剣が峰演舞

 

 

「ぶぇっくしゅっ!!」

「大丈夫? 秀吉様」

「う、うむ…なんじゃろうな。妙な寒気がきたわ。
 それはそうと様、戦況が変わったんじゃ。国元へ帰還してちょ」

「う、うん……でも、皆が戦ってるのに…」

様、戦場は男児のものにござる。女子の居るような場ではない。儂が送りまする」

「家康様…うん、分かった。私がいても足手まといになるよね。大人しく戻るよ。
 でも皆、絶対に死なないでね。すぐに増援送るからね」

「勿論じゃ!! わしらが死する時は、様のお傍でと決めとる。ここじゃーないんさ!!」

 剣が峰演舞を終えて、祭壇からが降りる。
不安があるのか、の動きは気持ちぎこちない。
状況の変化を高みから見下ろすという事は、予想以上にの心に負担を掛けているようだった。

「ン? 女神が撤退するってか。なら、普通に支援するだろ?」

 伝令からの撤退を知った孫市が逸早く動いた。
彼が山道へと足を踏み入れるのと時を同じくして、舞台へと毛利の騎馬と歩兵が討ち入った。
秀吉率いる護衛隊が騎馬を押し返し、楽隊を兼ねていた美丈夫達が装束を脱ぎ棄てた。
兵としての気概を顔に貼り付けた美丈夫達と家康の警護元、は山道を懸命に駆け下りた。

「こっちだー!! いたぞー!!」

「むう!! 様、先を急がれよ!! ここは儂が食い止めまする!!」

 家康が筒槍を奮い、追随してきた別動隊へと向かう。旗印は吉川だ。

「家康様!!」

 心配そうに顔を曇らせるの両脇を、楽隊を兼任していた美丈夫が抱え込んだ。

「姫様、先をお急ぎ下さい。さ、ささ」

「足元が悪うございます、お手を」

「う、うん…皆、ありがとう」

 背を追うように続く死闘の音と、討たれた者の上げる叫喚に何度となく足が竦んだ。

「焦らぬ事よ!!」

 家康の声が上がる。
筒槍から数多の砲弾が飛び、砲弾に穿たれた木々が倒壊した。

「家康様?!」

 の後を追わせぬ為に、わざと奥義で山道を潰したのだろう。
が振り返れば、倒れた木々の向こうに多くの敵兵に向かい単騎で突っ込んで行く家康の背を見た。

「やだ…家康様、一緒に帰ろう!! こんなのやだよ!! 家康様ーーーーーーっ!!」

「姫様!! 御心を強くなされませ!!」

 戻りそうになるを掻き抱いて、楽隊は下山を急ぐ。
彼らに抱えられるの眦には大粒の涙が滲んでいた。

「姫様、どうか、どうかお心をお強く!!」

「そうです。家康様は武士、心配には及びませぬ」

 励ましを受けて、その言葉に縋るように何度となく頷いた。
自然と溢れてくる涙を拭い、震える足で懸命に駆け続けた。

『そうだ、早く戻ろう。戻って、助けに行くんだ』

 山を中腹まで駆け下りた所で、達は再び敵兵の襲撃にあった。今度は北条の旗を掲げる一軍だ。

君主・殿の御見受け致す、我らと共に来てもらおう!!」

「させぬ!!」

 美丈夫達が抜刀し、敵兵と切り結び始めた。
片手で数えられるだけの兵がを警護して、更に下山を急ぐ。
夜目の効きにくいでこぼこの山道を駆ければ、欝蒼と茂る木々が何度となく肩を叩いた。
達の移動で眠りを妨げられたらしい小動物が、時に足元へ飛び出して、続いて森の中へと逃げて行く。
飛び立つ梟、息を潜める小動物、それらに何度となく肝を冷やした。
 小半刻程の逃走によって達は本来進むべき道を見失っていた。
ただただ月の光と合戦の音を頼りに、戦地に紛れこまぬようにと先を急いだ。
夜が蔓延る山道を駆けに駆け続けて、それから更に小半刻した頃、達は見晴らしのいい間道に出た。

「きゃぁ!!」

 すると突然達の周りに火柱が立った。群青の空を、立ち上った火炎が朱に染める。
逃走しているつもりが、まんまと敵の張った罠の中に誘い込まれたのだろう。
威勢の強い火が放つ熱風の前では瞼を開くことは困難で、毛利と北条、どちらと対峙しているのか判別不能だった。
 炎に怖れ戦き、立ち往生したを護るように、楽隊の美丈夫が四方を固める。

