癖はそう簡単には治らない

 

 

「そうか……そこ突かれると、確かに痛いねぇ」

「でも……私は様のお仕事を素敵だと思いますよ??」

 たて終わった抹茶と菓子とをお盆に乗せて、の前へと差し出すは柔らかく微笑む。

「人を治すお仕事は、とても尊いものですもの」

「そんなに大それた仕事でもないけどね…実際、仕事後に磨こうと思えば磨けたんだろうしさ」

 差し出されたお茶を受け取って、茶器を三回回してから口元へと運びつつ、は眉を寄せた。

「…はーぁ…。もっと気を使ってたら、元の世界でもちゃんとした恋人の一人や二人、作れたのかなー」

 の両サイドを抑えていた慶次と左近が同時に視線を流した。

「へぇ、いなかったんだねぇ」

「んー? うん、まぁねー。でも好きな仕事して、ある程度稼げてて、そこそこ貯金があって…
 それなりに趣味とかがあるとね、別に誰かと一緒に居る必要性って感じないんだよねー」

「乾いてますなー」

「左近さん、それ、今凄く胸に痛いから」

「違いますわ、様。様の時代に、様に見合う方がいらっしゃらなかっただけですわ」

 落胆した左近にムゥと精一杯の睨みを利かせて、がフォローを続けた。
残念なことに彼女の気質で睨まれ凄まれても、可愛いばかりでなんの痛手にもならない。
左近は「すいませんね」と謝りつつも、思わず苦笑した。

