暗殺者

 

 

 階下の評議場で今後の方針が大まかに決まった頃、天守閣では不穏な影が蠢いていた。
秀吉と家康が提案した在野に伏しているとされている織田信長を探し出す任を、諜報活動に長ける伊賀忍頭領・
服部半蔵に託している間に出来た隙を突かれた形だった。

ちゃん?』

 突然廊下で何かが落ちるような音がした。
精神、肉体共に疲労が激しいと配慮されて休むことを勧められたが、到底そういう気分にはなれず、に仕事を取って来てもらったところだ。
おっとりのんびり屋のの事だから、取って来た仕事の量が手に余り、何か落としたのかも知れない。
けれどそれにしては音が小さ過ぎる気がした。
が想像するような失敗をしたとするのであれば、の口からは何らかの声が上がっているはずだ。
落胆、悲鳴、泣き声。凡そ予想のつく声が一つも上がってない。そこに嫌な予感を覚えた。
 一人部屋の中に残っていたが、床の上から立ち上がる。
純白の夜着のまま襖を引いて廊下へと出てみれば、そこに意識を奪われたが横たわっていた。

「!」

 慌てて駆け寄り介抱しようとすれば、肩を何者かに掴まれて室内へと連れ戻された。
室の中央に敷かれた布団へと突っ伏したの頭上からは、いやに含みを持たせた声がする。

「へぇ…噂には聞いていたが、本当に美人だな」

 聞いた事のない甘い声色に驚き、同時に困惑する。

『え…あ…だれ?』

「貴方が、さん?」

 声で答える事が出来ずにこくこくと頷けば、自分を見下ろしている男は不敵に笑った。
声だけでなく、目にした顔も初めて見る顔だった。

「そうか、それは良かった。俺は雑賀孫市。折角会えて残念だが、お別れだ」

 ちゃきりと音を立てて銃口を向けられて、身が竦んだ。

「何か言い残すこと、あるかい?」

 問われて口を開くが、肝心の声が何一つ出てこない。
もどかしさに顔を歪めれば、孫市は怪訝な顔をした。

「うん? 声が出ないのか? もしかして貴方は影武者か?」

 それは違うとは首を横に振った。

「まぁ、どっちでもいいか。じゃ、言い残す事がないなら、仕事に掛からせてもらうぜ」

 彼の口ぶりから、はようやく自分が暗殺されかけている事を悟った。
まだしなくてはならない事が残っている。
家康に対しても謝罪していない。
こんな所で死ぬわけには行かないと感じたは、咄嗟に向けられている銃身を掴み、筒穴に親指を捻じ込んだ。

「っ!?」

 予想だにしない抵抗にあって、引き金に掛かった孫市の指先が固まる。

「お、おい…何してる?!」

 細く美しい指先で懸命に銃を掴むの目には脅えから来る涙が溢れている。
だがそこにあるのはそれだけではない。
芯の強さを示す一筋の光が見え隠れしている気がした。

「…ったく、本当に聞いた通りの変り種だなぁ…」

 向けられた瞳の強さから、影武者の類ではないと汲み取って、孫市は引き金に掛けていた手をずらした。
それを見たが安心したように銃から手を離す。
瞬間、孫市はとの距離を詰め、再び引き金に指をかけた。

「残念、気を抜きすぎだぜ? お嬢さん」

 ゴリッと音がして、心臓の上に銃口が宛がわれる。

「!!」

「…しかしまぁ…本当に…勿体無いな……綺麗な顔、いい体だ……殺すには惜しいね」

 固まったままのの頬に指先を走らせて、孫市は問い掛ける。

「なぁ、生きたいか?」

 頷く事で答えたに孫市は一つの提案を持ちかけた。

「なら、を出なよ。俺と一緒に雑賀にくればいい。匿ってやるぜ」

 それは出来ないと、は首を横へ振った。

「そっか、残念だが…なら仕方ないな。悪く思わないでくれ、これも仕事なんでね」

 じっと目を見つめられて、冷や汗が湧き上がってきた。
孫市の目にあったのは、優しさや興味ではなかった。
彼はただ自分が殺す相手の最後を見届けようとしているだけだ。
 ひゅうひゅうと鳴るだけになってしまった口を開いて、懸命に何かを訴えかけようとするに孫市は言った。

