暗闇の中で見つけた恋 - 孫市編 |
「げほっ!! ごほっ!! ごほっ!!」 胸元に強い圧迫を覚えて、飲んでいた水を吐き出した。 「ふぅ…ようやく息を吹き返したな」 安堵が滲む声色から、相手が誰か見当をつけて、まだ定まらぬ視線を送る。 「大丈夫か? 俺の女神」 「……孫市さ…ん」 「ん? どうした、どっか痛むのか?」 鈍い反応を見せれば、中腰の彼が心配そうに顔を歪めた。 「…あ、私……落ちたんだ…」 蘇った記憶の中で見たのはツールの爆発。 「お、おい、本当に大丈夫か? 泣くなよ」 蘇った記憶に恐れ戦き、自然と涙が溢れた。 「ま、孫市さん…私、生きてる? 生きてるよね? 死んでなんか、いないんだよね?」 「当たり前だ、俺が死なせるもんか」 孫市の服を力一杯握り締めれば、絞られた形になったそこから大量の水が滴り落ちた。 「!」 そこで初めて、彼が自らあの恐怖の中に身を投じた事を実感した。
『俺の思いも察してくれ。愛する人が、一人で大きな重責を背負わされて苦しんでる。 彼が紡いだ言葉は口先だけではない。
「女神、何か話すんだ。どんな内容でもいい、なんでもいい、声を出すだけでいいんだ。 涙で歪む顔を覗きこみ、慈しむように頬を、肩を、背を撫でる。 「ま、孫市さ〜ん、ごめんなさい〜」 泣きながら抱きつけば、孫市は安堵したように肩で大きく息を吐いた。 「なんだよ、怖かっただけか。心配させんなって。焦ったぜ」 「だって、だって…私のせいで、あんな怖い思い…」 しゃくりあげながら訴えれば、孫市はよしよしと後頭部を撫でて笑う。 「あんなの物の数じゃないって。貴方の為なら例え火の中、水の中ってな。 「孫市さん、孫市さん」 繰り返される名前は、何時ものように一線を画した響きではなかった。 「どうした?」 「孫市さん」 まだ心の整理が出来ないのか、は泣きながら自分を呼ぶばかりだ。 「ほら、落ち着いたらそろそろ涙を拭いなよ。貴方に涙は似合わないぜ?」 指先で涙を拭えば、はこくこくと懸命に頷いた。 「ごめんなさい、取り乱して」 「いいって、無理するなよ。怖くて当然だろ」 それから孫市は一旦身を引いて立ち上がった。 「と、そろそろな、移動していいか?」 「移動…? そういえば、ここ、どこなの?」 「隠し通路の途中に作られた中継地点ってところじゃないか?」 立ち上がった孫市が自分の服の中から何か筒状のものを取り出す。 「傭兵雑賀衆を舐めてもらっちゃ困るぜ。これくらいは常備してるさ」
しゅうしゅうと火花を上げる筒の灯りを頼りに立ち上がって、二人で四方を確認した。 「お。おあつらえむきだねぇ」 孫市の声に身を翻した。 「出口って事はないだろうが……ここよりはマシだろ」 「え?」 見てみろよと視線で背を促されて、再び視線を180度回転させる。 「足元だ」 言われるまま見て、彼の言葉を理解した。 「本体が、直撃してる?」 「らしいね」 思わず身震いして身を引いた。 『ま、悪い傾向じゃない。放っとくか』 「女神」 「あ、はい」 松明代わりの筒を預けて、孫市は填め込まれた板戸へと向かい合った。 「やれやれ、仕方ないか」 孫市は独白し、再び服の中から筒を取り出した。 「はい、息吸って」 言われるまま吸い込めば、今度は止めろと言われた。 「っ…んっ!! うぐぐ…!!」
吸い込んだ空気をなくして、反射的に水面を目指そうとすれば、孫市の手がそれを阻んだ。 「…!?」 驚きがあり、申し訳ながあった。 「ご、ごめんなさい…驚いちゃって…」 「いいや、別に気にしてないぜ? 役得だ」 まだの腕は孫市に絡んだままだ。 「落ち着いたか?」 問い掛ければ「そんなに取り乱してもいない」と答えた。 「そうなのか? 俺はてっきり…」 「…てっきり、何?」 「脅えてるのかと思ったんだよ」 「…なんでそうなるのよ?」
