暗闇の中で見つけた恋 - 孫市編

 

 

様ー!! ご無事で何よりでしたわー!!」

 意識を失っている間に女中集に風呂に入れられて、体の隅々まで磨き上げられた。
天守閣の自室へ戻され、床の上でが目覚めた時。
一番最初に目に入ったのは、顔面を涙でぐしゃぐしゃにしたの顔だった。
彼女は感極まって、思いっきりに抱きついてきた。
続いて、まだ直撃中の台風との攻防に明け暮れる秀吉、家康が顔を出し、その場で二人して膝から崩れ落ちた。
二人の顔は安堵一色に染まっていた。

様!! なんという無茶をされるのですか!!」

「そうじゃ、そうじゃ!! だからあれ程早く城へ戻って下されと…」

「御身をなんとお考えか!!」

「全くじゃ、生きた心地もせんかった!!」

「しかし、ご無事で何よりじゃ!!」

「でも、ご無事で良かったわぁー!!」

 大きな瞳を瞬かせるの横に進み出てきた秀吉と家康。
彼ら二人の左右から繰り出される小言を聞きながら、は首を傾げ続ける。

「小言なのか感動なのかどっちかにしたらどうだ」

 呆れたような声を上げるのは、政宗。
彼の後方から、兼続、三成、幸村、左近、孫市、慶次が入って来る。
身嗜みを改めた孫市を見上げ、は一度だけ首を傾げた。

「あの……」

「なんじゃ?」

「どうされました?」

 家康と秀吉が身を乗り出し、抱き付いていたが距離をおく。
固唾を呑む一同の前で、は何度となく瞳を瞬かせる。

「ここは、どこですか?」

「…………………ハイ…?」

「私は……誰でしょう?」

「何ーーーーーーーーーーーーっ?!」

 居合わせた全員が悲壮感を顔に貼り付けて絶叫した。
その反応を受けたは、脅えたように体を縮み上がらせるとへと抱きついた。

「えっ、あ、な、何? なんなの? ごめんなさい」

「ちょっと待て、本当に誰が誰なのか、自分が誰なのかも分からないというのかっ?!」

 三成がにじり寄ると同時に、孫市が身を乗り出した。

「ちょ、冗談きついぜ! 嘘だって言ってくれよ、女神! あの一時は夢幻だったて、そういうのか?!」

 彼にしては珍しく取り乱していた。
に抱きついているの事を引き離し、両肩に手を掛けてがくがくと揺さぶった。

「やめんかっ!!」

 瞬間、孫市へと慶次、三成、左近、幸村の拳が炸裂した。
部屋の端へと吹っ飛ばされた孫市が顔を上げれば、を守るように家康と秀吉までが身構えていた。

「お前ら、それナシだろ…普通に……多勢に無勢過ぎないか?」

 そんな孫市の姿を見ると自然と胸が痛んだ。
は眉を八の字に曲げて、苦しげに言った。

「…ごめん…なさい…」

 孫市の行動にあの一瞬は恐れ戦きはしたものの、彼の切羽詰った様子から何かを感じ取ったようだ。
けれどもその何かが分からず、困惑し、同時に強い罪悪感を覚えた。
自然と、は顔を伏せた。
その様子から察しても、彼女の言葉には、嘘はないように思えた。

「……本当、俺の女神は酷だな……ま、そこが魅力的なんだけどな」

 空元気丸出しで言えば、が微かに視線を動かした。
胸が締め付けられるような思いを続ける中で、何かを思い出しかけて、それが上手く行かなかった様子だ。
手掛かりを探すように周囲を見渡せば、自分を気遣う多くの人々の心配そうな顔、顔、顔。
中には絶句し、その場に崩れ落ちている者もいる。
これでは手掛かりどころの話ではない。
 自分のを取り巻く人々の不安げな、それでいて労わるような眼差しに晒されていると、込み上げてくる申し訳なさで感極まってしまったのだろう。の眦には自然と涙が浮き上がった。
は溢れかける涙を懸命に拭った。これ以上は迷惑はかけられないと、思ってのことだった。
 考えてみれば、体にも幾分か疲労感がある。
これらの点から察するに、何か大変な事が起きていて、自分はそこに巻き込まれていたのかもしれない。
では、その大変な事はなんなのだろうか? 思い出そうと努めるが、一向に思い出せない。
特に、絶対に忘れてはいけないことが一つすっぽりと抜け落ちてしまっている気がする。

