暗殺者 |
階下の評議場で今後の方針が大まかに決まった頃、天守閣では不穏な影が蠢いていた。 『ちゃん?』 突然廊下で何かが落ちるような音がした。 「!」
慌てて駆け寄り介抱しようとすれば、肩を何者かに掴まれて室内へと連れ戻された。 「へぇ…噂には聞いていたが、本当に美人だな」 聞いた事のない甘い声色に驚き、同時に困惑する。 『え…あ…だれ?』 「貴方が、さん?」
声で答える事が出来ずにこくこくと頷けば、自分を見下ろしている男は不敵に笑った。 「そうか、それは良かった。俺は雑賀孫市。折角会えて残念だが、お別れだ」 ちゃきりと音を立てて銃口を向けられて、身が竦んだ。 「何か言い残すこと、あるかい?」 問われて口を開くが、肝心の声が何一つ出てこない。 「うん? 声が出ないのか? もしかして貴方は影武者か?」 それは違うとは首を横に振った。 「まぁ、どっちでもいいか。じゃ、言い残す事がないなら、仕事に掛からせてもらうぜ」 彼の口ぶりから、はようやく自分が暗殺されかけている事を悟った。 「っ!?」 予想だにしない抵抗にあって、引き金に掛かった孫市の指先が固まる。 「お、おい…何してる?!」 細く美しい指先で懸命に銃を掴むの目には脅えから来る涙が溢れている。 「…ったく、本当に聞いた通りの変り種だなぁ…」
向けられた瞳の強さから、影武者の類ではないと汲み取って、孫市は引き金に掛けていた手をずらした。 「残念、気を抜きすぎだぜ? お嬢さん」 ゴリッと音がして、心臓の上に銃口が宛がわれる。 「!!」 「…しかしまぁ…本当に…勿体無いな……綺麗な顔、いい体だ……殺すには惜しいね」 固まったままのの頬に指先を走らせて、孫市は問い掛ける。 「なぁ、生きたいか?」 頷く事で答えたに孫市は一つの提案を持ちかけた。 「なら、を出なよ。俺と一緒に雑賀にくればいい。匿ってやるぜ」 それは出来ないと、は首を横へ振った。 「そっか、残念だが…なら仕方ないな。悪く思わないでくれ、これも仕事なんでね」 じっと目を見つめられて、冷や汗が湧き上がってきた。 「さようなら、美しい人。出来れば、微笑む貴方が見たかった」 瞬間、引き絞られた引き金。 「!?」 階下の評議室に集っていた将が顔色を変えた。 「半蔵!!」 「承知」 半蔵が一足早く姿を消し、各将が各々の武器を手に立ち上がった。 「なっ?! 風魔?!」 「ありゃ、孫市?! 孫市じゃないかっ!! 何してんじゃ?!」 「あ? 秀吉?! マジかよ!?」 片膝をついてを抱え、銃を構えたままの孫市が秀吉へと意識を移す。 「あっ!! 待て、こらっ!!」 追随しようとする孫市の横を慶次、幸村、政宗、兼続が駆け抜ける。 「さん!!」 「待てっ!!」 「風魔!! 貴様、性懲りもなくっ!!」 「義によりて成敗する!!」 その場に残された孫市を囲うのは、三成、左近、秀吉、家康だ。 「…事情を、聞かせてもらおうか」 寸分の容赦もしないという体の三成の前で、孫市は両手を上げた。 「「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」」 風魔の声に艶やかな声が重なった。追随班に合流した半蔵だ。 「悪いな、秀吉。これも仕事だ」
孫市は自分を取り囲む面々が現れた風魔忍軍に意識を向けると、すかさずその隙を突いた。 「ッチ、小賢しい真似を!!」 「悪いね、男に囲まれてどうこうってのは趣味じゃない。それに仕事最優先だ」 三成が気がつくも時は既に遅く、孫市は自身の周囲に張った煙幕を巧みに利用して天守閣の外へと躍り出た。 「三成、左近は乱破に当たるんじゃ!! わしと家康殿で孫市を追う!!」 「ハッ!!」 「承った!!」 騒乱の舞台ははあっという間に城内から城下町へと移り変わった。 「くっ…!! このままでは…!!」 「兼続さんと政宗さんは伊達一門を従え、民を誘導して下さい!! 左近の声が上がり、風魔の分身と切り結んでいた兼続、政宗が舌打ちしながら身を引いた。 「後は任せたぞ、三成、左近!!」 兼続と政宗が指揮した兵が逃げ惑う民の誘導を開始する。 「どうした? 