暗闇の中で見つけた恋 - 三成編

 

 

「…ん…」

「目覚めたか」

「あ、三成…? 私、どれくらい寝てた?」

「さぁな…知るか」

「もう、相変わらず素っ気無いんだから…」

 抱き、抱かれたままで交わす会話に、互いにほんの少し安堵した。
どちらかが寝た状況は、静寂を呼ぶ。
このような場所、現状で得る静寂がどれ程虚しく恐ろしいものなのか、二人は身をもって思い知ったのだから尚更だ。

「うーっ、寒い……やっぱ、人肌じゃ限界あるよね」

「火なら入れたぞ」

「お。流石〜。でも……やっぱり寒い〜」

「お前という奴は…全く…どうしてそう…」

 緊張感のない声に、呆れたような声を返せば、は三成の腕の中でこれ以上はない失言をぶちかました。

「そう言わないでよ…これでも私、現代っ子なんだよ? こんな状況に慣れられるわけないじゃん。
 それにしても………なんで三成なんだろうね? どうせなら慶次さんだったら良かったのに」

 「それはどういう意味だ?」と問い掛けるだけの余裕も持てなかった。
三成の腹の内には独占欲と嫉妬、そして失望から来る怒りが湧き上がって来た。
 何の事はない。寒さに弱いは、単に自分の知る人間の中で一番体温の高い男の名を口にしたに過ぎない。
だとしても、この時が口にした言葉の意図に、三成が気が付けるはずがない。

「悪かったな、俺のような男で」

 低く押し殺した声の奥には、片思いに狂い、焦れに焦れ続けた男の危険な衝動が宿る。
そこに気が付かないは、何時もの調子で慌てて取り繕った。

「え? い、いや…そんな、別に三成が嫌って訳じゃないのよ?」

「ほぅ? だがあいつの方がよかった訳だろう?」

「え? ええ、まぁ…そうねぇ…」

 「きっと温かかっただろうな〜」と想像して思わず頬を緩めれば、三成の視線が鋭さを増して行く。

「お前も大概ろくでもない女だな」

「ハァ? 何よ、それ。人が恥ずかしいの我慢して体温分け与えてあげてたってのに!!」

「お前に言われたくない。第一それならこうして今返してやったんだ、帳消しだ。
 そもそも命懸けで救ってやれば、俺じゃなくてあのデカブツの方が良かっただと? どの口が言う?」

 通常よりもずっとずっと低い声に不審を抱き、は視線を動かした。
途端、凍てつききった眼差しに射抜かれる。
よくよく見れば、全身から鬱積が迸っている。どうやら何か失言をしてしまったらしい。
 だがにはどの発言が一番癇に障ったのがが分からなかった。

「うっ…そ、それは…悪かったと思ってる……ごめんなさい、でもって有り難う…」

 上擦る声で謝罪と感謝を述べてみたが、後の祭りだった。
完全に頭に血が昇ったらしい三成には届かない。

「ほぅ」

 今正に、嬲りものにする手法を考えています、と言わんばかりの笑みを口元に浮かべるだけだ。

「い、いや、その…三成の事だって頼りにはしてるのよ?! うん」

「で…?」

「でっ? って言われても…」

「上辺の謝辞などいらぬ」

「上辺じゃないってば」

「どうだかな? 現に、今自分の口で言ったばかりではないか。
 この状態で、お前が求める男は俺ではなく慶次だと」

「だって慶次さんって体温高いじゃない。体も大きいしがっちりしてるから、寒さからも護ってくれそうだし…」

 弁解するつもりで紡いだ言葉は、決定打でしかない事には気が付いていない。
ついに無言になってしまった三成に脅えて、はしなくてもいい失言塗れの弁解を繰り返すばかりになった。

「あ、でも大丈夫よ? 三成だってそれなりには温かいしね。いないよりいた方が安心するって思ってる。
 そうねぇ、体格にコンプレックスあるとしても、大丈夫よ。三成だって男だって、私はちゃんと理解してるし。
 ほら、綺麗な顔してるし線も細いけど、でも胸板ちゃんとあるし、腹筋も割れてたしね。
 痩せてたって気にすることないよ、どうしても気になるならトレーニングでもすればいいんじゃ………ない
 ………か…な?」

