剣が峰演舞

 

 

 明け方。

「良かった、なんとか敵、帰ったね!!」

 「ドキドキした」と己の胸を撫で下すの姿は、舞台を設置した山間から本陣へと移っていた。

「まさかと思っていたが…」

「ほんに姫様が舞っておられたとは…」

 まさか自らが出て来ていたとは思っていなかったらしい諸将は大層驚いていた。
三成、慶次、長政、秀吉等はこの話を持ちかけた左近へと詰め寄っているところだ。

「どういうことだ、左近!!」

「あんた、さんを殺す気か!?」

「そうです、左近殿!! 何故一言言いおいて下さらなかったのですか! 
 知っていれば、某が警護申し上げたものを!!」

「こりゃ、左近!! お前さん、様に一体何させとんじゃ!!」

「ま、まぁ、まぁ、皆、待ってよ。
 だってトランス・ブート・キャンプに合わせて踊れるのって言ったら、私くらいじゃない。

 だったら私が来た方が確実でしょ?」

「そりゃそうだがね、さん、俺らがどれだけ心配したと思ってんだい?! 供も付けずにあんなとこで…」

「でもそのせいで不信がられなかったのよ。旅の一座の振りしてたからさ」

「しかし我が君、どうかこのような真似は…!!」

「長政の言う通りだ。戦場は女子の来るところではない。さっさと帰れ」

 冷淡な物言いに反して、三成の目は深い心配に揺れている。
それが分かるから、は怒ることなく首を横に振った。

「うんん、後、二、三回はやって行くよ。
 皆命がけで戦ってくれてる。私だけ、逃げてられないもの」

 の言葉を聞いた左近が、詰め寄っていた面々を掻き分けて前へと出てくる。

「姫、それは聞いてませんよ。二回目以降は代役を立てるって話でまとまってたでしょう」

「うん、最初はそのつもりだった。でもね、ダメなのよ」

「というと?」

「距離のせいかな、微妙にずれるの。音楽が皆の所に届くのと、私の合図と見せかけたジェスチャー。
 私じゃなきゃ、きっとバレちゃうよ? 皆があの音曲、記憶しててそれに合わせて動いてるだけだ、って。
 それじゃマズイっしょ? この策は神秘的で、摩訶不思議だからこその効力なんだしさ」

「そりゃそうですが…」

「左近さん。これはあの悪夢の二ヶ月間を共にした者じゃないと、指揮を装うのは無理なんだって。
 だから、私がやる。大丈夫、ちゃんと陣羽織も着込んでるし、舞台の場所もやる度に変えるから」

「…姫…」

「どうしてもというのなら、今度は楽隊の前に警備兵をおけ。
 もう攻撃方法の一つである事は露呈している。一座を装う必要はない」

 苦渋の判断を下しましたという顔の三成の言葉を受けて、は素直に頷いた。

 

 

 一方、奇妙奇天烈な策が夜炸裂したこともあってか、戦慄が走らざる得なかった毛利・北条連合の本陣では、諸将が険しい顔をして先の戦を見聞していた。

「魔女だ……魔女が現れた…」

「…岩が迫ってくる……あんなにも…激しく……岩が…」

「…魔女だ…あいつらには、魔女の加護がある…」

「逃げられない…騎馬が……」

「どう見る?」

 震え上がる負傷兵の姿を眺めながら、毛利隆元は陣中を歩いていた。
付き従う黒色の陣羽織に身を包む男に問えば、男はしばし押し黙った。

「…思っていた以上にの当主は手強いようですな。
 美人計で猛者をたらしこんでいたかと思ったが、そうではなかったという事か……。
 妖術の類かどうか……先の戦だけでは、判ずるのは難しいかと…」

「そうか。では何度、見れば分かる?」

 隆元の言葉に男が眉を動かせば、隆元は顔色一つ変えずに同じ問いかけを繰り返した。

「何度だ?」

「…少なくとも、後一、二度は必要かと…」

「では北条に出て貰おう。元は奴らが持ち込んだ事よ、始末は付けてもらわねばな」

 淡々と歩みを進める隆元の背を眺めて、黒色の陣羽織の男は小さく舌打ちした。

『…ッチ……食えぬ男よ。その為に北条を招き入れたくせに。しかし…面倒な女だな……か。
 国元の準備を急がせねばなるまいな』

 