「潔く、投降されよ。さすればそなたの身の安全と共にの民の安全は保証しましょう」

 火柱の向こうから向けられる声に、は首を横へと振った。

「災害復興中に襲ってきたり、民を囮に使ったり…そんなこと平気でする人間の言葉なんか、信じられない!!
 下るくらいなら、舌噛んで死んだ方がマシよ!!」

 言い放っておきながら、内心で「ちょっと早まったかな」と思っていると、火柱の向こう側から矢を射かけられた。
美丈夫達が懸命に打ち落とすが、一矢、擦りぬけた。

「うぐっ!!」

 の前に立つ美丈夫の右肩に矢が突き刺さり、囲いが解けかける。
痛みを懸命に堪え、美丈夫は顔を上げて、懸命に刀を構え直した。

「もう一度言おう、投降なされよ。それとも次は目か、足か?
 そなたも部下が矢襖になる様など見たくはなかろうて」

「…ッ! 卑怯者!!」

 が痛みを堪えて立つ美丈夫の肩に手を掛けて労わろうとすれば、美丈夫はそれを拒んだ。
彼は隙を作らず、頑として背に庇ったを護り通すという意思のみを顔に貼り付けていた。

「どうやら、その者はそなたの為に死ぬ心づもりのようだ。忠義な事よ。このような若き士を死なせても良いのか?」

「黙れ、下郎!! 姫様、惑わされてはなりませぬ!!」

 若さゆえの熱心さがそうせるのか、強い意志を滲ませた声に、敵将は舌打ちをした。
再び放たれた矢が達を襲う。
楽隊が懸命に刀で矢を打ち落とした。

「何時までももたぬぞ!! さぁ、どうする?! 選ばれよ!!」

 敵の恫喝に身をが竦ませると同時に、銃声が轟いた。

「ぐっ!!」

 に選択を強要した敵将が肩を押さえて膝をつく。

「もう一つ、選択肢を提案するぜ」

 悔しさで唇を噛み締めるの耳に、いやに軽い調子の声が聞こえてきた。

「あ…孫市…さん?」

「魅惑的な姫は、彼女の恋人が救うって選択肢だ。普通にこれが本命だろ?」

 ゆったりとした歩幅で火柱の向こうから現れたのは、出城の中で弓兵・投石兵を指揮しているはずの孫市だった。
彼は張り巡らされた火を淡々と消して脱出口を作ると、の前へと歩いて来た。

