影のフィクサー

 

 

 天幕の中で眠りにつくは、これまでの疲れを取り戻すかのように深い安眠を貪り続けていた。
食欲が衰えるだけでなく、戦場において常に気を張っていたせいかもしれないが睡眠不足も相当祟っていたようだ。
は事が風雲急を告げているのを一人知らぬまま、二日間眠り続けた。
 風魔の術で安眠を貪ったが、ようやく目覚めた日。
軍師となった半兵衛がの元へと、一つの計略を持ってきた。

「ヘ? またトランス・ブート・キャンプやるの? でもあれって、もう破られたんじゃ…?」

「何、改良を施しております故、此度は易々とは打ち破れますまい」

「そう? 左近さんはどう思う?」

 体裁を整えた姿で天幕の外に出て左近に問いかければ、左近は反意は示さなかった。
勿論、半兵衛の目があるからである。
 の前では温和な優男である彼は、の目がなければ、まるで悪鬼羅刹だ。
常に背に灼熱の炎を背負い、目を光らせて、全身からどす黒い瘴気を迸らせている。
それに逆らう程、自分の胃は強くないと、左近は早々に諦めていたのだ。

「そっか。左近さんが言うなら大丈夫だね、きっと。分かった、やってみよう。半兵衛さん」

「はい、お任せあれ。我が君は舞われるだけで構いませぬゆえ」

「うん、じゃぁ、場所と時間が決まったら呼んでね。私、皆のところ行って、針治療して来るから」

「はい、お気をつけて」

 を送り出した半兵衛の動きは迅速だった。
主に騎馬、弓兵、投石兵で構成された"剣が峰演舞"に独自の色をつけて、難攻不落の策としたのだ。

「何?! が動いたと?!」

「叔父上、豊久も参ります!!」

「迎撃する!! 俺に続け!!」

 軍出陣の報を受けて、島津、長宗我部を始めとした毛利・北条軍が大きく動いた。
丘陵地帯で白兵戦を繰り広げている間に、伊達成実と馬場信春率いる騎馬隊が左翼に展開。
建築部隊が楽隊と共に間道を進んで、所定の位置へと布陣した。
三成・左近・孫市は例によって弓兵と投石兵の指揮を担う。
配置換えを言い渡されたのは蜂須賀小六だ。彼は何故か山林の中を進み、毛利陣中に近い山間の中で伏兵となった。
こうした準備が着々と進む中、長政・井伊隊は後方に引いて計略の調整に余念がなかった。

「分かりました、某達はここで打って出るのですね?」

「はい。打ち出てよりは一層敵陣容を掻き乱してもらいたいのです。
 ですが投石と騎馬には気をつけるようにお願い致します」

「畏まって候」

 同時期、前線で白兵戦を演じつつ敵を誘引するのは秀吉・秀長の豊臣兄弟だ。
彼らは計略の準備が済むまで粘り強く誘引を繰り返し、敵の前線部隊の殆どを所定の位置に誘い込んだ。

「では、参りましょうか」

「うん!!」

 本陣に造られた祭器と祭器の間に造られた小ぶりな舞台に、白装束に身を包んだが立つ。
山道を進んで布陣した建設部隊の作った舞台の周囲には、楽隊が詰めていて、こちらの準備も万全だ。
 本陣の舞台に立ったの背には見た事もない文字が書かれた護符が貼りついている。
が飾りの刀剣を翳して合図を待てば、半兵衛がの周囲を固める祭器に火を灯した。
それを確認した櫓の上の物見兵が所定の位置に伏せた楽隊に合図を出した。
建設部隊が迅速に動き、誂えた舞台に置いた祭器に同じように火を灯す。
 両翼の山岳地帯にて祭器に火が入った事を確認した半兵衛が、時は至れりとばかりに声を上げた。

「半蔵殿、始めるのです!!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」

 頭を縦に振った半蔵が印を切れば、祭器の火が一際大きく燃え上がった。
次の瞬間、楽隊が配置された二つの舞台と本陣外に誂えられた舞台に、の姿が現れた。
ホラ貝が鳴り響き、ドコドコドコと陣太鼓が鳴り響き出す。

「な…まさか…?!」

 あの恐怖が蘇ったかのように、戦場に身を置く敵兵は身動ぎする。

「馬鹿な、今はまだ昼だぞ!!」

 驚愕と戦慄に満ちた声は、すぐに悲鳴へと変わった。
敵を誘引していた豊臣隊が迅速に兵を引くと同時に、両翼に展開していた騎馬が敵の横腹を突くように突進してきた。
敵の横腹を突いた騎馬が交差する頃には、陣太鼓が奏でる音は、あの音曲へと姿を変えていた。

