癖はそう簡単には治らない

 

 

 左近に手を引かれて、ゆるりゆるりと廊下を進むの姿を最初に認めたのは兼続と政宗だった。
二人は言葉を失い、混乱しながらも、静々と進む太夫の艶姿に見惚れていた。
互いに互いを小突き合って、これが夢なのか、それとも現実なのかを確かめあったくらいだ。
元上杉配下の兼続がまんまと見惚れて動揺したのだから、その威力たるや推して知るべしだ。
 二人に気が付いて視線だけを向けて柔らかく微笑んで見せれば、政宗は瞬時に赤面し、兼続は息を呑んだ。
教えられたゆるやかな動作で正面を見て、再びゆるりゆるりと進む。
 前方に見慣れた二人の青年の背中が見えてくる。幸村と長政だ。

「お、今上がりですか、幸村さん、長政さん。お疲れさん」

 先を歩いていた二人に気がついて、左近が声を掛けた。
実直、誠実を絵に描いたような二人はすぐに足を止めて振り返った。途端、彼ら二人も硬直した。

「なっ!! 左近殿?! 何故このような場に!!」

 我に返った幸村が慌てて駆け寄って来た。
神聖な城へとんでもない人間を入れたものだと全身で訴える幸村に向けて、艶やかな太夫が口を開いた。

「幸村さん、私、私」

「え? …様?!」

 聞き覚えのある声に幸村が息を呑めば、は微笑んだ。
何時もの朗らかな笑みと違い、艶やかさの溢れた微笑だった。

「内緒にしてね? 三成を驚かしたいの」

 小声になるのは、帯で必要以上に腹部をしめているために息苦しいからだ。

「は、はい」

 疲れも吹っ飛ぶという顔で頷いた幸村と、ただただ呆然としている長政。
彼ら二人の前を通り過ぎて、左近に促されるまま太夫姿のは評議場へ。

「ちょいと邪魔しますよ」

 左近が声を掛ければ、仕事に没頭していた徳川家康、豊臣秀吉、片倉小十郎、酒井忠次、竹中半兵衛が同時に顔を上げ、次の瞬間には凍りついた。

「えっ?!」

「ほぅ、こりゃまた別嬪さんじゃの〜」

「な、なっ、なーっ?!」

「「えええええっ?!」」

 彼らはしばらく沈黙し、それから、ようやく反応を示した。
秀吉以外が自分達のいる場所を確認するように周囲を見回す。
その様子が面白くて、ついつい笑ってしまった。
装いがそうさせたのか、空いていた手で口元を隠すように笑えば、動揺していた四人は惚けた顔をして固まる。
彼らが見せた硬直は、完全に太夫に魅せられた男のする反応だった。
 今まで目にして来た数々の反応でおよその予測は立った。
これならいけるかもしれないと左近が満足気に笑えば、秀吉と家康が口々に言った。

「しかしいくらなんでも城に入れちゃーまずいじゃろ。身請けしたんか?!」

「左近殿、公私はきちんとせぬと…」

「忠信」

 うろたえる二人の後方に、半蔵が舞い降りた。

「「「「「えええええええええええええっ!??!?!」」」」」

 その時の半蔵の様子から、二人だけでなく、未だ惚けっぱなしの片倉小十郎、酒井忠次、竹中半兵衛は目の前の色艶やかな太夫が誰なのかを察して驚愕を露にする。
 五人の忠臣に多大な精神的ダメージを与えた半蔵は、顔色一つ変えずにの元へと寄ると、何やら手渡して、それからすぐに姿を消した。

「どうしました?」

 政治的な話かと問えば、は苦笑する。
贔屓にしている団子屋が近々改装し開店するのだが、その時に配られる福袋の整理券を取って来て貰ったのだそうだ。

「そんなことさせてんですか、半蔵さんに」

「それがさ、これ言い出したのちゃんなのよ」

「あー、そういうの好きそうですもんねぇ…あのお嬢さん」

「城下の御忍び視察も兼ねて、私が行って来るよって言ったんだけどね。きっと天井裏で聞いてて責任感じたのかも」

「あの人も大変ですなぁ」

 の口をついて出た名前に、皆して同じ感想を抱いた。

「でもさ、それだけちゃんのことが大切って事だよね。素敵な夫婦だよね」

 受け取った整理券を帯へと挟んでしまい、は視線だけで天井を見上げて目礼した。

「正直、たまにいいなーって、ああいう結婚ってすごーく幸せなんだろうなーって思うよ?」

 無言になった男共の間を妻帯者である長政の声が過ぎる。

「我が君、その姿でその台詞は酷ですよ」

「え、そ、そう?」

「ええ、酷です」

 長政の声に気が付いてゆっくりと体を動かして振り返った。
そこには頬を僅かに紅潮させた状態の幸村、兼続、政宗の姿があった。
皆、無意識の内について来てしまったらしい。実に悲しきは男の性だ。

