は逆に叫んだ。
彼女の怒りは頂点を振り切っているのか、周囲の事が何一つ目に入らなくなっているようだった。
 禁句を言われていきり立つ男の前へ進み出ようと、は己の足と腹筋に力を込めた。
気力と根性だけを武器に、なんとか立ち上がると、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら慶次の前へと移動する。

「ちょっと慶次さん。切って、これ、切って」

「お? おう」

 そうこうしている間に騒ぎを聞きつけた幸村と左近が、数名の兵士と共に到着した。
全身に巻かれた縄を慶次の鉾で断ち切って自由の身を得たは、その場に現れた幸村に対して叫んだ。

「幸村さん、まず女の子、全員保護!!」

「はっ!! お任せあれ」

「でもって、デブ!! あんた一体どう言う了見してんのよ?!
 人身売買だ?! 人権侵害もいいところじゃないよ!! 
 そういう奴は、神が許しても私が許さん!!」

「な、何を〜!! 貴様一体何様だ!!」

「ざけんじゃねー!! 
 私ゃ、昨日からこの国、土地を治める、一番偉い人だーーっ!!」

「んな訳あるか、大体そんな身分の方が何故こんなところにいる、はったりを抜かすなっ!!」

「…うっ…そ、それは…その…」

 はったりだと突っ込まれ、更には逃げ出した事実もあり、言葉に詰まるに、店主は畳み掛ける。

「そもそもお前のような品のない娼婦風情が、お上を名乗るなど万死に値するわ!!」

 主君への侮辱でキレる幸村よりも早く、は本気でキレた。
履いていたビーチサンダルを脱ぐと、ずんずんと親玉へと詰め寄った。
それから相手の襟首を引っ掴んで、躊躇うことなく顔面目掛けてビーチサンダルを振り下ろした。
 力一杯振り下ろされるビーチサンダル。
下駄で言うところの鼻緒の部分がプラスチックな為、当たると非常に痛い。痛いなんてもんじゃない。
だがの目は完全に据わっていて、凄まじい迫力だ。
取り巻きすらも動くに動けない空気が漂っている。

「今、なんっつった?! 娼婦? 娼婦だとっ? アァ?!」

 どこのヤクザだと言いたくなるくらい、低い声で畳み掛けて顔面をぶちまくる。

「お、おいおい…」

 鼻血が出始めた店主を見かねて左近がの背後に進み出る。
彼がを羽交い絞めにしながら引き剥がせば、は止めの一撃とばかりにビーチサンダルを振り上げて、店主の顔へと投げつけた。

「よく聞け、下郎!! 私がここにいるのは、そう……お忍び視察だ、バカ野郎っ!!!

 の絶叫を聞いて、左近が目を細めて苦笑した。
幸村もまた目を大きく見開いてから、感動を噛みしめている。

「お前ら全員、牢にブチ込んでやる!!
 善良な市民の皆さんを苦しめる奴は許さない!!

 女だからって、平民上がりだからって、舐めんなよっ!!!」

 凄まじい啖呵に、引きまくる手下一同。
そしてただでさえ醜悪な面を更に醜悪にされた店主。
彼らは年貢の納め時が来たのだと悟り、茫然自失だった。
中にはやぶれかぶれで暴れだし、逃亡を企てようとする者も居るには居た。
だがそれも、の絶叫一発ですぐに立ち消えた。

「慶次さん、幸村さん、成敗!!」

「任せなっ!!」

「はっ!!」

 まるで時代劇の暴れん坊将軍だ。
の指示に従い動いた慶次と幸村の武の前に、ただのゴロツキどもが適うはずもない。
逃亡を企てた数名は、一刻と経たずに一人残さずKOされてお縄になった。

「えーと、何屋だっけ? ここ」

「丼欲屋ですよ、米屋です」

 左近のフォローを、素直に受け取り、は言う。

「丼欲屋、罪状!! 人身売買!! 監禁!! 婦女暴行未遂!! 公務執行妨害!!
 あとそれから侮辱罪!! 以上を持って、お家お取り潰し!! 
 財産没収!! 没収した財産は近隣の村々へ返還する事!!

 どうせあんたの事だから、周囲の村から搾り取れるだけ搾り取ってんでしょ?!
 配下はそれぞれ棒罰100発、でもってお前は棒罰200発、市中引き回しの上、国外退去を命ずる!!
 以上、解散!!」

「流石です、様…」

 はーっ、はーっと、肩で息を吐くの姿に幸村は尊敬しますとばかりに目を輝かせた。

「豪胆だねぇ」

「可愛い顔してやるじゃないですか、惚れちまいそうだ」

 慶次は本当に面白い者を見つけたと豪快に笑い、左近も見直したとばかりに口の端で笑う。

 

 正に墓穴。
、こうして本当に、一国一城の主となる。

 

 

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長丁場になるかと思いますが、これからどうぞ宜しく。(08.02.14.up)