暴風雨の中で

 

 

「ん? おお、様!! お目覚めですかいの!」

「秀吉様、お疲れ様です」

 現地で采配を奮う秀吉が気が付いて声を発すれば、一時、その場の時間が止まった。
上半身だけ丸裸になって資材運搬に尽力していた慶次が安心したように目を細めて微笑む。
その場に茶箱を重ねて作った机の上で設計図と睨めっこしていた孫市、政宗も顔を上げ、安堵の溜息を吐いた。

「…ご病気ではなかったのか…」

 ぬかるみの中をよたよたと進むの耳に、作業に従事する民の独白が入った。
はその言葉に足を止めて顔を上げると、ニカッ! と笑って見せた。

「えーと、ただの睡眠不足? ここのとこ目安箱の書簡処理にずっとずっと追われてたし」

 その場に居合わせた民がちらほら顔を強張らせる。
冷淡な眼差しで観察していた三成が「そうかお前達が罵詈雑言を投げ込んだのだな」と負のオーラを身に纏えば、は察したように三成の肩をぽむぽむと軽く叩いた。

「いいの、いいの。もう終わった事よ。それにそのお陰で、松明の火を絶やさないで済んでるんだしね。
 あれだけの紙をそのまま火種にするとしたら、それだけで凄い散財。でも元手はタダだもん。めっけもんよ」

「しかし…」

 言葉を濁す三成の前では自分の眉間を示した。

「三成、眉間、眉間。皺寄ってるてば。怖いわよ。そんなんじゃ秀吉様に城内に残されるの当然よ?
 いいじゃん、もう、別にそんな事は。紙に載せられた負の心は、火によって浄化されて天へと昇り、
 今こうして私達を支える糧となる…って、そう考える事は出来ない?」

 三成だけでなく、聞き入っている人々が目を見張る。

「あ。なんか私、今、凄い名言じゃなかった?」

 賛同を取り付けるように左近を見れば、左近は苦笑した。

「そこで左近に聞いちゃダメですよ、姫。名言はしれっとした顔をして言い切らないと」

「あ。そっか」

 へらへらと笑ったの顔を見るだけで、失われていた力が、失っていた余裕が戻ってくるとばかりに人々の顔にも自然と笑みが浮かんでくる。
 これこそがが現代の一般人でありながら、精鋭に慕われる最大の理由だ。

「さ、それはそれとして、皆、頑張りましょう!! 敵は強大だけど、数日耐えればどうにかなるんですもの!!」

 の声にその場から奮起の声が上がった。

 

 

 の言葉通り移動速度が速いのか、二日後の午後になると天候が次第に荒れ始めた。
それは想定の範囲だと、現場で指揮を奮う秀吉は崩れた四方の城壁の補強を急がせた。
あの奇跡をもう一度ものにする為の重労働ともなれば、従事している人々に嫌はない。
も度々現場へと姿を見せて、皆の疲弊した心を労い、鼓舞している。

「水路の補強は無事に完成しましたわ。いやー、様の手にしている道具は素晴らしいですな」

 厚みを増した城壁の上を秀吉と共に歩きながら、は頷いた。
城壁の形成ばかりに時間を割けないと判じたは、ツールの機能を駆使する事にした。
現代の建築関系のサイトへとアクセスし、水路の設計に関する知識を丸ごと拝借したのだ。
時間がやたらとかかりそうな角度や比率の計算は、そのままその場でツールに付いていた電卓でこなした。
結果、この時代では何年と掛かるような下準備が数刻で済み、すぐに補強工事に着工出来る状態となった。

「この水路が雨水を本当に川に流してくれるか、一抹の不安はあるけどね」

 が苦笑すれば、秀吉は朗らかな笑みと共に確信に満ちた眼差しをへと送る。

「大丈夫じゃ、傾斜はこっちが上じゃ。仮に水路が崩壊しようとも、最後に皆が生きて笑ってりゃ、それでいい」

「ですね。秀吉様、城壁の方はどうなりそうですか?」

「その事なんじゃが、今ある兵を別けてやりたい事があるんじゃよ」

「なんでしょう?」

 秀吉は初めて苦悶を顔に浮かべた。

「前回壁が崩壊したのは、城下の崩れた家屋から流された木材がぶつかっての事じゃと分かった。
 じゃからどうせなら…」

「なるほど…なら先に壊れそうなものは崩して撤去した方が安全ですよね?」

「その通りじゃ。しかしそれを民にやらせるのは酷なんじゃないかと…」

 言い淀む秀吉の前では政宗を呼ぶように言った。
一刻後二人の前に現れた政宗に言う。

「政宗さん、別働隊をこれから指揮するんですが、その隊が動きやすくなるように手伝ってもらえますか」

「構わんが、儂は何をすればよい?」

「あのね、まず紙を三枚用意してこういう印を書いて欲しいんですよ。
 一枚目は墨でO、二枚目は△、三枚目は朱でX」

「ふむふむ」

 茶筒で作った上で説明していると、何時の間にか秀吉だけではなく、諸将が寄ってきた。
皆しての手元を見下ろしていた。

「でね、この紙を城下の建築物を検分して貼って行って欲しいんです。Oは問題なし、△は要注意、Xは撤去。
 こうして誰の目で見ても分かるように分類すれば、次の災害の時に出る内部からの被害も最小限で済ませられます。
 撤去されちゃう事になる家の住民さん達だって、納得し易くなると思うの」

