暴風雨の中で

 

 

「ちょっと頼みますよ、お侍さま…どうかこの壷だけは持っていかせて下さいよ」

「いや、しかしだな…そのように大きな壷は流石に…」

「そうは仰いますが、この壷の中身は当商店の秘蔵のたれが詰まってございます。
 このたれを捨てるという事は、当商店は代々受け継いできた歴史と味を捨てることになります。
 このたれがあってこその我らです、このたれこそが我らの命と言っても過言ではありませぬ。
 どうかご理解願えませぬか…私共はこれを捨てて行くわけには参らんのです」

「ああ、もう分かった!! ならば、こうするのはどうだ? もっと小ぶりな壷に移し替えて、それを持つのだ。
 事が済めばまた店にも戻れるし、商いも出来る。今はどうかそれで手を打ってくれんか」

「は、はぁ…そういうことでしたら…」

「ほら、そっちのお前も、さっさと家を出ぬか!!」

「うるせぇな!! 俺に指図すんな!!」

「あのなぁ!! こっちとら行きたくて行くんじゃねぇんだぞ!!」

「そうだそうだ!! こんな深夜に、横暴だぞ!!」 

「やって、三成」

 二の丸から城下を見下ろすが冷徹な眼差しで命を下せば、二の丸に引き出された大筒が火を噴いた。

「!?!!」

 天高くに轟いた轟音に驚いて皆が顔を上げれば、砲弾が弧を描いて西の城壁を飛び越えた。
飛んだ砲弾は城壁の外に広がる森を突き抜けて、その後方へと鎮座する岩山へと激突し、そこへ大きな亀裂を入れた。
 その音、威力を前に、騒いでいた者全てが、身を竦ませた。

「皆、こんな時間に叩き起こされれば不満もあると思う…でも、今宵ばかりは従ってもらいます!!
 例外は認めないわ!! ボコボコにされた上で連行されるか、自分の足で来るか、選びなさい!!」

 多くを語らず、押し殺した声。
視線はどこか遠くを睨み、全身から殺気を迸らせている新たな領主。
その横に立つのは、無表情の鬼、三成だ。
二人の姿を遠目でも見てしまえば、逆らおうという気は失せるようで、火種となっていた血気盛んな民や大工衆は渋々命に従い始めた。

「俺は時々お前が恐ろしくなる」

「茶化さないで、これでもすごく焦ってんのよ」

 評議場へと戻りながら、三成の言葉には素っ気無い反応を見せる。
評議場へと入れば、評議机の上には三成の部屋から取り寄せた着替えが届いていた。
彼が二の丸へ出る前に女中に命じて届けさせたものだ。
三成は着物を取り上げて屏風の向こうへ立つと、私室へ戻る時間も惜しいとばかりに、その場で着替え始めた。
 が気を利かせて背を向ければ、似たような発想で着替えを済ませたらしい政宗が脱いだ夜着と羽織を傍仕えの女に託している姿が目に入った。
 彼は纏めた兵を引き連れて、すぐに階下へと降りて行った。

「一つ聞きたいのだが」

「何?」

「お前の目算では、正確には何時になる?」

「正直分からない。一日の誤差があるだけよ。ただ…」

「ただ?」

「昨日は、晴れのち曇りだったの」

「で?」

 三成が着替えを済ませて屏風の向こうから戻り、の横へと立つ。
政宗から着物を預かった女中が、三成から彼の夜着を受け取り場を辞す。

「でもこっちの天気は朝から曇りだった」

「なるほど。猶予はないな」

「そうみたい」

 

 

 時間が経つにつれて、あちこちの村落から人々が城へと集まり始めた。
幸村、兼続の働きが効果をなしたのだ。
それと同時に、伝令を努める伊賀忍からの知らせが入った。

「ああ、もう…!! やっぱり面倒が起きた」

「どうした?」

「国境で小競り合いが起きたって。どうしよう? 誰か一人くらい回した方がいい?」

「いや、そんな余裕はない」

 そこで言葉を区切って、三成は顔を上げる。

「左近」

「どうしました?」

 備品調整に明け暮れる左近に、三成は国境を預かる兵の為の時間稼ぎの策を同時進行で考えさせた。
程なく左近が策を編み出し、書簡にする。それをそのまま三成は報告へと来た忍に託した。
 時同じくして、濡れた体から滴る水滴を掌で振り払いながら孫市が現れる。

