千日戦争開幕

 

 

「長政、そういう事は、いうもんじゃないよ。魔に魅入られる」

 窘める慶次の声に、長政は視線を前方へと移した。

「……使者から受けた報では、我が君は某の独立を認めると仰った。
 そして自領の民を一人でも多く頼むとも…。

 おそらく、兼続殿や政宗殿にも同じことを仰っているでしょう。
 ならば授けられた民を引き受け、を突き毛利・北条に膝を折れば、活路ともなりえる」

「そうさな。だが、あんたはそれをしなかった…何故だい?」

 再び慶次を見た長政は、柔らかく微笑んだ。

「負ける気が、しないのです」

 虚を突かれたように慶次が瞬きした。

「ですから、不思議だと、申し上げたのです。慶次殿。
 某、我が君が城を追われたと知った時も、早急にお迎えに上がらなくては…と思いました。
 けれど、あの時も今も…いえ、我が君と出会ってからはずっとずっと同じです。
 困難は多いが、何故かが滅びると思えた事がない」

「本気かい?」

「ええ、今も全くそうは思えません。はまたきっと大きくなります。そして強くなります。
 だから、案ずることはないと市に言い置きました。
 ただ「覚悟は念の為にしておいてほしい」と、そう言ったのです。

 すると市は某に対して微笑み、頷いた」

 そこで長政は何かを思い出したかのように言った。

「そうだ…そういえば、市が言っていた。確か"おせろ"とか言ったか。
 碁石を使って我が君の世界の遊びをした時に"はんで"を貰ったとか」

「はんで? なんだそりゃ?」

「優秀な者が不慣れな者と見える時、公平に勝負が出来るように、優秀な者が背負う不利な条件なのだそうです。
 つまり、これは劣勢などではなく、"はんで"なのではないかと…」

「ハッハッハッ!! なるほど、そりゃいい!!
 確かに、天意に導かれて降臨した女を相手に喧嘩するんだ。
 これくらいの"はんで"がなきゃ、奴さんら不憫だな!!」

 豪快に慶次が笑った。
慶次の声を聞き、長政の声を聞きながら進軍していた兵の一部が抱えていた緊張を解したようだ。
前方から広がったその明るい空気は、徐々に後方へと伝わって行く。
劣勢の戦地に赴くことは変わらないはずなのに、彼らの中には僅かながら、希望の光が生まれ始めていた。

 

 

 慶次達が領を経ってから早くも五日が経っていた。
双方の負傷兵は日毎に増えて行く。
兵数の差は大きく開けど、士気の高さは双方拮抗しているようで、軍とて簡単に蹴散らされたりはしなかった。
それだけが救いといえば救いだった。

「まずは敵の士気を挫きたい」

 後詰として城を発つ前に左近が評議場で切り出した。

「その為に、姫には姫にしか出来ない事をして頂きたいんですよ。頼めますかね?」

「うん、勿論よ。私に出来る事ならなんでもするから、言って」

「助かります、いいですか、姫…」

 

 

 連日連夜に及ぶ戦いは丘陵地帯に多くの屍を作っていた。
当初旗色の悪かった武田騎馬も、かつての上司・馬場信春と山本勘助の復帰で威勢を取り戻した。
またそこへ慶次と長政が一万八千の兵を連れて合流したこともあり、疲れ果て、背水の陣を覚悟していた兵の間にも僅かながらに希望が見えたようだった。

「まだ突破できぬか」

「ハ、領から前線へ前田慶次が到着した模様で…」

「数は?」

「離反したはずの浅井長政含め、一万八千程度かと」

「ふん、たかが一万八千か」

「だが武田騎馬は侮れぬ。威勢が戻ったところを見ると、将が変わったか」

「は、山本勘助・馬場信春の姿を目視しました」

 毛利本陣で陣羽織を着込んだ男が小さく眉を動かす。

「信玄坊主はまだ動かぬか。ならば、今の内だな。例の調略を急がせよ」

 彼の横に座す毛利・北条とは異なる色の陣羽織を着込んだ男が冷淡にいう。
頭を垂れた兵が陣を後にして早馬で毛利領へと続く間道を駆けた。
 時同じくして。
混戦を極める前線、騎馬隊を率いる将兵に向けて、本陣から伝令が走った。

「何?! そうか、分かった。呼応しよう!!」

 が発案し、左近が駄目押しをした今世紀において前例のないえげつない調略が遂行されるまでのカウントダウンは着実に進んでいた。

 

 

 後詰の後に進発する事になっていた建設部隊を秀吉が率いて領下を後にした三日後。
策に用いる出城へと配置する事になっていた投石機と弓兵隊を率いて孫市が城を進発した。
 雑賀衆と言えば鉄砲隊だが、台風回避の為に国庫の火薬の殆どを費やし、次いで斎藤龍興の専横と災害回復の余波で国庫に余裕のなくなったでは鉄砲隊の編成はままならなかった。

「ま、鉄砲も矢も飛び道具にゃ、変わりないからな。それなりに奮戦してやるさ」

 軽口を叩いた彼に、一刻も早く鉄砲隊の編成を出来るようにすると口約して送り出した翌日。
城前には、直江兼続、伊達政宗が手勢を率いて現れた。
彼ら二人もまた浅井長政、武田信玄と考えは同じだったようだ。
君主交代劇が一段落していた事を知ると、すぐに馬首を戦地へと向けようとした。