「こりゃまたなんと理に適った策じゃ」

 秀吉が感動を口にすれば、は苦笑した。
現代で目にした災害ニュースで仕入れた知識の一つなのだが、無駄にはならなかったらしい。
本来ならばこんな知識を披露したくはないが、現実にはそうも言ってはいられない。
今は使えるものはなんでも使わなくてはならないのだから。

「よし、分かった。任せよ!!」

 政宗が城壁形成に従事する伊達一門を引き連れて、城下の家屋整理へと従事する。

「そこで出た材木も使えるようであれば、補強材として再利用しましょう」

 の言葉を受けて、秀吉は頭が下がるとばかりに相槌を打ち続けた。
が次々と口にする現代の知識を元にして、城壁や城の補強は着々と進んだ。
作業に従事する男達を労うように、女達は門前で炊き出しを行ったり、方々に握り飯をこさえて配布している。
 そうこうする内に刻一刻と時間は過ぎて、天候が目に見えて分かるように狂い始めた。

「まだじゃ!! 皆、限界まで耐えるんじゃっ!!
 様はそろそろ城へお戻り下され。ここはサルにお任せあれ」

 城壁の上で指令を下す秀吉の言葉をは聞き入れず、限界までその場にいる事を望んだ。
己の姿が人々の希望の糧となるならば、許される限りの時間を、彼らと共にある事に費やそうとしたのだ。

「姫様!! 物見から伝令!! 三本向こうの河が増水!! 濁流と共に氾濫しましたじゃ!!」

 地図を広げて、被害が城まで及ぶかどうかを目算すれば、左近が瞬時に判じた。

「平気ですよ、この傾斜なら方向を変えるはずだ。こっちへは来ない」

 こくんと頷いて、伝令に言う。

「そのまま様子を見て! 何かあったらまた知らせて下さい!!」

「ハハッ!!」

 強くなる風に煽られて、地図がバタバタと音を立てて揺れた。
それを掌で押さえつけながら三成が別の伝令へと命を下す。

「門前の飯炊き女達を城内に戻せ。俺達が戻る時に邪魔だ」

 三成の命を受けた伝令が場を辞すのと入れ替わるように慶次が現れた。

さん、ちょいといいか」

「慶次さん、どうしました?」

「資材なんだがね、そろそろ運ぶのには限界が出てきた。今あるモンで補強した方が早いぜ」

「分かりました。じゃ岩山に居る人達には撤収してもらいましょう。孫市さんは…」

「俺ならここにいるぜ、女神」

「全く、口が減らないんだから……ま、いいわ。とにかく聞いた通りなので、出している残りの火薬を」

 言いかけた瞬間、大粒の雨が降り注いだ。台風の暴風域に領が入った瞬間だ。
続いて一際強い突風が城壁の上を吹き抜ける。
吹き込んだ風は積み上げた茶箱で作った机を倒し、その上に乗せていた地図を引き裂いた。
が風に煽られて三階はあろうかという高さの城壁から真っ逆様に転落する。

「きゃぁ!!」

様!」

 全員が青い顔をして手を伸ばした。
後頭部からぬかるんだ大地へと落ちて行くの下に、数枚の護符が滑りこんだ。

瞬間、その場に展開された紫色の結界。兼続だ。
彼が作り出した結界の上に、下で兵を指揮していた幸村が飛び込んでを両手で抱き止めた。

「はー……心の臓が飛び出すかと思ったわい」

 城壁の上で自分を見下ろし、その場へへなへなと座りこんだ秀吉の言葉に、幸村と兼続の力を借りて立ち上がるもまた同感だと頷いた。

「やはりお戻り下され、女子の身ではこの風はきつかろう!!」

 秀吉の声を受けて、は己が足手まといになる訳には行かないと頷いた。

「皆さん、どうか無理をしないように!! この場をお願いします!」

 最後の最後まで将兵民を問わず鼓舞して、は歩き出した。
ぬかるんだ城下を進むよりも、安定した城壁の上を進んだ方が早いと、階段を駆け上がる。

「誰か供を…」

「大丈夫、それより補強を優先して下さい!!」

 秀吉の気遣いを固辞して戻り始めたの背を、心配そうに皆で見送れば、彼らの不安はそのまま的中した。
突然走った稲光が城壁の一角を打ったのだ。
崩れる城壁、燃える木材。

