暴風雨の中で

 

 

「………っ…」

 二人はすぐには言葉を紡げなかった。
それもそのはず。彼らが見下ろした城下町の有様は、想像以上に酷いものだった。
 家屋は潰れ、町の殆どが水没し、あれ程補強した城壁はあらゆる所が崩落している。
それだけでも目を覆いたくなる惨状だというのに、西の城壁の向こうに茂っていた森林は、巨大な獣に踏み荒されでも
したかのように、木々が折れて散乱していた。

「……姫……貴方が起こして下知を飛ばさなきゃ……今頃……俺らは……」

 左近が感嘆交じりの声を上げれば、開いた窓から盗み見るように外を見た民が、感動に打ち奮え嗚咽を漏らした。
皆、己の生を噛みしめていた。

 彼らからじわじわと広がった感動は、強い信頼、敬愛となってへと戻った。
離れている場所に座っていた老婆などはを拝んでいるくらいだった。
彼らにとっての生き仏とは、正に""そのものだ。

「……どうしよう……どうしよう…!! ねぇ、どうしよう? もう、なにも思いつかない…!!」

 だがそうした視線を集めていたは、その場の中でただ一人、喜びではなく絶望を顔面に貼り付けていた。
混乱を露にして大粒の涙を零して隣に座る孫市の着物の裾を握り締めている。
そうでもしていなければ、己を支えることが出来ないという様子だ。

様? どうされましたか?!」

 幸村が問い掛けてもは混乱と共に泣くばかりで答えない。
から生じた不安が民に広がる前に、三成が進み出てきての顔を両手で抱いた。
しっかりと目を見据えて抱きしめ、彼は問う。

「落ち着け、一体どうした? 何があるというんだ。言ってみろ」

「……あ、あ…み、三成…どうしよう……どうしよう……またくる…」

「なにが?」

「台風……それも、この前のより……ずっとずっと大きいの……沖合いで三つの低気圧が一つに
 なっちゃったって…!! 今度の被害は、もっともっと酷いって……どうしよう?!
 先に上陸された他所の国には、他の国から救援隊が派遣されてるくらいで…手がつけられない有り様だって…」

「そうか。刻限は何時だ?」

「え?」

「刻限だ!!」

 強く問われては慌ててツールのパネルを弄る。

「……四日後……四日で来る…」

「よし、迎え撃つぞ」

「どうやって?! 自然災害なのよ?!」

「だがこの前は乗り切った。こっちは兵糧も薬もある、怪我人も少ない。
 "もう"じゃない、"まだ"四日あるんだ、ならば備えるだけだ!!」

 何を言っているのかとが瞬きすれば、左近がの肩を軽く撫でた。

「姫、今度は、左近達が姫にお見せしましょう。領・領民全てが一丸になって起こす奇跡…って奴をね」

「…左近さん……」

「で、どっちの方角から来るかとか分かりますか?」

「あ……待って……えっと……この地図だと………多分、東から……」

「了解しました、聞いた通りだ。東を主に補強する」

「でも…資材の残りなんか、もうない…」

「あるだろう」

「え?」

「切り出す手間が省けたな」

 そう言った三成の眼差しは、森林に散乱する木々に向く。

「いーや、それよりももっと面白いもんがあるんさ」

 座って粥を掻き込んでいた秀吉が進み出てくる。

「秀吉様?」

「よう見てみ。木が折れて、道が出来た」

「道?」

 秀吉の眼差しは、倒れた木々の向こうに聳える岩山に向いていた。

「孫市、爆薬じゃ!! 派手にぶっ飛ばすで!!」

 残りの粥を一気に腹の中へと入れた秀吉は、器をその場に置くと歩き出した。

ちゃん、美味かったで。様をちーとばかし休ませてやってくれ。お疲れのようじゃ」

「はい。さ、参りましょう。様」

 三成から引き離して、が寄り添いながらを別室へと連れて行く。
の離室を見届けた一同は、改めて窓の外を見やると、無言で頷き合い、立ち上がった。
その階に避難していた民も一人、また一人と立ち上がり後へと続く。
 から派生した意識は、着実に領民に根付き始めて、彼らを動かす力となっていた。

 

 

 に手を握られながら緩やかな仮眠を得て、目を覚ました時には、の示唆した第二の災厄が領へと魔手を伸ばし始めていた。
 室内には生暖かい空気が充満し、湿度も何時にも増して濃くなっている。