ちゃん、有り難う!! 私の味方はちゃんだけよ!!」

 茶器を隣に座る慶次の手に預けてから、女の友情とばかりに二人は抱き合う。
そんな二人の頭上に、冷淡な声が降りかかった。

「フン、行かず後家とよりよい婚姻をものとした者の間に真の友情が成り立つとはな。初めて知ったよ」

「………何しにきやがった、ガリ痩せ反抗期!!」

 凄まじいあだ名だが、あながち外れてもいないと思っているようだ。左近と慶次が同時に噴出した。

「勿論、仕事ですが何か? ぐーたら君主様」

 二人の存在など端から目に入れていないのか、三成は顔色一つ変えはしなかった。
バチバチと真っ向から睨み合う三成との間にいるが混乱して叫ぶ。

「旦那さまーッ!! 三成様が、様を苛めますーッ!!」

 突然背後に現れた殺気に気がついて三成が振り返れば、天井裏から降りてきた半蔵の鋭い眼差しがあった。

「貴様……つくづく、嫁さんに弱いな」

「天邪鬼なお前に言われる筋合いはない」

 視線で笑われると、何かを見透かされたような気分になる。
三成は顔面を赤くして固まった。その間に三成の懐に入った半蔵は声を殺して言う。

「難儀なことだ。だがそれでは真意は届かぬぞ」

「貴様ッ!!」

 奥義を叩きこむ前に半蔵は消えて、三成は自分が散々に味合わせていた敗北感を噛みしめた。

「ハッ、バーカ」

 立ち上がっていたは縁側に再び腰を下ろし、慶次の掌の上から茶器を取り戻すと残りを飲んだ。

「……こい、執務だ。次の休憩はなしでやらせてもらうからな」

 三成が据わった眼差しで手を伸ばした。
襟首を掴まれたは、茶器を持ったままずるずると引き摺られて行く。

「ちょっ、離してよっ!!」

「やかましい」

 そんな二人を視線で追い苦笑する左近に、慶次は珍しく鋭い視線を向けた。

「あんた、あれでいいのかい?」

「え? どうしたんですか、急に…」

 改めて慶次を見てみれば彼はつまらなそうな表情をしていた。

「見立て違いならいいんだが、俺にはどーにも納得出来なくてねぇ」

「何がです?」

「他人に興味のない仕事人間と揶揄されるあの三成がだよ? なんでさんにばっかり、ああも構うかね」

 探るような視線を向ければ、向けられた左近も気がついていたとばかりに視線を泳がせる。

「幼稚なやり取りだが油断すりゃ足元を掬われる、そんな気がしてね」

 無言になった左近に、慶次は臆面もなく言った。

「少なくとも、今までは俺らの均衡は上手く取れてたわけだ。
 だがそれを仕事に託けて破られるってのは、どーにもこうにも、面白くはないねぇ」

「…確かに……」

「特に相手はあのさんと、三成だ。お互い妙なところで無自覚だろ。その分、厄介だぜ」

「で、俺にどうしろって言うんですか」

「別になんでもないさ。ただ俺よりあんたの方が立場的に面倒になってんじゃないかって、思っただけさ」

 その場に残された茶菓子の羊羹。それは本来ならが食べるはずだったものだ。
それへ大きな手を伸ばして取り上げると慶次は己の口元へと運んだ。

「ストーップ!!」

 どーんと、勢いをつけて慶次の背に突進して、彼の太い手首を細く美しい指先が絡めとる。
肩に柔らかい感触を覚えて視線だけで見やれば、息せき切ったの姿があった。

「それ、私の」

 慶次が自分の口元からずらしての前へと差し出せば、は躊躇うことなく彼の指から羊羹を一口ぱくついた。

「美味いかい? さん」

 こくりと頷かれて、慶次は薄く笑った。
やっぱりこの人は笑顔が一番いい。
泣き顔や怒る顔、色々と見てきたが、こうして笑っている顔が一番魅力的だ。

「おい、貴様っ!!」

 脛を蹴られたらしい三成が足を引き摺るようにして戻ってくる。
それを察知した慶次はやれやれとばかりに顔を顰めると、瞬時に強張ったの頬へと手を掛けた。

「ん?」

 三成や左近にわざわざ見えるようにして、慶次はの頬へと己の唇を寄せた。
瞬間、左近が眉を吊り上げる。

「砂糖、ついてるぜ」

「! あ、有り難う」

 もぐもぐと口を動かしていたが掌で口元を隠して礼を言う。
すると先程以上の怒りを身に纏った三成が、彼女の手からもぎ取った茶器を床へと叩きつけるようにして置いた。
続いての首へと己の腕を絡める。

「もういいな、いいはずだ。行くぞ!!」

「んーっ!! まだ、残りが〜!!」

 ようやく羊羹を飲み込んだのか、は悲哀に満ちた声を上げた。
善戦虚しくそのまま連れ攫われてゆくを眺め、慶次は自分の手の中に残った羊羹の食いさしを、そのまま己の口へと放り込んだ。

「…ほらな、ありゃやっぱ、敵だぜ」

「……そうみたいですねぇ。ただ…あんたが今したことをそれで許容する気にはなりませんがね」

「おいおい、たかが羊羹の食いさしだろ? あんた何時からそんなに余裕が無くなったんだ」

「なくなるさ、生憎こっちも遊びじゃないんでね」

 

 

「えっ?! 本当の本当に行くんですか?!」

「行くわよ、悪い?!」

 夕過ぎの執務を終えて一服している左近の元へと現れたは、全身に凄まじい気迫を纏っていた。

「左近さんが連れてってくれないのなら、慶次さんに頼むから別にいいんだけど」

 棘だらけの言葉に左近は背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じた。

「姫?」

「あの野郎……小姑かっつーの!! 筆の持ち方から上げ下げまで文句言うのよ?!」

「は、はぁ…」

「そんなに気に入らないなら、書面は全部お前が作れっつーの!!」

 どうやらと三成は執務の間中冷戦を繰り広げていたようだ。
人間関係の形成面に問題の多い三成の事だから、屈折した愛情表現なのかもしれないが、これはまずい。
ここまで相手を刺激してしまっては、余計な諍いの種にしかならないだろう。
ライバルに塩を送るつもりはないが、かといって板挟みも遠慮したい左近は、全く困ったものだと、深い溜息とともに肩を落とさざるえない。

「とにかく、今日、今すぐ、遊郭へ行くから!!」

「姫はそのままでも充分魅力的ですよ」

「有り難う、でも左近さんに言ってもらっても全然嬉しくないから!!」

「…それは、どういう意味です?」

 即答、即否定に、多少なりとも傷ついた。
ほんの少し声に固さを含ませて問いかければ、眼前で仁王立ちのは、己の拳を思い切り天へ向けて突き上げた。

「決まってんでしょ、あいつよっ!! あのガリ痩せ反抗期をぎゃふんと言わせてやりたいのッ!!
 私だって磨きゃそれなりだって思い知らせて、傅かせて、思い切り後悔させて、謝罪させてやりたいのよッ!!!」

 まるで戦の前の口上だと思った。

「やっぱさぁ、左近さんとか慶次さんとか幸村さんみたいに何時も良くしてくれる人に褒められてもね、
 進歩したな〜とかは全ッッッッ然、思えないわけよ。
 ここは一発、ああいう腐った根性の万年反抗期男をぎゃふんと言わせないとね!!」