「さようなら、美しい人。出来れば、微笑む貴方が見たかった」

 瞬間、引き絞られた引き金。
銃声が天守閣に響き渡る。

「!?」

 階下の評議室に集っていた将が顔色を変えた。

「半蔵!!」

「承知」

 半蔵が一足早く姿を消し、各将が各々の武器を手に立ち上がった。
階上に向って階段を駆け上がったところで、皆は一瞬、目を閉じた。
 流れてきたのは背筋が凍るような冷気と微風。流れの元を辿れば、それはの執務室へと続いていた。
執務室の前には書簡の束が散らばり、が横たわる。
それを目にした半蔵が全身に怒りをまとう。
彼の視線の先には、二人の男の姿がある。
片方は銃を構え、もう片方は対極に悠然と立っている。

 火を噴いた銃口から上がるのは硝煙。
悠然と立つ男の腕にはまる篭手からは、放たれた弾丸が落ちる。

「なっ?! 風魔?!」

「ありゃ、孫市?! 孫市じゃないかっ!! 何してんじゃ?!」

「あ? 秀吉?! マジかよ!?」

 片膝をついてを抱え、銃を構えたままの孫市が秀吉へと意識を移す。
それと同時に、孫市と対峙していた風魔が動いた。
風魔が繰り出した攻撃を孫市は横へと飛んで躱した。
風魔は最初からそれが目的だったのか、布団の上へ横たわったへと手を掛けると、己の肩へと担ぎ上げた。

「あっ!! 待て、こらっ!!」

 追随しようとする孫市の横を慶次、幸村、政宗、兼続が駆け抜ける。

さん!!」

「待てっ!!」

「風魔!! 貴様、性懲りもなくっ!!」

「義によりて成敗する!!」

 その場に残された孫市を囲うのは、三成、左近、秀吉、家康だ。

「…事情を、聞かせてもらおうか」

 寸分の容赦もしないという体の三成の前で、孫市は両手を上げた。
 逃げる風魔は、折角買い戻した襖を破り、部屋の中央を駆け抜けて窓を突き破った。
天守閣の屋根へと身を躍らせて、風魔はそこで印を結んだ。分身の術だ。

「「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」」

 風魔の声に艶やかな声が重なった。追随班に合流した半蔵だ。
一人が二人に、二人が四人にという速さで互いの分身は増えて、城の天守閣を中心に戦いが始まった。
風魔への加勢とばかりに、風魔の忍者軍団がどこからともなく現れる。
階下に詰めている将兵の間にも変化は伝わり、あちこちで警鐘が鳴った。

「悪いな、秀吉。これも仕事だ」

 孫市は自分を取り囲む面々が現れた風魔忍軍に意識を向けると、すかさずその隙を突いた。
素早く懐から数本の筒を取り出して底を打ち、畳の上へとばら撒く。
筒は最初に褐色の火花を放ったかと思えば、次の瞬間には大量の煙幕を発生させた。

「ッチ、小賢しい真似を!!」

「悪いね、男に囲まれてどうこうってのは趣味じゃない。それに仕事最優先だ」

 三成が気がつくも時は既に遅く、孫市は自身の周囲に張った煙幕を巧みに利用して天守閣の外へと躍り出た。

「三成、左近は乱破に当たるんじゃ!! わしと家康殿で孫市を追う!!」

「ハッ!!」

「承った!!」

 騒乱の舞台ははあっという間に城内から城下町へと移り変わった。
長屋の瓦を踏み荒らして逃げ回る風魔を追い、半蔵が暗躍する。
それを阻もうとする風魔の分身とそれを迎え撃つ半蔵の分身。
二人の忍者の戦いを支援するように始まった風魔配下の忍者軍団と家臣軍団の攻防は熾烈を極めた。
それだけでも面倒なのに、更にそこへ城下に伏していたらしい雑賀衆が大量の銃を携えて参戦してくる。
 昼日中から城城下町は、これ以上はない大混乱に陥った。

