傍にいるということ - 慶次編 |
無理やり開いた酒宴はそれなりに盛大だった。 「片倉殿、片倉殿、こちらにござる」 「おお、半兵衛殿。すみませぬな」 思い思いの組に別れて杯を交わす。 「やってるねぇ」 「はい」 女の身で、更に言うならば病み上がりのに返杯の法則を強要する訳にも行かず、の周りにはお目付け役と化している三成と、彼女の代わりに返杯の法則を受けている左近の姿があった。 「どうだい、さん。一献」 「いいですね、じゃ、ちょっとだけ頂きます」 湯飲みを置いて、伏せていた朱塗りの杯を取り上げた。 「ええい!! 鬱陶しいな」 バカン!! と大きな音がして、視線を流せば、音を上げた三成が左近を殴って床へと沈めていた。 「寝てろ」 「まぁまぁ。勘弁してあげてよ、私の代わりにずっとずっと杯受けてくれてたんだしさ」 がフォローを入れれば、それすら腹立たしいと三成は眉間に皺を刻んだ。 「不愉快だ」 「もー、仕方ない人だな。…三成、ここはいいから、幸村さんや兼続さんと飲んで来ていいよ?」 気を使えば、三成はの御前に座っている慶次へと視線を流した。 「構いなさんな、俺が受けといてやるよ」 自分用に誂えた馬鹿でかい杯をちらつかせる慶次に、全ての面倒は押し付けるとばかりに三成は席を立った。 「ここで幸村さん達を無視するところが三成らしいよね」 「ああ、だが兼続達の方がほっとかないってのももう恒例だな」
予見した通りの生贄役に落ち着いた慶次は、酔いの回った諸将からの杯を受けて、また返し始める。 「なぁ、さん」 「はい?」 「後でな、松風でひとっ走りしないか」 「いいですねー、行きましょうか」 「ああ」 慶次が杯を着々と傾ける横で、もまた、本日一杯目の杯を傾けた。
宴もたけなわ。 「わー、綺麗〜!! あの時は、空を見る余裕なんて、なかったもんな〜」 松風から降りて、天を仰げば空は満点の星々で満たされていた。 「さんは星が好きなのかい?」 松風に括りつけておいた酒樽とつまみの漬物、それから杯を降ろしながら慶次が問えば、は苦笑した。 「好き嫌いの前に、私の世界では夜が夜じゃなくて……こんな風には星を見ることが出来ないの」 「へぇ、そりゃまた寂しい話だね」
「偉人さんが発明した灯りがあってね、家の中は夜でも昼のように輝いてて、外を歩くのにも苦労はないのよ。 そこで言葉を区切って草むらに腰を降ろした。 「すごいね……星ってこんなに綺麗だったんだね……こうしてると、まるで星の海を泳いでいるみたい」 遮蔽物のない空を全身で見上げれば、煌き瞬く星々が今にも降って来るような錯覚を起こす。 「あ、流れた」 一人でそうやって星を楽しんでいると、の横へと慶次が腰を降ろした。 「願掛けはしないのかい?」 視線だけで見上げれば、慶次は手酌で杯を傾け始めていた。 「掛けたいけど、流れて消える前に三回も同じ事言いきれないから」 「さんのところじゃ、三回も言うのかい。面倒なこった」 「でしょう?」 二人でからからと笑い、それからは起き上がる。 「さっきまであんなに飲んでたのに」 「さんも飲むかい? あんた、本当はかなりいける口だろう?」 「!」 ぎくりと固まったへと杯を手渡して、酒樽から酒を注いだ。 「お、やっぱりかい」 「なんで分かったの?」 「なんとなくな、空気ってやつさ」 「はー、これでもばれないようにしてたつもりなのよ? ばれると三成辺りが煩そうだから」 「ああ、確かにあの御仁は騒ぎそうだねぇ」 「だよね?」 