「……ごめんなさい……ごめんなさい…」

 悲しいと、悔しいと、切ないと、は泣いた。
翳ったの横顔が、彼女の抱え込んだ感情の全てを言い表していた。
 そんな姿を見てしまえば、非常事態と言えど多くを求めるのは酷だとしか思えなくて、皆が固唾を呑んだ。
どうしたらいいのか、何をどうすればいいのか、皆すぐには思いつけなかった。
 そこへ突然変化が起きた。
奇妙な空気が蔓延する室の中へと、全身ずぶ濡れの伝令兵が飛び込んで来たのだ。

「伝令!! 西の城壁全面崩壊!! 城下が完全に水没致しました!! 城内へも水が!!」

 瞬間、が目を大きく見開いた。
霞がかった記憶が一気にフラッシュバックする。

"……一日…遅れで………こっちにも同じ事が起きてる……?"

 現代とは似ても似つかない脆い平屋造りの家屋を見下ろし息を呑み、

"バカか、お前はっ!! 周りを見なさいよ!! こんだけ天候が荒れてくれば、いい加減分かるでしょ?!
 台風がすぐそこまで来てるのよ!! 今は矜持より、命でしょうよ!! なんで分かんないの!!"

 もめ事を起こした大工の棟梁を素手で殴って叱責した。

"ああ、それよりも聞いてくれ。旧城は一先ず無事だ。
 だが俺が出る前に周囲の川が氾濫した。今頃、こっちとの接続は分断されてるはずだ!!
 何が起きてるか知らんが、あの分じゃ、ここが孤立するのも時間の問題だぜ!! 俺は何をすればいいね?"

"早速だけど補強手伝って!! 今は一人でも力のある人が必要なの!!
 半蔵さん、もし近くで聞いてたら今すぐに国境へ伝令を!! 全軍撤退!! 城への帰還を命じます!!"

 帰還した慶次から得た情報と自分が下した命令。
生々しいやり取りの間に、三成と交わした会話が混ざり込む。

"落ち着け、一体どうした? 何があるというんだ。言ってみろ"

"……あ、あ…み、三成…どうしよう……どうしよう……またくる…"

"なにが?"

"台風……それも、この前のより……ずっとずっと大きいの……沖合いで三つの低気圧が一つになっちゃったって…!!"

『…そうだ、台風だ……今、領は…台風に脅かされてる…!!』

 入り乱れる記憶に翻弄されて呻いた。
酷い頭痛と耳鳴りがの身に襲いかかり、を苦しめる。

"……四日後……四日で来る…"

"よし、迎え撃つぞ"

"どうやって?! 自然災害なのよ?!"

"だがこの前は乗り切った。こっちは兵糧も薬もある、怪我人も少ない。
 "もう"じゃない、"まだ"四日あるんだ、ならば備えるだけだ!!"

『…備えなきゃ……また来る……備えないと……皆が死んでしまう…!! そんなの、ダメだ!! 護らなきゃ!!』

 痛みに耐えかねて両手で頭を抱えて身を捩れば、周囲が尚のこと、慌てふためいた。
入り乱れる記憶の向こうで、秀吉を始め、皆が自分のことを呼んでいる。
その声の中に、医者を呼びつける声も混じっている。
それらを知りながら、彼らに答える事よりも、現れては消えて行く記憶の先を必死で追い求めた。
 飛び散った陶器が埋まった粘土質な大地の上を、民は弱音一つ吐かずに懸命に資材を運搬した。
泣くばかりだった女達は自発的に動き出し、焚き出しに精を出した。
そんな中、襲いかかって来た第二の自然災害。
突風に誘われて落ちた自分の体を受け止めてくれたのは、部屋の隅で茫然自失になっている若武者と、その横にいる変わった形の兜をかぶった青年に相違ない。

『…知ってる…私は、この人達を知ってる……困難になる度、私は、この人達に守られてきた…』

 天に轟いた雷鳴。
暗雲の中を泳いだ稲光から逃れるべく、女子供を救おうとする女の姿がある。
女は意識を失った飯炊き女を崩れる足場から逃すべく突き落し、寄り添う子供を護るために手早く何かを操作する。

"様、どうか動かないで下さい!! 崩れますっ!!"

