剣豪の望むもの

 

 

 毛利との決戦が始まってから、早くも半年が経とうとしていた。
季節は水無月。梅雨に入り、血で血を洗う決戦の大地は、梅雨独特の雨模様に覆い尽くされていた。
大地をぬかるませているのは雨なのか、はたまた人々が流した血なのかが、判別し難い状態だ。
 戦地入りして最初一週間は鮮血の臭いに悩み、次の一週間は屍の放つ悪臭に悩んだ。
何よりもスプラッタ映画で見る以上の生々しい屍の山を直で目にする事で抱えた精神的負担は相当のものだった。
常に気を張っていなければ、とっくに気がどうにかなっていたかもしれない。

「姫様、せめて粥は喉を通して下され」

「う、うん…ごめん…分かってるんだけど…」

 食わねば立つ事は出来ぬと知りながら、粥ですらなかなか口を通らなかった。
度重なる衝撃的な映像と消える事のない悪臭に胸が焼けたのだ。
勧められるまま匙を動かすが、口に入れても飲み込む事が出来ない。
こうした事が続き、着々と体力が落ちる中で、精神だけは常に高揚状態にあった。
常に危険と隣り合わせにあった為だ。

「あれ? 昨日、ここにいた人は??」

「は、遊撃隊に志願しまして…」

 はっきりしない言葉尻から、その者が陣の外に横たわる屍となった事を悟った。

「そ、う…」

 胸を痛め、人が人を殺す事の恐ろしさと虚しさを知り、涙する。
そんなの小さな背を前に、誰もがかける言葉を失った。

「…皆、有り難う。ごめんなさい。頑張るから。皆の為にも、頑張るから…」

 こうして広がる死地は、皆が領を護る為に行動した結果でしかない。
感謝しなくてはならない。嫌ってはならない。むしろ誇りとさえ思わねばならない。
そう考えて、一月、二月、三月と、時は過ぎて、徐々に感覚が麻痺するようになった。
臭いは気にならなくなり、視覚から得る光景に慣れ、耳に入ってくる戦の音にも脅えなくなった。
それどころか冷静に対処出来るようにまでなってしまった。
今、何が必要なのか。どうすれば、屍を一つでも多く、減らすことが出来るのかだけを考えた。

「次の人は…足ね、動かないで」

 は自らの意思で国元に戻る事を止めて本陣に駐屯した。
そこで筋肉疲労で動けなくなった兵一人一人に針を打ち、治療する事を選んだ。
安全な本国で気を揉む事よりも、自分に出来る事をしたいと考えたのだ。
脇目も振らずに治療に専念するの姿は、さながら戦国のナイチンゲールのようであった。

 

 

も難儀な事よな。北条の侵攻を防いだかと思えば次は自然災害か」

「その上今度は毛利の侵攻とはな…息つく暇もないのぅ」

「挙句迎撃に躍起になっている間に配下の二将・伊達政宗と直江兼続は、同盟国での救援を名目に小競り合いを
 繰り返していると聞く」

「…やはり女子では将兵を諌めおくには限界があるか…かの者の才知も高が知れておるの」

 と毛利の戦いを見守る諸国が口々に囁く。

「ふん、時世を読めぬ馬鹿どもめ。なんとでも言うがいい。後に壮大な計略の前に冷や汗をかくのは貴様らの方よ。
 小十郎、塩梅はどうじゃ?!」

「は、旧徳川領復興、完遂しております」

「そうか!! では次は伊達領じゃ!!」

「ハッ!!」

 この頃、後方支援に徹していた政宗、兼続の奮闘が功を奏し始めた。
余所の小競り合いに駆り出される事で得た報酬で、それぞれが受け持つ地域の復興が整い始めたのである。

"元直江領復興完遂。ついては募りし義兵を輸送す"

 そうして得た後方都市の安寧を背景に、山内一豊、市、酒井忠次を始めとする各所領に駐屯する徳川一門による働きで、徐々に兵の補充が出来るようになって来た。
 同じ頃、剣が峰演舞から切り替えた食城の計の真価も出始めた。
摩訶不思議な計略を潰されて、威勢を失ったように見せて、敵を誘引。各個撃破するか投降させて行くという計略は、敵にも想像する事が出来ない斬新なものだったようで、すぐに真の狙いを看破される事はなかった。

