狸からの救援要請

 

 

「全く!! この国は一体どうなっちゃってるのよ?! 人権はどこよ?!
 そもそも一番偉い奴は何してんの?! ちゃんと仕事しろっつーの!!」

 あれから一網打尽にした悪党共々城へと帰還を果たしたは、怒りを露に文句を零しながら評議場の中を忙しなく歩き回っていた。

「今この地で一番偉いのは、姫、貴方ですよ」

 幸村が入れたお茶を飲みながら口の端で笑う左近の言葉に、はぴたりと足を止めて振り返る。

「知ってます!! 私の前の代のことです!!」

「おっと、それは失敬」

「…ったく、なんて国なの、なんて町なの!!」

 歯軋りするの肩に「まぁ、落ち着きなよ」と手を置いて、慶次が問い掛ける。

「で、心は定まったのかい?」

「………天下を制するなんて、出来ません。
 でも帰る手段が見つかるくらいまでなら、やってみてもいいのかもしれないって思ってます。
 だって、自分で啖呵切っちゃったしね」

「お、前向きでいいねぇ」

「ってゆーかね、刑罰とか法律とかちゃんと作らないとダメだと思うんですけど!!」

 慶次をまっすぐに見上げて訴えたかと思えば、すぐには身を翻した。
顎に手を置いて、いかにも思い悩んでいますとばかりに、目を閉じて唸る。

「んー、そうだな〜。悪いことした順に、刑罰作りましょう。
 軽いものは釘バット20回とか、ちょっと酷いものは50回とかそんな感じで」

「釘バット?」

 耳に馴染まない単語に慶次が興味津々問いかければ、はさらりと答えた。

「金属製の棒に更に不規則な形の金具をつけてある武器の事です」

 形状を想像して、三人は極悪な凶器だなと冷や汗を流したが、はお構いなしだ。

「そうだ!! 一番酷い人は、釘バットで5回殴打にしよう!!」

「5回でいいんですか?」

 幸村の問いかけに、は閉じていた瞼を開いて、こくんと頷いた。

「うん、但し、慶次さんに渾身の力を込めてぶん殴ってもらいます」

 それは一歩間違えば死刑なんじゃないのかと、喉元まで出掛かった言葉を左近、幸村は同時に飲み込んだ。
折角やる気を出してくれたのだ、我に返られて、また逃げ出されては意味がない。

「左近さん、大まかでいいので、この世界の常識に合わせた法律の基盤を考えて下さい。
 最終判断は私がしますので」

「承りました」

 打てば響くような反応をする左近には畳み掛ける。

「それと制覇するしないは横に置いておくとしても、諸外国との友好関係は大事だと思います。
 なので近隣地図と情勢を纏めた資料を作って頂いてもいいですか?」

 左近の返事を待たずに、今度はお盆を持ったままの幸村を見る。

「幸村さんには、警吏の統制と再構築をお願いします」

「はっ、直ちに」

「示しがつかないと困るので、ちょっときつめにお願いしますね。
 まずはお上が国民から信用されないと話になりませんから」

 切り替えが早いのか、やる気になった途端、サクサクと指示を出すの姿に、幸村は感動する。
逃げ出されたと知った時には不安にもなったし落胆もした。
けれどもそれはこの人がこうして君主としての自覚を得る為、引いては自分の意志で歩き出す為の踏ん切りの一つだったのだと分かれば、決して不快な出来事ではない。

「で、俺はどうするね?」

 動き出した幸村、左近と違い、何の指示も与えられていない慶次はこの場に居残ったままだ。
そんな慶次を見上げたはというと…

「慶次さんは……取り合えず、私と話す時はしゃがんで下さい。顔を見ようとすると首が吊っちゃうので」

 自分の首を自分で支えながら慶次を見上げていた。

「あはははは、そいつは、悪かったねぇ」

 望まれるまま腰をその場に降ろした慶次の動きに合わせての視線も動く。
は自分の首に添えていた手を離すと、彼に次の指示を出した。

「有り難うございます。それじゃ、折角だから…この世界の事、もう少し教えてもらおうかな」

「おうさ、お安い御用だ」

 

 

 左近が半日と掛からずに用意した近隣地図と財務資料等を最初に目にした瞬間、は絶句した。

「………ちょ、ちょっと、姫? どうしたんです? 姫」

 これは夢だと、絶対にそのはずだと、はふらふらと部屋の中を歩き回り、ついには柱に向かって己の頭を打ち付けた。

「姫、姫ったら!!」

様、お顔が腫れますっ!!」

 幸村と左近に同時に止められて、ようやく我に返ったは、ぷるぷると震える指先で地図の一角を示した。
自分が治める国の真上にある国には城主・徳川家康、配下浅井長政・市と書き込まれている。
しかもその家康の納める隣国には城主・伊達政宗の文字が。

「あ、あ、あ…」

「はい? 家康と伊達がどうかしましたかい?」

 勢力図を見ても一見して分かるのは、家康はが治める国よりも小国の主であった。

「い、い、家康って………あの家康様?」

 他国の殿を様付けて呼ぶ事に違和感は拭えない。
けれども家臣である自分達のことも呼び捨てしない人だ、癖なのかもしれない。
胸に湧き上がった違和感を勝手にそう片付けて、二人はの言葉を待つ。