「…やっぱり…夢じゃないんだね……長い長い夢を見てるんだとばかり…思ってたのに……」

「大丈夫ですわ、様。皆、生き残れます。きっと」

「…ちゃん…」

 本当は不安なはずなのに、励まそうとしてくれるには頭が下がる。
何故なら自分と共に天守閣へとが移る寸前のこと。
彼女の傍にいた最愛の夫・服部半蔵は、この事を各領地へ知らせるべく、一人城から姿を消した。
敬愛する夫のことを思えば、決して他人を励ましてなどいられないはず。

けれどもはその思いを胸にしっかりとしまって、を気遣い続ける。

「ごめんね……ごめんね…」

 夫の事を言っている事は明白だった。
は首を横へと振り、慈愛に満ちた眼差しで微笑んだ。

「平気です、旦那様はきっと御無事です。それに…忍とはそういうものです」

「でも…!!」

様、は何も恐れてはおりません。
 家の家臣となるまでは、とてもとても不安な日々。でも今は、全然不安はありません。
 半蔵様が例えお仕事で命のを失う事になっても、であれば名誉ある死を賜れる事でしょう。
 何も分からず、知らぬままお別れする訳ではありません。だから恐れることなど何もないのです」

 「どうか気遣わないで下さい、謝らないで下さい」と、は視線で切々と訴える。

「そうですね、様はの大切なお友達ですもの、ちゃんと言っておかなくては……聞いて下さいね、様」

 何を言い出すのだろうと視線で問えば、は珍しく強い口調で述べた。

は、半蔵様が黄泉へと旅立たれたら、お供するつもりです」

ちゃん?! 何言って…」

 驚いて飛び起きれば、はそれすら幸せの一つだと柔らかく微笑み続ける。

「ご理解下さい、それがの愛なのです」

「…ちゃん…」

 迷いはなく、清々しい面持ちにが言葉を失えば、は「半蔵様も、ご存知ですわ」と言った。

「先程も申し上げた通り、に仕える前までは本当に不安でした。
 何時如何なる時に半蔵様を失うか分からない。失ってしまったとしても、それに気付かずに、
 余生を生き永らえてしまったかもしれない。けれども、に仕えてからその心配だけはなくなりました。

 それだけでも、にとっては幸せです。だから大丈夫ですよ。謝ったりなさらないで」

 これも一つの愛の形なのだと言い切られて、は胸の中が熱くなった。
思わず溢れた涙を拭い、顔を上げた。

「分かった。じゃ、そうならないように私も出来る限りの事をする!! 
 大丈夫!! 服部半蔵は日の本一の忍者だもん、こんな事くらいじゃ、絶対に死なない!!
 帰って来た時に、に仕えて良かったって思ってもらえるくらい、いい形で、皆で乗り越えなきゃね!!」

「はい、その意気ですわ。様なら、不可能も可能にする、はそう信じておりますよ」

 立ち上がったの後に続いて、もまた部屋を出た。
慰める為の詭弁ではなく、本当にそう思っているのだろう。の顔には一切の陰りはなかった。
確かに彼女は日の本一の忍者・服部半蔵の細君だ。
ほやほやしている人ではあるが、こと半蔵に関しては、貫禄が違う。

 

 

 室を出て評議室へと戻れば、目まぐるしい騒がしさだった。
自分の代わりに指揮を取っていた三成がに気が付いて顔を上げる。

「首尾は?」

「思った以上に硬質な岩山だ。国庫にあった火薬の殆どを費やすかもしれん」

「構わないわ」

「それを聞いて安心しましたよ、姫」

 窓枠に貼り付いていた左近が声で気が付いて振り返った。
彼の隣まで歩みを進めれば、何故そんなことを言ったのかがすぐに分かった。

「実はもうやっちまった後なんです」

 眼下には将兵の指示に従いながら奔走し、尽力する多くの人々の姿があった。
切り出された岩や木々を運び、城壁の改修と補強をする。
一方で城下に蔓延る水を巧く捌くための水路を補強する為の準備にも余念がない。
数日前までは些細な事で揉めていた人々が、今や手に手を取り合い、脇目もふらずに作業に従事している。

