傍にいるということ - 左近編

 

 

さんの言葉じゃないですがね、姫はこっちへ引っ越してきたんですよ」

「時空を越えた引越し? 大規模ね」

「ええ、大規模です。姫はね、ちょっと天邪鬼で、元の世界の皆さんにそれを秘密にしてるだけなんですよ。
 生きている事も、時空を越えた事もね」

「そう考えると、ちょっと気が楽かも」

 微笑んだを見て、彼女の胸の痛みがほんの少しでも和らいだことを知り安堵する。

「でしょう? 生きて時空を越える事が叶わないと言うのなら、天寿を全うすればいい。
 生き続ければ、何時かは姫がこっちに来た時のように、また元の世界へと帰る為の道も開くかもしれない。
 俺達の世界に貴方が降りたのなら、その逆だって可能なはずだ。
 希望は、必ずあります。悲嘆に暮れるばかりが、姫に与えられた人生じゃないですよ」

「…左近さん…」

「やがてその時が来た時に、友人やご家族の元へと帰ってする話の、ネタ作りだとでも思ったらどうですか。
 もっともっと気楽に生きましょう」

「それでいいと思う?」

「ええ。姫程多くのものを背負わされればそれくらいの遊び心はないとね。やってらんないでしょう」

「ふふふ、左近さんらしいな。でも信じてもらえるかな? こんな話…。
 例え出来る時が来ても「嘘だ」って言われそう」

「まぁ、驚くのは確実でしょうな。だが正否についてはご安心を。
 その時は左近がお供して、お話しさせて頂きますよ」

「ああ、なら平気かも。頼もしいね」

 そこで一息ついて、左近は自嘲的な笑みを浮かべるの耳元へと唇を寄せた。

「姫……姫はこうして生きてます。左近には姫の温もり、しっかりと伝わってますよ。
 死人であれば、温かいはずがない」

「……左近さん…」

「貴方はちゃんと生きている。俺だけじゃない、皆々、貴方が生きている事を知っている。大丈夫ですよ」

 左近の肩に額を預けるの唇が微かに震える。

「…有り難う、慰めてくれて……有り難う……私の心、軽くする為に…色々気を遣わせて…ごめんね…。
 こんな事じゃいけないはずなのに…私、君主なのに…ごめんね、弱音ばかり言ってる……」

 敏く、己に厳しい人だと、頭が下がる。
手に余るものを抱えて、沢山の悲しみと向かい合って、時に天意に打ちのめされて。
それでも尚、この人は視線を落とさずに真っ直ぐに前を見ようとする。
今はただ逃避を求める心のままに甘言に酔いしれていればいいのに、それが出来ずにちゃんと全てを見透かしている。
 美しい。何と美しく、厳しく、愚直で、不器用で、悲しい生き方なのだろう。

『参ったな…本当に……まぁ、そういう人だからこそ…この俺が惹かれて止まないんだろうが…』

 左近は込み上げてきた愛しさのままの事を一際強く抱き締めた。
止めようと思っても"支えたい"、"護りたい"という思慕の情が溢れだし、押し留める事が出来なかった。
 左近は胸に湧き上がった思いを、そのまま言葉に乗せた。
甘言では敵わない。彼女の心は動かせない。
ならば後に残る方法は、心の底から溢れだす思いをそのまま全てぶつける事くらいしかない。
幸村のような青年でもあるまいし、いい年をした自分がこうまで余裕を失い、形振りを構わなくなるというのか。
これしか方法はないのだと自覚してはいても、己の心の動きに驚嘆する。

『…何時以来かね、こんなに熱くなるのは……まぁ、天から遣わされた姫が相手じゃ、それも当り前か…』

 左近は一つ呼吸を落とし、覚悟でも決めたようにの肩を掴んで距離を作った。
不安そうに瞳を揺らすを真っ直ぐに見詰めて、口を開く。

「左近の姫は、どこまでもお強い。御見それします」

「左近さん、それ、女への褒め言葉じゃないよ?」

 詰られるわけでもなければ、幻滅されたわけでもない。
弱音を吐き過ぎただろうかと顔を強張らせていたが、安堵して再び微笑する。
すると左近は緩やかに首を横へと振った。

「違いますよ、姫。褒めてんじゃないんです」

「え?」

「何時も何時も強くあろうと、凛としていらっしゃる。
 けどね、左近はその強さの中に隠される姫の弱さが見たい。

 いや、その弱さは、左近だけに見せてほしい。
 左近だけが、支えて護りたいって…そういう話をしてるんです」

「えーと…あの、それは…その……なんか、そういう言い方だと…まるで…」

 左近の告白を受けて、の頬が朱色に染まった。次の瞬間には、照れた様に視線を伏せる。
左近はここぞとばかりに追い討ちをかけた。

「ええ、そうです。褒めてんじゃないんです、左近は今、姫を口説いてんです」

「えっ? あっ! ええっ?!」

 発せられた声からの心の動きを察した左近は、小さく喉の奥で笑った。

「今、動揺しましたね?」

「! あー、分かった!! からかったんでしょう?!」

 顔を上げて膨れっ面になったを眺める左近の視線は柔らかく、包み込むような優しさに満ちていた。

「…その方が安心するというのなら、今は甘んじて受けましょう。今だけ、の話ですけどね?」

 真剣な眼差しでそう言われて、の頬は今度こそ茹蛸のように赤くなった。
これ以上の直球はに許容出来るものでもないだろうと判じた左近は、手を変える事にした。
何時もの調子を取り戻しながら語りかける。