「お嬢さん、ちょっと面倒な事になったぜ」

「孫市さん、面倒って?」

「城やら城下町のあちこちに井戸掘ったろ?」

「ええ」

「なんかしらんが急速に水量が増え始めてる」

 孫市は内情を大手を振って話すのはまずいとばかりにとの距離を詰めた。

「……溢れた水で一番蔵の火薬がやられた。なぁ、何が起きてる?」

「そうですか、では一番蔵は破棄します。水は……どうしよう……今更埋め立てられないよね?」

「やってやれない事はないだろうが…人心に響くぜ?
 濁ってもいない井戸、昨日まで掘ってた奴らに、今更潰せってのは酷だろ?」

「ですよね。それに、濁っていないなら、最終的にはその井戸の水が命綱になるかもしれないし……。
 そうだ、井戸の囲いを積み上げて出来るだけ補強しましょう」

 高価な火薬がこんな事で大量に破棄せざるえなくなるなったなんて事実を、人目を気にせずに話せるはずがない。
彼の咄嗟の判断に感謝しながら、同時に、これ以上隠す事は困難だと思った。
はその場に居合わせていた左近をも呼び寄せて、二人の前にツールのディスプレイを差し出した。

「おいおい、こりゃまた…」

「なんですか? こりゃ」

「早くて後半日、遅くて一日でここもこうなります」

 俄かには信じがたい断言だが、この断言が他の誰でもなく、の言葉であることが厄介だった。
彼女がなると言えば、それは本当に起きる事のように思えたからだ。

「これが思い過ごしならいい。でも…見て」

 差し出したツールを一度引っ込めて操作して、数日前の予報を引き出し、再度提示した。

「最初は、落雷。次に雹。誤差はあったけど、ここに表示された事がこっちでも起きてるの。
 それも一度じゃなくて二度も。だとしたらこれは看過出来ない。そうでしょう?」

 が左近、孫市を見上げて問いかければ、言われた二人は同時に息を呑んだ。
左近はが示した予兆が引き起こした結果をその目で見ているし、彼の隣に立つ孫市も自分が従事し始めた仕事の延長線上に、最初に見た情景の予兆が現れ始めている事を知っている。
ともすれば、の抱いた不安を疑い、否定するには無理がある。

「分かった、井戸の事は任せな。こっちで色々考える」

「こっちもなるべく早く済ませましょう。この規模だ、事が動いてからじゃ打つ手なんか、早々ないですからねぇ」

 孫市がの事を励ますように肩を軽く叩いてから室を後にした。
左近もまた身を翻し、与えられた責務に専念し始める。
 孫市と入れ違いで現れた伝令が、近隣の民の全避難が済んだ事を知らせる。

「よし、では兼続を国境へと回せ。時間を稼ぐだけでいい、布陣している将兵共々昼前には戻らせろ。
 幸村にはそのまま城壁補強隊への合流を言い渡せ」

 この頃には城の中に混乱と不安が広がり始めていた。
女子供、病人老人だけが城内に人質のように押し込まれ、動ける男は皆夜を徹した工事に駆り出されている。
理由は分からず、目的も分からない。
強制される労働の先に何があるのかも分からないのだから当然だ。

「…どうしよう……時間が……足りない…」

 加速して行く天候の揺らぎに、作業に従事する者達の間で不安と焦りが募る。
揺れ始める木々の奏でる音が、まるで悪しき者の咆哮のようだ。
柱は軋み、締め切られた雨戸があちこちでガタガタと音を奏でる。
剥がれた瓦が、一枚、また一枚と宙を舞った。
 じわじわと迫ってきている自然災害は、一刻の猶予も与えてはくれない。
は震え、逃げ出したくなる己を懸命に叱咤激励した。

『考えろ、何か出来るはず。どうにか出来る方法があるはず!!』

「姫様、大変です!! 流浪している旅芸人の一座が、旅中の民や野に隠れ住んでいた民と共に城の前に…!!
 如何しますか? 階下ではこれ以上は受け入れられません!!」

 伝令の声に思考を遮られたは、逡巡することなく答えた。

「子供達と女性、お年寄から上の階へ、門前に来た人達も全員受け入れます」

「しかし…!!」

「箪笥でもなんでも、捨てられるものを捨てれば空間は作れます!! 人の命に換えられるものなんかないわ!!」

 の言葉を受けて、伝令兵はすぐに評議場から飛び出して行った。
一階分の間をおいて聞こえていた民の不安と悲嘆にくれる声。それが段々と近付いてくる。
その声に、抱えた焦りや不安を大きくさせられないように、は己の胸をぎゅっと抑えた。

 

 