「…皆、今までずっと…?」

「まぁ、非常事態ですからね。必然でしょう」

 混ぜ返すように左近がいった。
そうなのかもしれないが、こんなに喜ばしい事はないとは感動を噛み締める。

「…でも、凄いことだよ…とても大変な事なのに……皆、有り難う…」

 そんなの前へと三成が立った。

「悪いが感傷に浸っている暇はないぞ、これから先の事を算出出来るか?」

 三成はの前へとツールを差し出した。
大量に行灯を集めてその中において充電をしておいてくれたらしい。

「有り難う、すごいね」

「発案は秀吉様だ」

 それを聞いて流石知恵者と頬を綻ばせれば、三成はもどかしそうに顔を顰めた。

「三成?」

 ツールを開き、再起動をかけながら問えば、左近が言った。

「現地で指揮してんですよ、秀吉様は。
 殿は怪力ですが、和を乱すってんでここに残されたのが気に入らんのですよ」

「そうなの?」

 思わず噴出せば、絶対零度の視線で睨まれた。
そこへ全身泥だらけの家康が現れた。外で工事に従事していた彼は、進行状況の確認に来たらしい。

「おお、様。もうお目覚めか」

「家康様、お疲れ様です」

 労えば、家康はすぐに現状を報告した。
連日の過酷な環境と労働とで、流石に従事する人々の士気が落ちているらしい。
このままでは工事の進行に支障が出ると、家康の顔は言っていた。

「私、階下に行ってくる、その方が少しは士気が上がるんでしょ?」

 そう言ったに家康は「有難い」と頷くと同時に、言った。

「足元にお気をつけ下され。地が水でぬかるんでおりますゆえ」

「はい、有り難う! 家康様、行ってきます」

 身を翻すを追いかけたそうな顔をする三成と左近を見て、家康は柔らかく微笑んだ。

「行かれよ、しばしは儂がここを預かろうぞ」

「すみませんねぇ」

「目を放すと何をしでかすか分からんからな」

 素直に礼を言う左近とは対象的に、三成は悪態を吐いてから歩き出した。彼の足取りは軽い。
それからすぐに評議場には湯と手拭、そして家康の着替えが届けられた。
階下へ降りて行く際に、三成が女中に言いつけたらしい。
彼らしい謝辞だとは思うが、実に捻くれている。

 

 

「で、どうなりそうなのだ?」

 階下を進みながらはツールのパネルを弄り倒した。

「向こうの台風はもう収まってるみたい。今回のは威力が大きい分、移動速度が速いのかもしれないね。
 多分、上陸してから三日が勝負よ。それを凌げればなんとかなるはず」

 の覚醒は疲労していた人々の心に本当に光を呼び起こすようだ。
疲れ果てて腰を降ろしていた人々が、の姿を一目見た瞬間に己を奮い立たせて立ち上がる。
彼らは縋るような眼差しを送り、時として込み上げた感動のままに溢れた涙を拭う。
それに気が付いたはツールから視線を外すと、「分かっている」と「どうにかなる」と、視線で答えた。

「姫、板の上を歩いて下さい」

「うん」

 左近の手に引かれて二の丸を出て、裏口へと回った。
正面は作業に従事する人々でごった返していて、激励する為に顔を出せば士気が上がったとしても、混乱の元になるだけだろう。ならば現地に顔を出した方が無難だと考えての事だった。
 降り立った城下は家康が示唆した通り、酷いぬかるみだった。交通の為に敷かれた板の上を歩いていても、自身の体重で板が沈み、草鞋と足の間に粘土のようなぬめった土が絡みつく。
こんな中で資材を運ぶとなれば、それだけで重労働だ。
これを懸命にこなしてくれているだけでも、全ての将兵、民、大工衆に頭が下がる思いだった。

「なんかもーさー、裸足で歩いた方が早いよね、きっと」

「それがそうもいかない」

「なんで?」

 まるで歩く練習をし始めた子供のようによたよたと歩みを進めれば、左近は迷惑そうに顔を顰めた。

「潰れた家屋から飛んだ陶器や、崩落した瓦の破片がそこいら中に埋まってんですよ」

「うっわ!! 怖ッ! それ、マジで怖ッ!! 上から叫べば良かったよ」

 そう言いながら、の顔にはそのつもりは微塵もなく、声も明るい。
それを受けて左近は満足そうに目を細めて微笑んだ。

『そうだ、戦場において姫は常にそうだった。
 姫の朗らかさ、楽観的な思考は、時として皆を救う最大の武器だ』

 久々に見た気がするの本質に左近は安堵し、視線を周囲へと走らせた。
彼は体を動かしながら、最善の献策を出来るようにと、思考を巡らしていた。
己の掌に迷いなく白い掌を預けるこの人が、多くの人の死に嘆き、苦しむことがないようにしなくてはならない。
戦であろうと自然災害であろうと、人の死に敏感なこの人の心を護る為には手段を選んではいられない。

 

 

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