暗闇の中で見つけた恋 - 孫市編 |
囲炉裏を前に裁断前の布を巻き付けて、二人で並んで座っていた。 「なんでもいいがな、寝ないでくれるか」 「はぅ!! え? あ、ごめんなさい…」 徐々に温かさを増して行く部屋の気温に促されるように、は何度か舟を漕いだ。 「こんな所で寝たら、風邪引くぜ」 「分かってんだけど……暇なんだもん…」 「全く、俺の女神は余裕で豪胆だね。この状況下だぜ、悲嘆にくれたり動揺したりするだろ? 普通」 「だって…孫市さんが一緒だから、安心かなって」 蟀谷を擦りながら答えれば、孫市は驚いたように目を見開いた。 「傭兵ってすごくサバイバル術に長けてるんだなー、って思って。 「なぁ、女神。貴方の事だから自覚なんて丸でないだろうけどな、それってすごい口説き文句たぜ?」 「く、口説いてなんかないよ!」 顔を上げて、慌てて両手を振れば、孫市は笑った。 「分かってるよ。貴方はそういう罪な女だ。まぁ、そこがいいんだけどな」
注がれる視線から、彼が見せ続けた行動力から、どんな感情を自分に向けているのかは痛い程分かる。 「安心しろよ、女神。貴方の許しがない限り、俺は何もしないぜ」 「……ごめんね、孫市さん……きっと、私は…一生、許せない」 「おいおい、断言かよ。それも一生?」 こくんと小さく頷いたの視線はか弱く揺れる。 「うん……私、本当に……ばかだ」 ぽろぽろと涙が溢れてくる。それは次第に嗚咽へと変わった。 「おい、泣くなって。どうしてお前が泣かなきゃならいんだ」 本来なら、泣きたいのは自分だと、叫んでしまいたいところだ。 「…思い出してた…」 「何を?」 「六年前のこと」 ああその事かと、孫市は顔を顰めた。 「吐き出す気はないか? 前にも言っただろう。一切合財、受け止めるつもりだって」 そこから逃れさせてやりたくて、自由にしてやりたくて、孫市は言った。 「どうして……どうして、貴方じゃなかったんだろう…?」 あの時と同じ独白。 「過去を見るのはもう止めろ、取り戻せるもんじゃない。でも、作り出すことは出来るだろう?」 瞬間、は顔を顰めて呻いた。 「…分かってる、皆、そう言う。でも……無理なの…」 「え?」
「そんな事言われなくても、ちゃんと頭では分かってる。でも心がついてゆかないの。 「どうして?」
「怖いから、苦しいから、求めた安らぎの果てにまた何かがあるんじゃないかって……不安になる。 「だから、投げ出すのか?」 こくんと小さく頷いて、は吐き出した。 「そうやって、この六年……なんとか生きてきた。生きて、来れた」 「………何が、あった?」 低い声。自分にしか見せぬといった顔で、孫市は問い掛ける。 「教えろよ、全部背負ってやるから。洗い浚い、俺に聞かせろ」 珍しく命令口調で促された。
事は彼女が学生の頃へと遡る。 「…不倫…してたの…」 震えながら、は呟いた。 「不倫って……マジかよ?!」 目を丸くして問い掛けた孫市の前で、はこくと小さく頷く。 「……一番信じていた友達が……尊敬していた店長と不倫してた。 の説明を受けて、孫市が密かに安堵の溜息を吐いた。 「見える? この傷跡」 促されるまま視線を流せば、確かに薄らと傷跡が見えた。 「……刺されたの、後ろから突然……店長の奥様に…」 「ちょ、ちょっと待て、なんで貴方が刺されなきゃならない? 不倫したのは」 こくんと小さく頷いて、は肩を震わせた。嗚咽が漏れる。 「そう、私じゃない……でも友達は……私の名前を語ってた」 孫市が息を呑んだ。
「奥様は、完全に信じてた。メールアドレスの小文字と大文字の違いを見分けることが出来なくて、 「それは貴方のせいじゃないだろう?」 こくこくとは頷いた。 「分かってる、皆そう言ってくれる。でも、辛いし…苦しくて、悲しかった。 尻すぼみになった声。落とされた肩。
