影のフィクサー

 

 

「当然でしょう? かような地に、神聖な姫様を長々と置いておくはずがない。全ては我が計略の内のこと…」

「えっ?! ちょ、どういう…ッ!!」

 問いかけが終わる前に矢が放たれて、豊久共々騎馬が倒れた。
大地に豊久と共に肩から落ちる。
豊久が立ち上がり、刀を抜き放った。
襲い来る矢を打ち払いながら彼は退路を探し、その背後に横たわっていたが顔を上げた。
信じられぬ事が起きたと混乱し、瞳を大きく見開いて山道の半兵衛を見やれば、半兵衛は満足気に頷いた。

『どうして…? なんで? なんでなの? 半兵衛さん』

「半…っ!! んっ?! んっ、んぐっ!?!」

 が叫ぶ前にの後方から手が伸びて口を塞ぐ。
咄嗟に己の口に回った掌を噛んだ。
何が起きているのかと懸命に頭を働かせていると、耳元に低く艶めいた声がした。

「…相変わらず…じゃじゃ馬よな…」

『風魔?!』

 視線だけで確認すれば、己の口を押さえる掌は青白く、己の体を抱え込む腕は想像以上に冷たかった。

「…クククク…今はただ…眠れ………うぬが目覚めし時は、全て、変わっていよう…」

『…風魔…小太郎…? どうして…? なんで? 何が…起きて…??』

 小太郎の目を見れば、催眠術にでもかかったように意識はまどろんだ。
そのまま意識を失ったを肩に抱え、小太郎は姿を消す。
矢を打ち払う事に専念していた豊久は、自分の犯した失態の実像に気が付く暇もなく、ほうほうの体で本陣へと撤退していった。

 

 

 竹中半兵衛の突然の出兵は、毛利だけではなくにも衝撃を呼んだ。
彼が着陣した本陣には剣豪二人を半殺しにして戻って来た慶次と、逆に長宗我部軍に泣きを見せられた三成・左近を始めとした、全将が集っていた。
 そこへ仰々しい輿を運び込み、半兵衛は椅子に座すに向かい言った。

「もう充分ですね、半蔵殿。様はじきに戻られましょう」

「?!」

 皆が白目を剥けば、立ち上がったは纏っていた白装束を脱ぎ捨てた。
宙を舞った白装束の下から現れたのは見違う事なき、服部半蔵であった。
彼が無言のまま輿から降りると同時に、秀吉が真っ青な顔をして半兵衛に詰め寄った。

「ということは…?! な、んぁぁあああ!!! なんて事してんじゃ、半兵衛!! 
 様は?! 様は一体どこにおられるんじゃ?!」

「落ち着いて下さい、秀吉様。姫様であれば、ほら…この通り」

 半兵衛が掌を動かして示した先には、風魔の両手の中に抱かれてすーすーと寝息を立てるの姿があった。

「風魔?!」

 皆がギョッとして息を呑んでいると、半兵衛は静かに頷く。

「座興であればこそ、死なせるわけには参らぬ。でしたね? 小太郎」

「…クックックック…風を遣うか……」

 小太郎がの体を輿の上にゆっくりと下ろした。
己の手に残ったの長い頭髪に口付けながら意味深に笑う。

「…だが、これだけよ…」

「重々分かっておりますよ。大義です」

 半蔵や慶次達と冷戦にも似た睨み合いを繰り広げて、小太郎は姿を消した。
輿の上に残されただけが、何も知らぬまま安眠を貪っていた。

 

 

「さて、ここで一つ、皆さんに提案があります」

 を天幕の中へと移した後、半兵衛は切り出した。

「出撃をも担う左近殿には、此度の戦、軍師を努めるには少々荷が重いように御見受けします」

「アァッ?!」

 左近が声を荒げれば、振り返った半兵衛の目は、据わっていた。

「何か?」

「……い、いえ…」

 温和な半兵衛しか知らない左近は、先の籠城事件ですら、半兵衛の仕業だという事を未だに信じられないでいる。
それだけに今見せた半兵衛の凄まじい眼差しには閉口するしかなった。

「そこでです。左近殿におかれましては戦場にて修羅の如き武を奮って頂くことにし、
 軍略如何についてはこの竹中半兵衛にお任せ願いたい」

「…いや、でもよう…」

 半兵衛を中心に場に流れ出している言いようのない緊張感に気が付いていないのか、小六が反意を示した。
間髪入れず、半兵衛の口からマシンガンのような厭味が飛び出した。

「おや? 小六殿は我が軍略に信をおけぬと仰せなのですか?
 このような血生臭い大地に長々と姫様を留めおいて、あまつさえ何度命の危険を味合せたか知れぬのに?
 あのお美しい姫君が見るも無残に窶れ、体の節々には針の痕……かような目に合ったのは誰のせいだとお思いか。
 どれもこれもお粗末な軍略と、皆の武勇への過信からくるたるみではないのか?!」

 決してそんな事はないのだが、今逆らうのはまずいと本能で感じとった面々が押し黙る。

「ここは、この竹中半兵衛にお任せ願いたい。
 何、かような軍勢、すぐに退けて見せましょうぞ。その為の調略も、ほぼ済んでございます。
 毛利だか北条だか知らぬが、我が姫を泣かせる者は、天であろうが魔であろうがこの私が許さぬ!!」

