暗闇の中で見つけた恋 - 慶次編 |
『ハッハッハッ、いやはや、本当だ。あんた面白いねぇ』 『前田慶次だ、派手に楽しもうや』 『任せな』 『そうさなぁ…さんは、まるで神さんみてぇだと思ってな』 『また、朝帰りでもしようかね?』 その男は、何時如何なる時も太陽のような明るさ、温かさを持ってを包み込み見守っていた。 「…っ…う…ん……ん?」 水滴に頬を打たれて、目を覚ました。 「慶次…さん?」 自分の上に圧し掛かるのが彼だと分かって安堵した。 「あ、そうだ…台風……あの時…水路…かな? 落ちたんだっけ…」 自分の細腕では慶次の下から這い出るのが精一杯だった。 「…ここは……水路を作る為の…休憩室かなにか…かな?」 見渡せる床の半分は、まるで大きな水槽のようだ。 「慶次さん、慶次さん、起きて」 肩に触れて揺さぶる。 「慶次さ…起き…」 何度か深呼吸をして、顔を上げた。 「! 慶次さん!? どこ怪我したの?! 慶次さんっ!!」 不安と恐怖に覆われて、慶次の体へと縋り付いた。 「嘘、嫌だ、こんなの嫌!! 何時も傍にいてくるって言ってたじゃない!! 薄れている意識を取り戻そうと、懸命に肩を叩き、耳元で叫んだ。 「やだぁ!! お願い、死なないで!! 慶次さんっ!!」 一刻と経たずに、彼の鼓動が止まり、呼吸がなくなる。 「どうしよう…どうしよう…? どうしたらいい? 誰か、誰か助けて……慶次さん、死んじゃう…」 密閉された場所で二人きりとなれば、救いは余所には求められない。 「そう…そうだよ……助けなきゃ……私が、助けなきゃ…」 ぶつぶつと独白を続けたは、次の瞬間には、涙を拭い去り顔を上げた。 「慶次さん、戻って来て!!!」 仰向けに大の字で倒れたままの慶次の顎を摘まみ持ち上げる。 「一、二、三、四…」
数を声に出して、懸命に己を奮い立たせねば、自分の気持ちの方がどうにかなってしまいそうだった。 「慶次さん、お願い……お願いだから、私を一人にしないで……おいて…いかないで…」 の頬を再び溢れだした涙が伝い落ちて行く。 「慶次さん、聞いて…お願い、私の声…聞いて……戻って来て……」 声は擦れ、息は上がり、腕が悲鳴を上げる。 「お願い…お願い、起きて……起きてぇ……」 怖かった。 「…起きて……慶次さ……っ…お願い……起きて……起きてぇ…」 腕が曲がり、意識が朦朧とする。 「慶次さん、ねぇ、慶次さんったら…起きてよ……ねぇ、お願い…」 一人きりで先の見えない蘇生術を繰り返すの体力と気力は、既に限界を越えていた。 「慶次さん……いやだ……こんなの…」
救わなくてはならないと、今それが出来るのは自分だけと知っているのに、疲労感で棒のようになってしまった二の腕は思うように動いてくれなかった。 「…こんなの、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」 だが狭い部屋の中ではの声が反響するばかりだった。 「慶次さん……慶次さん、起きて……何か言って……私の事呼んで……」 慶次の胸に頭を預けて、は強請り泣き続けた。 「……うぅ…うう…ふ……うっ…くっ…くくく…あははは…あははははは」 次第にの瞳は色を失い始める。 『さん、降りろッ!!』
初心な小娘でもあるまいし、往来で風魔に口付けられた事があれ程ショックだったのは、羞恥じゃない。 『一緒に怒られてくれる? 』 『ああ、勿論だ』
あの事を引き摺らないでいられたのは、一晩ずっとずっと傍にいてくれた彼がその事を許してくれたからだ。 『ははははははっ!!! あんた本当に面白いねぇ。いいぜ、やってみようか』 何時如何なる時も、自分の味方になってくれた。
「…あはははは!! どうして、どうして何時もこう? なんで、上手くいかないの? まだ生暖かい彼の胸板の上へ突っ伏して、は泣き続ける。 『神さんは世と人を作るので精一杯で、もう力はないんじゃないのかね』 『きっとな、切なくて、悔しくて、たまらないだろうねぇ。 『いくら苦しんでても、助けてやりたくても、もう自分の力は及ばない。 慶次と交わした会話が、脳裏で延々と回り続けた。 「……慶次さん……一緒に…逝っていい?」 やがて泣くことを忘れたは、呟くように問い掛けた。 「…私が笑えなきゃ意味ないって言ったよね? 笑えないよ? ぼそぼそと呟きながらは慶次の腰に収まる脇差に手を掛ける。 「…おいて……いかないで……」 泣き疲れた事もあってか、の意識はそれからすぐに闇の中に溶けた。
『慶次さん』 木漏れ日のような、柔らかい微笑み。 『慶次さんは……取り合えず、私と話す時はしゃがんで下さい。顔を見ようとすると首が吊っちゃうので』 臆面もなく願い、 『いやーーーっ!! こんなちびっ子認めないーっ!! 周囲の目に捉われる事もなく叫び、 『お前の物は私の物、私の物は私の物、お前に選択権など与えない!!』 時に怒りに任せて豪語した。 『こんなの…いやだ…いや…』 課せられた重責に翻弄されて泣き、一時は言葉すら失った。 『慶次さんは、止まり木ね』 立ち直った彼女が見せた微笑み、安らいだような声。 『……慶次……起きろ…起きるんだ、慶次』 闇の中をたゆたう意識を、魂が呼ぶ。 "…さんさえ、無事ならそれでいい……" そう思い激流に身を投じた。
『…救ったはず……水からは逃したはずだ………なのに…なんでこんな事になる? どうしてだ? 自問しながら一方で異なる意識が覚醒を急かす。 『起きろ、慶次!! 俺が護らなくて、誰がさんを護るね?!』 彼女の危機を感じ取り、戻った鼓動。吹き返した息吹。 「……慶次さん……一緒に…逝っていい?」 『どこへだい?』 「…おいて……いかないで……」 『どこに、逝くって言うんだ? さん』 「やだぁ!! お願い、死なないで!! 慶次さんっ!!」 の悲痛な叫びが脳裏でリフレーンとなった瞬間、慶次の意識は闇の中から解き放たれた。 「さん!!」 弾かれるように起き上がれば、己の胸板の上に横たわるが転がり落ちた。 「っ! さ…」
掴んだ自分の掌に、生温かいぬめりを覚えて、視線をやった。手首から血が流れていた。 『まだ間に合う』 弱々しくなっていってはいるが、心音も呼吸もまだあった。 「さん、俺はあんたが望んでくれりゃ、何度でも、どこからでも、必ず戻る。 慶次はの体にまとわり付く濡れたままの着物を、迷うことなく剥いだ。 「なんの因果かねぇ」 顔を顰めて笑った慶次は、の体を強く強く抱きしめた。
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