暗殺者

 

 

 松風が先を急ぎ、裏路地を駆け続けた。
騒ぎの中心となっているのは中央通りだ。ならばそこを避けて進む方が得策のはず。
そう判じて駆けていたはずなのに、倒壊した家屋で塞がれる路地を回避する内に、再び中央通りへと戻ってしまった。

この流れでここに辿りつく事が偶然であるはずがない。松風を駆る慶次の顔が聊か強張った。

「その通りだ、慶次。逃がさないぜ」

 屋根や物陰から現れた多くの兵の中心に立つのは孫市だ。

さん、頭を低くするんだ。松風にしがみつけ」

 言われるまま上半身を倒せば、慶次は咆哮した。

「前田慶次の大傾奇、ここに見よ!!」

 気圧されする兵の中にあって、孫市は常に冷静だった。

「生憎、お前と直にやり合う程バカじゃない」

 孫市の指揮で、構えられた銃口が慶次へと向く。
松風が落ち着きなく蹄をその場で踏み鳴らす。緊張の一瞬だ。

「それはこっちも同じじゃ!! お前さんを見逃すほどわしゃ抜けちゃーおらんのさ!!」

「遠き世のため、今ここにお主を絶つ」

 そこへ、秀吉、家康が率いる徳川豊臣連合が崩れた家屋を踏み越えて雪崩れ込んで来た。

「な、秀吉! お前、いい加減引けよ、いくら女好きだからって…」

「黙れ、孫市!! わしゃ、ただ救いたいだけじゃ!! 
 様の手は皆に平等に笑みを与える、だから様にも笑ってて欲しい、それだけじゃ!!
 普通に、ありじゃろ?」

「ったく…お前は…」

 じりじりと距離を量る両軍の間に、再度風魔が現れる。

「その必要はない……今のあの女に……そのような価値はない…」

「お前さんになくてもこっちには大有りだ!!」

 慶次が松風から飛び降りると同時に、松風が駆け出した。
を乗せたままの松風は、雑賀衆で構成された人垣を飛び越えて一路城を目指した。
走り出した慶次は一直線に風魔の元へ。
 それが合図になったかのように、雑賀と豊臣徳川連合のぶつかり合いも幕を切って落とした。

「孫市、仕事ちゅーたな。どうじゃ、こっちに寝返らんか?」

「あ?!」

「お前の事じゃ、膝は折っとらんのじゃろ?」

「まぁな」

 何度となく打ち合って、息もつかせぬ攻防を交わしながら二人は話す。

「うちの姫様は可愛いし、器量もいいぞ」

「どうゆう勧誘方法だよ、それ?」

「本当の事を言うたまでじゃ!!」

 二人は互いに押し合って距離をとった。
次の瞬間、飛び道具独特の間合いを量ろうとする孫市の顔が歪んだ。

「せぇいっ!!」

 家康の筒槍から放たれた砲弾が孫市目掛けて飛んできたのだ。

「それ、有りかよ?!」

 距離を詰めれば秀吉が、距離をとれば家康が待ちうける。

「敏いお前ならもう分かるじゃろ? 分が悪いぞ、孫市」

「下るならば、よし!! さもなくば、ここでお主を撃つ!!」

「下れって…お前もそれ言うのか?! 第一俺は暗殺企てたんだぜ?!」

 秀吉と家康は同時に突進して殴りかかりながら、叫んだ。

「安心せい、様は気にせん!!」

「安心されよ、様は懐が深いのだ!!」

「だぁーーーーー!! なんだよ、もう!! お前ら、マジで怖いよ!! なんなんだ、本当…!!」

 二人がかりの体重を押し返せるはずもなく、ひっくり返った孫市の顔に、人影がかぶさった。
何事かと視線を上げれば、そこには三人の武者の姿があった。

「…遠慮しないで下さいよ…」

「下る必要はないぞ、今ここで……俺が息の根を止めてやる」

「…孫市殿……お覚悟を」

 左近、三成、幸村だった。
彼ら三人の顔は火計による煤で汚れ、体は雑賀衆の銃撃を受けてボロボロだった。
だが士気には一切の衰えはなく、眼差しにも尋常じゃない怒りと敵意を含んでいた。

「あ……え…」

「孫市、はよう決断せい。そろそろ城を鎮圧した長政と街路を鎮圧した政宗と兼続が来るぞ」

「…分かった、下る!! 下るよ、それでいいだろっ!!」

 秀吉の呟きに背筋の凍る思いをしたのか、孫市はついに自分の銃を放り出した。

 

 

 雑賀衆を退けたのも束の間、面倒の火種はまだもう一つ残っていた。無論、風魔だ。
彼と慶次の一騎打ちは何十回切り結んでも決着を迎える事はなかった。

「今回という今回はお前さんを仕留めるぜ」

「珍しく、ご執心か? 傾奇者が」

「ああ、悪いかい? 惚れてるさ、これ以上はないくらいにな」

 「だからこそお前の行動は許せない」とばかりに慶次が鉾を奮う。
二人の攻防を見ていた三成、幸村、左近の顔に緊張が走る。
 鍔迫り合いをしている二人の元へ、ぱかぽこと蹄の音が近付ついてきた。
見守るしかない一同の元へと戻ってきたのは松風で、そこにはまだの姿があった。
の乗る松風の傍には、城内の騒ぎを鎮圧した長政の姿がある。

