暗闇の中で見つけた恋 - 三成編

 

 

「げほっ!! ごほっ!! ごほっ!!」

 胸元に強い圧迫を覚えて、飲んでいた水を吐き出した。
無意識に掌で己の口元を拭おうとするものの、思うように手が動かない。
朦朧とする意識を叱咤し、なんとか現状を把握しようと努めれば、自分が何者かに抱かれていることを知った。
 己を抱く腕の合間を縫うように手を動かし、改めて濡れていた口元を拭う。
全身ずぶ濡れの現在の状況では、気休めにもならないとしりつつ、体は勝手に動いた。
 口元を拭い切り、続いて一つ深呼吸する。
それから自分を抱いている相手が誰なのかを伺い知るべく視線を動かした。
光を取り込む作りになっていないのか、すぐには何もかもが認識できない。
戸惑いもあり、不安もあったが、根気よく薄暗い空間の中で目を凝らせば、次第に暗さに目が慣れて来たようだ。
視界の中に甘栗色の頭髪が入ってくる。

「え……あ…三成?」

 幸村ならまだ分かるが、あの三成が、あの状況で、あれ程の危険を侵した事が理解出来ずに混乱する。

『いやいや、助けてもらっておいてこの発想はよくないわね。ちゃんとお礼言わなくちゃ』

「あ、あの…三成……その、有り難うね。それでね、そろそろ退いて欲しいんだけど…」

 慣れぬ相手への謝辞に照れたような、むず痒さを覚えながら言葉を紡いだ。
けれども自分の上にいる男は、少しも反応を示さない。

「……三成?」

 不審に思い、身を起こした。
途端、三成の体がずるずると下がる。
膝下はまだ深い水の中。
咄嗟に背を抱え込んでこれ以上沈むことを防ぎ、改めて周囲を見渡した。
自分達が今どのような状況に置かれているのかを理解する必要があると、本能が告げていた。

「えーと……ここは……水路を作った時の……休憩室か何か…かな?」

 三畳程度の広さ。四方は積み上げられた岩に覆われている。
自分の膝と三成の半身が沈む水面は透明性があった。
台風によって流れ込んできた濁流よりも前に、地下水が流れ込んでいたのだろう。
故に見通す事の出来た水中には、十数段の階段が備わっていた。

「そっか……ここ、階上なんだ……気圧の関係とかでこれ以上上がってこないのね」

 そう判じて一先ず安心感を得ると、は水面から足を上げた。
続いて未だ意識を取り戻さない三成を引き上げる。

「全く……普通、こういうのは逆なんじゃないの?」

 悪態を吐きながらその場へと仰向けに寝転がした。
呼吸と心音を確かめて、命に別状はなさそうだと判断し安堵する。

「しかし…参ったな……水音は相変わらず凄いし……八方塞がりかも……」

 遠巻きに響くゴゥゴゥ、ドゥドゥという音は、紛れもない水の音。
音の早さから察するに、外には台風本体が上陸しているのだろう。

「水が引くまで待つしかないのかなぁ……でもそれって何時よ?」

 頭を掻きながら、何か自分に出来る事はないものかと、思案する。
何か見落としがあるかもしれないから、今度は注意深く、ゆっくりと周囲を見回してみた。
そこで部屋の中央に古い板戸が填め込まれている事に気が付いた。

「どーか出口でありますように」

 思わず両手を合わせて、願い奉る。
それから何が飛び出して来ても驚くまいとの気構えを固めて戸を横に引いた。

「……うん…まぁ…世の中そんなに上手く出来てはいないよね…」

 残念ながら開いたそこは出口などではなかった。
この水路を作った時に使った休憩部屋かなにかのようで、囲炉裏と簡素な寝床があった。

「まぁ……ここよりゃマシか…」

 は独白すると、未だ横たわったままの三成を見下ろす。

「全く……本当、こういうのって逆なんじゃないの?」

 愚痴を零しながらは三成を引き摺って休憩室の中へと入って行った。
板戸を閉めて、三成を寝床へと寝かせる。
それから家捜しを始めたは、棚の上から一本の荒縄と裁断前の布を数枚見つけ出した。
部屋の隅と隅に括りつけて線を引くと、徐に自分の着物を脱ぎ、そこへとかける。