「以後、気をつけます」

「はい」

 彼ら三人と共にいた長政のいわんとしていることを、は漠然とではあるが把握した。

「ン? どうしたい、皆で集まって」

 そこへ艶やかなに負けず劣らずの派手な装いの男、前田慶次が顔を出した。
彼は騒ぎの中心が誰であるのかをすぐに読み取ると、そこに佇む太夫の前へと進み出て来た。
身を屈めて、顔をまじまじと見る。
 周囲は彼がどのような反応をするのかが楽しみで仕方がないらしく黙ったままだ。

「んー、いいねぇ……やっぱり、さんは何を着ても綺麗だ。
 さんが遊郭にいたら、この前田慶次、全てを投げ打ってでも身請けするんだけどねぇ」

 あっさり誰なのかを見抜いた慶次に周囲は驚いた。
だが慶次がをどのように思っているのかを考えれば、この男ならばそれくらいは当たり前なのかもしれないと、納得する。
 そして見抜かれたはというと、苦笑した。

「やっぱり慶次さんにはバレバレかー」

「俺は、本質しか見ないからね」

 豪快に笑い、何時ものようにの頭を撫でようと上げた大きな掌。それを慶次はすぐに降ろした。

「折角の髪が崩れちゃ勿体無いね」

 代わりとばかりにの手を取ってぽむぽむと撫でる。は嬉しそうに微笑む。

「じゃ、そろそろ、大将首取りに行きますか」

「うんっ!! 頑張るっ!!」

 左近の言葉で俄然鼻息が荒くなったを見て、周囲は、何故がこのような姿になったのかを悟った。
そう、全ては、彼の為。
動機には甘さなど一片も含まれてはいないのだろうが、これだけは言える。
静にあったものが動へと移り変わったのは、彼の言葉があったからこそだ。

「健闘を祈るぜ」

 そう言いながら三成の詰める書庫へと歩き出したの後を慶次達はついてくる。
左近は顔を顰めて慶次を含めた背後に続く面々を見やった。

「あんた方がついてきたら、すぐにばれるでしょうが」

「そう言うなよ、あの三成がどう反応するのか、見物じゃないか」

「まぁ、気持ちは分かるんですけどね…姫の思いも察して下さいよ。状況から突き崩されたら意味ないでしょうが」

 左近の鮮やかなフォローが上手く決まって、大多数が追随を諦めた。

「結局、あんたはついてくるんですね」

「おうよ、三成が変な気起こしたら誰が止めるね?」

 のしのしと闊歩する慶次の一言を「そんな事はない」とは言えないのは、自分にもそうした欲が働いているからだ。

「それもそうかもね、またあの扇で張り倒されたりしたら、折角の髪の毛がぐしゃぐしゃになっちゃうもの」

「そういう意味じゃないんだが」

 苦笑した慶次と左近の思いを他所に、は歩みを進め、ついに書庫の前へと立った。

「殿、ちょっといいですか」

「なんだ? 手早く済ませろ」

 書棚の前に立つ三成を左近が呼ぶ。
振り返ることすらせずに言葉だけで対応する三成に、左近はいかにも殿らしいと苦笑する。

「いやね、姫が」

 の名を出せば、彼は広げていた書物を閉じて振り返った。
瞬間、目に入ったのは色艶やかな太夫。

「………」

 どんな反応をするかと左近と慶次が気を揉む中、三成は怪訝な顔をして眉を動かすと太夫から視線を外した。

「で、あいつがどうした?」

「えっ、無視?!」

 思わずが口を開けば、三成が視線を戻す。
声で気が付いたらしい三成の前で失敗したとばかりに口元を抑えれば、彼は眉間に深い皺を刻む。

「…もしかして……もしかするのか?」

「分からなかった?」

「分からんな、戯れに太夫ごっこか。本当に脳に蜘蛛の巣でも張っているんじゃないのか?」

 期待に満ちた眼差しを向けるへの三成の感想は、感動でもなければ驚愕でもなかった。

「ちょ、と、殿!!」

 冷や汗を流す左近と呆れる慶次を無視して、三成はの前へと進み出ると迷わずに顎をしゃくった。

「で、一晩いくらだ?」

 カッ! と来て、掌が出た。
三成が軽々と避ければ、バランスを崩したが倒れそうになる。
そこを受け止めて、三成は真っ直ぐにの目を見る。

「太夫になるなら、それくらいの気合を見せろ」

「……っく〜!!」

 悔しさに顔を歪めるを左近へと返して、三成は再び背を向けた。

「左近、くだらない遊びを教えるな」

「そうします」

 ご覧の通り、の目論見は三成の前では惨敗だった。

 

 