 徐々に声が尻すぼみになる。
ついにの声は消えて、代わりにこくんと小さく喉が鳴った。
視線だけで沈黙を促し続けた三成は、自分の下に横たわるの顎を掴んだ。
徐に顔を近づけて、目を細め冷徹な笑みを見せる。

「寒いと言ったな」

 こくこくと頷いて答えたの視線は、自分の顎を掴む三成の腕に釘付けになっている。

「そうか、寒いか」

 なんだろう? 何をするつもりなんだろう?
もしかして隣室に満ちている冷水の中に放り出されるのだろうか?
想像しただけで身震いするの唇に、三成は口付けを一つ落とす。

「…?!」

 想像とは全くかけ離れた行動を起こされて、混乱で目を丸くすれば、顎にかかった三成の腕が力を増した。
無理やり開かされた唇の中を貪られて、息苦しくなる。
は三成の唇を噛み切って、距離をとろうと三成の肩に両手をかけて押し上げた。

「な、な…! いきなり、何するのよ!!」

 羞恥で頬を真っ赤に染めて睨みつければ、を見下ろす三成は冷徹に言い放った。

「温めてやろう。人肌なればこその無限の熱さ、お前の最奥に刻んでやる」

「えっ!? ちょ、それどういう意味…!」

 問い質し、悲鳴を上げて抵抗するよりも早く、三成の腕がの腕を掴んで畳の上へと縫い付けた。

 

 

 強引に暴かれて、三成の言葉通り体の最奥で脳が焼けて蕩け堕ちそうな熱さの快楽を味わった。
そこに至るまでに胸に抱いた嫌悪、悲しみ、苦しみと言った多くの負の感情が、何時からか形を変えたのは、絶え間なく求めてきた三成の本心を彼の視線や行動から、いやと言うほど思い知ったからだ。
 人間関係のデストロイヤーと言われるだけあって、甘い言葉を囁く事もなければ、優しい言葉一つ口にしない。
そんな三成が己を汚したのは、悪意ではなくて嫉妬に塗れていたからこそであり、快楽を求めるだけの衝動や、口論の末の仕返しなどではない。

『俺を見ろ』

 注がれる視線が、何度も何度も、それを望んだ。

『何故、俺じゃない? どうしてだ?! 俺はこんなにも……こんなにも、思っているのに……
 どうして、俺じゃない!!』

 胸に抱えた深い思いに翻弄され、狂い、凶事に手を染めながら、同時に自嘲する。

『…当然か、こんな下衆な行為をする男を……お前が愛すはずがない……。
 …………俺には…お前を手にする事など…出来ない………』

 快楽を煽る為の言葉を吐き続ける彼の眼差しは、まるで泣いているかのようだった。

「…三成……どうして……なんでなの…?」

 そんな三成の目をずっと見ていれば、自ずと悟った。
彼が侵した罪の裏側に潜むもの、彼を苦しめるものが、一体どんな感情であるのかを。

『…私、本当に馬鹿だ………全然、分かってなかった……三成の事も、気持ちも……』

 許せるものではない行為を彼一人のせいにして責め詰る事は出来ない。
何故なら、自分にも非があったことがよく分かっていた。
異なる常識を持つ世界で不可抗力とは言え、誘っていると思われても仕方がない姿で彼の腕の中に身を委ねた。
 それだけならば彼とて行動には起こさなかった。
なのに自分は不用意に彼の理性を揺さぶり、挑発して怒らせた。
しかも他の男を引き合いに出し比較すると言う最低最悪の方法でだ。
これにキレない男がいるはずがない。

そこを鑑みれば、到底、彼の事を責められる立場じゃないと思った。

「…三成……」

「俺は、謝らんぞ……絶対に……悪かったとも思ってない」

 そう言いながら、三成の視線は後悔に揺れていた。
止める事すら恐ろしいとでもいうのだろうか。
繰り返される行為には、吐き出す言葉とは裏腹に、優しさだけが滲むようになる。