むっとしたように眉に力を込めて、気持ち凄むように見やれば、孫市は少しも動じない。 「……自覚ないのか?」 「え?」 「……この腕だよ、腕。俺としては、どうせなら、上がってからお相手したいところだ」 指摘されて初めて気がついたらしいは一気に赤面すると、突き飛ばすようにして孫市から離れた。 「まー、それはれそとしてだ。手、見せてみろ」 躊躇したものの、ズキズキと手首が痛むのは事実だ。 「っ!」 手首がずきんと痛む。 「とりあえず今できる事はこの程度だ、我慢してくれよ」 「あ、はい…その、すみません…面倒ばかり掛けて」 「いや、俺こそ悪かったな。まさかあそこで手伸ばすとは思ってなかった」 互いに謝り合い、それからどちらからともなく距離をおいて立ち上がった。 「足元に注意しなよ」 孫市の言葉通り、そこいら中に木片と小粒の岩が弾け飛んで転がっていた。 『……気の迷いだ……流されちゃ…だめだ……。 強い葛藤があるようで、はそれを悟られてはならないと、懸命に感情を押し殺し続ける。 「あ、あの……孫市さん?」 「ん、ああ。悪い、不安にさせたか?」 言葉で肯定すれば、止め処が効かなくなるのだろう。 「とうやら休憩室だな。囲炉裏に、寝床がある。家捜しすれば使える物も出てくるはずだ」 「あ、じゃ、私が探します」 「了解、じゃ、俺は囲炉裏に火入れるか」 「はい」
互いにそこで落とせるだけの水を落として、それから迷わずに隣室へと足を踏み入れた。 「ん? お、おいおい」 「え?」 のしている事に気がついた孫市の声には驚きと喜びが綯交ぜになっている。 「あ、ご、ごめんなさい、慣れないですよね、こんな姿」 「あ、ああ」 彼にしては珍しく反応が純朴に思えるが、無理もない。 「えと、これは…その、水着といいまして、私の世界で避暑地で水遊びする時に着る服なんですよ」 「服? それが?!」 「え、ええ」 見つけ出した裁断前の布をせかせかと体へと巻きつけて、は「これでどうでしょう?」と問う。 「あ、ああ…」 曇った声で答えた孫市は苦悶に満ちた眼差しだ。 「まだ、だめですか?」 「いや、いい。さっきのよりは、マシだ」 背を向けて肩で盛大に息を吐いた孫市の顔は困惑と喜びの真っ只中で歪みっ放しだ。 『そりゃな、俺だって男だ。直球勝負な水着とやらは嬉しいぜ? 「ま、孫市さん?」 「ん、ああ、悪い…平気だ、ちょっと動揺した」 「…意外……」 「え?」 「孫市さんすごく軟派な感じがしたけど…意外と硬派で初心?」 「…あのなぁ…」 惚けた問いかけを受けて、孫市は顔を顰めた。 「密室で二人きり、手も出せないのに惚れた女が目の前である意味、裸体だぜ? 動揺するだろ、普通」 「はぅ!?」 指摘された意味に今気がつきましたと言わんばかりには身を竦ませて小さくなった。 「分かりゃいいんだ、分かりゃ」 が緊張した事を悟ったのか、孫市はの頭を指先で掻き混ぜるように撫でつけると、自ら距離を取った。 「そういう理由だから、不用意な真似して煽ってくれるなよ? 「は、はい……気をつけます」 乱された頭髪を手櫛で直しながら答えたは、やはり何も分かってはいなかった。 「あ、でも…」 「ん?」 「孫市さんも服、干した方がいいですよ。風邪引いちゃうから」 悪意も何もない一言を受けて、孫市は本日何度目かになる溜息を、肩を動かして盛大に漏らした。
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