「くっ…!! このままでは…!!」

「兼続さんと政宗さんは伊達一門を従え、民を誘導して下さい!!
 城下への混乱を諌め、出る被害を防ぐのが先だ!!」

 左近の声が上がり、風魔の分身と切り結んでいた兼続、政宗が舌打ちしながら身を引いた。

「後は任せたぞ、三成、左近!!」

 兼続と政宗が指揮した兵が逃げ惑う民の誘導を開始する。
警備兵で構成された誘導班は、即興で組まれた割りによく動いた。
長政や幸村が日頃から施していた教育が良かったようだ。
彼らは二人の指示に臨機応変に対応し、城下町を奔走した。
 風魔の肩に囚われ、騒乱に満たされる町を見降ろすの反応は、この騒ぎの中にあってまだ鈍かった。

「どうした? 何時もの威勢は」

 囁くように問われて、は顔を色を変えた。

「我がうぬを救った事が不思議か?」

 瞬きする事で答えれば、風魔は笑う。

「…うぬの生は、面白い……もっと足掻け。もっともっと我を楽しませろ」

 眉を寄せて振り上げた腕で風魔の頭をぽかりと一撃叩いた。
風魔が眉を動かして、怪訝な顔をする。彼の顔には明らかな落胆と嫌悪が貼りついていた。

「…弱くなったものよ……何時からうぬはそんなにしおらしくなった?」

 火の見櫓へと駆け上がって、そこで風魔はのことを肩から降ろした。
続いて首を摘んで櫓の外へと突き出して、宙吊りにする。

「……うぬがうぬでなければ……何事もなせぬというのに……目が曇ったか? …詰まらんな」

 風魔は冷淡に笑う。

「…興が醒めた……今のうぬには……なんの価値もない…」

 風魔の中に湧き上がった殺意を感じ取って、は思わず瞼を閉じた。
瞬間、銃声が轟いた。

「貰ったぜ」

 驚いて閉じていた瞼を開けば、風魔の眉間に吸い込まれるように銃弾が飛ぶのを見た。撃ったのは勿論孫市だ。
彼は二人がいる火の見櫓の対極に立てられた火の見櫓の上で、銃を構えていた。

「ッ!!」

 撃たれた風魔が風に溶ける。
同時に宙吊りになっていたの体が傾いた。
悲鳴らしい悲鳴を上げられずに、ビル三階分の高さの火の見櫓から大地に向い真っ逆様にが落ちて行く。
彼女の頭部が大地にぶつかる寸前で、の事を太い腕が掬い上げた。
を救ったのは、松風に騎乗した慶次だった。

「ふぅ…なんとか間に合ったねぇ」

「…ッチ、余計な事を…」

 火の見櫓から長屋の屋根へ向かい飛び降りた孫市が、配下を伴いへ向って進撃を開始する。
仕事の捗り具合を懸念したのか、城下に散らばる雑賀衆があちこちに陽動の為の火を放てば、益々騒乱は大きくなった。

「くっ…卑怯な真似を!! 雑賀衆は私にお任せ下さい!!」

 火計に乗じて進軍しようとする雑賀衆を阻もうと幸村が駆ける。
彼が城下町を南北に分ける西の橋の前に陣取れば、東の橋の前には三成が陣を敷いた。

「行け、左近!! 貴様らは消火に回れ!! 敵につけ入らせるな!!」

「全く、人使いの荒い…」

 そう漏らしながらも、左近の目には百鬼とも思える闘志が宿る。

「まぁ、どっちにしても…姫を嬲った礼は、雑賀にしろ乱破にしろ、受けてもらいますがね!!」

 進軍しだした左近は破竹の勢いで、雑賀衆や風魔忍者で太刀打ち出来るものではなかった。
彼の進軍を阻んだのは、それこそ二次災害の様相を対し始めた火計の作る余波くらいなものだ。

