暴風雨の中で

 

 

「姫!!」

 左近が咄嗟に手を伸ばしての手を掴み、抱き寄せる。

「城に戻りましょう、ここは危険だ」

 左近の発した声に、大工衆と集められていた民が目を丸くした。
大筒の傍に立っている人影でしか知りえなかった自国の新たな主が、傘もささずに雨にずぶ濡れになって、今この場にいる事が信じられなかったのだ。

「分かってる、でも…!!」

 は左近の言葉を受けて悔しそうに顔を歪める。
その表情からその場にいた者は、彼女が自分達の知る一般的な君主でもなければ、風潮されているような人柄を持つ者ではないと判じたようだ。
 彼らは目から鱗という体で、自発的に立ち上がった。

「姫さん…すまなかった」

 頬を打たれた棟梁が頭を下げた。
彼は次の瞬間、腹の底から声を張り上げた。
彼の指示の下で、職人民兵が一丸となって動き出す。
それに安堵する間もなく、の抱えた懸念の第一波が領へと襲いかかった。

「ッ?!」

 バケツを引っくり返したような強さの大粒の雨が、大地に向かい降り注ぐ。
城下に燈っていた火が一瞬のうちに消えて、周囲の景色が一層仄暗さを増した。

「うそ、もう来たの?!」

「姫、すいませんね」

 吹きつけ始めた風にが浚われぬようにと、左近がを肩に担ぎ上げた。

「じゃ、戻りますぜ」

「ごめん、左近さん」

「気にしなさんな、役得ですよ」

 その状態のままで城への岐路を急げば、途中の大通りで松風を駆る慶次と遭遇した。
彼は強くなり始めた風雨の中で自分が得た真新しい情報を口にした。
互いに叫ばねば会話がままならないくらい、雨風が強くなり始めていた。

さん?! なんでこんなところにいるんだ?!」

「慶次さん! お帰りなさい!!」

「ああ、それよりも聞いてくれ。旧城は一先ず無事だ。
 だが俺が出る前に周囲の川が氾濫した。今頃、こっちとの接続は分断されてるはずだ!!
 何が起きてるか知らんが、あの分じゃ、ここが孤立するのも時間の問題だぜ!! 俺は何をすればいいね?」

「早速だけど補強手伝って!! 今は一人でも力のある人が必要なの!!
 半蔵さん、もし近くで聞いてたら今すぐに国境へ伝令を!! 全軍撤退!! 城への帰還を命じます!!」

「分かった」

 慶次はその場で松風を降りると、左近に手綱を投げ渡した。

さんを城へ戻しな。で、俺はどっちへ回ればいいね?」

「東だ、崩落が起きてる。幸村さんが突風で負傷してね、統制に不安がある」

「任せな!!」

 身を翻した慶次を左近が確認の為に呼び止める。

「と、慶次さん。他の所領への伝令はどうなってますかね!?」

「伊賀忍が動いてるよ、安心しな。それよりゃ、今はこっちだろ!?」

「結構」

 左近が頷いた後で、口の端を吊り上げて笑う。
彼は現場に専念出来る確証を得て、ほんの少し安堵したようだった。

 

 