「しかし、それでは…」

「すぐに兵に組み込んでも、上手く機能しないと思うの。だって元は敵兵よ? 連携しろって言ったて無理だわ。
 確かにこの戦況は不利よ。兵数が増えれば少しは見込みも出てくるのかもしれない。
 だけど手が欲しいのは何もここだけじゃない。領のあちこちは災害処理が済んでいないままだわ。
 だったら、そっちだけでもどうにか出来ればいいな…って思う」

「…分かりました、どうにか致しましょう」

 投降兵の殆どは、の命の元一旦領へと送られた。
吸い上げた兵をそのまま戦に出すのではなく、復興支援に使おうとしたのだ。

 

 

 そこで彼らは領が今どのような状態にあるのかを目の当たりにすることになる。 
戦国の習いであれば、捕虜となったからには命の保証はない。
本国に送られるとなれば、それはそれは過酷な隷属命令が待っているだろうと思っていたのに、それは違った。
領では、降服していようといまいと、待遇に関係はなかった。
従属させられた作業でも、他の者と同じように定期的な休憩が与えられ、食事も与えられた。
魔女の国であればこそ、口にするのもおぞましい処遇が待っていると思っていたのに、そうではなかったのだ。

「おい…なんだよ…これ…」

「嘘だろ……こんな……こんな所に俺達は攻め入ってたのか…?」

 腹を括っていた彼らは、領に入り、かの国の現状を己の目で見て、初めて自分達のしていた事の愚かしさを知った。乱世とは言え、防衛に必死になる後方都市では、女子供、兵から民までが分け隔てることなく、自然災害に痛めつけられた大地を癒し、国を立て直す事に必死だった。

「棟梁〜!! 畑に埋まってる城壁吹っ飛ばすのに火薬もらえないんですか〜?」

「馬鹿野郎!! そんなもんは腕でどうにかしろ!」

「いや…だって、腕ったって…岩相手ですよ?!」

「でかいなら、小さくすりゃいいだろ!! 木槌とのみで削って、後は縄で結えて引きずり出せ!!」

 疫病こそないものの大地は泥濘、多くの田畑は荒れて、民を護る為の城壁は役割自体をなしてはいない。
復興に使われるはずの馬は、毛利・北条連合軍迎撃の為に出払い、復興の為の道具調達もままならない。
田畑を再興させようにも、崩れた城壁が沈殿し、耕す事も出来ない。
その岩を砕こうにも、今のにはこうした作業に使えるだけの火薬がないのだ。
 普段身を護るはずの物が、今この場にあって、そこに生きる人々の生を脅かしている。
投降兵の多くがその事実に驚愕を隠す事が出来なかった。

「頭領さん、あたいらも手伝うよ。何か出来る事はあるかい?」

「すまねぇな…んじゃ、あいつらと行って、砂利の運搬してくんな! 怪我しないように気をつけるんだぜ?」

「任せておくれよ!」

 田畑の回復が遅れれば、当然食糧難になる。
食料を失えば、働くことも戦う事も出来ない。

「七班、休憩〜! 飯とってくんなー! 三班、入れ替わりだ〜!! 持ち場に戻れー!!」

 辛うじて君主であるの采配で見慣れぬ野菜を栽培し、食糧危機を防いではいるが、この現状を維持し続けられる保証はどこにもない。

「五穀粥を希望する奴は左の列だ。
 南京いもを希望する奴は右の列だ。いもなら一人三個まで食べれるぞ。出来るだけいもを食ってくれ」

「これを食すのか? どうやって食す?」

「蒸かしてあるからぽさぽさしてるが、塩やみそと食えば腹もちがいいよ。
 細かく切って揚げたものに塩をまぶして、姫様も良く食しておられたと聞くぞ」

「そうか、そうか。姫様が…ならわしは芋にするよ。米は前線にいる武士に譲った方がええしな」

「助かるぞ。さあさあ、皆、好きな方に並んどくれ。粥は一杯、いもは三個までだ! いもがお勧めだよ」

 想像以上に悪辣な環境に晒されて、更には復興に従事しろと言われれば、嫌でも痛感する。
災害の爪痕が大きく残る地に侵攻する事の虚しさ、卑劣さを。
 この有様はあまりにも酷過ぎる。

これではこの地へと侵攻した主こそ、悪の化身ではないか。
 戦であればまだしも、ここにある惨状は自然災害が齎したものだ。
人の手で直すには想像以上の労力と時間を必要とする。
この荒れ果てた大地に身を置くのは、もしかしたら自分だったのかもしれない。
敵とて人の子。自然災害が齎した惨状であればこそ、心打たれるものがあったのだろう。