 だんッ!! と音を立てて、は脇息の上に片足を乗せた。
揺れた着物の裾から、の美しい白い足が覗く。
左近はやれやれと目頭を抑えた。

「分かったッ?!」

 鼻息荒いまま見下ろされて頷く。
これは何をどう言ってもだめだ、聞く耳を持っていない。それに自分が意図したような懸念も心配ないらしい。
 ならば手を貸すのも悪くない。
こうして第一人者として声をかけられた事は純粋に嬉しい話だし、思い人を美しく育て上げるのも、男の一つの夢だ。
そう判じて、左近は手の中で遊ばせていた煙管を引っくり返した。
吸殻を火鉢の中に捨てて煙管を懐へとしまい、立ち上がる。

「姫、お気持ちは良く分かりました。左近が姫の願望、叶えましょう」

「有り難う!! やっぱり左近さんは話が分かるわね!!」

 満面の笑みになったの両肩に手を乗せた左近は、それからしみじみと言った。

「その前に足を降ろしませんか、足を……こういう事してるから、殿に煽られるんですよ」

 指摘されたは、それもそうかと慌てて足を降ろして崩れた着物の裾を正した。

 

 

「遊郭…行かないの?」

「身売りでもするつもりですか」 

 それから半刻後。
自室待機を言い渡されていたの元へ、左近が女中達と共に幾つかの箱を持って現れた。

「そもそも遊郭ってのは男の為の場所でしてね、色んな欲が渦巻いてる。
 いくら姫でも立ち入ったら最後、無事に出て来れませんぜ」

 持ち込んだ箱を開いて支度を始めた女中達を無視して、部屋の中央で二人は話し続けた。

「そういう…もの?」

「そういうもんです。それに姫はそこで姐さん方相手にどうするつもりです?」

「どうって…」

「"身売り"してんですよ、彼女らはそこで。
 そのつもりもない姫がのこのこ現れて、"綺麗になりたい"って言ったら、どんな気がするでしょうな」

 左近が暗に言わんとしていることを悟り、は顔を強張らせた。

「遊郭は確かに男にとっちゃ夢の園です。けどね、商品だからこそ着飾ってるだけだ。
 本当の美しさなんぞは夜の街にはありはしないんですよ」

 の前へと腰を降ろして、左近は己の膝を軽く打った。

「ですから、花魁ごっこは城で、左近がお付き合いしましょう」

 「まずは風呂だ」と左近が言えば、女中達が意気消沈しているの事をとっ捕まえた。

「えっ?! えっ?!」

「化粧のりが変わりますからね、まず、一風呂行って来て下さい」

「ちょ、さ、左近さん〜!?」

 悩む間もなく風呂場へと連れ込まれて、自分一人で入る時以上に手間隙をかけて、全身をくまなく手入れされた。
それだけでも疲れたのに、それは前哨戦にすぎなかった。
湯当たりでもしそうな長湯を経て戻った室には色とりどりの着物と帯、そして化粧道具が用意されていた。

「さ、始めますか」

 煙管で一服やっていた左近が、の姿を認めて煙管をしまう。
口の端で笑った彼の一言に、本戦はこれからなのだと、ぞっとした。
身を竦ませているの前へと左近は進み出て、そのまま手を取った。

「姫はじっとしてれば、それでいいんですよ。全て左近にお任せあれ」

「う、うん…宜しくお願いします」

 促されるまま部屋の中央へと腰を降ろした。両の瞼を閉じてなすがままに身を任せる。 

「左近さん…本当にこれでいいの?」

「ええ、充分です」

 女中達がしてくれるのかと思ったら、それは間違いだったようで。
左近が髪結いから化粧まで、一手に施してくれた。

鏡を見ていないから自分がどのように変化して行ってるのかがいまいち分からない。それだけに不安が募る。
 左近の手が休む事はなく、最初騒ぎ立てていた女中達も今ではすっかり言葉を失っている。
髪を結っている時は櫛がどうだの、やれどの簪がいいだのなんだのと騒ぎ立てていたのに、化粧に入った途端、湧き上がっていた声がなくなった。

『何、私って、今そんなに酷い?』

 居心地の悪さを感じて、顔を微かに引けば、左近に指先で顎をしゃくられた。

「姫、動いちゃだめですよ。白粉が偏る」

「う、うん、ごめんね」

「それから、襟足と肩まで塗りますから、少し肌襦袢ずらしますぜ」

「う、うん」

 胸元を隠すように両手で抑えたら、肩、襟足を露にされた。
キャミソールや水着でこれくらいの露出なら慣れていたはずなのに、いざこうして左近の手で肌を露にさせられると
羞恥心が込み上げた。