 慶次から借りた松風を駆って城へと戻る。
門前にいる兵に松風を預けて城の中へと入ってみれば、想像していた通り、城内は負傷者の阿鼻叫喚で溢れていた。

「外と内から板を打ちつけて雨戸を補強しろ!!」

「地下に浸水!!」

「三の丸、瓦崩落!! 負傷者十五名!!」

「松明が持ちません!!」

「評議場の隣室に処理済の書簡が大量にあるから、それを使って松明の火を維持して!!」

 飛び交う情報に避難している女子供が脅える。
どこからともなく上がった嗚咽が、場に広がる不安と悲壮感とを一層煽った。

「天の怒りじゃ…おてんとう様の怒りにふれたんじゃ…」

「怖いよぅ……ねぇ、おっかぁ。私達死んじゃうの?」

 戻ったばかりのは脅えるばかりで自発的には全く動こうとしない女達の前で叫んだ。

「天の怒りなんかじゃないわ!! ただの自然災害よ!! 大体おてんとう様はこんな酷い事しやしない!!
 もし神が怒って天罰を下すとしたら、今じゃない!! 皆がもっともっといけない事をした時よ!!
 皆さんも泣いてばかりではなくて、今自分に出来ることを探して手伝って下さい!!
 私だって怖い、でも泣いていたって自然災害はなくなってはくれないわ!!
 護りたい人がいるなら、努力するしかないの!! 大丈夫、ちゃんと皆で力を合わせれば乗り越えられるから!!
 泣くことではなくて、動く勇気を持って下さい!!」

 脅えていた女達がの声に驚き、声を失う。

「姫、風邪を引きます。先に着替えを…」

「大丈夫!! それより今どうなってるか把握して、次の手を考えないと…!!」

 止めようとする左近を振り切って、は廊下を水浸しにしながら階上を目指した。

「三成、現状は?!」

 進む途中で、左近は女中から手拭を数舞い奪うと、の頭に押し付けた。
されるがまま全身に纏った水気を拭いながら評議場に戻ると、はその場にいる三成へと問いかけた。
伝令の陣頭指揮を取る半蔵が、に目礼してから、すぐに姿を消した。
彼も全身もずぶ濡れで、人目にこそついていないだけで、臨機応変に働いてくれているのが一目瞭然だった。

「案ずるな。兼続と井伊は無事に退却を開始したそうだ」

「良かった、そうだ、幸村さんは?!」

 肩で溜息を吐いて周囲を見回しても彼の姿はない。
湧き上がる不安で胸が押し潰されそうだ。

「安心せい、腕を多少捻っただけだ。すぐに現場に戻ったわ」

 達の後から評議場へと入って来た政宗が、間髪入れずに答えた。

「それよりも殿、三番井戸だが手がつけられぬ。爆薬で封じても構わぬか」

「そうか、あの井戸は確か一番河に近いから……分かりました、お任せします」

「すまんな、折角掘ったというのに…」

「仕方ないですよ、落ち着いたらまた掘りましょう」

 政宗は頷いて爆薬庫の鍵を取ると颯爽と評議場を飛び出していった。

様」

ちゃん、どうしたの?」

 入れ替わるように襷掛けをしたが現れて、彼女にしては珍しく早口で嘆願した。

「皆様の食事を作ろうと思いますの。階下に避難している方々もお手伝いして下さるそうです」

 の機転に連動し、脅えるばかりだった女達が自発的に動き出した。
の"自分に出来ることをする"という言葉が、彼女達の意識を変化させた証拠だ。

「有り難う、任せます。でも先が見えないから、使う兵糧は控え目で頼みます」

「はい、お粥を炊きますわ!! それでは失礼致します」

 今や目前に迫る自然災害を共通の敵として、城に身を寄せる全ての人が力を合わせ始めていた。
 半刻が過ぎてこれ以上の作業はかえって危険と判じた東西南北に詰める大工衆、民、兵が引き上げてくる。
注ぎ込めるだけの労力を投入した事で、城下町を覆う壁は着工前より二回りは高くなっていた。

「これで…なんとか……どうにか防ぎ切れるといいんだけど……」

 強風が起こす不穏な音に脅えながらが呟いた。
足の踏み場もなくなるくらいごった返した城内に、最後の最後で、兼続を先頭にした国境巡回部隊が帰還した。
自然災害に晒され、領境での小競り合いの為に、無傷と言う訳には行かなかったが、誰一人欠く事のない撤退だった。

「良かった……篭城します!! 閉門!!!」

 の一声と共に開かれていた巨大な城門に閂が填め込まれ、同時に内側から補強が施された。

 

 