 要約すると、自分の愛娘のような存在を嬲った礼は最低でも十三倍返しにしてやるぞ、と、そういう事のようだ。

「…は、半兵衛…? それで、わしらは何をしたらええんじゃ?」

「おお、ご理解頂けましたか。流石は我が殿、秀吉様! 理解を得れて、この半兵衛、感激です」

 目を光らせ、灼熱の炎を背負い、口からドス黒い瘴気でも吐き出しそうな気迫の半兵衛を見ていれば、誰だって逆らいたいとは思うまい。

「では、軍師の件は私に一任で宜しいでしょうか? 皆様方」

「…お、おう!!」

「…よ、よろしく頼みますよ…」

 一人最後まで文句を言いそうな小六の口を、全員で塞ぎながらの軍師交代劇だった。

 

 

 陣営で電光石火の交代劇が起きている頃、毛利陣営にも想像を絶する逆風が吹き荒れていた。
なんと武田信玄を留めおいていたはずの斎藤城が落城。斎藤龍興は今度こそ軍の軍門に下り、斎藤城を落とした武田軍は、真田幸村を筆頭にこの戦場を迂回して毛利本国に攻め上がっているというのだ。

「馬鹿な…何故、そのような事が…?!」

 茫然とする将兵の中に届いた報で伝え聞いた話では、

「後方都市にて再建に従事していたはずの直江兼続が二万の兵を連れて出立。
 これにより武田が劣勢を巻き返した模様」

「まさか?!」

「…そのまさか、のようですな」

「龍興め…どこまで恥を晒すか…」

 そう、斎藤龍興は直江出立の報を受けて独断で白旗を振ってしまったのだ。

「なんという事だ…あの男、戦国の男児に生まれながら、自らは一戦も見えずに投降したのか…」

「現在攻め上がってくるのは武田信玄・真田幸村・直江兼続率いる二万弱の軍勢。
 一説にはかの別動隊の後詰は伊達政宗率いる三千の鉄砲隊と言われております!!
 武田を抑えるのは、危機を察して第三の関に布陣した立花軍の一万だけです!!なにとぞ、お下知を!!」

 長引き過ぎた戦で兵糧は大きく減り、砲弾や火薬も孫市達によって奪われた。
兵とてそうだ。数ヶ月前までは毛利で禄を食んでいた者は、今はの兵としての気骨を纏い死に物狂いで抵抗する。

『負け戦だ……これは…もう負け戦ではないのか…』

 言葉にしないだけで、薄らと諸将の脳裏に浮かぶ言葉。
毛利の将兵はそれを振り払うように首を大きく横へと振った。
大きな音が鳴った上座を見やれば、毛利隆元が屈辱と怒りに打ち震え、指揮丈を叩き折っていた。

 

 

 時同じくして。毛利の陣中端に設営された天幕の中に、宮本武蔵の姿があった。

「…悪いな、じいさん…」

「いや、いいんじゃよ。無理をさせたな…武蔵…ほんに済まん」

「いや…いいんだ…俺は、もう一度俺の剣を見直してくる…」

「そうか…無理はせんようにな。これは少額だが持って行け」

「じいさん…本当に、すまねぇ…」

 襲撃が余程癇に障ったのか、家守護神と謳われる前田慶次と剣豪二人の邂逅は、それはそれは一方的で悲惨なものだった。
小次郎も武蔵も、激怒した彼の前では木っ葉の如き扱いに等しかったのだ。

 武士として鉾で穿たれるというのならまだいい。
あの慶次が相手であれば、例え散ったとしても名誉ある討ち死にとして世に名を残す事が出来ただろう。
だが実情はそうではなかった。武士としての扱いすらして貰えずに、ただただ一方的に、暴行され続けた。
素手で襟首を引っ掴まれて強烈な頭突きを叩きまれて。
その後は顔面も体も拳でボロ雑巾のようになるまで滅多打ちという、俗にいうところのリンチだった。

『こ、これ!! 慶次!! もうよかろう!!』

『いいや、まだだ!! まだ筋肉痛の分が済んでねぇ!!』

『気持ちは分かるが、ここにばかりかまけているわけにもいかぬだろう!!』

『じゃ、あんたが先に行きな!! 俺は、もうしばらく殴ってから行く』

 この回想でも分かるように、同じ場所にいた家康が齧りついて諌めようとするくらいだから、武士の扱いどころか、人としての扱いをされていたのかすら怪しかった。

『伝令!! 様が島津豊久に捕縛されたよしにございます!!』

『アアッ?!』

『なんとっ!! こうしてはおられぬ!!』

『ッチ…運のいい連中だ……。
 いいか? 今度さんに手出ししたら、三日三晩殴り続けて縊り殺すからな。良く覚えとけ』

 彼ら二人は、豊久による捕縛の報があったからこそ、生を繋いだのだ。
あの報がなければ、まず間違いなく撲殺されていたはずだ。
あの時の恐怖を思い出したのか、武蔵は身震いした。彼の両腕には鳥肌が立っていた。

『…武蔵に小次郎でも駄目じゃったか…』

 武蔵はこのように辛うじて陣に戻ってきたが、小次郎については消息不明との事だ。

『…少し焦り過ぎたか…』

 毛利の陣を後にする武蔵を見送り、黒田官兵衛は肩を落とした。
彼の手には本国から届いた一通の書状。
開かなくてもおよそ中身の見当はついている。

『儂のこの戦は…これまでやもしれぬな…』

 真の殿を世に出す為には、今信用を失うわけにはいかない。
例えこの書状にどのような事が書かれていようとも、自分にはそれを遂行する以外の道はないのだ。
 彼が諦めの境地で書を開けば、そこには予測していた通りの言葉が並んでいた。

 

"同盟反故により毛利本国簒奪するもの成り、迅速に行動せよ"

 

 

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