「えーと……三成の方も…脱がした方がいいんだよね? やっぱり……」

 どうしたものかと悩み迷いながら、結局はそうするしかないと判じた。
一応起きるかどうかを頬を打って確かめて、それでもだめだと確認すると先に謝る。

「勝手に脱がせてごめんなさい…と、言う事で……失礼します〜」

 意外に厚着だな…などと思いながら、彼らしい黒の着物をはいで、自分の掛けた着物の隣へと引っ掛けた。
ないよりはマシだろうと見つけ出した裁断前の布を彼の上へと掛けてやる。

「さてと……火…私につけられるかな……」

 それから湿気った炭の埋まる囲炉裏へと向き直った。
荒縄と布が収納されていた棚で火打石を見つけるには見つけたが、いかんせん現代っ子だ。
こんなレトロな品を容易に扱う事は出来ない。

「なんとか一日以内につけられるといいんだけどね」

 ひどく後ろ向きな発言を漏らしては囲炉裏との格闘を開始した。

 

 

 囲炉裏との格闘は、想像した通り無為に時間を費やすばかりだった。
多くの時間を費やしてもの技量では火が付かない。
火花を散らせる事は出来ても、それを大きな火種に出来なかったのだ。

「…参ったな……段々冷えてきてるってのに……」

 ぶるっと一度身震いをして、乾かしている己の着物を見上げた。
まだ生乾きにもなっていなかった。

「…そうだ、三成は大丈夫かな…?」

 没頭するあまり忘れていた事を思い出して振り返る。
そこでは瞬時に青褪めた。

「え…う、嘘…」

 三成の顔は最初にこの部屋に引き込んだ時よりも青白い。
もしかしたら怪我をしていて、それを見逃したのではないか。
それとも自分が目を放していた隙に悪化した? と目を白黒させて、火打石をその場に放り出した。
すぐに三成の傍へと寄り添うと、彼の額に手を当てた。

「少しづつ熱くなってってる…? もしかして、風邪引きかけてるのっ?!」

 水はあっても暖は取れず、薬もない。
このまま放置しておけば確実に悪化するのは目に見えている。
しかも部屋の気温が徐々に下がりつつある今、つくかどうかも怪しい囲炉裏と格闘するのは時間の無駄だ。

「…どうしよう……どうしたら……」

 混乱するの眼下で、三成は苦しげに顔を歪める。
掛けた布から覗く彼の体には薄らと鳥肌が立っていた。

「三成……ちょっと待っててね」

 元を正せば、この現実は自分の無茶な行動の結果だ。
自分が心労で休んでいた時も、三成は片時も休まずに働いていたに違いない。
だとしたら疲労が溜まっていてもおかしくない。
そんな状況で、あれだけの無茶をすれば、体にガタがくるのは当然だ。
 あの絶体絶命の状況下で五体満足でいられたのも、極限のトラブルの中において数刻であれ心身を休めることが出来たのも、皆、彼の補佐があってこそだ。

「今度は、私が貴方を救う」

 独白したは布を捲くり、作った空間に滑り込んだ。
三成と重なるように、両手で彼の体を抱けば、彼の体は全身が凍てつくように冷えていた。

「辛いよね…三成、でも、大丈夫……大丈夫だからね」

 は瞼を閉じて、意識のない彼へと語りかけ続けた。

「…私も頑張る。だから三成ももう少しだけ………頑張ってね」

 

 

 甘美な夢を見た。
春の木漏れ日の中、柔らかな風に舞散る桜の花びら。
皆が笑って過ごせる天下。
その中で自分の愛しい人は、如何なる時も微笑みを湛えていた。

"三成"

 嬉しかったのは、天下が泰平を迎えたことだけではなかった。
微笑む彼女の膝には、自分に似た童が頭を預けてすやすやと眠っていた事。

"殿"

 悔しさと諦めを貼り付けた左近に「すまんな」と一言言えば、彼は首を横に振った。

"仕方ないですよ、姫の選んだことだ。それに殿なら安心だ"

 信頼する部下でもあり、恋敵となった男からの精一杯の祝辞。
それに少し気が楽になった。

"三成、こっちへ来て。ほら、桜がこんなに綺麗"

"そうだな"

 美しいと思ったのは、桜ではない。
その下で微笑む彼女だ。

「…っ……」

 甘い甘い夢。
蕩け堕ちそうになるくらい、甘美で、それでいて残酷な夢だと思った。

『分かっている、このような夢…有り得ぬ』

 覚醒に近付いた三成が、無意識に落胆の息を吐く。

『…なんと愚かな夢なのか……』

 天下は未だ収まらず、桜に心癒されると微笑む彼女は、本当は心からの微笑みを自分に見せたことなど一度もない。
何時も何かに脅え、追いたてられ、それを悟られぬようにと作った笑みを顔に貼り付けている。