 

 奇抜な策が成功した次の日の昼頃の事。
この勢いを消してしまう手はないと、雑賀孫市率いる雑賀衆は独断で敵陣の一つに奇襲をかけた。
彼としては「雑賀衆といえばやはり鉄砲だ」との思いが強く、の財源を充てにして分配を待つくらいなら、多少のリスクを負ってでも敵陣から失敬して来る方が確実だと踏んだようだった。
 多くの兵を欠いて撤退したばかりの敵の陣には戦用の資材がふんだんにあり、そのまま置き去りにされていた。
武具、兵糧と、目を引く物は多かったが、一番の目的は火薬であり鉄砲だった。
孫市率いる雑賀衆は手際良く手分けして探し回り、六百丁の鉄砲を見つけだした。
敵は余程焦っていたのだろうか、見つけ出した鉄砲は、搬入された木箱に封じられたままの状態だった。

「ま、ないよりゃいいだろ。撤収するぜ」

「頭領、兵糧や武具はどうします?」

「この陣ごと焼いちまえ。勿体ない気はするがこっちは少数精鋭だ。機動力が下がるのは避けたいからな」

「分かりました」

 孫市の発した命令に従い、人気のなくなった毛利の陣に火がかけられた。
の物見櫓でそれを確認した兵が陣中央へと知らせる。
慌てて櫓に上った秀吉に、が下から問えば、秀吉が答えた。

「何? 何があったの?!」

「あー、ありゃ孫市じゃな。なんか分捕ってきたらしいですわ」

「孫市さん?! ちょ、何してんの?! 怪我とかしてない!?」

 梯子を降りるよりも機能的になるはずとのの助言で物見櫓につけられた登り棒。
それに捕まり、颯爽と秀吉が降りてくる。

様はほんに心配症じゃの〜。大丈夫じゃ、あいつ、大方鉄砲盗って来たんじゃろ」

「鉄砲?」

「先の戦で、は鉄砲も大砲も持ち出しとらん。そこいら辺がばれたら面倒じゃと、奴なりに考えたんじゃろ」

「そっか、火薬は使いきっちゃってるようなもんだしね」

「それに今回は長期戦じゃ。何時かは露見するにしても、引き延ばせるなら引き延ばした方がええに決まっとるんさ。
 独断行動じゃが、あまり咎めんでやってちょ」

「うん。分かった、そういう事なら」

 相槌を打つの元へと左近がやって来て声を掛けた。

「姫、お話し中すみません。例の策の次の決行日が決まりましたよ」

「本当? 何時?」

 

 

 左近の指示に従い、剣が峰演舞は数回とり行われた。
音曲の種類を何度か変える事で、計略の種が露見する事は防げるはずだった。
実際に毛利にごり押しされた北条は何度となく出陣してはこの計略の前で泣きを見ている。
だが敵もこれで圧し切れる程甘い相手ではなかったようだ。

「姫様!! 毛利陣営、後方に後詰到着!! その数、凡そ五万!!」

 飛び込んできた報に、これならばなんとか凌ぎ切れるかもしれないと頬を綻ばせていたは一瞬にして言葉を失った。築いた出城の櫓から確認すれば、悠然と進み来る兵馬の波が見えた。
敵方七万、軍三万弱、この時点での兵力差は約四万だ。
剣が峰演舞で均等に並んだはずの兵力差は、敵の後詰到着と同時に再び大きく開きを見せた。

「……うそ…後詰って、二万程度だって言ってたじゃない……なのに……どうして? どうして、こんなに…?
 まだ毛利にはそれだけの余力があるって事?! ねぇ、どうしよう…どうしたらいい?」

 不安がるに秀吉がいう。

「何、怖がることはないんさ。様。またやればいい。あの軍勢に総攻撃されりゃ、そりゃ決死の戦いじゃ。
 じゃが様と儂らで繰り出す"とらんす・ぶーと・きゃんぷ"は、初回で二万の計略じゃ。
 敵も警戒して兵を小出しにしとるし、総攻撃はあり得んのさ。
 あれをやれば確実に士気は下げられるし、元より後詰の連中はあれをようしらん。
 ちゅーことは、巧く誘い込んでやっちまえばこっちのもんじゃ」

