暗闇の中で見つけた恋 - 慶次編 |
「…ん」 温かかった、気持ちが良かった。 「……ん…慶次…さ……ん…」 死の世界はこんなにも甘美なのだろうか。 「…いかないで……離れないで……私…私…」 「さん、俺はどこにもいかない。ここにいるぜ」 まだ朧な意識の中。 「…慶次さん……慶次さん……私…私…慶次さんのことが……好き……おいていかないで…」 「嬉しいねぇ。俺もな、ずっとずっと前から……惚れてたんだぜ」 「本当?」 「ああ。本当さ。だから、寝ちゃならない。目を覚ましなよ、さん」 生者の世界へ呼び戻そうと試みれば、は両の瞼を閉じて首を横へと振った。 「や、いやだ…慶次さんと一緒にいく。残りたくなんかない」 「違う、そっちは、俺の世界じゃない」 「やだ…おいていかないで……いやだ……慶次さんといる」 呼び戻すつもりが、生死の境を彷徨うにとっては、生死を分かつ河の前での悟しにでもなっているのだろうか。 「やだ…慶次さんと…ずっとずっと一緒にいるの…いらない、天下も未来も…おいていかないで、お願い」 「違う、さん。そうじゃない、俺はここにいるんだ」 「やだぁ…」 埒のあかないやりとりに困った慶次は、ふと気がついたように顔を上げた。 「参ったねぇ」 一先ず寝床へとを寝かせて、備品が置かれている棚へと向かった。 「さん、さん、大丈夫かい?」 手を握り、呼びかけながら抱きしめるものの反応は薄い。 「さん、俺はここだぜ」 囁いて、口付けを一つ落とせば、闇に迷うの意識が再び混濁を纏いながら戻ってくる。 「悪いな、さん。後で怒っていいぜ、好きなだけな」 それだけ言って、慶次は寝かしつけたの肌へと手を伸ばし、唇を走らせ始めた。
混沌とした世界に光が差したように思えたのは何時の事だろう? 『…さん…』 「慶次さん?」 『さん、戻ってきなよ』 「どこ? どこにいるの? 私はここ、慶次さん待って…いかないで、一人にしないで…」 『さん、こっちだ、そっちじゃないよ』 の足下には薄い靄がかかる。 『さん、戻るんだ』 「でも、でも…」 慶次の声は対岸からではなく、の背から聞こえていた。 「待って、慶次さん。待ってて…必ず傍に行く…」 『違う、そこは俺の世界じゃない…俺はこっちだ』 耳元で紡がれる朗らかで懐かしい声。 「嫌だ…!! これ…嫌……お願い、触れないで……戻りたくない……」 面積を増やして行く温もりが、全身を覆い尽くした時。 「お願い、誰だか知らないけど…慶次さんの振りして呼びとめるのは止めて……!! 『それは俺も一緒だよ、戻ってきな。さん』 「嫌だ、お願い、お願い!! 私に触れないで…甘い言葉で…心を汚さないで!!」 全身を包み込む温もりが心地よい。そして同時に恐ろしい。 「はぁ…はぁ…はぁ…」 溢れ頬を伝う涙に反して、口からは何故か荒い息が漏れた。 「あ…何…? 何なの? 何が起きて…」
もう一度立ち上がって対岸へと渡れる岸辺を探そうとするものの、膝に力が入らなかった。 「…やだ…なに…これ……なんなの…? 一体、何が…起きて…」 徐々に強くなる温もりと感覚は、視覚すら容易に惑わせた。 「やだ…やだぁ…止めて……」 上気する頬。 「いやだぁ…慶次さん…傍に…いく……傍に…いて…」 全身を這う何かが胸元を弄る。 「…助け…て…慶次さ……」 靄の向こうに聞こえていた河のせせらぐ音が遠のく。 「いやぁ!! おいて、行かないでぇ!!」 手を伸ばして叫ぶのと同時に、腹の奥に強い鈍痛を覚えた。 「あ…あっ…あっっ…くぅ…うっ…く」 痛みに呻き、全身が震えた。 「いやぁ…やだ…やだ…これ…いや…」 脅え、震え、泣き続ける。 