暴風雨の中で |
「ちょっと頼みますよ、お侍さま…どうかこの壷だけは持っていかせて下さいよ」 「いや、しかしだな…そのように大きな壷は流石に…」
「そうは仰いますが、この壷の中身は当商店の秘蔵のたれが詰まってございます。
「ああ、もう分かった!! ならば、こうするのはどうだ? もっと小ぶりな壷に移し替えて、それを持つのだ。 「は、はぁ…そういうことでしたら…」 「ほら、そっちのお前も、さっさと家を出ぬか!!」 「うるせぇな!! 俺に指図すんな!!」 「あのなぁ!! こっちとら行きたくて行くんじゃねぇんだぞ!!」 「そうだそうだ!! こんな深夜に、横暴だぞ!!」 「やって、三成」 二の丸から城下を見下ろすが冷徹な眼差しで命を下せば、二の丸に引き出された大筒が火を噴いた。 「!?!!」
天高くに轟いた轟音に驚いて皆が顔を上げれば、砲弾が弧を描いて西の城壁を飛び越えた。
「皆、こんな時間に叩き起こされれば不満もあると思う…でも、今宵ばかりは従ってもらいます!! 多くを語らず、押し殺した声。 「俺は時々お前が恐ろしくなる」 「茶化さないで、これでもすごく焦ってんのよ」 評議場へと戻りながら、三成の言葉には素っ気無い反応を見せる。 「一つ聞きたいのだが」 「何?」 「お前の目算では、正確には何時になる?」 「正直分からない。一日の誤差があるだけよ。ただ…」 「ただ?」 「昨日は、晴れのち曇りだったの」 「で?」 三成が着替えを済ませて屏風の向こうから戻り、の横へと立つ。 「でもこっちの天気は朝から曇りだった」 「なるほど。猶予はないな」 「そうみたい」
時間が経つにつれて、あちこちの村落から人々が城へと集まり始めた。 「ああ、もう…!! やっぱり面倒が起きた」 「どうした?」 「国境で小競り合いが起きたって。どうしよう? 誰か一人くらい回した方がいい?」 「いや、そんな余裕はない」 そこで言葉を区切って、三成は顔を上げる。 「左近」 「どうしました?」
備品調整に明け暮れる左近に、三成は国境を預かる兵の為の時間稼ぎの策を同時進行で考えさせた。 「お嬢さん、ちょっと面倒な事になったぜ」 「孫市さん、面倒って?」 「城やら城下町のあちこちに井戸掘ったろ?」 「ええ」 「なんかしらんが急速に水量が増え始めてる」 孫市は内情を大手を振って話すのはまずいとばかりにとの距離を詰めた。 「……溢れた水で一番蔵の火薬がやられた。なぁ、何が起きてる?」 「そうですか、では一番蔵は破棄します。水は……どうしよう……今更埋め立てられないよね?」 「やってやれない事はないだろうが…人心に響くぜ?
「ですよね。それに、濁っていないなら、最終的にはその井戸の水が命綱になるかもしれないし……。
高価な火薬がこんな事で大量に破棄せざるえなくなるなったなんて事実を、人目を気にせずに話せるはずがない。 「おいおい、こりゃまた…」 「なんですか? こりゃ」 「早くて後半日、遅くて一日でここもこうなります」 俄かには信じがたい断言だが、この断言が他の誰でもなく、の言葉であることが厄介だった。 「これが思い過ごしならいい。でも…見て」 差し出したツールを一度引っ込めて操作して、数日前の予報を引き出し、再度提示した。
「最初は、落雷。次に雹。誤差はあったけど、ここに表示された事がこっちでも起きてるの。 が左近、孫市を見上げて問いかければ、言われた二人は同時に息を呑んだ。 「分かった、井戸の事は任せな。こっちで色々考える」 「こっちもなるべく早く済ませましょう。この規模だ、事が動いてからじゃ打つ手なんか、早々ないですからねぇ」 孫市がの事を励ますように肩を軽く叩いてから室を後にした。
「よし、では兼続を国境へと回せ。時間を稼ぐだけでいい、布陣している将兵共々昼前には戻らせろ。 この頃には城の中に混乱と不安が広がり始めていた。 「…どうしよう……時間が……足りない…」
加速して行く天候の揺らぎに、作業に従事する者達の間で不安と焦りが募る。 『考えろ、何か出来るはず。どうにか出来る方法があるはず!!』
「姫様、大変です!! 流浪している旅芸人の一座が、旅中の民や野に隠れ住んでいた民と共に城の前に…!! 伝令の声に思考を遮られたは、逡巡することなく答えた。 「子供達と女性、お年寄から上の階へ、門前に来た人達も全員受け入れます」 「しかし…!!」 「箪笥でもなんでも、捨てられるものを捨てれば空間は作れます!! 人の命に換えられるものなんかないわ!!」 の言葉を受けて、伝令兵はすぐに評議場から飛び出して行った。
「帰還してござる!!」
集められるだけの兵糧と調味料、薬を集めた竹中半兵衛、蜂須賀小六、豊臣秀長が帰還した。 「嘘でしょ?! こんな時に!!」 が頭を抱えて唸れば、三成もまた目頭を抑えた。 「仕方ない。政宗、孫市と合流してくれ。大工の方はこっちでどうにかする」 「任せよ」 三成が立ち上がると同時に、新たな伝令が駆け込んできた。 「東の城壁にて突風発生!! 崩落にて真田幸村様、負傷!!」 「!!」 ついに予兆が現実味を帯び始めたと、が顔を強張らせる。 「うそ……もうこんな時間だったなんて……早い……目算より、ずっとずっと早い…どうしよう…」 「惑わされるな、何も知らずに今を迎えているよりずっと被害は小さい」 三成の声で崩れかけた平常心を取り戻すと、は顔を上げた。 「幸村さんを一先ずここへ。治療します。 「はは!」 「三成、ここに残って統括、お願い」 「お前はどうする?」 「厠!!」 顔を顰めた三成をその場に残して、は評議室を飛び出して行った。大股歩きで階段を駆け下りる。 「姫!! 姫、何するつもりですかっ!!」 追い縋ってきた左近に腕を掴まれて、は顔を顰める。 「だって、このままじゃ!」 「分かってますよ、だからこういう時はちゃんと左近を呼んで下さい。説教しに行くんでしょう?」 咎めるつもりはないと左近は薄く笑う。 「左近さん」 「もう姫のむちゃっぷりには慣れてますからね」 左近の言葉に思わず笑い、それからすぐには身を翻した。 「もう、悪かったわね!! とにかく、急ぎましょう!!」 雨に濡れる事も厭わずに、二人は慌しさの増した城下町を突き進んだ。 「左近さん、チャージ一撃!!」 命じられるまま左近が刀を奮えば、衝撃波がその場を襲った。
「バカか、お前はっ!! 周りを見なさいよ!! こんだけ天候が荒れてくれば、いい加減分かるでしょ?! 強烈な往復ビンタをかまして、襟首を引っ掴んで周囲を見てみろと促した。
「あんた本当に棟梁なの?! 何の為の城壁だと思ってんの!! 人の命を護るためのものでしょ!! 唖然とする面々を見渡して、は叫ぶ。 「ぼやっとしない!! 体を動かすッ!!」 と、同時に、の体が突然吹き荒れた強風に攫われかけた。
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