「こんな事、してられるか!! 俺は武士だぞ!!」

 誰かが最初に口にした。

「そうだ、俺達は、武士だ!! 武士は戦場で働く!!」

 続いて、誰かが数少ない農具を投げ捨てた。

「戦場に戻せ!! 俺達が劣勢を覆してやる!!」

 投降兵の中に広がった威勢は、もはや復興支援に向くようなものではなくなった。
そう判じた本国守護名代竹中半兵衛は、迅速に兵を取り纏めて前線へと送り出した。
 戦場で続くの治療は、こうした投降兵にも分け隔てることなく行われた。
投降兵の中には、の行動に感銘を受けて、心服する者も少なくなかった。
"魔女"と呼ばれるには、現代育ちのの思想は、戦国においてはあまりにも清らか過ぎたのだ。

 

 

「むぅ…士気が盛り返しておるか…しかし、どうした事だ?! 何故、兵站が途絶えぬ?!」

 着実に兵数を増やし、威勢を取り戻す軍の前に、毛利・北条軍の首脳陣は困惑を隠せない。
陣中にあって彼らとは一線を画すのは、黒田官兵衛と同じように、並々ならぬ気骨を纏う島津軍・立花軍・長宗我部軍だけだ。

「ふん…手強いものよ」

「女だてらに並々ならぬ反骨よ…気に入った」

「だが、このままでは済ませられぬな」

「お三方、元より承知であろうが…」

「分かっている、中央は立花に任せよ」

「投石は俺が潰そう」

「では儂は弓兵に当たるか」

 三軍はそれぞれの手勢を率いて陣を出た。
島津の迎撃に当たるのは、慶次と左近率いる騎馬隊。
長宗我部には三成・長政らが当り、立花には秀吉・家康の歩兵が当たった。
孫市は全ての陣の指揮をとりまとめ援護に専念している。
劣勢に変わりはないが、前線維持だけは辛うじて出来ている軍の雌伏の時は今しばらくは続きそうだった。

 

 

「どう?」

「うん…やっぱり真田幸村が居ないのが痛いな」

「斎藤領に留めおかれてるんだろ?」

「当たり。どうやら官兵衛との内応で威勢を盛り返したらしいんだな。
 この状況で侵攻されたらひとたまりもないけど…そこは流石武田主従だね。少ない兵でよく善戦してる」

「あのさ、兄貴。なんかその口ぶりだと、防衛戦って感じがするんだけど?
 元はと言えば武田勢の戦は侵攻戦じゃなかったっけ?」

 無機質なビルの一角、モダンなデザインのカフェの中。
同じ顔をした二人の少年が額を突き合わせて、古書をまとめたファイルをめくっていた。
が身を置く戦国時代から見ると、遠い未来に身を置く支援者だ。

「当たらずとも遠からずかな。毛利との戦いでごたごたしてたから、仕方がないんだ」

「どういうこと?」

「あの混乱に乗じて斎藤龍興が逃走して、斎藤領で返り咲いてるんだよ」

「ええっ?! じゃ、何?! 寝返ろうとしてた三人はどうなっちゃうんだよ?!」

「ああ…氏家卜全、稲葉一鉄、安藤守就? 彼らは……あ、出てきた。大丈夫だね、武田勢とちゃんと合流してる。
 真田幸村もこの状況は相当辛いだろうな…。一進一退で、なかなか戦果を得られないでいる。
 彼がこの地で打ち取った兵はこの時点で千を越えてるんだ。それなのに敵に衰えがないとなると…
 斎藤領には毛利からの増援が流れてるんだろうね」

「そっか。ここの連中が早く動ければいいんだろうけどな」

「本当にね。斎藤城陥落戦だけで軽く二千は兵が削られてるはずだ。
 そろそろ、本当に厳しいんじゃないかな。

 救世主に下った若君の統治する地から徴兵出来る兵数にだって限界が来始めてるはずだ」

 カフェに併設されているバーからドリンクを取って来たのか、弟が机に荒っぽくコップを置いた。
彼の顔には不満がありありと浮かんでいた。

「ったく、黒田官兵衛ハッスルし過ぎだよ。大体この人なんでここまで救世主を目の敵にするんだよ?
 元はと言えば秀吉の懐刀なんだろ? なんでだよ?!」

「そこだよ」

「え、どこ?」

 弟がファイルから視線を外し、辺りをきょろきょろと見回す。
すると兄がコップを取り、口元に運びながら、ファイルの中の書面をつついた。

 

 

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