「う、うん…そうだね、そうだよね。上手く行くよね」

「……殿、姫の護衛に国元から家康さんを呼ぼうと思うんですが…」

「そうだな、無難だろう」

 から離れた位置で左近と三成が言葉を交わす。
彼らを始め陣に詰める将兵は、戦場に吹く風の向きが変わりつつあることを本能で悟っていた。
 小手調べと小競り合いを繰り返し、再び剣が峰演舞に適した舞台が整った日の夜。
舞台に立つの周囲には、国元から出てきた家康と本陣から移動してきた秀吉の姿があった。
騎馬の統制は相変わらず慶次、小六、成実、信春が受け持ち、投石は三成、左近が、弓兵鉄砲兵は孫市が受け持った。
前線支援となる歩兵の統制は長政、井伊が務める。
布陣に変わりはなく、唯一変化があるとすれば、それは国元から出てきた家康が後方都市から募って集めた兵を引連れて参陣した事による兵数の増加だけだった。
 舞台が整い、初回の時よりも切り替えが巧みにこなせるようになった剣が峰演舞が始まって小半刻。
蹴散らされ続ける北条が率いる兵馬の後方から、後詰として到着した三軍が進み出て来た。
この三軍の士気は高く、北条勢とは異なる気骨を纏っていた。

「ほぅ、これは面白い」

「…上等」

「我らが毛利殿の道を切り開こう」

 士気の下がり切った北条兵を引かせて、進み出て来た後詰の三軍が功を競うように大地を駆ける。

「乾坤一擲!! チェストォ!!!」

 いぶし銀な老将の一声が上がり、前線支援の歩兵の一角が崩れた。
騎馬と徒歩(かち)で攻め上げて来た豪勇に井伊隊が打ち崩されたのだ。

「ッ?!」

『やはりこうなるか…しゃぁないの』

 何時でも本陣に、否、それどころか本国へと帰せるようにと戦場から出来る限りの距離を置いて設置した舞台の上でに動揺が走る。
けれども自陣が動きを止めてしまえば、それこそ敵の思う壺だ。
は不安に駆られながらも懸命に舞い続けた。

「ねぇ、どうなってる!? 皆は大丈夫なの?!」

 舞台の上からが問えば、伝令が報を持って駆け付けた。

「申し上げます。島津義弘率いる島津軍との一戦にて井伊隊、敗走!!」

「井伊さんは?!」

「ハッ、左翼を担う馬場信春隊が救援済みとの事です」

「そ、そう…良かった…」

「唸れ、雷切!!」

 安堵は束の間だった。
右翼で豪雷が轟いた。
騎馬が嘶き、小六隊の預かる騎馬隊が総崩れになる。
 の胸に一層強く、動揺が走る。
舞い続けながら目を凝らせば、中央に男が一人進み出て来た。
彼に向い数多の石が降り注ぐ。
だが男は少しも動じることなく、腰に携えた三味線を掻き鳴らした。

「刻み込め、凄絶に!!」

 次の瞬間、空が震撼した。
にはその後の変化は、まるでスローモーションのように見えた。

「なんだ?!」

「チッ!! 戻るぜ!! 松風!!」

 男の周りで発生した空気の歪みは、降り注ぐ岩を尽く打ち砕いた。
彼の後方に控えていた兵が攻め寄せて来る。
隊列を整えるのに手間取った伊達成実隊を尻目に、辛うじて逸早く反応を示した慶次が、松風と共に反転。
敵の進軍の出鼻を挫いた。

「そんな、崩れた?!」

様、一曲でいいから演じ切るんじゃ!! ここで止めちゃ、だめじゃ!!」

「う、うん、分かった!!」

 遠目に見ても版図の変化が分かる。それだけに動揺が隠せない。
動きが鈍くなるに秀吉が訴えれば、は皆を鼓舞するように舞い続けた。

 

 

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