『…まして…俺との間にややなど……戯言にも程がある…』

 自分は何時からこんなにも弱くなったのだろう。
たった一人の女に絆され、振り回されて、日々苦悶している気がする。
秘めた恋に身を焦がし、彼女の微笑だけを願う日々。
それを他の男のように素直に口にする事は出来ない。
けれど、彼女へ注ぐ思いの強さは誰にも負けていないと自負できる。

でなければ、こんな無謀を侵してしまうはずがない。

『…俺は……どうしてこんなにも……』

 きっとこんな夢を見てしまうのも、全ては叶わぬ願いに焦れているからこそだ。
これは甘美だけれど、決して真実ではない。囚われていたとしても、虚しいまほろばだ。

『……目覚めねばなるまい……あれを、一人にさせておく訳には行かぬ…』

 自分を叱咤した三成は、ゆっくりと閉じていた瞼を開いた。
ぼやけた視野の中には見慣れぬ天井が映り込む。
何度か瞬きをする内に視界は鮮明になり、同時に自分が生を繋いだことを強く自覚した。

『…生き延びたか…僥倖だな』

 己の生に安堵し、同時にほんの少し泣きたくなった。
自分が生を繋いだという事は、彼女の生を繋いだということと同意のはず。
ならば目覚めた時、一番最初のに目に入るのが、彼女の顔であればいい。
無事に救い出せたなら、その事を糧にして、彼女の心に自分と言う存在を刻めればいい。そう期待した。
だがそれは、叶わなかった。

『……俺は…なんと愚かなのか……』

 彼女を救えるのであれば命すら捧げると決めながら、同時に、自分には浅ましい下心があったわけだ。
無意識の内にしていた計算の愚かしさを、虚しさでまざまざと思い知る。
自然と眉は寄り、擦れたような嗚咽が漏れた。

「……」

「…ん、なに? 三成…」

 希うように名を呼べば、すぐに戻ってきた返事に驚いた。
目を大きく見開いて、声を辿るように自分の胸の上へと視線を移す。

「な…に? どうしたの? まだ……寒い?」

 そこに艶やかな頭髪を散らして、憂いのある表情のがいた。
座しているのではなく、己に寄り添い横たわっている事実に、すぐには反応できなくて息を呑み続けた。

「な?! 何をして…」

 ようやく言葉が口を吐いて出た。
状況把握が出来ずに紡いだ声は、自然と動揺で上擦る。
そんな三成の様子を見たは、ほんの少しだけ安堵したように瞳を細めた。

「よかった……何時もの…三成だ…。
 …ねぇ…怖い夢でも……見てた? 何度も…呼ばれたから……少し不安に…なったよ…」

 ぼそぼそと話すの意識がそのまま三成の胸の上で睡魔に呑込まれて行く。
ただ眠くてそうなっているのではないと、本能で感じ取って、三成は舌打ちをした。
だるさの残る体に鞭を打って起き上がり、の肩を掴んで揺さぶろうとする。

「…って、ちょっと待て!! なんだ、その破廉恥な格好はっ!!
 おい、寝るな!! そもそもここはどこだ!! おい!!」

 だが三成の覚醒に安堵したらしいは、本格的に寝に入ってしまい起きる気配がない。

「…一体何がどうなってるんだ…」

 三成はの肌の局部だけを隠す装いに動揺しながら、視線を動かして現状を把握しようとした。
狭い密室には張られた荒縄。そこに掛けられたのは互いの着物。
火のない囲炉裏の傍には投げ出された火打石。
そして横たわっていた自分に寄り添っていた
 そこから何がどうしてこうなっているのかを汲み取った三成は、眠り始めたへと視線を移した。
恐る恐る彼女の額に掌を乗せる。

「…ッチ、馬鹿が。俺のことなど、捨て置けばよかったものを…」

 自分の体温を分け与える事で三成に覚醒を促したは、身代わりとばかりに彼が引くはずだった風邪を引きかけているようだ。頬を僅かに赤くし、ひゅうひゅうと苦しげな呼吸を繰り返している。

「本当に……お前はなんて女なんだ…」

 三成はを抱いたままで手を伸ばし火打石を打つと、あっという間に囲炉裏に火を点した。
囲炉裏の傍へとを連れ行き、眠るの上へ今度は己が身を重ねて、強く強く抱きしめた。

 

 

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