「そうだ、あの女だ!! あの女…」

 を討てばどうにかなる。
前例を思い出して現状を打破しようした敵将が顔を上げて言葉を失った。
彼が目視した先には、全く違う場所で同じように舞う三人の巫女の姿があった。

「そんな…どれが……本物なのだ…」

 呆然とする敵将を弾き飛ばして、馬場信春・伊達成実が率いる騎馬隊が左右に走り抜けた。
そこへ天からの砲撃が落ちる。
投石と違い、己の技では打ち崩せぬ事に気がついた元親が顔色を変える中、砲弾に混じって、岩が飛んでくる。

「ぐぅ!!」

「叔父上!! どうすれば…!!」

 敵中突破を考えるであろう島津の考えを先読みしていたとでもいうのだろうか。
長政、井伊率いる徒歩が大地に打ち込まれた岩陰から飛び出して来て更に敵の陣容を掻き乱した。

「今だ、畳み掛けろ!!」

 陣に佇む三成が叫び、呼応した弓兵隊が敵の救援隊の足を止める。
そこへ隊列を整えた騎馬が突撃した。

「くっ、退け!! 左右の森へ退くのだ!! 森の中までは投石は届かぬ!!」

 島津豊久が吼える。
兵達が指示通り、森の中へと逃げ込めば、敵陣へと続く山道に伏せられた小六隊が動いた。
ぼっ!! と音がして、森に火がかけられる。

「ひっ!! うわぁぁぁぁぁ!! に、逃げろぉぉ!!」

 森から飛び出してきた敵兵を三度、騎馬隊が襲った。

「馬鹿な!! そんなに早く騎馬がここに来るなどありえぬ!!」

「残念だったな、真打ち登場ってやつだ!!」

 絶句する兵の前で吼えたのは、松風に騎乗した慶次だった。
騎馬と徒歩と、弓兵と投石と砲弾。
ありとあらゆる物を使い尽くした"真・剣が峰演舞"の前に、毛利勢は二度目の惨敗を喫した。

 

 

 毛利と北条の兵が陣へ命からがら逃げ帰る頃、ダメ押しの一報が彼らの陣に届いた。

「申し上げます!! 第三の関、突破されました!! 立花ァ千代様、真田幸村に捕縛されたとの事!!」

「何?!」

 驚愕に目を見開いた諸将の間を縫うように、新たな伝令兵が駆け込んでくる。

「伝令!! 伝令にございます!!!
 武田信玄・真田幸村・直江兼続率いる別動隊は、第四の関を破竹の勢いで突破!!
 本国に攻め入るのも時間の問題かと!! どうかお下知を!!!」

 もたらされた凶報に、更に周囲がざわついた。

「ぐぅぅ……おのれ……おのれぇぇ…この俺が、あのような小娘に負けるというのか……」

 歯軋りする隆元の元へ、北条三兄弟がやってくる。

「隆元殿!! 貴公は何時までそうしておられるおつもりか!!」

「そうじゃ、そうじゃ!! 我らを前線に出し、己は高みの見物とは恥を知れ!!」

「もう貴様の采配には任せておけぬわ!! 全権を委任してもらおう!!」

「貴様ら…やはりそれが狙いか……救ってやったものを、恩を仇で返すとは…」

 本陣の中で揉め始めた主将の姿を見た兵の間に、動揺が走る。
想像以上に長引いた戦だ。皆疲れもしているし気も立っている。
それだけにこうした諍いは一度でも起きてしまえば禍根を残すだけでなく、統制を乱して戦に影を落とすものだ。

「黙れ!! あの猛攻を一度も味わっていない貴様にとやかく言われる覚えはない!!」

「そうじゃ、貴様兵を捨て石だとでも思っているのか!!」

「儂らにだけ痛い目を見せおって…」

 血走った眼でにじり寄る北条三兄弟の前に、毛利両川を始めとした将兵が立ちはだかった。

「我らを愚弄するか!!」

「元より貴様らが持ち込んだ禍根ではないか!! 拾ってやった我らに、雪辱の場をと望んでおきながら、
 旗色が悪くなると反旗を翻すとは…武士の風上にもおけぬ!! 恥を知れ!!」