 翌日、は膨れっ面で床の上へと寝そべっていた。
一目置かせたい。それが出来なかったとしても、せめて認識は改めさせたいと鼻息荒く挑んだが、結果は散々だった。
周囲はそれなりに褒めてくれたし、驚いてもいた。それだけを考えれば充分面白かった。
けれども本来の目的は全く果たされてはいない。

「…ったく…あいつ、きっとナルシストなんだろうな…」

「誰がなんだって?」

 視線だけを動かして声のした方を見上げれば、仏頂面の三成が立っていた。

「なーにー? 今日は、病欠するって言ったはずだけど…?」

「聞いた、あの時腰をやったそうだな…年か?」

「マジで謀殺してやろうか?」

 据わった目で即答すれば、三成が枕元へと腰を降ろした。

「…先に言っておく。俺に謝る気は微塵もない」

「ハァ?」

 よくよく聞けば、機嫌を損ねただけではなく彼の一言がきっかけでが腰を痛めたと知った諸将からの、三成への風当たりは強烈だったらしい。

「朝から延々秀吉様、左近、兼続に説教をくらい、幸村には陰鬱な愚痴を聞かされた。
 慶次には鍛錬と称したケンカを吹っかけられるし、政宗には異常な量の仕事を押し付けられる。
 浅井、服部、両夫婦に至っては完全無視だ。挙句、さっき家康に泣き落とされた」

「………あんたさ、本当はものすごいバカでしょ?」

 呆れて言えば、三成の顔面に刻まれた皺が一層深くなった。

「言っておくけど、私は誰かにそうしてくれなんて一言も言ってないかんね。だからそれは自業自得」

「知ってる」

「じゃ、何よ? 謝るつもりもないのに、なんで来たの」

 妙な捻り方をしたせいで、ただでさえ動くのが辛い。
これ以上妙な負担はかけないで欲しいと切に願う。

「誤解を解くために来た」

 視線で真意を問えば、三成は言い難そうに顔を顰め続ける。
言いたくもない事を口にしなくてはならないような鬱積は、彼の顔にはない。
彼は単に、人と話すことが苦手なようだ。

「太夫を美しくないと思った事はない。俺だってこの年だ、相応に世話にはなった事がある」

 突然何を言い出すのかと、口をあんぐりとあければ、彼は懐から出した扇での額を軽く打った。
口元を正せと、そういう事らしい。
ぶたれるのが嫌なは彼の意図を察して大人しく従った。

「太夫が持つ美しさはそこで年輪を経た者だけが有するものだと思う。
 その姿形を真似たからとて、お前のような素人が得られるものではないだろう」

「で?」

「見惚れた者もいたそうだな」

「まぁね」

「だが忘れるな、それは斬新だっだけのことだ。真に見惚れた訳ではあるまい」

「あのさぁ…ケンカ売りに来てる? もしかして…」

 ひくひくと蟀谷に血管を浮き上がらせれば、三成は首を横へと振った。

「違う、俺はただ」

「ただ、何よ?!」

 苛立ちのまま語尾を強めれば、三成は多少困ったような顔をした。

「俺の言葉のせいで、お前がくだらん遊びを始めた事は理解した。それについては悔いていると言いに来た」

 が吊り上げた眉から力を抜いた。そのまま三成の言葉に耳を傾ける。

「その…なんだ、お前の美しさは夜とは無縁だ。君主でもあるのだし」

 一言余計だと思いつつ、更に先を待った。

「それに…あんな毒々しい赤は、お前にはきっと似合わない」

「じゃ何色ならいいのよ?」

「そうだな、若草、薄紅、空色なんかどうだ?」

 突っ込んだつもりが真顔で返されて、の方が言葉に詰まった。
 ここに来て、は初めて気が付いた。
彼の言葉を借りるなら、自分の美的センスは良くないという。
けれどもそう指摘した彼自身は、対人センスが壊滅的なのだ。
そうと分かってしまえば、張り合うのは馬鹿馬鹿しくて、は深い溜息を吐いた。

「どうした?」

「いや、いい。よく分かったから」

「本当か?」

「うん、きっと私の美的センスと、三成の対人スキルは同じなのよね」

「何?」

「つまり、両方"短所"ってこと」

 シッシッと手を振って三成を追い出しながら、は独白した。

「早く治るといいね。そうと分かったんだから、ちょっとは努力しなくちゃね」

「癖はそう簡単には治らないといういうぞ。心してかかることだな」

 つっけんどんな声色で残された一言には思わず噴出した。

「お互い様でしょ」

 一先ず、今回の攻防は引き分けという形で決着したようだ。

 

 

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主従の仁義なき戦いは、言葉の暴力vsある種の人海戦術。
この戦いの結末は次章三成陥落で決着か? 乞うご期待! とか言ってみる。(笑) (08.04.27up)