剣が峰演舞

 

 

「あの女はただの飾りか。だがそれにしては女の周りに兵が多い…という事は…クックックッ…」

 遠目にを眺め続けていた男が薄く笑った。
毛利隆元の傍に付き従っていたあの黒衣の老将だ。
彼はに走った動揺を見逃したりはしなかった。
男は足早に陣中を進み、本陣中央に座す毛利隆元の前へと進み出ると献策した。

「おお。来たか、どうだ。何か分かったか」

「は、あれは妖術の類ではありますまい」

「なんと?!」

 動揺が走る将兵を意に介することなく、男は不敵に笑う。

「あれはただの連動策に過ぎませぬ。個々に応じて潰せば良い」

「しかし…」

 騎馬と投石の組み合わせでは打つ崩すのは難しいと将が顔を見合わせる中、男は淡々と言った。

「確かに、連携は見事なもの。だが敵には弱点があるように見えまする」

「弱点とな?」

 男が指揮丈を振り上げて、未だ舞い続けるを指示した。

「…あれに舞うは君主・に相違ありますまい」

「誠か!!」

「ハッ、ただのめくらましにしては、護衛が多すぎまする。
 の姫は大層将兵に溺愛されているとか……ならばあの女を叩けば自然と統制は崩れまする」

「クックックッ、面白い。それで行こう」

 隆元が立ち上がり命を飛ばす前に、男は言った。

「隆元殿、かの者は討つよりも捕縛した方がよろしかろう」

「何?! 主はこれ程の損害を出したあの女に温情をかけろというのか?!」

「はい。かの者を討てば、の猛者の遺恨を未来永劫買いましょう。ですがかの者を擁し、帰順を促せば…」

「なるほど…前田慶次を始めの雄将は全て儂のものか」

「はい…ですが…」

「おお、そうであったな。案ぜよ、約定は忘れぬ。
 を打ち滅ぼしし後は、豊臣秀吉の扱いはそなたに一存する。そなたの好きにするがよい」

「ハッ、有り難う存ずる」

 頭を垂れた老将が指揮丈を下ろした。
礼を尽くすかのように、改めて両手に持ち、隆元へと差し出す。
それをさも当然とばかりに隆元は取り上げると、大きく振り上げた。

「前線、立花・島津・長宗我部へ伝令を出せ!! 策が成るまで、前線を掻き乱せ!!
 吉川、小早川を呼び、別動隊を指揮し舞台の小娘をひっとらえる旨、申しつけよ!!
 但し、傷つけてはならんぞ!! 必ず、無傷で捕縛するのだ!!!!」

 

 

 毛利兵が動きだしたのを確認すると、黒衣の老将は一人静かに場を辞した。
彼は隆元の傍から離れ、毛利本陣の隅に腰を落ち着ける一人の剣士の元へとやって来る。

「やぁ、ついに僕の出番?」

「そうなろうな」

「誰? 誰を斬ってくればいいの? 僕としては前田慶次がいいんだけど…まだだめなの?」

「うむ、今はそれよりも……優先すべきことがある」

 つまらなさそうに眉を寄せたかと思えば、次の瞬間には剣士は明るく笑う。

「ふうん……ま、いいや。仕事を先に片付けたら、慶次と遊んできてもいいんでしょう?」

「そうなろうな」

「じゃ、早く教えて! 誰? 僕は誰を斬ったらいいの?」

「単純な話よ、卿はあの娘の首を取ればよい」

「あれ、なんだ。そんな事でいいの?」

 想像したよりも簡単な仕事だったのか、剣士が目を瞬かせた。
老将はゆるりと首を左右に振り、一際低い声で言った。

「いいや。肝心なのは、卿がとる事ではない。毛利が取ったと見せかける事よ」

「ふうん……なんだか面白そうだね。分かった、僕に任せてよ」

「期待しておるぞ」

「うん、じゃ、行ってくるね」

 立ち上がり早くも行動し始めた剣士を見送った彼は、ふと何かを思い出したかのように身を翻した。

『もう一手、保険をかけるとしよう』

 

 

 巨大な毛利・北条連合の陣を横切り、先程の場所からは対極に位置する天幕の前までやってくる。
ここは雑兵が寝泊まりする為の天幕で、客将であっても軍師としての職責を預かる彼のような立場の人間が自ら足を踏み入れるような場所ではなかった。
 だが彼はそんな事には頓着していないのか、突然腰を曲げた。
小さく咳払いをし、声色を調整する。
そして余命幾許もない老人の仮面を完全に被りきると、緩慢な動きで目の前の天幕の中へと入っていった。