 正に一触即発。
張りつめた空気の中、暗い眼差しの官兵衛が進み出てくる。

「官兵衛殿?!」

 密約がある強みがあるからか、期待に満ちた眼差しを向けるのは北条三兄弟。
同盟国からの心強い味方であると信じて疑わぬ毛利の将もまた、期待に満ちた眼差しを向ける。
 そんな中で彼は黙ったまま歩みを進め、隆元に寄り添って肩に手をかけると、静かに背を取った。
懐から抜いた脇差で隆元の脇腹を脅かす。

「なっ?!」

 目を剥く隆元に、官兵衛は低い声で言った。

「すまぬが、事情が変わり申した」

「官兵衛、貴様、なんのつもりだ?!」

「隆元殿…儂にはどうする事も出来ませぬ。全ては我が殿の為……貴方にはここで毛利を手放して頂く」

 北条三兄弟が口の端を歪ませて笑った。

「貴様ら、端からぐるか?!」

「いいえ…それも多少違いますな」

 官兵衛の言葉に北条三兄弟が顔色を変えた。

「毛利の兵も、富も、土地も、全て我らの主・松永久秀が頂くとの事です。
 貴方方はその下で、新たな道を探せばよかろう」

「……何を馬鹿な事を……」

「…本気にござる。乱世であれば…平にお許し願いたい」

 隆元を押さえられた毛利の将は一人、また一人と刀を下した。
北条三兄弟は官兵衛の言葉に納得がいかないのか、身構えたままだ。
だが官兵衛は彼らを無視して淡々と話し続けた。

「隆元殿、選ばれよ。ここで果てるか、命運を繋ぐかを…」

「愚かしい事よ。儂を殺したとて、そなたはここから生きて出られぬぞ」

「でしょうな。だが儂を殺して何になりますか?
 儂はただの尖兵……本国を脅かすのは、武田の別動隊だけではござらぬ」

「何っ?!」

「…今、貴公の城には、松永久秀様より借りし兵がどれだけ居るかお忘れですか? 
 あの五万の後詰を成し得たのは、何故なのか。よくよく思い出されるがよかろう」

「……貴様ら…まさか、それが最初からの目的か!!!!」

「左様……貴公の国元にいる我が兵が一気呵成に立てば、貴方だけでなく、国に残る者全てが災いを受けましょうな」

「…ぐっぐぐぐぐぅぅ…」

「小娘相手に、少々意地になり過ぎましたな」

 隆元がきつく眉を寄せて、拳を握り締めた。
怒りのまま暴れ狂えたらどんなにか良いのだろうが、大軍を率いる将としての自尊心がそれをよしとはしない。
彼は、一度瞼を閉じてから深呼吸して、握り締めた掌から力を抜いた。

「……………そのようじゃ。どこへなりと、連れて行くがいい。
 皆も、官兵衛殿に逆らってはならぬ。自害も許さぬ。今は生き延びることだけを考えよ。
 ……官兵衛殿……民、兵に温情は賜れるのであろうな?」

「はい、それだけは我が身に替えても確約致しますれば…」

 隆元の苦渋の決断を受けて、毛利の将兵が汚辱に塗れたとばかりに大地に膝をついて、拳を打ちつけた。
皆怒りはあれど、隆元の自国の民を思う心を察し、半旗を翻す事はなかった。
彼の決断を確認した官兵衛は、視線を毛利から北条三兄弟へと移した。

「さて、どうされますか。北条殿」

「何?!」

「我が主の望みを阻みたければ好きにされるがよい。だが、毛利…否、松永久秀はこれよりと手打ちと致す」

「なんだと?!」

「馬鹿な!! そも、併呑は貴様らが持ちかけた謀ではないか!!」

「そうじゃ、そうじゃ!! 今更何を…」

 想像を絶する言葉を聞かされたと、北条三兄弟が顔を真っ赤にして叫んだ。
官兵衛はそれを冷徹な眼差しで見やり、溜息を吐いた。

「…貴公らはほとほと天下に縁がないと見える」

「何?!」

「家臣の申し出ならまだしも、何時寝返るとも分からぬ盟友の匂わせた策を、どうして鵜呑みに出来るのだ?」

「ッ!!」

 官兵衛の言葉に北条三兄弟は、冷水を浴びせかけられたかのように目を大きく見開いた。
そんな彼らに、官兵衛は心底侮蔑すると言わんばかりの眼差しを向ける。

 

 

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