狸からの救援要請 |
夕刻、城を出立した率いる軍は神速の動きを見せた。 『全く、豪胆なお嬢さんだねぇ 』 見ればは松風の速さに目を回すどころかしっかりと前を見据えていた。 『…惚れそうだぜ…』 「そろそろ着くぜ」 「うん」 程なく、三将が率いる軍は、徳川家の本陣後詰として到着した。 「おお、おお、助かりましたぞ」 陣中に構える徳川家康の声を聞いたは、緊張と高揚を綯い交ぜにした顔をした。 「すいませんがね、俺に声を掛ける前に、姫に声かけて欲しいんですがね。それともあんたの目は節穴かい?」 松風から降りた慶次の手を借りて下馬しているの耳に、左近の棘のある声が入った。 「こら!! そんな事言っちゃだめでしょ!!」 振袖こそ着て居ないが、武具の類を一切つけていない軽装の女性。 「え…あ……」 目を丸くする家康の前へとは歩みを進めて、何か期待に満ちた眼差しで彼を見上げた。 「初めまして。です」 「ああ、これはご丁寧に…徳川家康です」 「あ、あの、家康様、お手を拝借しても宜しいですか?」 すっと掌を差し出されて、家康は躊躇う。 『もしやこの者は既に伊達・直江軍のどちらかと手を組んでいるのか…?』 硬直し、二の句を続けられない家康の顔には明らかな焦りが浮かび上がった。 『儂の首を手土産に…投降するのか…』 とすれば、最早逃げ道はない。 「大きな、大きな掌ですね……とても温かい……」 「え…あ…?」 その掌に頬を寄せて、は呟くように問うた。 「吉法師様は、ご健在ですか」 「…い、いや、消息不明で…儂も探しておって…」 しどろもどろ答えた家康の前でが見せた眼差しは、複雑な色をしていた。 『大丈夫、貴方は死なない。私が、死なせない』 掌を自ら離して、「ご無礼お許し下さい」と目礼してから、は家康から離れる。 「慶次さん、幸村さん」 「おうよ!」 「はっ!!」 「兼続さんと政宗さんに一騎打ち申し込んだら、勝てますか?」
この時代、主君からの問いかけは意味をもたない。それは即ち違える事の許されぬ命令だ。 「二人に会ってみたいんです。だから殺さないで下さいね」 彼女の目には、二人の負けという文字は、なかった。 「…敵わないねぇ…ま、興じて見せようか」 「ご期待に通りに」 あれだけ固辞したがった君主と言う職を押し付けたのだ。
徳川の陣中に残るは用意された席に腰を降ろし、暇そうに足を揺らす。 「…来てくれると思わなかった。ありがとう」 「…それをここで言いますか」 主君の口から漏れた独白の意図を察して、呆れたように返せば、は苦笑した。 「…だってさ、乗り気じゃなかったみたいだから」 本当にこの人は、戦と言うものの意味が分かっているのかと、呆れと共に苛立ちが込み上げた。 「姫自らが動くのに、城になんか残ってられないでしょうが」 「そっか、ありがとう」 「いいえ」 どう切り出そうか、何をきっかけにしようかと、思案する。 「…ねぇ」 「はい?」 「暇だね」 言うに事欠いてそれか? 『…震えて…いる?』 駄々っ子のように足を動かして表情では平静を装ってはいるが、その指先が伝えてくるのはこれ以上はない不安と恐怖。 『…ああ……そういえば、この人は……君主になる事を望んではいなかった……逃れようと、必死だった』 それが、たった数週間でここまで変わった。否、変わろうと、今も努力し続けている。 『……そんな人が、戦を好むはずがない……この人も……望んでここにいるわけじゃない…』 顔に出さず、口に出さず、一人で耐えて、己の中に収めた感情と必死で戦っているのだと理解した。 『…この掌は、無意識の声…という奴ですか…』 知ってしまえば、腹で渦巻いていた怒りなど、自然と霧散した。 『…間違いだ、その選択は……下策中の下策だな…』 左近は言葉にならない彼女の思いに答えるように小さな掌を優しく握り返した。 「…そうですね、言葉遊びでもしますか」 鬱積や棘を失った声で言われて、は一瞬身を固くする。それから伺うように左近を見上げた。 『姫の傍には左近が控えてますからね。大丈夫ですよ 』 互いの視線が宙で絡み合った。 「えー、私、しりとりなら結構強いよ?」 不可思議な光景だが、その光景は、不思議と心に力をくれる光景だった。 「家康も混ぜて頂いて構いませんかな?」 「はい、どうぞ」 「手加減はしませんよ?」 一人の存在で、悲壮感は何時しかどこへやら。
「敵将、捕らえたぜ!!」 「敵将、真田幸村が捕縛したっ!!」 それから数刻後、左右別々の陣中より勝鬨が上がった。 「戻ったぜ」 「只今戻りました」 無傷とは言い難い様子だが、さしたる重傷も負ってない二人の元へは駆け寄る。 「あ、な、え、も、も、も、ももももももも申し訳ありま…」 そんな幸村には微笑をもって答えると、手拭を引っくり返して、今度は慶次を見上げた。 「慶次さん、しゃがんで」 腰を曲げた慶次の顎についた切り傷を抑える。 「痛たかったら、ごめんね」 「いいや、ほっと温まるねぇ」 軽口を叩く慶次を幸村が視線で咎めるが、離れた位置にいた左近もまた引き攣っている。 「二人とも、お疲れ様」 「はっ」 「おう」 畏まる幸村、豪快に笑う慶次。 「伊達政宗、および直江兼続、引っ立てました」
彼ら二人は、別々に捕縛されていた為、まさかこの場で顔をつき合わせるとは思ってもみなかったのだろう。 「なっ、貴様っ!! 兼続ーーーーーっ!!」 「おのれ、山犬めぇぇぇーーーーっ!!」 けたたましく罵り合う二人を前に、家康はただただひたすら思案顔だ。 「さてもどうしたものか」 投降の意志があればよし、けれどもこの二人の事だ、そう易々と下るはずもない。 「って、謙さんはっ?! 謙さんはどこっ?!」 揉める二人の意志や家康の意志などどうでもいいとばかりに、は目を輝かせて慶次の後方を見やった。 「え、嘘……嘘…貴方が独眼竜なの??」 の顔面は次第に蒼白なり、見た目にも分かる程の、意気消沈ぶりへと落ち着いた。 「それがどうした女!! 我こそは独眼竜、伊達政宗なるぞ、頭が高いわ!! 馬鹿めっ!!」 捕縛されていてこの勢いとは、流石というかなんというか、大した御仁ではある。 「いやーーーっ!! こんなちびっ子認めないーっ!! 意味の分からぬ落胆をして、当人を真っ向から全否定。 「はーっはははははっ!! やはり義なき者は誰が見ようとも瞬時に判断されるのだなっ!!」 「やかましいわ、馬鹿め!! よくは分からんが、貴様など興味すら持たれなかったではないかっ!!」 「何をっ!! 我は謙信公の薫陶を受けし者ぞ!!」 こんな時に、兼続はここぞとばかりに追い討ちを掛けてくる。
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