「うそ、嘘でしょ? ここって、ここってその戦国時代なの?!」

 独白し、頭を抱え込んでしまう
そんなに、左近が立て板に水とばかりに世の情勢を伝えた。

「家康はさして問題じゃありません。見て下さい、家康の左右を」

「独眼竜でしょ? それと…もう一つは……直江兼続さん?」

「ええ、実はこの二人、犬猿の仲なんですよ」

「って事は、このままいくと…」

「ええ、間違いなく家康の領地で激突しますね。だから放っておいて問題ありません。
 どっちかに呑まれるまでにこっちはこっちで兵力を整えてしまえばそれで」

「だめ!! それ、絶対だめっ!! 何があってもだめだって!!」

 左近の説明を遮ったは、後方で一人茶を飲む慶次を振り返った。

「慶次さん!!」

「なんだい?」

 いきなり矛先の向いた慶次は驚く事もなく、平然としていた。

「おっきな馬乗ってましたよね?」

「ああ、松風のことかい?」

「その、松風は速いんですか?」

「おうともさ、あれほど速い馬は他にはいないねぇ」

「じゃ、今すぐその松風で家康様のところへ向かって下さい!!」

様?!」

 どんな意図があるのかと、目を瞬かせる左近や幸村には見向きもせずには言った。

「同盟組みます!! 家康様にどっちから攻められても、全力で協力しますからって伝えて下さい」

 軍師である左近の助言を無視した決定。
それに左近は当然眉を顰めるし、幸村も困惑気味だ。

「とにかく、絶対に家康様を討たせちゃだめ…絶対に!!」

「引き受けた、なんか理由があるみたいだしな」

 席を立った慶次を見送ったは、力が抜けたようにその場に座りこんだ。

「は、はははは……参ったな………はははは……なんか、本当…参ったな…」

 そう言いながら、の頬は紅潮していて、言葉とは裏腹に、少し嬉し気だった。

 

 

 それから数日と経たずに、家と徳川家との同盟はなった。
向こうとしても渡りに船、藁にも縋る思いだったらしい。
この同盟に左近は「面倒に自ら足を突っ込まなくても…」と顔を顰めていたが、が取り合う事はなかった。
 意図が掴めぬまま結んだ同盟。その理由も明かさない君主。
最善策を献上しても、無視されるのであれば、自分の存在理由はどこにある?
いくら運命共同体と言われても、そんな扱いのまま采配を揮えるはずがない。

『まぁね、今はまだ…従いますけどね…』

 もう暫く様子を見て、それで見込みがないのであれば、職を辞そう。
自分がいなくとも慶次と幸村がいれば、どうにかなるだろう。
最悪の場合、国は失うかもしれないが、が命まで落とすような事にはなるまい。
左近は密かにそう考えてるようになっていた。
 左近の中にそうした思いがある事も知らず数週間が過ぎて、ついに審判の日はやってきた。
家は隣国の徳川家より救援要請を受けたのだ。
内容としては、左近が示唆していた通り、自国が双方から挟撃にあっているというものだ。
想定していた事とは言え、想像よりもずっとずっと早い展開に、左近は溜息を吐いた。

『…もう少し、猶予があっても良かったような気もするがな…』

 信用も、心服もまだしていない。慶次が言うようにこの人に仕えるのは刺激的で、確かに面白い。
けれども面白さだけでは戦国乱世を生き抜く事は出来ない。
それを知っているからこその溜息だった。

「聞くまでもないと思いますが、どうするつもりですか」

 救援要請の文を前に問いかければ、は想像通りの回答を口にした。

「ん? 行くよ。そういう約束だもん」

「お言葉ですがね、付き合いも浅く、互いに顔も知らない。そこまでしてやる義理はないと思いますがね。
 第一、こっちの兵力もまだ整っちゃいないんですから」

 あくまで日和見を決め込む事を献策する左近に、は首を横に振るばかり。
二人の間には、進展もなければ、妥協もなかった。

『ああ、やっぱりか……俺はここまでだな』

 再び溜息を吐いて、どう切り出そうかと言葉を探している間に、は席を立った。

「左近さんはここに残ってていいですから」

「ハイ?」

 妙な単語が飛び出したと思い顔を上げれば、は慶次と幸村を立たせて部屋の外へと出ようとしていた。

「慶次さん、幸村さん、行きましょう」

「え?」

「おいおい」

 主君と頂くと決めたからには、裏切らない、疑わない。ただ意に従うのみと沈黙を守る幸村。
一方で、元々喧嘩好きだ。腕試しの場になるのなら異論はないと考える慶次。
そんな彼らでも、今のの言葉には引っかかりを覚えずにはいられなかったようで、硬直している。

「行きましょうって、さん。あんたも行く気なのかい?」

「ええ、何かまずいですか?? いいきっかけにもなると思うし、ちゃんとご挨拶しなきゃまずいでしょ?
 さ、早く行きましょう」

 遊びに行くのではない、これから向かうところは大軍に蹂躙されている戦場だ。
そこへ女の身で、更にいうなら身を守る術一つ持ち合わせているとは思えないこの平和ボケしている君主は、自ら出向くと言い張っている。
 慶次と幸村が座ったままの左近を見やった。明らかに助け舟を求めていた。

「それに………会いたいんです。うんん、会わなくちゃ、いけないんです」

「家康にですか?」

 左近に問われて、こくりと頷いたの瞳には、何かを見定めようとする光が揺れている。
それを見てしまえば、これ以上の抵抗は無意味なのだと悟る。
幸村、慶次、左近は諦めたように、肩で息を吐いた。

 

 

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