「帰還してござる!!」

 集められるだけの兵糧と調味料、薬を集めた竹中半兵衛、蜂須賀小六、豊臣秀長が帰還した。
彼らは手早く階上へと物資を運び始める。

 それと時を同じくして、西の城壁で補強に当たる大工衆の不満が爆発した。彼らのプロ根性が災いしたのだ。
荒れ始めた天候や、薄給で深夜なのにも関わらず突然コキ使われた事は我慢出来ても、兵や民が自分達の領域に足を踏み入れたことは我慢出来なかったらしい。
些細なことから始まった口論が、血気盛んな民と兵を巻き込んだ三つ巴の殴り合いに発展してしまったのだと言う。

「嘘でしょ?! こんな時に!!」

 が頭を抱えて唸れば、三成もまた目頭を抑えた。
左近が機転を利かせて、その場に戻ってきた政宗を鎮圧に差し向けようとするのと同時に、井戸周りを調整していた
孫市からの嘆願が届いた。

「仕方ない。政宗、孫市と合流してくれ。大工の方はこっちでどうにかする」

「任せよ」

 三成が立ち上がると同時に、新たな伝令が駆け込んできた。

「東の城壁にて突風発生!! 崩落にて真田幸村様、負傷!!」

「!!」

 ついに予兆が現実味を帯び始めたと、が顔を強張らせる。
はツールを引っ張り出し、時間を確認した。
ディスプレイの上で点滅する数字は、とっくに夜が明けている事を指し示していた。

「うそ……もうこんな時間だったなんて……早い……目算より、ずっとずっと早い…どうしよう…」

「惑わされるな、何も知らずに今を迎えているよりずっと被害は小さい」

 三成の声で崩れかけた平常心を取り戻すと、は顔を上げた。

「幸村さんを一先ずここへ。治療します。
 それから小十郎さんに伝令。子供のいない女性と医療の心得のある者を二階に召集するように。
 これからもっともっと怪我人が出るはずです、治療班として働いてもらいます」

「はは!」

「三成、ここに残って統括、お願い」

「お前はどうする?」

「厠!!」

 顔を顰めた三成をその場に残して、は評議室を飛び出して行った。大股歩きで階段を駆け下りる。
何をするのか、およそ予測をつけた左近が、三成に目礼してからの後を追う。
案の定、は厠へは向かわずに城を飛び出して、揉め事が起きている西の城壁へと向かって真っ直ぐに駆けて行く。

「姫!! 姫、何するつもりですかっ!!」

 追い縋ってきた左近に腕を掴まれて、は顔を顰める。

「だって、このままじゃ!」

「分かってますよ、だからこういう時はちゃんと左近を呼んで下さい。説教しに行くんでしょう?」

 咎めるつもりはないと左近は薄く笑う。

「左近さん」

「もう姫のむちゃっぷりには慣れてますからね」

 左近の言葉に思わず笑い、それからすぐには身を翻した。

「もう、悪かったわね!! とにかく、急ぎましょう!!」

 雨に濡れる事も厭わずに、二人は慌しさの増した城下町を突き進んだ。
纏っている着物が雨によって重みを増し、頬を大粒の水滴が滴る。
体の芯が冷えるような寒さを覚えて、堪えていた身震いを我慢できなくなった。
唇の色が朱から真っ青に変わる頃、ようやく二人は西の城壁へと辿り着いた。
は揉め続ける三つ巴の戦いの前に立つと、左近に向けて怒鳴る。

「左近さん、チャージ一撃!!」

 命じられるまま左近が刀を奮えば、衝撃波がその場を襲った。
横槍を入れられて、目を丸くして腰を抜かした面々の間を縫っては進む。
騒ぎの中心人物となった大工の棟梁を掴まえると、迷わずに彼の顔面を張り倒した。

「バカか、お前はっ!! 周りを見なさいよ!! こんだけ天候が荒れてくれば、いい加減分かるでしょ?!
 台風がすぐそこまで来てるのよ!! 今は矜持より、命でしょうよ!! なんで分かんないの!!」

 強烈な往復ビンタをかまして、襟首を引っ掴んで周囲を見てみろと促した。
剥がれた長屋の屋根。
火の見櫓の上にある銅鑼は、強風に煽られて不協和音を奏でている。
東の城壁は一部が崩れ、南北の城壁は着々と高さ積み上げて強度を増して行ってはいるものの、強風に煽られて
倒れた松明が元で、小火騒ぎを起こしている。

「あんた本当に棟梁なの?! 何の為の城壁だと思ってんの!! 人の命を護るためのものでしょ!!
 本物の大工なら、縄張り争いなんかしてないで、本質を見なさい!!」

 唖然とする面々を見渡して、は叫ぶ。

「ぼやっとしない!! 体を動かすッ!!」

 と、同時に、の体が突然吹き荒れた強風に攫われかけた。

 

 

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