「どうじゃ、眠っておるかの〜?」

「おっ、じーさんか。どうだ? 俺の士官は、どうにかなりそうか?! 俺の剣は天下無双だぜ!!」

「うむ…それがのぅ…」

 男は先程まで見せていた怜悧な眼差しや声色などが嘘のような、穏やかな声色を上げた。

「戦果のない者を召し抱えるのは…と難色を示しておるようじゃ…儂の力不足よの…すまんのぅ」

「気にすんなよ、じーさんのせいじゃないぜ。
 戦果が必要って言うのなら、戦果があればいいんだな?! 俺は何をしたらいい?!」

「うむぅ…そうじゃのう……今儂らが戦っておるのは…」

「知ってるぜ、確か…の…魔女だろ? 皆が言ってる」

「そうじゃ。かの者を討てば…あるいは…のぅ…。
 皆、前田慶次を怖がって志願せんようじゃし、これ以上はない戦功になろうかのぉ」

「そうか、分かった!! 女を手にかけるのは気が進まねぇが…魔女が相手なら話は別だ」

「おお、頼まれてくれるか」

「ああ、だから毛利の殿様に士官の件頼んどいてくれよな!!」

「無論じゃ。かの者の首を持てば、毛利殿とてそなたに目を止めようぞ〜」

「おっし、行ってくるぜ!!」

「頼むぞ〜」

 背に天下無双を掲げる青年を送り出した男は彼の姿が見えなくってから、曲げていた腰を正した。
彼の後方に、彼が飼う影が現れる。

「……塩梅はどうじゃ」

「は…斎藤家との連携、万事整っております」

「では暫くは信玄坊主を留めおけるな」

「はい」

「次の手が必要か。早急に龍興を奪還せよ。斎藤領に返す必要がある」

「御意に」

 彼の後方に跪いていた影が、新たな任を受けて姿を消した。
老将は満足げに薄く笑う。

「良い風じゃの…あの小娘に目にもの見せてくれようか」

 黒衣の老将の暗躍は、確実にへの風向きに影を落とし始めていた。

 

 

「おお、ここにおったか。探したぞ」

 見る者が息を呑むような冷たい眼差しで、声を殺して笑う老将の元へと、三人の武士がやってきた。
声色だけで誰なのかを気取った彼は、すぐに表情を改めて踵を返すと、恭しく一礼した。

「おお、これはこれは氏真様、氏照様、氏邦様。
 何もかような場へお越し頂かずとも…儂の方から出向きましたのに」

「よい、気にするな。毛利の目を考えれば、かような場であった方が都合もよいというものよ」

「はは、恐縮にござる」

 北条氏真が答えれば、老将は再度深々と頭を垂れた。
二人のやりとりを気にしていないのか、氏真の後について来た氏照と氏邦が口々に不満を漏らした。

「…隆元め、儂らを犬馬の如く扱いよって…」

「そうじゃ、そうじゃ」

「何故儂らばかりがこのような目に合わねばならぬ」

「…仕方ありますまい。北条様の御威光が陣中にあっては、毛利も内心では焦り、妬みましょう」

「そのようなものか」

「はい…将器の底が知れまする者なれば…」

「しかしそこもとの話は誠であろうな?」

「と、言われますと…?」

「じゃから、儂らがを落としし後は、そこもとの主の国と共謀し毛利を併呑。
 地を二つに分け同盟を結び、北の明智に当たるという壮大な計略じゃ」

「無論にございます」

「そうか。それを聞いて安堵したぞ」

 うんうんと頷く北条三兄弟に向けて、老将はしれっとした顔で問いかけた。

「時に、ご存じですか? 毛利はこれより大きく動きまするぞ」

「何?!」

「どういう事だ!?」

「は、はぁ…あれに舞う娘がの君主だと知り、ひっ捕らえるようです。
 かの者を縛しての禄を食む雄将・智将を尽く従属させるつもりなのでしょうな」

「なんだとっ!!」

「儂らには何の断りもなくかッ!!」

「まずいぞ、兄者。このままでは北条は大損するぞ」

「むぅ…今の今まで前線を維持していた儂らには何の断りもなく動くというのか…おのれええええ!!!」

 北条三兄弟が顔を険しくして老将を見やった。
老将は柔らかい笑みを口元に乗せた。

「…北条様が先にかの者を押さえれば……交渉の余地どころか、このまま毛利を併呑する事も容易いかと」

「!」

 助言を受けた三兄弟は、一縷の望みを見出したかのように顔に花を咲かせた。

「そ、そうじゃな」

「じゃが、その前に…確約をとりたいのだがな」

「と申されますと?」

「儂らがあの小娘を抑えた時、そちとその主は毛利か儂らか、どちらに付く?」

「……無論、かの壮大な計略の為、我らの兵は北条様にお味方を…」

「ふふふふ、それを聞いて安心したぞ」

 北条三兄弟が口々に「ここが正念場じゃな」などと互いを鼓舞する様を老将はにこやかに見守る。
だが彼の笑みの奥、眼差しには冷淡な色がいまだ衰えず濃厚に映えている。
北条が口にした計略になど、端から興味はないという眼差しだ。
 それに気がつかぬ北条三兄弟は互いに鼓舞しあい、彼よりも先に天幕を後にした。

「毛利が動き、戦果をものする前に儂らも働きをせねばな」

「そうじゃ、そうじゃ」

「やるか、兄者」

 続いて天幕を後にした黒衣の老将に向かい、北条氏真が何かを思い出したように立ち止り振り返る。
老将は氏真の言葉を無言のまま待った。

「この策が成れば、そなたにも大いに報いねばならぬな。大義ぞ」

「いいえ、この身は我が殿の為のもの…殿の為であれば、苦など一つもありませぬ。
 何よりも誉れ高き北条殿と轡を並べられることこそが、我が栄誉でありますれば…」

「ハッハッハッ!! 官兵衛殿はほんに謙虚よの、毛利にも見習わせたいものよ」

「全くじゃ」

 そう言いながら騒がしく遠ざかって行く北条三兄弟を一礼して見送り、男は胸中で小さく吐き捨てた。

『…烏合の衆が…精々潰し合うがいい。
 どの道貴様らでは天下は頂けぬ…天下を呑むのは、我が殿秀吉様だけよ』

 彼の名は黒田官兵衛。
かつて豊臣秀吉の元、竹中半兵衛と共に秀吉の立身出世を支えようとした懐刀である。

 

 

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