「待たれよ、そなたらは出向かずともよいのだ」

「何?! 儂らには戻れというのか?!」

「どういう事だ!!」

 けれどもそれを城に残る徳川家康が阻んだ。
二人は自分達が戦力外通告でも受けたように激怒したが、それをがあっさりと抑え込んだ。

「そうじゃないの、政宗さん、兼続さん。二人には二人にだからこそ出来る事をしてほしいの」

「何?!」

 何故か白装束に身を包んだは、二人に手早く今回の戦で用いる策の事を伝えた。

「なるほど、それはいい」

「確かに儂と兼続の不和は各地に知れておる。
 同盟国同士の諍いを救援する時に儂らが双方の援護に交互に出張れば、不自然さはないな」

「でしょう?」

「だが殿、その策は危険でもあるぞ。
 余所の国から見れば、毛利・北条と切り結んでいる君主に、我らを御す力がないようにも見えてしまう。
 ひいては殿の名に傷をつけよう」

 この策を用いる事に危険性を兼続が指摘すれば、は首を横に振った。

「そんな周囲の目なんか、今はどうでもいい。
 とにかく今は、を慕ってくれてる兵や民を一人でも多く護らなきゃ」

「そうか。分かった、必ず遂げて見せよう。
 だが私が連れて来た兵、五千はこのまま前線へ送ることをお許し願いたい」

「うん、ありがとう。それ、とっても助かる」

「ところでな、どうしてそんな装いをしておるのじゃ?」

「あ、これ? 私の考えたえげつない策のだめ押しをするんだって、左近さんが…」

「何?! もしや前線に赴くのか?!」

「前線じゃないけど、城は一端出る事にはなりそうかな?」

 それは聞き捨てならないと、兼続、政宗は顔を強張らせた。
己の命を賭してもを護ろうとする慶次、幸村、左近、三成、孫市はそれぞれの戦地に赴き、現在のの守護は手薄と言っていい。策の為に秀吉も建設部隊を率いて城を発ち、家康・竹中半兵衛は内政に追われている。
だからこそ、にはこのまま城に留まるか、別の城へと移って貰う方が賢明だ。
だがはその道を選ばないという。

「大丈夫、敵の士気をくじくだけ。それが終わったら城に戻るから」

「そうか…儂らが警護につければ一番なのじゃが…」

「大丈夫、確かに戦地に行くのはとっても怖い事よ。
 でも今回の策は奇策だからすぐに敵の手が及ぶようなもんじゃない、って左近さんも言ってくれた。
 皆が頑張ってくれてるんだもの、私にだって、私にしか出来ない事をしなくちゃ…」

 無理に微笑もうとするの肩に政宗がゆっくりと掌を乗せた。

殿、儂に猶予をくれぬか」

「猶予?」

「うむ、同盟国の陽動や救援にはしばし時間がかかろう。儂が警護を引き受ける」

「ありがとう、でもごめん…実はもう半蔵さんに手を打ってもらっちゃった後なの。
 だから二人が領に戻る頃には、救援依頼が届いてると思うんだ」

 苦笑したに「仕事が早いな」と、兼続も顔を顰める。
心配をありありと表情に出せば、が臆するのは目に見えている。
それだけに表情にはそれを出したくはない。
けれども目の前に佇む小柄な女性の儚い笑みを見ていれば、ポーカーフェスを貫くことは困難だった。

「よし、分かった。ではこうしよう。儂の兵五千は兼続の兵と同じく前線へ送る。
 が、成実と小十郎を殿の供にしよう!! これならば問題はなかろう?!」

 その言葉を聞いて、はしばし考え込む。

「成実さんか……それ、凄く助かるかも」

「ん?」

「家康様、例の策発動すまでに成実さんを前線騎馬隊に組み込むの、間に合うと思います?」

「微妙ですが、今から発てば間に合いましょう」

「そっか、なら、その方法で。はっきり言って無茶苦茶だもん、この策。
 あれに慣れてる人が一人でもいてくれた方が、成功確率が上がるよね?」

「ですな」

殿?」

「政宗さん、成実さんだけお借りします。
 小十郎さんは政宗さんが一緒に領に連れ帰って下さい。
 それで国の再建の目処が立ったら、二人とも戻って来て。待ってるから」

 まっすぐに政宗の目を見てが言えば、政宗もまた顔を顰めた。

「…心変わりは、しないのだな」

「うん、大丈夫。私は、前線で頑張ってくれてる皆の事、信じてるから」

「分かった、くれぐれも、気をつけるのじゃぞ」

「うん。二人とも、来てくれて本当にありがとう!! 嬉しかった。
 全部終わったら、また、昔のように一緒にご飯食べようね」

 それぞれのすべきことをする為に、彼らは立ち上がる。
の傍で彼女を護るためにも、早く内政基盤を整えねばならないと二人は廊下を進んだ。
 城から出て、城壁前に揃っていた兵に、任を言いつけた。
兼続は一緒に進軍してきた徳川配下の井伊直政に、政宗は成実に兵の統率を任せた。
井伊直政には建設部隊への支援を、成実には秘策の一翼を担う旨を言いおく。
二人は総勢一万の兵を率いて、迅速に戦地へと赴くべく、城を出立した。
 遠ざかって行く兵を見送りながら、兼続、政宗が己の騎馬に跨る。
兼続が馬首を返して、三の廊の窓から見送っているを見上げて、小さく溜息を吐いた。

「山犬」

 何か思うところがあるのか、彼は低い声で政宗を呼んだ。
政宗が眉を動かして視線を流せば、兼続は冷ややかな眼差しで政宗を見た。

「今日、この時より、我らはしばし袂を分かつことにするぞ」

「よかろう。決着は、戦場で…じゃな」

「ああ。に飛び火はさせぬ」

「無論じゃ」

 どちらからともなく馬の腹を蹴り、二人は領を後にした。

 

 

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全面戦争の始まりですよ。(10.05.29.up)