「溺れろ、堕ちろ! 抗わずに、溺れればいい!!」

『頼む…そんな目で見ないでくれ……頼む、溺れてくれ、俺に堕ちてくれ……もう取り戻せはしないのだ…』

 今やきっかけになった慶次の事はどうでもよかった。
力づくで結んだ関係で、は深く深く傷ついた。
分かっていたはずの事、知っていたはずの事。
けれども己の中に生じた焦りを、欲望を諌める事が出来なかった。
 後悔と自責で崩れて行く顔を見せたくはなくて、三成はを掻き抱いて肩に顔を埋めた。

「俺だけ見ればいい、他の男のことなど…見る必要はない! 溺れろ、

 くたくたになった体でを三成に預け、彼に好きなようにさせながらは目を閉じた。
常に沈着冷静なあの三成が、自分を相手にするだけでここまで心を乱す事が、驚きでもあり嬉しくもあった。
彼が今見せる行動の全てが、紡ぐ言葉の全てが、彼が抱える自分への思い全てだ。
ただそれは、我を崩す術を知らず、その勇気すら持てない彼独特の、愛情の裏返しに他ならない。
そうと知ってしまえば、三成が今の今まで紡いできた言葉、見せて来た行動全てが、違った側面を持って見えてくる。

"俺にはお前を元の世界に帰してやる力はない。だが俺にだって与えてやれるものはあるんだ"

 こんなに思われたことが、求められたことがあっただろうか。
こんなにも誰かの心を揺さぶり、魅了したことなど、きっと自分には一度もない。
続けられる行為、紡がれる言葉が、強ければ強い程、それを実感し、胸が熱く、またくすぐったくなった。

『そっか…三成だからだ…』

 最低な行為を施されて、軽蔑しないでいられるのは、相手が三成だからなのかもしれないと漠然とだが思った。

『三成だから……嫌じゃないんだな………三成は屈折してるけど…嘘とか人を陥れる事は出来ない人だもの……
 …どうしょうもない意地っ張りだけど………私も…人の事は…言えないのかもね……。
 こんな風になるまで気がつかないんだもの……きっと…私達は変な所で、似てるんだなぁ……』

 ふぅ…と一つ息を吐いて、は口を開いた。
喉の奥から漏れる嬌声や甘い息に、なんとか言葉を織り交ぜて訴える。

「………もう、どうして? どうして…素直に言ってくれないの?
 …少しは、安心させて…意地悪ばかり言わないで…」

 肩に顔を埋めて求め続ける三成が顔を上げる。

「……?」

「言葉って、大事だよ? 言葉でしか…伝えられない事もあるの……それが……欲しい時だってあるの…。
 その一言で……帳消しになったり……得られるものだって……あるんだよ?」

「俺に…それを言えと言うのか? 今更………許されると…?」

 慈愛に満ちた微笑を湛えて、は一度だけ頷いた。

「だって……意地悪じゃ…ないんでしょ? 三成、本当の気持ち……教えて? お願い…」

 揺れる瞳には快楽からきた涙が滲む。
溢れる涙が嫌悪や怒りからではない事を知り、安堵する。
背に張り付いていた焦りが、腹の中で渦巻いていた虚しさが、煙のようにたち消えて、なくなってゆく。
 三成は唇を震わせながら己が口を開いた。

「…愛してる…」

 掠れた声で訴えた。
が安堵したように柔らかく微笑めば、三成は再びの上へと身を沈めた。
言葉に酔いしれ、肌に齎される快楽に溺れて、は嬉しそうに目を閉じる。

「愛してる、愛している。、愛している……俺の、ものだ……誰にも…渡さない……愛してる」

 それから一晩中、耳元では三成の声が響き続けた。

「……今度は、こんな跡付けないでね?」

 三成の背にが自ら回した手首には、彼女を最初に押さえつけた時についた三成の腕の跡がくっきりと残っていた。

 

 

