傍にいるということ - 左近編 |
「さんの言葉じゃないですがね、姫はこっちへ引っ越してきたんですよ」 「時空を越えた引越し? 大規模ね」
「ええ、大規模です。姫はね、ちょっと天邪鬼で、元の世界の皆さんにそれを秘密にしてるだけなんですよ。 「そう考えると、ちょっと気が楽かも」 微笑んだを見て、彼女の胸の痛みがほんの少しでも和らいだことを知り安堵する。
「でしょう? 生きて時空を越える事が叶わないと言うのなら、天寿を全うすればいい。 「…左近さん…」
「やがてその時が来た時に、友人やご家族の元へと帰ってする話の、ネタ作りだとでも思ったらどうですか。 「それでいいと思う?」 「ええ。姫程多くのものを背負わされればそれくらいの遊び心はないとね。やってらんないでしょう」 「ふふふ、左近さんらしいな。でも信じてもらえるかな? こんな話…。 「まぁ、驚くのは確実でしょうな。だが正否についてはご安心を。 「ああ、なら平気かも。頼もしいね」 そこで一息ついて、左近は自嘲的な笑みを浮かべるの耳元へと唇を寄せた。 「姫……姫はこうして生きてます。左近には姫の温もり、しっかりと伝わってますよ。 「……左近さん…」 「貴方はちゃんと生きている。俺だけじゃない、皆々、貴方が生きている事を知っている。大丈夫ですよ」 左近の肩に額を預けるの唇が微かに震える。
「…有り難う、慰めてくれて……有り難う……私の心、軽くする為に…色々気を遣わせて…ごめんね…。 敏く、己に厳しい人だと、頭が下がる。 『参ったな…本当に……まぁ、そういう人だからこそ…この俺が惹かれて止まないんだろうが…』 左近は込み上げてきた愛しさのままの事を一際強く抱き締めた。 『…何時以来かね、こんなに熱くなるのは……まぁ、天から遣わされた姫が相手じゃ、それも当り前か…』 左近は一つ呼吸を落とし、覚悟でも決めたようにの肩を掴んで距離を作った。 「左近の姫は、どこまでもお強い。御見それします」 「左近さん、それ、女への褒め言葉じゃないよ?」 詰られるわけでもなければ、幻滅されたわけでもない。 「違いますよ、姫。褒めてんじゃないんです」 「え?」 「何時も何時も強くあろうと、凛としていらっしゃる。 「えーと…あの、それは…その……なんか、そういう言い方だと…まるで…」 左近の告白を受けて、の頬が朱色に染まった。次の瞬間には、照れた様に視線を伏せる。 「ええ、そうです。褒めてんじゃないんです、左近は今、姫を口説いてんです」 「えっ? あっ! ええっ?!」 発せられた声からの心の動きを察した左近は、小さく喉の奥で笑った。 「今、動揺しましたね?」 「! あー、分かった!! からかったんでしょう?!」 顔を上げて膨れっ面になったを眺める左近の視線は柔らかく、包み込むような優しさに満ちていた。 「…その方が安心するというのなら、今は甘んじて受けましょう。今だけ、の話ですけどね?」 真剣な眼差しでそう言われて、の頬は今度こそ茹蛸のように赤くなった。
「まー、そういう事で、姫の傍には常に左近がいますからね。姫は安心して生きて下さいよ。 「左近さん、なんだかその言い方だとおっさんくさいよ?」 「まー、もういい年ですからねぇ」 苦笑する左近につられてが笑う。 「それにねぇ、生きてるって事はいいもんですよ。なんでも出来るって事ですからね」 「なんでも?」
「ええ、なんでもです。天下泰平を得たら、旅をしたっていいし、蹴鞠や、茶の湯に没頭したっていい。 「そっか、そうだね」 「ええ、そうです。そうしてるうちに、自然と出来てくもんです」 瞳を大きく瞬かせるの顔に疑問の色が浮かぶ。 「姫が欲しがってる"形"の痕跡ですよ」 「そうか…そうかもしれないね……ねぇ、例えばの話だけどね…どんな形で残せると思う?」 「そうですねぇ」 顎を擦りながら考えたかと思うと、次の瞬間には左近は口の端を歪めて笑った。 「一番手っ取り早いのは…」 「早いのは?」 「ややを沢山産んだらどうですか」 「やや?」 「子供の事です」 「なっ!!」 赤面したの反応を楽しむように、左近は言う。 「男の左近にゃ無理ですが、姫のような女性の特権ですよ? 「もー、やだっ!! そんなに産めないし、身が持たないし、何よりも相手がいないもん!!」 照れからくるのか、が左近の肩をぽかぽかと叩けば、左近は片手での手を取った。 「望んでさえ頂ければ、左近がお手伝いしますがね?」 「なっ!! さ、左近さんのバカーッ!!」
両手で突き飛ばそうしたものの、逆にしっかりと左近に抱え込まれて、更に顔の熱さが増した。 「ここで左近が突き飛ばされると、姫が池に落ちますよ」 「うー、うー」と唸りながら自分の頬を両手で隠すを両手でしっかりと抱きしめて、左近は言う。 「だからもうしばらくは大人しく、このままここでこうして、月を見ながら…実感して下さい」 「な、何を…ですか」 「左近の肌を通して、ご自身が生きているという温かさですよ」
それからしばらくして、人肌の温かさも手伝ったのか、の意識は穏やかなまどろみの中へと溶けた。 「そろそろ部屋へ戻すか?」 「ですねぇ。ああ、でもそこまで俺がやりますよ」 「そうか」 「……そういや、あんたは咎めないんですね」
一部始終を見ていたはずなのに、半蔵は自分のしている事に目くじらを立てない。 「主の望みであれば、我が関与する謂れはない」 「つまりあんたの目からは、そう見えてたって事ですか」 「そうなる」 答えた半蔵は、の爪先へと視線を向けた。 「風邪を引かせぬようにな」 それだけ言って消えた半蔵に密かに感謝した。 「…ん」 微かに反応を示したの頭をあやすように撫でて、安堵を与える。 「…ん…ん…」 頬を赤らめて反応を示したが目覚めてしまう前に左近は身を引いた。 「…っ…と、おいたはこれくらいにしときますかね……止められなくなりそうだ」 徐に起き上がり、の横たわる掛け布団の上へと自身の羽織を重ねた。 「…この痕跡の真意を……少しでも早く、理解してくれるといいんですけどねぇ」 左近の助言によって、ようやく安眠を享受出来るようになったが、左近が漏らした独白を知る事はない。
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痕跡は必ずしも形である必要はない。でもそれを欲するというのならは、与える事は可能なのだ。(08.08.02.up) |