「まー、そういう事で、姫の傍には常に左近がいますからね。姫は安心して生きて下さいよ。
 これから先もずっとずっと生きて、生き続けて、人生を謳歌して下さい。
 姫はまだ若いんですから、こんなところで人生全てを諦めて嘆かれてちゃ困ります」

「左近さん、なんだかその言い方だとおっさんくさいよ?」

「まー、もういい年ですからねぇ」

 苦笑する左近につられてが笑う。
は無意識の内に癒しを求めるように寄り掛かった。左近はそれを自然体で受け止める。

「それにねぇ、生きてるって事はいいもんですよ。なんでも出来るって事ですからね」

「なんでも?」

「ええ、なんでもです。天下泰平を得たら、旅をしたっていいし、蹴鞠や、茶の湯に没頭したっていい。
 姫の世界では贅沢で到底出来るもんじゃない…って言っていた乗馬だって、好きなだけやれますよ?
 この世界は姫にとっては不便で手に余る世界でしょうが、この世界だからこそ出来る事も多々あります。
 それらを一つづつ網羅して、ちゃんと話の種を貯めておかなきゃな」

「そっか、そうだね」

「ええ、そうです。そうしてるうちに、自然と出来てくもんです」

 瞳を大きく瞬かせるの顔に疑問の色が浮かぶ。

「姫が欲しがってる"形"の痕跡ですよ」

「そうか…そうかもしれないね……ねぇ、例えばの話だけどね…どんな形で残せると思う?」

「そうですねぇ」

 顎を擦りながら考えたかと思うと、次の瞬間には左近は口の端を歪めて笑った。

「一番手っ取り早いのは…」

「早いのは?」

「ややを沢山産んだらどうですか」

「やや?」

「子供の事です」

「なっ!!」

 赤面したの反応を楽しむように、左近は言う。

「男の左近にゃ無理ですが、姫のような女性の特権ですよ? 
 そうさなぁ、沢山沢山子を成して、膨大な家系図を目指しましょうか」

「もー、やだっ!! そんなに産めないし、身が持たないし、何よりも相手がいないもん!!」

 照れからくるのか、が左近の肩をぽかぽかと叩けば、左近は片手での手を取った。

「望んでさえ頂ければ、左近がお手伝いしますがね?」

「なっ!! さ、左近さんのバカーッ!!」

 両手で突き飛ばそうしたものの、逆にしっかりと左近に抱え込まれて、更に顔の熱さが増した。
そんなに左近は軽い調子で言った。

「ここで左近が突き飛ばされると、姫が池に落ちますよ」

 「うー、うー」と唸りながら自分の頬を両手で隠すを両手でしっかりと抱きしめて、左近は言う。

「だからもうしばらくは大人しく、このままここでこうして、月を見ながら…実感して下さい」

「な、何を…ですか」

「左近の肌を通して、ご自身が生きているという温かさですよ」

 

 

 それからしばらくして、人肌の温かさも手伝ったのか、の意識は穏やかなまどろみの中へと溶けた。
屋根の上から見守っていた半蔵が降りてきて、左近の隣へと立つ。

「そろそろ部屋へ戻すか?」

「ですねぇ。ああ、でもそこまで俺がやりますよ」

「そうか」

「……そういや、あんたは咎めないんですね」

 一部始終を見ていたはずなのに、半蔵は自分のしている事に目くじらを立てない。
「何故だ?」と問いかければ、半蔵は淡々と答えた。

「主の望みであれば、我が関与する謂れはない」

「つまりあんたの目からは、そう見えてたって事ですか」

「そうなる」

 答えた半蔵は、の爪先へと視線を向けた。
つられて左近が視線を動かす。

「風邪を引かせぬようにな」

 それだけ言って消えた半蔵に密かに感謝した。
左近は手にしていた手拭で池の水に触れたままのの爪先についていた水滴を拭い去った。
 それから手拭いを懐にしまい、両手で眠ったままのを抱き上げて、彼女の私室へと向かう。
支度をされていた床へと横たえる時、左近は迷わず、眠っているの唇に己の唇を落とした。

「…ん」

 微かに反応を示したの頭をあやすように撫でて、安堵を与える。
違和感を覚えたはずのは、頭にもたらされた大きな掌の感覚に満足したように、再び深い眠りの中へと落ちてゆく。それをいい事に、左近が施した口付けは、唇の上だけでなくて中にまで向いた。
舌と舌を絡め、唇の感触を己の記憶に焼き付けるかのように味わう。

「…ん…ん…」

 頬を赤らめて反応を示したが目覚めてしまう前に左近は身を引いた。
名残惜しそうに唇へと指を走らせて撫でる彼の口元から深い溜息が一つだけ漏れた。

「…っ…と、おいたはこれくらいにしときますかね……止められなくなりそうだ」

 徐に起き上がり、の横たわる掛け布団の上へと自身の羽織を重ねた。
まるで所有の証を刻むかのような行為だった。

彼の性格上、茶目っ気のように見えなくもない。だが本気が垣間見える行動でもある。
この事が知れれば周囲はおよそ真意を理解する事だろう。
だが眠りに落ちたままの当人は……朝、目覚めた時にこの痕跡を見て何を思うだろうか?
 こればかりは定かではない。

「…この痕跡の真意を……少しでも早く、理解してくれるといいんですけどねぇ」

 左近の助言によって、ようやく安眠を享受出来るようになったが、左近が漏らした独白を知る事はない。
彼の溺愛する姫は、彼が与えた温もりと共に甘い砂糖菓子のような夢の中。
だとしても今はそれで充分なのだと、彼は笑い、の部屋を後にした。

 

 

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痕跡は必ずしも形である必要はない。でもそれを欲するというのならは、与える事は可能なのだ。(08.08.02.up)