 どうっ!! と轟音を上げて、填め込まれていた板戸が吹き飛んだ。
寝に入っていた三成が顔を上げれば、そこに立っていた黒装束の忍は眉を顰めた。
 彼の冷淡な視野には深い眠りの中に身を委ねると、彼女を抱く三成の姿がある。
彼ら二人は互いに裸だった。

何があったのかおよそ検討がついた。
三成の腕の中で眠る彼女の顔は安らかなもので、苦痛はないように見える。
見えるには見えるのだが、の手首についた痕が気がかりだった。
 自分を射抜くような眼差しで睨む三成に気が付いた忍―――――服部半蔵は、低い声で問うた。

「何があった?」

「何もない…心配は無用だ。それ以前にもっと察しろ」

 が起きていたら間違いなくお前がそれを言うのかと突っ込んだところだろう。
けれども半蔵は三成の言葉を少しも意に介さず、背を向けた。
彼としてみれば、主となったが目覚めた時に真意を正し、適切に対処すればいいと判じたようだった。
 三成は乾していたの着物へと手を伸ばして落とすと、それで眠ったままのを包んだ。
続いて、自分の身嗜みを整えた。囲炉裏の中の火の始末をして、眠ったままのを抱えて立ち上がる。
 半蔵が消えた隣室へと足を踏み入れれば、そこには人一人が辛うじて通れそうな穴が口を開けていた。

「ここはどこだ?」

 三成の問いに、半蔵の視線が僅かに呆れを含む。

「仕方ないだろう、俺はあの室で目覚めたのだ」

「そうか」

 言葉少なく答えた半蔵は、穴の中へと歩き出しながら言う。

「その部屋は隠し通路に誂えられた室の一つだろう。こうした道は仕掛けで開くように出来ている」

「なるほどな、では見つけられるはずもないか」

 無言の肯定を半蔵がして、誘導するように先を歩いた。
後に続く三成は自分達が不在の城が今現在どう言う状況なのかを聞き出した。
どうやら城を取り巻く状況は刻一刻と悪くなっているようだ。
 当面、が目覚める事はないだろう。
ともすれば、その間の統制は自分がしなくてはならない。
ましてこれだけの疲労感を与えたのは他でもない自分なのだ。その責任は自分で負うのが道理だ。

「まぁ、いい。元より想定の内だ」

 きりりと顔を引き締めて、三成は前方を見据えた。
それから半刻ほど縦横無尽に走る細い通路を進み、彼らは最終的に城の地下室へと辿り着いた。
浸水し始めているそこをこれ以上水で埋めないために城内に篭もる人々の桶リレーが続いている。

「ああ!! 姫様じゃ!! 姫様が戻られたぞっ!!」

 最下層で従事していた民が人影に気が付いて視線を移した。
彼がそこにいた者が誰なのかを一目で判じて喜びに任せて絶叫すれば、の生還を祝う声があちこちで上がった。
彼女の生還は、それだけで人々に力を与えるようで、意気消沈していた人々の中に生気を呼び戻した。

「湯と床の支度を急げ。体温が気がかりだ」

 を抱きかかえたままで一階へと上がった三成は、すぐに指示を出し始めた。
彼はのことを浴場までは抱いたまま連れて行き、決して他人に任せようとはしなかった。

「三成様」

か、頼む」

「はい」

 先に報を聞いて駆けつけていたを預けて、そこでようやく三成は身を翻す。

「殿!! ご無事で何よりだ」

「三成!! 無事だったんか、様はっ?!」

「秀吉様、ご心配をお掛け致しました。
 濁流に身を落とし、体温も気になります故、我が君はこれより身を清めます。それ以外は万事変わりなく」

「そうかそうか、何よりじゃ!!」

「はっ」

 知らせを受けて駆けつけた左近と秀吉の前で、三成は簡潔に述べた。
それから女中に言いつけて、自身も軽く身を清めた。
用意された着替えに腕を通して現場に復帰した際、半蔵は何かを言いたげな眼差しを三成へと向けた。
それをそ知らぬ顔で交わした三成の横顔には、今までに見せた事がないような優越感と自信とが満ち溢れていた。

 

 

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