『さん…一度でいい……目を開けろ…俺を見ろ』 河が遠くなる毎に耳元に聞こえる慶次の声が強くなる。 「やだ…邪魔しないで……なんで、どうして…こんな酷いこと……」 『俺はここにいる…そっちじゃない…』 「やだぁ……放して…」 解放を願えば全身を覆い尽くす感覚は一層深さを増した。 「お願い、慶次さ……助けて……怖い…」 溢れ伝う涙を拭うのは唇。 『参ったね…本当に、強情な姫さんだ……だが、俺はそんなさんも好きなんだよねぇ』 「やだ…慶次さんの振りして……そんな事言わないで……」 『何言ってんだい、俺は俺だ』 「違う、違う…慶次さんは、こんなこと…しない…! 出来ない!!」 『だって俺は、もういないから…かい?』 小さく頭を縦に振れば唇をまた塞がれる。 『一度でいい、目を開けてくれないか』 答えないの顔を撫で、髪を撫で、耳元で囁く。 『それで、俺は諦める。そう望むなら、あんたを手放してやる…だから一度でいい、俺を見ろ』 それで助かるなら。 「…? ここ…は?」 次の瞬間、顎を取られた。 「ようやく、目を開けたな? お帰り、さん」 次の瞬間、視界の中に入って来たのは慶次の嬉しそうな顔。 「あ……なん…で…?」 感極まって溢れだした涙を慶次の唇が拭いとった。 「…聞こえたのさ…あの河の手前で……あんたが俺を呼んだ声が……俺の為に泣いた声が…ずっとずっと聞こえてた」 「だから、戻って来た?」 「ああ、そうさ。さっきから言ってるだろ? 俺はこっちにいる」 強く掻き抱かれると同時に、背に貼り付き、全身を覆い尽くしていたあの感覚が強さを増した。 「えっ、あっ…ちょ……これ、何? どうして…?!」 混乱し、羞恥し、瞼を閉じれば、耳元には慶次の少しも悪びれない声がする。 「こうでもしなきゃ、さん俺の声聞かないからね」 「そ、そんなぁ…」 「で、まだ嫌かい? 気持ち悪いのかい?」 慶次でなければと思い嫌悪していたことだ。 「あ…っ…それは…」 羞恥で赤面し言葉を失うの事を軽く持ち上げて、振り向かせる。 「悪いな、体からおよそは分かってるんだがね。無粋でも聴かせて貰うぜ? 「…慶次さん……もう、ばかぁ!!」 言葉と裏腹に、体は正直だった。 「…もう…どこにも行かないで…」 「行きゃしないよ。俺はずっとずっとこれからもさんの傍にいる」 心を一つに溶かして、肌を一つに重ね合わせる。 『……ん……嬉しいな…』
自分が慶次から施される行為に呑まれ、満たされてゆくのと同じように、慶次もまたの軟肌に溺れて行く。 『…私…慶次さんのものになれたんだ………』 無意識の内に、名を呼び問いかける。 「慶次さん……私……もう…慶次さんのもの?」 「ああ、そうだよ…あんたはもう俺のもんだ……逆に、俺の全てがあんただけのものだ」 無骨な男だと自称しながら、女心をよく理解しているらしい。 「そっか……そうなんだ…」 『嬉しいな、幸せだなぁ』 「ああ、そうさ…さんは、もう俺のもんだ…手放しゃしないぜ?」 「うん……そうだね……放さないで…」 『……放れたくない……失いたくない…』 「ずっと、ずっと…このままで……」 『このまま時が…止まればいいのに…』 安心感と慶次のくれた温もりが誘うのか、の意識が眠りの世界に落ちて行く。 「参ったねぇ……心地良さそうな顔して……寝ちまうかい」 『…このまま……ずっとずっと…傍に……』 「ま、そんなところもさんらしくていいよな…」 耳元で「好きだぜ」と囁けば、は無意識に満足そうに微笑んだ。 『…私…もう…死んでもいいかも………幸せ……』 「続きは、また城に戻ってからな」 慶次が独白した。
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