 の機転で事無きを得たように思えた篭城も、実際にはしてみると問題の山だった。
堅牢な城の中に身を寄せているとはいえ、外では暴風雨が猛威を奮う。
時として落雷もあるのか、激しい稲光と共に何かが穿たれる音がした。
 外で上がる音に脅えながら、城の中では篭城ならではの戦いが始まっている。
女は負傷者の手当てに追われ、過剰労働をこなした大工衆は皆疲れ果てている体に鞭を打って、内部からの城の補強と
雨漏り対策に余念がない。

 篭城初日の夜から二日目の昼にかけては、特に壮絶だった。地下からの浸水に対応するべく、動ける者全てを動員してバケツリレーならぬ桶リレーをしなくてはならなかったからだ。
 城の内部がようやく落ち着き、ほんの少しの余裕を取り戻したのは、篭城を開始して三日目の事だった。

「桶リレーですけど、シフト制にしましょう」

「なんですか? そりゃ」

「朝・昼・夜と三つの部隊に別けて、交互に当たるんです。これで少しは皆も休めるわ」

「分かりましたわ。均等に割り振りますわ」

 室から出て行く秀吉を見送り、は今度は家康を見た。

「負傷者の治療なんですけど、どうなっていますか? こういう場合、疫病が一番怖いんですけど…」

「ご安心を、治水は万全。兵糧もたんとありますゆえ、当面は憂いにならぬかと」

「そう。でも薬の量が不安ですね」

「儂が見て参ろう」

「お願いします」

 篭城四日目。
階下に入れた旅芸人が暗くなる城内の空気を一新しようと懸命に芸を披露して、士気を盛り上げる中のこと。
一階の雨戸の一部が壊れた。吹き荒れた瓦が飛んできて、補強材共々破壊したようだった。
外で逆巻いていた雨風が吹き込んで、一階の一部が水浸しになった。
それだけではない、暴風に巻き込まれた破片や石つぶてまでもが飛び込んできて、逃げ遅れた人々を襲った。

「そこに居た人達を、廊下でも何でもいいから階上へ移して下さい。風邪を引かせないようにお願いします!!
 それから負傷者の手当てを!!」

「姫様!! 風雨が強く、補強は困難です!! どうすれば…」

 親指を噛んで思案に暮れるは、自分が手を付いていた評議机を見て何かを閃いたように頷いた。
すぐに顔を上げて、評議場の中を見回し、慶次の姿を探す。

「慶次さん!!」

「どうした?!」

「階下で窓が壊れたんですけど、雨風が強くて塞げないんです。
 それで、机とか箪笥とか、とにかく重量のある物をその壊れた窓に立てかけたいんですけど…出来ますか?!」

 の提案に慶次が口の端を吊り上げて笑った。

「任せな」

「はい、お願いします」

 出て行く慶次と入れ替わるようにが入って来た。

ちゃん、どうしたの? 何か問題起きた?」

「いいえ、あの、思うのですけれど…」

 恐縮するを三成が苛立たしげに急かした。

「構わぬ、言ってみろ」

「は、はい。布を割いて雑巾を作っても宜しいでしょうか?」

 三成が眉を動かし、左近とが顔を見合わせる。

「先程濡れた床板で滑って、童が転びましたの。このような時でしょう? 皆様、あちこちを駆け回って居ます。
 でも外にいらっしゃった方や、浸水に対応される方のために、あちこち水浸しです」

「そっか、足取られたのね?」

「はい」

「有り難う! ちゃん、気が付いてくれて。お願い、やっちゃって!!」

「はい、それでは失礼致しますわ」

 篭城五日目。
皆の疲労とストレスがピークを迎える頃、ようやく打ち付ける風雨の音が遠のき始めた。

「収まったのか?」

 三成の独白を聞きながら、はツールを開いた。
灯篭の傍において辛うじて息を繋いできただけだ。長時間の利用が出来るはずもない。
だからこそ必要最低限の情報だけを短時間で引き出すしかない。

「お願い、途中できれないでね…」

 神に祈るような思いを胸に、呟きながらパネルを操作する。
そんなを他所に、三成と左近が雨戸の一角に打ちつけた板を取り外した。
慎重に雨戸を動かせば、外は小雨になっていた。

 

 

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