暗闇の中で見つけた恋 - 慶次編 |
どうっ!! と轟音を上げて、填め込まれていた板戸が吹き飛んだ。 「邪魔だったか」
その通りなのだが、まずはこの場からの脱出が先決だと、慶次は顔を顰めてみせた。 「こんなもん、なかったぜ?!」 彼が驚愕すれば、半蔵はその中へと歩き出しながら言った。 「こうした場には、つきものだ。仕掛けで開く」 なるほど、失念していただけかと慶次は苦笑する。 「まぁ、さんが相手じゃ仕方ないかね」
自分への言い訳を呟いてから、慶次は半蔵の後に続くべく第一歩を踏み出した。 「ああ!! 姫様じゃ!! 姫様が戻られたぞっ!!」 最下層で従事していた民が人影に気が付いて視線を移した。 「様、様!! ご無事ですか?!」 「姫様、意識が!!」 「おお、御身体がなんと冷えて……誰か、床と湯の支度を急ぐのです!!」 「姫様、姫様!! どうかお目覚め下さい!!」 こうなってしまってはもう仕方がないと、慶次は諦めたように身を引いた。
「様ー!! ご無事で何よりでしたわー!!」
意識を失っている間に女中集に風呂に入れられて、体の隅々まで磨き上げられた。 「様!! なんという無茶をされるのですか!!」 「そうじゃ、そうじゃ!! だからあれ程早く城へ戻って下されと…」 「御身をなんとお考えか!!」 「全くじゃ、生きた心地もせんかった!!」 「しかし、ご無事で何よりじゃ!!」 「でも、ご無事で良かったわぁー!!」 大きな瞳を瞬かせるの横に進み出てきた秀吉と家康。 「小言なのか感動なのかどっちかにしたらどうだ」 呆れたような声を上げるのは、政宗。 「あの……」 「なんじゃ?」 「どうされました?」 家康と秀吉が身を乗り出し、抱き付いていたが距離をおく。 「ここは、どこですか?」 「…………………ハイ…?」 「私は……誰でしょう?」 「何ーーーーーーーーーーーーっ?!」 居合わせた全員が悲壮感を顔に貼り付けて絶叫した。 「えっ、あ、な、何? なんなの? ごめんなさい」 「ちょっと待て、本当に誰が誰なのか、自分が誰なのかも分からないというのかっ?!」 三成がにじり寄ると同時に、慶次が身を乗り出した。 「……なんてこった……」 もうそれ以上の言葉は何も言えないと、慶次が腹の底から溜息を吐く。 「……ごめんなさい……ごめんなさい…」 悲しいと、悔しいと、切ないと、は泣いた。 「伝令!! 西の城壁全面崩壊!! 城下が完全に水没致しました!! 城内へも水が!!」 瞬間、が目を大きく見開いた。 「地下、一階共に破棄!! は弾かれるように叫ぶと、すぐに立ち上がった。 「ハハッ!!」 「って、皆こんなところで何してんですか!! 持ち場に戻るっ!!」 呆然としている面々の前を夜着のまま通り抜けて、は階下の評議室へと向う。 「な、おい、こら、待て!!」 「姫、ちょっと待って下さ…」 「様!!」 「お、おい!! 思い出したのか?!」 「さん、ちょっと待ってって」 三成、左近、幸村、孫市、慶次が慌てて後を追った。 「兼続さん、お医者様呼んで!!」 「どうした?!」 後を追ってきた慶次や他の者には脇目もふらずに、は兼続を呼んだ。 「この人、妊婦さん!! 産気づいてる!!」
指摘されて見下ろして見れば、その場に座って噴出した汗を拭うことも出来なくなっている女は確かに妊婦で、既に破水が始まっているようだった。 「えーと、どうしよう…どうしたらいい?!」 「なんで左近に聞くんですかっ!!」 「ちょ、俺を見るなよ!!」 「いや、二人なら、なんか経験ありそうだったから。 「だから、左近に聞かないで下さいよ!!」 「しらねーって!!」
左近と孫市を見ながら狼狽していた。範疇外の事を問われる二人も珍しく混乱を示している。 「わ、悪かったわよ…でも、混乱するじゃない。この状況で妊婦さんが産気づくなんて…」 「はいはい、もういいですよ」 「ったく…冗談きついぜ」 すっかりやさぐれてしまった二人の機嫌を取りながら評議場へとは足を踏み入れた。
「とにかく、皆、気を引き締めて!! まずはこの状況を打破する事が先決です!! 『…本当に……神さんなんか、この世にはいないねぇ…』 「慶次さん、ぼやっとしないで!! 荷上げと城の補強、お願いします!!」 の言葉を受けた慶次は、一度小さく溜息を吐いて瞬きをすると、何かを吹っ切るように表情を改めた。
四方八方を滅茶苦茶にして去った台風二連発を凌ぎきり、復興へと動き出した城天守閣に座すは、目の前に座る慶次に向かい、苦笑いを見せていた。 「ごめんなさい…実は全ッッッッ然、本当に何一つ、覚えてない」
記憶を失ったと言った瞬間に見せた落胆した表情に罪悪感を覚えているのか、は両手を合わせた。 「慶次さん、凄く危険な事してくれたんでしょう?」 「…さん、どことどこを覚えてるんだい?」 質問に質問を返されて、頭を捻る。 「ええと……そう、ツール! あれ、慶次さんに投げてもらって…それから……っ…!」 それ以上を考えようとすると、酷い頭痛を引き起こすのか、は顔を歪ませる。 「それで……その後は……気が付いたら、ちゃんが抱き付いてきて……」 しっかりあの一時の事だけが抜け落ちているようだ。 「じゃ、最後にもう一つだけ…問わせちゃくれないか」 「あ、はい」 「その手首の傷も、覚えてないんだね?」 「…手首の…傷…?」 包帯を巻いた手首を見下ろしたは、表情を曇らせる。 「ごめんなさい、やっぱり思い出せない……でも…ね…」 「ん?」
「なんだか、とても大切な気がする。この傷を見ると、苦しくて、悲しくて、切なくて、でも嬉しくて、安心して…… 自問するの顔が陰るのを見た慶次は、己の膝を一度打った。 「まぁ、いいさ。振り出しに戻っただけだ」 「慶次さん?」 「さん、もういい。あんまり気にしなさんな。今は養生して早く元気になってくれ」 「許してくれるの?」 「ああ、元より怒っちゃいないぜ、俺は」 「でも…」 「いいんだ、さん。あんたが無事なら、俺はそれでいい」 そう言って慶次は立ち上がった。 「さて、復興に従事してくるかね」
の私室を後にして、ほんの少し歩くと、慶次は歩みを止めた。 「これで…良かったんだろうさ。俺もさんも生きてる……僥倖だ」 思い込もうとでもしているような独白を漏らせば、慶次の背後に半蔵が降り立った。 「お、なんか用かい?」 肩越しに見下ろせば、半蔵は艶のある声で言った。
「極限状態の中で得た重要な記憶は、時として気が緩むと同時に消える事がある。 珍しい事もあったものだと目を丸くすれば、半蔵は顔色一つ変えずに言った。 「あの夜あった事は仮初でもなく幻でもない。少なくとも、影が知っている」 それからすぐに半蔵は姿を消した。 「そうさな。やり直しゃそれでいい。さんの命と引き換えたんだとしたら…記憶なんざ、安いもんだ」 再び歩き出した慶次の顔には、もう迷いや悲しみはなかった。
"遠い未来との約束---第三部" 了
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愛する女の為に失うのであれば、本望だ。慶次ならではの恋模様。(09.02.01) |