「雑賀殿が下ったと聞きました、我が君がそれで戻ると仰って…」

 膝を折った松風から降りたは、ぶつかり合う二人の前へと駆け出した。

「なっ!! 様!?」

 何をするのかと幸村が伸ばした手をすり抜けて、は慶次と風魔の前へと滑りこんだ。
両の瞼を閉じて両手を広げたの首には寸止めされた慶次の鉾。

「ッ!?」

 ゆっくりと閉じていた瞼を開いたが眼差しだけで訴えた。
彼女が庇ったのは、慶次ではなく風魔だった。
前のめりに傾いた体が慶次の腕の中へと倒れる。
の背には迎撃しようとしていた風魔の爪が深々と刺さって、赤い染みを作っていた。

さん?! あんた、何して…!!」

 顔面蒼白となる慶次の前で、は首を横へと振った。
それから顔を強張らせる風魔を見上げて引き攣った笑みを向けた。

「…あ……り……が……と…」

「え?」

 慶次の手を借りながら立ち上がり、は繰り返した。

「あり…が…と…う……助…けて…く…れ…」

 風魔は顔を顰めると、身を引いてその場から姿を消した。
残されたは傷だらけの家臣、一人一人に視線を送り、無理やり笑って見せた。

「…平気だよ…? もう……大丈夫……皆、ごめん…ね」

 風魔が引いた事で、風魔配下の忍も次々と姿を消し始めた。
別の場所で風魔の分身三体と切り結んでいた半蔵が、分身を全て屠ったのか、この場へと現れた。
 彼はの状態を一目見ると、状況を瞬時に判断したらしく、懐から薬をとり出した。

「向こうを向いていろ」

 淡々とそれだけ告げて、の夜着をずらす。
応急処置を受けた後、着物を元の形に戻したは、縛についた孫市の隣にいる秀吉を見た。

「わしのダチじゃ。下らせたましたわ」

 秀吉が伺うように言えば、は真意を問うように孫市を見た。
顔を顰めてその通りだと示した孫市へ手を伸ばしたは、彼の顔を三回張り倒した。

「…ちゃんの……分。私……の分………あと、皆が……迷惑した分……おしまい」

 あっけにとられる孫市にそれだけ言って、扱いは秀吉に任せるとばかりに視線を戻す。

「よかったな」

 呆気に取られている孫市の体に食い込んでいた縄が解かれた。
まだ目を丸くしている孫市の背を秀吉が叩けば、それだけで許されやがってという視線が、方々から飛んできた。

さん、城、戻ろうな」

 腫れ物にでも触れるように言って慶次がを抱き上げる。
松風へと騎乗すれば、は一瞬痛みで顔を顰めたが、やせ我慢の笑みを顔に貼り付けた。
家の中に篭もって難を逃れている人々がぞろぞろと往来に姿を現せば、は怪我を押してそれに答えた。

「…分かったか? ああいうお人なんじゃ」

「…なるほど……慶次じゃないが、惚れそうだぜ」

 三成の掌の中で、扇がぱしりっ!!と鳴った。

「秀吉様、殺していいですか」

「ほどほどにな」

 愛弟子の心を知っている秀吉は、苦笑した。

 

 

 暗殺騒動が雑賀衆の降服と言う形で一件落着し、の負った傷もさしたるものではない事が分かり、皆が胸を撫で下ろした夜の事。評議場に立った雑賀衆頭領・雑賀孫市は、ある事実を話した。

「何?! 毛利に北条が逃げこんだんか!?」

「ああ、前にこの城、北条の乱破が来てたんだろ? 仕事請け負う時に精巧な図面を渡されたぜ」

「それで天守閣へ侵入出来たのか」

「……ねぇ、私そこまで恨まれるような事、してるのかな?」

 気持ちの回復が体にも反映したようで、失っていた声を取り戻したは、一人暢気だった。
だとしても、あんな変貌よりはずっといいと、集った諸将の顔には安堵が浮かぶ。

「とりあえず、首謀者が分かっただけでもよしとしましょうや」

「早急に手を打たねばなるまい」

「そうですね。毛利は北条よりも強大ですし、北条の時のように内部に精通する者もいません。
 どのような対応をするにしても、気を引き締めなくては」

 一人暢気なを横に置いて、皆は話しあう。
だがなかなかいい案が浮かばず、限られた人材と経費では、これ以上の警備網を城に敷くのは困難だ。
自ずと諸将は頭を抱えてしまった。
 そんな諸将の姿を眺めながらお茶を出していたが、ぽそりと呟いた。