「やぁ俺の女神。待たせたな、怖くなかったか?」

「孫市さん、家康様が!!」

「家康? この状況でまずあの狸の名かよ、つれないねぇ。ま、貴方の場合はそこも魅力なんだけどな」

 軽口を叩きながらも孫市は歩を進めて、敵将ととの間に対峙する。

「ぐぐぐ…おのれぇ…」

 彼に肩を打ち抜かれた敵将が歯軋りすれば、孫市はやれやれと肩を竦めた。

「女一人捕らえるのに火計に矢の雨とは、あんたらまるで悪鬼か鬼畜だな。ンな事してるとモテないぜ〜?」

「貴様、我らの崇高な戦を愚弄する気か!」

 いきり立つ男の足元へと銃弾を浴びせて孫市は言う。

「おい、ちっとは感謝しろよ。女神の前だから肩にしてやったんだぜ」

「ふん、その余裕…何時まで続くかな…」

「はいはい、言ってなよ」

 敵をあしらい、孫市はへといった。

「ここと狸オヤジは俺が引き受けた。先を急ぎな」

「ハッ!!」

「参りましょう、姫様!!」

「孫市さん…ありがとう…お願いね」

「ああ、任せなよ。前にも言ったろ、俺は約束は違えない」

 孫市が作った脱出口から離脱するを見送り、孫市は肩に乗せていた銃身を下す。

「さて、花もなくなった事だし…こんな興醒めな舞台は俺の好みじゃない。
 俺としては彼女を救えればそれでいいんだ。

 って事で提案するぜ。あんたら、ここで帰りなよ。そうすりゃ、命までは取らない」

「ふっふふふふ、ははははは!! 貴様、気でも狂ったのか!! よく見よ、貴様は一人、我らは小隊だぞ!!
 不利なのは儂らではなく、貴様の方ではないか!!」

「交渉は決裂ってか?」

「ふん、の兵はつくづく哀れよな。かような女子の色香に迷い、考える頭すら失ったか」

「…そうかよ…じゃ、閻魔によろしくな」

 孫市が薄らと口元を歪めた。
彼が口笛を吹き鳴らせば、敵の後方の木々が次々に倒れた。

「?!」

「な、何事だ?!」

 退路を断たれた事に気がついた敵に動揺が走る。
それを冷淡な眼差しで見つめながら、孫市は言った。

「…寡兵で取り組む時は、罠くらい張るさ。常識だろ? さて、ここで問題だ。俺、さっき、なんて言ったっけか?」

 敵将の頬を冷や汗が伝う。
形成は、今や完全に逆転していた。

「俺言ったよな? 彼女がいたから、わざと、外したんだ」

 敵の顔に焦りと恐怖が湧き上がる。
孫市は下した銃の柄に己の体重をかけながら淡々と話す。

「当然だろ? 心優しい女だ、お前らの死にだって心を痛める…そんな女に、余計なもんは見せたかないからな」

「…あ…」

「だが、事情が変わった。彼女は、ここにはもういない」

 緩やかな動作で孫市は服の中から一本の筒を取り出した。
筒を軽く振って、底を打つ。

「ッ!!」

 ボムッ!! と鳴った筒はからは火花が散った。

「…って事は、どういう事か、分かるよな?」

 シュウシュウと音を立てて火花を散らす筒を、孫市は放った。 

「…ま…!!」

「…あばよ…」

 暗殺者としての眼差しを称える孫市の独白と同時に、宙を泳いだ筒は倒れた木々の上へと落ちた。
木々に火が走り、次の瞬間敵の動揺する声が上がる。
だがその声は、すぐ後に上がった爆音に掻き消された。

 

 

「今の音って…?」

「姫様、ご心痛はお察し致しますが、どうか先をお急ぎ下さい!!」

「あ、うん…ごめん、そうだよね…」

 夜道を駆けるの肩には、先程を庇って矢を受けた兵士の肩があった。
本人は「怖れ多い」と固辞しようとしたがそれだけは頑として、が認めなかった。

「どの道こんな着物じゃ、そんなに早くは走れない」

 そう言って、彼を支えながら撤退を急げば、山道の向こうからガチャガチャと鎧を鳴らし駆けて来る一団を認めた。

「姫様ー!! 姫様!? どこですかー!!」

 赤揃えの一団を指揮して駆け回るのは、馬場信春に救援された井伊直政だ。

「井伊さん? ここ!! 私、ここにいる!!」

 が声を上げれば、井伊隊が気がついて徒歩を速めた。

「! よかった、やっと見つけた!! ご無事で何よりです!!」

「井伊さんこそ…!! よかった、怪我はしてないんですね!! 本当に、良かった!!」

 赤揃えの精鋭達がと井伊を取り囲み、安全を確保する。
は精鋭で作られた輪の中で井伊の肩に抱きついて、彼の生を喜んだ。

「姫様…心配掛けてすまない。さ、俺が守ります。最寄りの陣に入って下さい!!」

「うん、有り難う。あのね、でも、祭壇で秀吉様が敵と抗戦してるの」

「分かりました、姫様を陣に送ったら、すぐに向かいます!」

「うん、お願いね」

 井伊隊の先導に従い最寄りの陣へと身を伏せれば、そこには撤退した小六がいて、再出撃に備えていた。

「お、姫様か」

「小六さん!! 怪我は?!」

「あんな攻撃じゃ、この蜂須賀小六は殺れやしねぇよ。安心しな」

 こくこくと大きく頭を振るの声を尻目に、小六は兵を纏め再び前線へと向かい出撃した。

「皆、どうか、どうか無事で…」

 両手を合わせて目を閉じて祈るの傍から赤揃えの精鋭達が移動する。

「出ます!!」

「はい、お願いします」

 井伊隊が秀吉救援に向かい出撃するのと入れ替わるように、陣の中に朗報が届いた。

「雑賀孫市様、徳川家康様の救援に成功!!」

「良かった!!」

 計略こそ打ち崩されたものの、の被った被害は少ない。
四万の兵を相手に善戦し、後詰の五万に怯みはしたけれども、まだまだ勝機はあるはずだ。
長期戦ではこのような展開もあって不思議はない、絶望するほどの劣勢ではないのだと、は己に言い聞かせた。
 自分が今ここで泣いては士気を乱す、それだけは絶対に避けねばならない。
は頬を伝いそうになる涙を己の掌で懸命に拭いさり、眉をきつく寄せて心を奮い立たせると、顔を上げて叫んだ。

「トランス・ブート・キャンプは潰されたけど、まだよ!! まだいけるはず!!
 食城の計に切り替えるわ!! 準備を急ぐように各隊・陣に通達して!!」

 

 

- 目次 -
黒田官兵衛、出陣。(10.06.12.up)