『初々しい反応だねぇ』

 ぷるぷると震え、ほんの少し目尻に涙が浮かぶ。
そんなの横顔を見ながら左近は「役得だ」と密かに笑う。

「…様は本当にお肌がお綺麗ですねぇ…」

「え?」

 女中の一人が漏らした一言に驚いて閉じていた瞼を開いた。

「新陳代謝がいいんだろうな、化粧乗りが断然違う」

 左近の言葉に身に覚えはあるとは頷いた。
こちらの時代に来てからというもの、他人に対してなかなか出来ない指圧を自分に対してやるようになっていた。
自分の体が相手な分出来る事は限られてくる。だがやらないよりはやってい方がいいに決まっているわけで、健康状態の向上と新陳代謝にかけてはそこそこ自信があった。
 その辺を思い描きながら自分の腕を示した。
そのままどこのツボを押すとどこに効くと言えば、手伝いに来ていた女中達が興味津々とばかりに耳を傾ける。
その状態が心地よく、また懐かしくて、は女中集相手の健康相談を請け負い始めてしまった。

「こら、姫、顔は動かしちゃだめですよ」

「あ、う、うん。ごめんね」

 ついつい癖で相手の顔を見ようと頭を動かしてしまう。
その度に左近に叱られて、正面に顔を戻した。
白粉の乾き具合を見てから、ずらしていた肌襦袢を元に戻した。

「そういえばさ」

「はい? なんです??」

「左近さんって、どうしてこういう事まで出来ちゃうの?」

「あー、まぁ、年ですからねぇ」

「そういうもの?」

「ええ、まぁ」

 言葉を濁す左近の顔はバツが悪そうに微かに引き攣っていた。
"年"で誤魔化した事情の裏にある現実は、とどのつまりただの遊廓慣れだ。
全てはに出会う前に重ね続けた遊びの話だ。
けれども、そこを彼女には悟られたくはないと思った。
これこそが"遊び"と"本気"の違いが現れた男心というやつだ。
 あまり巧いとは言い難い誤魔化しをしつつも、左近の手は慣れた手つきでの事をどんどん彩って行く。

「じゃ、そろそろ紅入れますね」

「はーい」

 小指を使って下唇からゆっくりと朱が引かれた。
図らずも顔をしゃくり上げられて、視線は伏せ目がち。
髪結い、化粧と続いているから体を覆うのは肌襦袢に一枚重ねた程度だ。

『参ったね、まるで誘われてるようだ』

 左近は内心で舌打ちした。
花魁ごっこと口先で言ってみものの、女として覚醒して行くを見ていれば、遊びでは済ませたくなくなってくる。
このまま着飾って、終わったらその後は、閉じ込めて奪い去る。
が見せている変貌は、男なら誰もがそう考えたくなるような脅威の変貌だ。
いや、もしかしたらこれは元々彼女が内包していた一面に過ぎないのかもしれない。
ただその存在を、彼女自身が全く自覚していなかっただけ。
それだけに今の今まで表には出てこなかっただけなのではないか。

「素材がいいってのは、時として怖いね」

「え?」

 独白すれば、すぐにされる返事。それに「ああ、この人の本質は何も変わってはいない」と安堵する。
装いがそうさせる場合があるにせよ、これだけ艶めいた姿をさせて、そこに酔いしれて。
本来の自我を失い快楽の淵へと身を堕とされては、多少なりとも幻滅だ。

「いいや、こっちの話です。じゃ、そろそろ着物を選びましょうか?」

「うん」

「普段より重くなりますからね、覚悟して下さい」

「は、はい…」

 言い出したのは自分だ、今更嫌とは言えない。は苦笑いと共に「お手柔らかに」と言った。

「では様、失礼致しますね」

 流石に着物の着付けは女中達の仕事だったようで、次から次へと衣を重ねられた。
増える重量。厚みを増して行く羽衣。
風呂上りだった事もあり、どうしたって体は火照る。
その為か、ただでさえ艶めいた表情が更に艶を増した。

『おいおい、こりゃまた一体どういうことだ』

 全ての着付けを終えた時。
そこにいたのは明朗快活な家城主・ではなく、妖艶な太夫だった。
話すのも苦しいと表情で訴えるは、あまりにも扇情的だ。
 「重い、苦しい」と言っているのに、情けないことに男の脳はそれを「脱がしてくれ」と勝手に変換してしまう。

「左近さん、これまだ何か羽織らなきゃだめ? もう限界なんだけど」

「い、いや…今ので最後ですよ。じゃ、行きますか?」

「へ? 行くって、どこへ??」

「何、折角なんだ、お披露目ですよ」

 

 

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