何時もの威勢は」 囁くように問われて、は顔を色を変えた。 「我がうぬを救った事が不思議か?」 瞬きする事で答えれば、風魔は笑う。 「…うぬの生は、面白い……もっと足掻け。もっともっと我を楽しませろ」 眉を寄せて振り上げた腕で風魔の頭をぽかりと一撃叩いた。 「…弱くなったものよ……何時からうぬはそんなにしおらしくなった?」 火の見櫓へと駆け上がって、そこで風魔はのことを肩から降ろした。 「……うぬがうぬでなければ……何事もなせぬというのに……目が曇ったか? …詰まらんな」 風魔は冷淡に笑う。 「…興が醒めた……今のうぬには……なんの価値もない…」 風魔の中に湧き上がった殺意を感じ取って、は思わず瞼を閉じた。 「貰ったぜ」
驚いて閉じていた瞼を開けば、風魔の眉間に吸い込まれるように銃弾が飛ぶのを見た。撃ったのは勿論孫市だ。 「ッ!!」 撃たれた風魔が風に溶ける。 「ふぅ…なんとか間に合ったねぇ」 「…ッチ、余計な事を…」 火の見櫓から長屋の屋根へ向かい飛び降りた孫市が、配下を伴いへ向って進撃を開始する。 「くっ…卑怯な真似を!! 雑賀衆は私にお任せ下さい!!」 火計に乗じて進軍しようとする雑賀衆を阻もうと幸村が駆ける。 「行け、左近!! 貴様らは消火に回れ!! 敵につけ入らせるな!!」 「全く、人使いの荒い…」 そう漏らしながらも、左近の目には百鬼とも思える闘志が宿る。 「まぁ、どっちにしても…姫を嬲った礼は、雑賀にしろ乱破にしろ、受けてもらいますがね!!」
進軍しだした左近は破竹の勢いで、雑賀衆や風魔忍者で太刀打ち出来るものではなかった。 「さん、大丈夫かい?」 慶次は火にいきり立つ松風を、巧みな手綱捌きで宥めた。 「城へ戻してやるから、しばらく我慢するんだぜ。何、今頃城は長政とお市さんが鎮圧してるさ」 救われはしたものの今度こそ本当に死ぬのかと思ったと、は全身で怯えを示す。 「姫様をお守りしろ!! わしらの姫様を守るんじゃ!!」 「姫様には指一本触れさせねぇ!! わしらの気合を見せるんじゃっ!!」 何時の間にか、町民が義兵として参戦して街の防衛の一端を担っていた。 「…?」 驚いて顔を上げたに対して、松風を操りながら慶次は言う。 「見えてるかい? さん。これがあんたが努力して築いたもんの結果だ」 が慶次を見上げれば、慶次は大らかな眼差しと共に強く頷いた。 「こんな事でもなきゃ、目には見えない。けどな、皆々さんを信じてる。大事にしてるんだぜ」 慶次の声が胸に染み渡って、胸を熱くした。 「さんは一人じゃない、俺らがついてる」 「…けい……さ……あ…り……とぅ」 ひゅうひゅうと繰り返されていた呼吸と嗚咽に、ほんの少しづつ、声が混じり始めた。 「今言えない事も、何時か皆の前で笑い話にしようや。俺はそれまでずっとずっと待ってるぜ」 励まされ、慰められて、自然と胸に温かいものが込み上げて来た。 「慶次殿!! 行かれよ!!」 「ああ、頼むぜ、幸村っ!!」 預かる橋を駆け抜ける時に見た幸村の姿は満身創痍。 「悔い改めよ!!」 「滅却」 松風の動きを止めようとする雑賀の銃弾を半蔵の分身や兼続の札が止める。 「三成様のご命令だ、消火を急げ!!」
東の橋の前から動くことが出来ないはずなのに、現状をいち早く察して二次災害を引き起こさんとする火計の鎮圧に兵を差し向けたのは三成だと、水桶と共に走り回る兵の声が教えてくれた。 『皆…守ろうとしてくれる……私なんかの事……命がけで……。 三成だけではない。左近、兼続、政宗、長政、市、秀吉、そして家康。 『そうだ、どんなに辛くても…苦しくても…私は、一人じゃない……見失っちゃ、駄目なんだ…』 の心を壊したものが遠い世界で見た現実であれば、ここで今目にしているのもまた現実だ。 『皆がいてくれる…まだ私は一人じゃない…大丈夫なんだ…』 は再度慶次の服を強く掴んだ。 『光明が差してきたねぇ』 安堵したように慶次は小さく息を吐いて、城への道のりを急ぐべく、松風を急き立てた。
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