「バカだよね…つまらない男に引っかかって、大事にしなきゃならないものをさっさとあげちゃって。 孫市は無言でを抱き寄せた。
「孫市さんが言うように、恋がない人生は寂しいとは思う。でも、誰かが私の心の傷を背負えるはずもない。 孫市の胸板に額を押し付けて、苦しいとは訴え続けた。
「…忘れたいの……思い出したくなんかないの……でも、思い出しちゃうの…恋は人を狂わせるって。 「怖くて、痛い…か」 そんな状況と理由で、背後からいきなり刺されればトラウマになるのは当然だと孫市は喉を鳴らした。 「ごめんなさい、孫市さん…私の為に、あんな危険な目に合ったのに……ごめんなさい…」 孫市の思いには答えられないと、答えるだけの勇気はないと、は泣き続けた。 「…なぁ、女神…」 孫市が低い声で問い掛ける。 「試してみる気はないか?」 顔を上げれば、孫市はの頬を撫でた。
「俺で、試してみる気はないか? 嫌な過去を忘れるなら、新しい恋に身を委ねてみるのも一興だぜ? 孫市の意図が読めずに首を微かに傾げれば、孫市はの方へと体を傾けた。 「ん!」 次の瞬間、緩やかな動作で顎をしゃくられて、唇を奪われる。 「なぁ、俺に一回だけ、賭けてみないか? 俺は期待を裏切らない男だぜ」 一度だけ身を離して孫市が最後の確認とばかりに問う。 「安心しな、貴方の初めてはそいつじゃない。この俺だ」 の全身に満ちる願望を察した孫市は口の端を吊り上げて笑うと、をその場へと掻き抱いて崩れ落ちた。
どうっ!! と轟音を上げて、入り口に立てかけておいた箪笥が吹き飛んだ。 「邪魔だったか」 「…まぁね」 顔を顰めてそう言って、孫市は起き上がった。 「まぁ、落ち着いてからゆっくり楽しんでもいいしな」 賭けの勝利を確信して、孫市は独白した。 「さ、帰るぜ。俺の女神」 すっかり出来上がってる孫市の姿を見ていた半蔵が背を向けた。 「こんな所にあったとはな、盲点だったな」 孫市が独白すれば、半蔵は淡々と答えた。 「見つけるは至難。内からでなくば開かぬ」 「なるほど。じゃ、さっさと帰ろうぜ」 半蔵を先頭に、縦横無尽に走る細い通路を進み続けた彼らは、最終的に城の地下室へと辿り着いた。 「ああ!! 姫様じゃ!! 姫様が戻られたぞっ!!」 最下層で従事していた民が人影に気が付いて視線を移した。 「大変、意識が!!」 「なんと冷えて……誰か、床と湯の支度を急ぐのです!!」 「姫様、姫様!! どうかお目覚め下さい!!」 こうなってしまってはもう仕方がないと、孫市は肩を竦めた。 「おーっと、悪いね。お嬢さん方。湯殿までは俺に送らせてくれないか? それが男の務めってもんだぜ」 ひったくろうと手を伸ばした女中集の手を巧みに交わして、孫市はを抱えたままで湯殿へと歩みを進めた。 「孫市様」 「と、そうだな。これ以上はまずいか。頼むぜ、さん」 脱衣所まで付いて来たと女中集へとを預けて、孫市は身を引いた。 「孫市!!」 「よー、秀吉」 「様は?!」 「疲れて眠ってるだけだ、ってゆーか、俺の事もちったぁ心配しろよ」 「お前なんぞどうでもいいんじゃ!!」 「ひでぇな、お前。普通に真顔で言うなよ、そういう事。俺達ダチじゃなかったのかよ」 「案ずるな、本気だ」 生還の報を受けて駆けつけた秀吉に問われて軽口で返していると、秀吉の後方から三成の声がした。 「秀吉、お前こいつにどういう教育してんだよ……?」 「あー、まぁ、普通に済まん。察してやってくれ」 「あのなぁ、俺の事も察しろっての。まー、それはいいから野郎は撤収。俺の女神はこれから入浴だ」
しぶとく居残ろうとする秀吉と三成を小脇に抱えた孫市は、その場を軽い足取りで後にした。
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