注がれた杯を口へと運べば、慶次もまた杯を傾けた。 「そういえば、幸村さん」 「ん?」 「泣き上戸なんだね、意外だった」 思い出したように呟ければ、慶次は肩を揺らして笑った。 「ああ、豪胆に見えるけどねぇ」 「政宗さんは説教魔になっちゃうし」 「兼続は笑い上戸だしな」 「長政さんが弱くて、すぐに潰れちゃったのが、らしいけどなんか可愛かったな」 「介抱役の市が逆にザルだったしな」 次々に浮かぶ仲間達の意外な一面に、二人は自然と笑い合う。 「今日は楽しかったな〜」 「さんが天下を平らげりゃ、毎日がこうなるさ。 杯を降ろして、は視線を伏せる。 「出来るかどうかはおいとくとして……その時、慶次さんは…どうするの? きっと喧嘩も戦も出来なくなるよ?」 「そうだなぁ、そしたら、仏門にでも入るかね」 「慶次さんが?!」 「意外かい?」 こくこくと頷けば、慶次は巨体を傾けての耳元で囁いた。 「さんの作った天下じゃ、騒げないさ」 「え…?」 「俺は、あんたを護りこそすれ、あんたを泣かせるような真似、出来なくてねぇ」 体を起こした慶次の眼差しがまとう柔らかさに、は戸惑ったのか、杯を傾けつつ言う。 「……あ、有り難う。でも、なんか、まるで口説かれてるみたいで、ドギマギするよ。 「まさか」 口の端で笑う慶次はつまみに持ってきた漬物を口に運び肩を竦めた。 「ねぇ、知ってる?」 「ん?」 「昔の人はね、人の命を星で読んだんだって。この中なら、慶次さんの星はどれだろうね?」 「俺かぁ…」 「きっとね、華々しくて、大きくて、それで温かい感じの星だと思うの」 「探すかい?」 言うが早いか、慶次はの隣で寝転んだ。 「…どれかなぁ…」 「どれだろうねぇ。これだけ多いと、決めかねる…さんが決めていいぜ?」 「えー?! じ、じゃあ、出来るだけ落ちなさそうなのを…」 「落ちるねぇ…」 漬物を口に運び、器用に杯に酒を注ぎ足し、傾ける。 「だって……肝心なところで落ちたら困るもの。"死せる孔明、生ける仲達を走らす"ってね」 「お、三国志演義かい」 「知ってるの?」 思わず起き上がって慶次を見下ろせば、慶次は頷いた。 「さんが知ってるとは意外だねぇ」 慶次の眼差しは眩しいものでも見るように自然と細くなった。 「こっちの世界ではどうなってるの? 結末」 「蜀が滅んで、魏が司馬氏に食われて、呉も最後は費えた」 「…そっか、こっちでの歴史も私の世界の歴史と同じなんだね…」 しんみりと呟いたの顔を見て慶次は眉を動かした。 「思い入れでもあるのかい?」 「うん、尊敬する人がね、三国志の登場人物なの」 「劉備かい?」 「残念、ハズレ。でもなんで?」 「さんみたいな平和主義者は、ああいう御仁が好きかと思ってね」 「蜀も嫌いじゃないよ? 諸葛亮先生に憧れてるし、でも……一番好きなのは……孫仲謀なんだよね」 目を丸くした慶次の前で、は笑う。 「やっぱ意外だった?」 「ああ、だってあいつは確か関羽を殺した男だろう」
「だとしてもね、強烈に憧れて惹かれたの。あの曹操と劉備を相手に孫呉を護った人ってどんな人なんだろうって…。 「そうかい、そういう理由なら道理だな。きっとあの世で孫権も鼻が高いだろうさ」 「そうかな?」 「ああ、城主の憧れだぜ。いずれ天下人の憧れだ」 慶次の言葉には手をパタパタと振った。 「もー、大袈裟。それに気が早いよ」
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