「…お引越し…すればいいのに…」

「引越し?」

 全員が固まり、を見る。
驚いたらしいは、この場にいる者の中で一番大きい慶次の背へと隠れた。
これで迷わずに自分の背から摘み出しでもしたら、きっと彼女は泣きながら頼もしき夫の名を呼ぶのだろう。
そうすると怒り狂った半蔵に襲い掛かられるのだろが、それはそれで面白そうだ…などと慶次が思ったのは秘密だ。
 慶次が密かに葛藤している事も露知らず、は指を打ち鳴らした。

「ああ、それいい!! この城の造りが筒抜けなら、いっそのことどっかに引っ越せばいいんじゃない?
 相手が狙うのが私である以上、私が引越しちゃえばこの城襲撃しても意味なくなるもの!!」

「はぁ…確かに手狭にはなってきていますが…」

 伊達一門、徳川一門、豊臣一門、伊賀忍衆と来て今日は雑賀衆までもがに膝を折った。
増え続ける人材の為に、確かに城は手狭になって来ている。
兵は言うに及ばず、将までもが何人かで一室を自室としてローテーションで使い回しているというのが実情だ。
突拍子もない提案のように思えるが、これが一番的確な判断なのかもしれないと、左近は大きく頷いた。
 他の面々が顔を見合わせている中、左近が近隣地図を開いて、見分する。

「徳川領、伊達領、直江領、北条領…まぁ全部"元"ですが、領地も増えましたしね。
 から指示するのではなく、これらの中央に建城するのが一番無難かもしれませんな」

「建城って、やっぱりお金かかる?」

「いや、丁度いい城があるんですよ。今は誰も使ってないんで廃屋同然なんですが…
 それを元にして再建すれば財政にも難は出ないと思いますね」

 そこで左近は地図を財務管理に長ける家康へと手渡して問いかけた。

「どうだい、これ」

「ふむふむ、ああ…ここですか。悪くない、これならどうにかなりましょう」

「三ヶ月も見りゃ、いいでしょう」

「本当? じゃ、皆でお引越しね!!」

 が瞳をきらきらと輝かせて決定したところで、ようやく安心したらしいが慶次の背から姿を現した。

「因みにお金の事は、きっと秀吉様が一ヶ月で財源削減してどうにかしてくれるから、気にしないでもいいと思うよ」

 満面の笑みのに、秀吉は目を丸くする。

「えええっ?! あのご命令はまだ生きとったんですかっ!!」

「勿論です、信じてますから頑張って下さいね」

「は、はは〜」

 虚脱とともとれる返事に、場に一気に笑いが巻き起こった。
その笑いが自然と引くのを待って、それからは家康を見た。

「…家康様、ごめんなさい…私、どうかしてた」

 の謝罪の意図を瞬時に悟って、家康は首を横へと振った。

「勿体無きお言葉よ。仕えると決めたからには、この家康、黄泉までもお供する所存。
 様、その時が来たと思うた時は、迷わず家康の命をお使い下され」

 家康は居住まいを正して作った拳を畳みへとついて頭を下げる。
その姿を見たはこくりと一度頷いて、口を開いた。

「はい、その時がきたら、お願いします。でも、安心して下さい、絶対に死なせたりはしませんから」

「心強いお言葉を頂けて家康は嬉しゅうござる」

 顔を上げてニカっと笑った家康に、も満面の笑みで答えた。

『うん、大丈夫……私には、家康公がいて、太閤様もいてくれる。きっと、どんな選択をしても、大丈夫なはずだ』

 両手で軽く頬をぺちぺちと叩いてから、は顔を上げて、全員を見て口を開いた。

「皆聞いて下さい。私頑張ります。話さなきゃいけないはずの事が沢山ある事は分かってる。
 でもまだ言えない。言う勇気もなければ、確証もない。
 納得できないことばかり言ってるのは、よく分かってる。でも…でもね、出来れば信じて待っていて下さい。
 きっときっと何時か、必ず、話すから」

 臥せっている時に既に秀吉からの提案を受けていた諸将は分かっていると無言のまま頷く。

「遠い将来であったとしても……胸に秘めてる事全てを打ち明けて、皆で笑い話に出来たらいいなって…そう思う。
 その為にも頑張るから。だから、皆これからも力を貸して下さい。宜しくお願いします」

「何を今更…」

「姫、誰も姫に幻滅してやいませんよ。姫が混乱してたのは百も承知、姫自体に原因がないとこも周知の事実だ」

「不義であるとすれば、我が君に重責を課した者であろう」

「その通りじゃ、殿は早く元気になることが先じゃ!!」

「お、珍しいこともあったもんだねぇ。犬猿の仲の二人が同意見かい?」

「慶次殿、そのような言い方をしては…」

 長政の懸念通り、兼続と政宗が睨み合う。
それを見たがわざとらしく咳払いすれば、二人は同時にそっぽを向いた。

「…もー、本当にしょうがない人達ね」

 口ではそう言いながらも柔らかい笑みを見せるの顔を見て、一同は悟った。
降りかかった火の粉は一先ず鎮火したようだ。

 

 

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一難去って、また一難。でも皆がいてくれるからこそ、乗り越えることが可能だと信じられるのだ。(08.06.20.up)