傍にいるということ - 三成編 |
思った以上に豪華になった酒宴をお開きにしてから数刻後、は自分の執務室に戻っていた。 「? なんだ、お前だったのか」 浮かび上がるシルエットから誰なのかを悟った三成が、溜息を吐いてから襖を大きく横へと引いた。 「ん? あ…三成」 灯篭に照らし出される漆塗りの文机の前に座していたが振り返る。 「なんかね、目が冴えちゃって……折角だから滞ってた仕事、こなしてた」 三成は一度だけ眉を動かすと返事もせずに開いていた襖を閉めた。 「入るぞ」 「あ、うん。いいよ、でもどうしたの…って、あ…お茶? 淹れてくれたの?」 「飲め」 横柄な口調でありながら、差し出されたお茶の温かさ、優雅な香りに癒される。 「有り難う。でもさ、せめてお茶受けに羊羹くらい付けてくれても…」 が「頂きます」と一人愚痴て湯呑みを傾ければ、横に座した三成の口から素っ気無い返事が飛んできた。 「深夜の甘味は太る原因だと喚いていたのはどこの誰だ?」 「…うぐっ!! ここでそれを持ち出すわけ?」 「俺の記憶が確かなら、言いだしたのは…」 「ええ、そうね。そうですよ。私ですよ。すいませんでしたね。 「悪かったな」 悪態を吐くくせに、結局は傍に居て付き合ってくれる。 「何を笑っているんだ」 「んー? 別に〜」 自分だけが分かっていればいいと、は口篭る。 『…こんな時、何と言ってやればいいのかが分からない』
常眠を貪るのが大好きな彼の想い人は、戦国の世にあって尚、彼女独自の規則正しい生活を好んだ。 『……あるはずが…ない』 つまりそれは、彼女の心が眠りを拒否するくらい張り詰めているという事。 『痛感する…俺は小さい……こんなにも無力なのか』 三成が師と仰ぎ敬愛する秀吉は"人たらし"との異名を持つ。 「三成、どうしたの?」 「何がだ」 「さっきから一人で百面相」 面と向って問われて、三成は目を見張る。 「…三成ってさ、意外と顔に出るよね」 「ハァ?」 そんな風に言われたのは初めての事で、思わず声を上げれば、は湯呑を傾けながからからと笑った。 「ほらー、今もまた眉が動いてる」 「眉くらい動く」 「そうそう。三成の場合はさ、口元よりも目元とか眉が感情を表すよね?」 が再び湯呑み持ち上げて、お茶を呑む。 「皆、そうではないのか」 「まぁ、そうなんだけど…なんていうのかな〜、三成の場合は独特なんだよねぇ」 「独特…か」 中身を空にした湯呑みが文机の上へと置かれた。 「秀吉様、左近さん、続いて私。で、その後が兼続さん」 「なんだ、それは」 「三成専用の喜怒哀楽、読み取り検定の有段者番付よ」 そんな物を密かにつけていたのかと、眉を吊り上げれば、は一人で勝手に納得し頷いていた。 「やっぱ経験の差かしらねー。あの二人には敵わないのよね。まぁ、元々勝とうとも思ってないんだけど」 「くだらんな」 「まぁまぁ、そう言わないでよ。 そう言って、二杯目の茶が入った湯呑みをは取り上げる。 『…もし、ここに居たのが…俺ではなく……秀吉様や、左近なら……重荷を軽くしてやる事が出来たのだろうか……』 何も言わない人だから。 『俺だけに…与えられるものがあればいい……俺だけに、強請ればいい……』 そう易々と叶う望みではないと知りつつ、想いは胸の奥から溢れ出た。 『…叶うはずもない夢を見ている……俺は、一体どうしてしまったのか…。 自然と二人の間には沈黙が広がった。 「三成ってさ…お茶入れるの上手いよね。 「…な、なんだ、唐突に…」 三成の声には珍しく動揺が含まれていた。 「いいじゃないよ、別に…これでも褒めてんだから」 「嫌だった?」と視線で問われて、三成はそっぽを向いた。 『…不思議な女だな…』 三成は背けた視線を戻して、の横顔を見つめた。 『…本当に、不思議な女だ…俺の事を褒めるなど…』
自覚があるのかないのかは定かではない。だがこれだけははっきりとしている。
「…なんかさ、三成の淹れたお茶飲んでると胸がほっとする…熱くなるだけじゃなくて…癒しってやつ? 「癒し…?」 まじまじと急須を見下ろす三成の前で「言葉のあやだと」は笑う。
「そう…温まるというか、安心するというか…ささくれだってたり、疲れてる心がね、スーっと解放されてくの。 「そ、そうか」 「…うん…それに…」 不快感を覚えているわけではないと理解して、三成はほんの少し安心する。 「それに…?」 「……忘れかけていた日常を思い出す…」
薄緑色の液体の中で緩やかに舞う茶葉に、自身の姿を重ねでもしたのだろうか。 「日…常…?」 無言で頷くの横顔を見て、三成の胸の中に広がっていた虚しさ、寂しさが一層色濃くなった。 「…元の世界ではね、お昼休みに皆でお茶を飲むのよ」 思い出すように瞼を閉じて、懐かしそうには語る。 「今日はお天気がいいね。あのお店に入ったアロマが良かったよ。 分からない単語ばかりだが、の顔を見ていればよく分かる。 「…懐かしいな…」 そこでは言葉を止めて、閉じていた瞼を開いた。
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