「ッ?!」

 に怪我はなかったが、皆がその場へと駆けつければ、崩れた城壁の向こうに横たわる女の姿があった。
城壁へ握り飯を届けていた飯炊き女の一人だ。
彼女は子供を負ぶって従事していたようで、下敷きになっている木材の隙間から子供が這い出してきた。
 天ではまだ雷が蠢いて、咆哮を上げている。
迸る稲光と轟く咆哮から、第二の落雷も時間の問題だと思った。

「待って、動かないで!!」

 は咄嗟に叫び、燃え盛る炎を飛び越えた。
が亀裂が入って不安定になった城壁の上へ折り立つと、その振動で足場が大きく揺れた。
顔面に悲壮を貼り付けた子供に再び「動かないで!!」と叫んで、自分の体を使って歪む足場に安定を取り戻した。
それから慎重に伏せたままの母親と子供の元へと近寄って行った。
動くどころか、呼吸まで止めようとしていた幼子を労い、すぐに力を合わせて横たわる女を救い出した。
 天で唸る雷は、力の出口を探すように灰色の雲の中を走り続けている。一刻の猶予もない。

「兼続さん、お願い!!!!!」

 天を這う黄金の龍が、今まさに牙を剥かんと大きく蠢いた。
考えている時間はないと判じたは、肩で支えるようにして抱えた女を城壁の中へと突き落とした。
動向を見守っていたあちこちで不安と共に悲鳴が上がる。
 の狙いを悟った兼続が護符を散らし、法力を奮った。
展開された結界の中へと女が落ちれば、外野から安堵の声が漏れた。
だが安堵するのは早いと、その場に残るは顔を引き締めた。
 恐怖する子供を抱き寄せて、背を撫でて鼓舞する。

「大丈夫、大丈夫よ、お姉ちゃんが絶対に絶対に護るからね!!」

 胸元に入れていたツールを取りしだして、現代へと繋ぐべくパネルを操作した。

「誰か縄を持ってくるんじゃ!!」

様、どうか動かないで下さい!! 崩れますっ!!」

 秀吉、幸村が悲壮感を貼り付けた顔で叫ぶ。
彼らの言葉を耳に入れる余裕はないとばかりに、は己の唇を一度舐めて不適に笑った。

様?!」

「慶次さん、これ、力一杯外へ投げてっ!! 今すぐっ!!」

 炎と瓦礫の向こうに立つ慶次へと向い投げれば、慶次がそれを片手で受けて渾身の力を込めて城外へと投げた。
宙で回転するツールのディスプレイ上で、通信中を知らせる可愛いらしいキャラクターが蠢く。

「兼続さん、結界、もういっちょ!!」

「任せよ!!」

 二重三重に展開された結界。
ぐらぐらと揺れて、脆く崩れ行く足場の上で巧みにバランスを取りながら、は子供をそこへと放り出した。
見守る人々が固唾を呑む。
 宙を舞うツールのディスプレイからキャラクターが消えて、大手検索サイトの画面が映りこんだ。
瞬間、導かれるように黒雲の中から稲光が降り注いだ。
雷に打たれたツールは木っ端微塵に砕け散り、暴走した雷撃が城外の木々を裂いた。
遅れて耳を劈くような轟音。その向こうで、森が紅蓮に染まる。
それでも収まることのなかった雷の支流は、城壁を走り、の立つ城壁を打ち崩した。
兼続の展開した結界に飛び込もうとしていたはタイミングを失い、全く逆の、城壁の外へと投げ出された。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 咄嗟に両の瞼を閉じて、落ち行くの背には、落ちた城壁の重みで崩れた大地。
その下には、かつてこの地を治めていた欲張りな城主が密かに作った脱出路が走っていた。
そこには地下から浸水した濁流が見て取れた。

 はその濁流の中に背中から落ちた。
またこういう展開なのか。つくづく自分は運がいいのか、悪いのか分からない。
そう思いながらがむしゃらに手を振り回した。
空いていた穴の際に辛うじて腕かが引っかかり、なんとか齧り付く。
けれども押し寄せる水の流れに逆らう事は困難で、はすぐに流れの中に呑み込まれた。

様!!」

 秀吉が顔面蒼白にして絶叫すれば、彼の横を一人の男が走り抜けた。
彼は迷わずにそのままが落ちた穴へと飛び込む。
 激流に呑まれ意識を失って押し流されて行くの腕を、追随した男の手がしっかりと手繰り寄せた。

 

慶次編  左近編  幸村編  三成編  孫市編

 

 

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今度の難敵は自然災害。果たして乗り切れるか!?(08.12.20.)