『!!!』

 若武者に呼ばれた名こそが、自分の名だとはっきりと自覚した瞬間、は大声で叫んだ。

「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 呼び覚まされた記憶の本流が、苦痛を越えて、その先を事細かに見せて行く。

"慶次さん、これ、力一杯外へ投げてっ!! 今すぐっ!!"

 慶次に向けて投げ放ったツール。
そのツールに導かれて雷鳴が走る。
雷に打たれたツールは木っ端微塵に砕け散り、暴走した雷撃が城外の木々を裂いた。
耳の中に残るのは轟音、視界にこびりついたのは燃え上がった紅蓮。
そして自分の立っていた足場は大きく崩れ、自身はその下を走っていた水路の中へと落ちた。

「あ、ああああ!! あ、ああ、ああ、あああ!!」

 は腹の底から声を上げ続けて、己の体を掻き抱いてのたうち回った。
呼吸困難になり、はぁはぁと肩で息をつきながら懸命に混濁する意識を手繰り寄せる。
 錯乱状態にあるを心配して、周囲が慌ただしく動き回る。

「医者じゃ!!」

「誰ぞはよう医者を呼ばぬかッ!!」

 秀吉、家康が血相を変えて叫び散らすのを、が掌を突き出して留めた。
誰も彼もが驚いて動きを、言を止める。
 肩で深呼吸をしていたは、何度か瞬きをした後に、キッと視線を定めると顔を上げた。

「必要ない!! それよりも、今は対処が先!! 
 階下にいる皆に伝令よ、地下、一階共に破棄!! 
 兵糧、火薬、薬、武具、書物、持てる物資を持てるだけ持って、総員二階へ退避!!」

「ハハッ!!」

 皆が目を丸くしての動向を見守れば、は何時もの調子を取り戻したように、すぐさま立ち上がった。
疲労感が残っている為に多少ふらつけば、寄り添っていたが慌てて手を伸ばして補佐する。
それを受けながら、は下知を飛ばし続けた。

「って、皆、こんなところで何してんですか!! 早く、持ち場に戻ってっ!!」

 バランス感覚を取り戻したは、呆然としている面々の前を夜着のまま通り抜けた。
どうやらそのまま、階下の評議室へと向うつもりのようだ。

「な、おい、こら、待て!!」

「姫?!」

様!! お体は…」

「お、おい!! 思い出したのか?!」

さん、ちょっと待ってって」

 慌てて追い縋ってきた面々を無視して、は階下へと続く階段を下りた。
きびきびと歩み続け、対策本部とした評議場へと足を踏み入れる。
するとその場の空気ががらりと変わった。
悲壮感ばかりだったそこが、の入室一つで、希望の光で満たされたのだ。

「お、おお! …おお、姫様!!」

「ようお目覚めになられました!!」

 詰めていた諸将の感嘆に頷くことだ答えたは、現状を把握しようと机の上に散らばる報告のメモを取り上げて読み始める。そんなを補佐するべく、各人が動き始めた。
 その中において、唯一孫市だけが複雑な眼差しでの小さな背中を見つめていた。
彼は先程のやりとりで、一番認めたくない事実を確信した。
はの記憶はきっと戻った、自分との事を除いて。
その証拠に指示を飛ばし始めたは自分に気が付く事もないまま、一同を鼓舞し続けている。

「とにかく、皆、気を引き締めて!! まずはこの状況を打破する事が先決です!!
 西の城壁が決壊するなんて、想定外もいい所なんですから!!
 もうあのツールもないし、頼れるものなんてないのよ!!」

『全く…本当に残酷な人だ』

「孫市さん、ぼやっとしないで!! 火の管理、お願いします!!」

 の言葉を受けて、孫市はその場に揃った城家臣団と共に改めて顔に覚悟と闘志を貼り付けた。
後に"城・地獄と奇跡の篭城Xデー"と呼ばれるようになった災害後半戦の正念場は、こうして幕を切って落とした。

 

 

 四方八方を滅茶苦茶にして去った台風二連発を凌ぎきり、復興へと動き出した新生城天守閣に座すは、目の前に座る孫市に対して苦笑いを見せていた。

「ごめんなさい…本当に何一つ、覚えてないんです」

 記憶を失ったと言った瞬間に見せた落胆した表情に罪悪感があるのか、は両手を合わせる。
あの孫市がこんな顔をする事自体が想定外だったようで、焦り恐縮しているようだ。

「孫市さんには色々お世話になったのに…本当に、ごめんなさい」

「で、俺の女神はどことどこを覚えてるんだ? 聞かせて欲しいね」

 腹を据えた孫市にとっては、前後関係はもうどうでも良かった。
唯一つ覚えていて欲しいと思ったのは、己が与えた甘美な一時。
甘え、強請り、溺れて、抱えていた重責からようやく解き放たれたと言ったあの瞬間の感情だけだ。