さん、大丈夫かい?」

 慶次は火にいきり立つ松風を、巧みな手綱捌きで宥めた。
彼が懐に抱え込んだに対して温かい眼差しで問えば、はこくこくと頷いた。
慶次はそれで安堵したのか、一度強く頷くと、松風の腹を蹴った。

「城へ戻してやるから、しばらく我慢するんだぜ。何、今頃城は長政とお市さんが鎮圧してるさ」

 救われはしたものの今度こそ本当に死ぬのかと思ったと、は全身で怯えを示す。
その恐怖から逃れようとでもするかのように、は手綱を捌く慶次の太い腕に顔を埋めた。
すると、そんなの耳に思わぬ声が飛び込んで来た。

「姫様をお守りしろ!! わしらの姫様を守るんじゃ!!」

「姫様には指一本触れさせねぇ!! わしらの気合を見せるんじゃっ!!」

 何時の間にか、町民が義兵として参戦して街の防衛の一端を担っていた。

「…?」

 驚いて顔を上げたに対して、松風を操りながら慶次は言う。

「見えてるかい? さん。これがあんたが努力して築いたもんの結果だ」

 が慶次を見上げれば、慶次は大らかな眼差しと共に強く頷いた。

「こんな事でもなきゃ、目には見えない。けどな、皆々さんを信じてる。大事にしてるんだぜ」

 慶次の声が胸に染み渡って、胸を熱くした。

さんは一人じゃない、俺らがついてる」

「…けい……さ……あ…り……とぅ」

 ひゅうひゅうと繰り返されていた呼吸と嗚咽に、ほんの少しづつ、声が混じり始めた。

「今言えない事も、何時か皆の前で笑い話にしようや。俺はそれまでずっとずっと待ってるぜ」

 励まされ、慰められて、自然と胸に温かいものが込み上げて来た。
感情のまま、ぎゅう!! と両手に力を込めて慶次の服を掴めば、彼は大きな掌で頭を撫でて答える。

「慶次殿!! 行かれよ!!」

「ああ、頼むぜ、幸村っ!!」

 預かる橋を駆け抜ける時に見た幸村の姿は満身創痍。
時間差で襲い来る銃弾に単騎で槍を奮い、対抗している。
槍と銃では、結果は分かり切っているはずなのに、それでも彼は一歩たりとも引こうとはしていない。

「悔い改めよ!!」

「滅却」

 松風の動きを止めようとする雑賀の銃弾を半蔵の分身や兼続の札が止める。

「三成様のご命令だ、消火を急げ!!」

 東の橋の前から動くことが出来ないはずなのに、現状をいち早く察して二次災害を引き起こさんとする火計の鎮圧に兵を差し向けたのは三成だと、水桶と共に走り回る兵の声が教えてくれた。
その分自分の分担がきつくなると分かっているはずなのに、彼は迷うことなくその選択をした。

『皆…守ろうとしてくれる……私なんかの事……命がけで……。
 なのに私は…………私は一体、何をしてるんだろう? ………何を迷って、焦っていたんだろう……。
 …皆、こんなにも、支えてくれてるのに……』

 三成だけではない。左近、兼続、政宗、長政、市、秀吉、そして家康。
名だたる将兵だけではなく、民に至るまで、皆がを思い、懸命に守ろうとしている。

『そうだ、どんなに辛くても…苦しくても…私は、一人じゃない……見失っちゃ、駄目なんだ…』

 の心を壊したものが遠い世界で見た現実であれば、ここで今目にしているのもまた現実だ。
あまりにも大きな衝撃だっただけに心は打ちのめされて、何もかもを見失いかけた。
けれども、こうして皆の思いを目にして肌で感じれば、自ずと見失っていた光が見えてくる。

『皆がいてくれる…まだ私は一人じゃない…大丈夫なんだ…』

 は再度慶次の服を強く掴んだ。
慶次が視線を落とせば、の頬に一粒の涙が伝う。
けれどもその涙を零した瞳にあるのは、強く顔を上げようとする意思が見え隠れしている気がした。

『光明が差してきたねぇ』

 安堵したように慶次は小さく息を吐いて、城への道のりを急ぐべく、松風を急き立てた。

 

 

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