「ええと……そう、あのツール! 慶次さんに投げてもらって…それから……っ…!」

 それ以上を考えようとすると、酷い頭痛を引き起こすのか、は顔を歪ませる。

「それで……その後は……気が付いたら、ちゃんが抱き付いてきて……」

「…惨敗か…」

 肩を落として、盛大に孫市は息を吐いた。

「す、すみません」

「いや、いいさ。仕方ない、すぐに記憶が戻っただけでもめっけもんさ」

「咎めないんですか」

「咎めようもないさ。極限状態の中で得た記憶は、時として気が緩むと同時に消える事があってね。
 貴方のもきっとそれだろう。必要だと思えば、貴方は自分できっと取り戻す。だから焦っても仕方ない」

「…孫市さん」

「俺としては、思い出すように努力してもらえりゃ、僥倖だけどね」

 そう言って孫市は立ち上がる。
は思わず立ち上がった孫市へと向かい手を伸ばした。
彼が見せた陰りのある笑みに、妙に胸を締め付けられたからだ。

「気に止む必要はないぜ。ただ振り出しに戻っただけさ。
 俺はやり直せばいいだけだ。それよりも早く元気になってくれ」

 労われ続けるのが苦しくて、は己の唇を噛みしめる。

「ほら、またそんな顔をして。何時も言ってるだろ?
 俺は貴方の笑顔が見たいんだ。笑っててくれよ、頼むから」

 伸びた指先で頬を撫でられる。
そこで自分が泣いていることを知った。
頬に触れる孫市の掌が妙に名残惜しく思えて、手を添える。
瞬間、手首に巻かれた包帯が目に入る。
その包帯の白さの奥に何かを思い出しかけて、また失敗し、落胆した。

「無理しなくていいって言ってるだろ」

 表情を曇らせるの頭を撫でて孫市は笑った。

「ごめんなさい、やっぱり思い出せない……でも…ね…」

「ん?」

「なんだか、とても大切な気がするの。この傷も、孫市さんの掌がくれる温もりも……だから、思い出したい……。
 それなのに……上手く行かないの……どうして? なんでなの??」

「考えなくていいさ。記憶は薄れても、魂が覚えてる。それで充分だろ?」

 の言葉に満足したのだろう。
孫市は吹っ切れたような笑みを口元へと貼り付けた。

「さて、俺はそろそろ行くぜ。ここにいると、このまま貴方の弱さにつけこんで襲っちまいそうだからな」

 珍しく直球な軽口を叩いて孫市は身を引いた。
目を丸くしたが思わず叫ぶ。

「もー!! とっとと、行っちゃえ!! セクハラ大王!!」

「そうそう、貴方はその意気だ」

 孫市の明るい声を聞いて、もまた小さく微笑んだ。
ほんの少しだけ、肩から荷を降ろせたという表情だった。

 

 

 の私室を後にして、ほんの少し歩くと、孫市は歩みを止めた。
肩で溜息を吐いて、頭を掻く。

「とは言ったものの…未練たらったらだな…俺」

 慰みにもならない独白を漏らせば、孫市の前に半蔵が降り立った。

「なんだよ?」

 本当は微塵も余裕がないと視線に滲ませれば、半蔵は淡々と言った。

「悩むな。あの夜あった事は仮初でもなく幻でもない。少なくとも、影が知っている」

 それからすぐに半蔵は姿を消した。
彼は彼なりに、あの場に踏み入ってしまった事に罪悪感を覚えていたのかもしれない。
 半蔵が紡いだ言葉に妙に安堵した孫市は、それもそうかと破顔した。

「ま、難攻不落な女だから、燃えるんだしな」

 再び歩き出した孫市の顔には、もう迷いや悲しみはなかった。

 

"遠い未来との約束---第三部"

 

- 目次 -
救ったはずだった。過去からは逃したはずだった。その事実が例え消えてしまったとしても…諦めない。
何度でも、何度でも、彼女が笑ってくれるまで救い続ける…。それが仕事人・孫市ならでの恋模様。(09.03.23.)