「全ては貴様らを疲弊させ、貴様らの持つ物を手にする為の策でしかないと何故気がつかぬ?
"女子の治める地であれば、容易く手に入る"…だったか。この言の葉の根拠はどこにある?
かの地には当初より前田慶次・島左近・真田幸村が身を寄せていた。
例え君主が幼子であろうとも、あの三人が身を寄せている時点で、併呑は困難であると、どうして考えない?」
顔面蒼白になる北条三兄弟に対し、官兵衛は口調を改めた。
激昂した彼らに向けた言葉は、私的な感想であり、役目とは別の意図を持って伝えたかったのかもしれない。
彼は全ての感情を捨てて、役目をこなすだけの歯車になると言わんばかりの落ち着いた口調で告げた。
「当初より、我が主・松永久秀には、領への侵攻意思はない。
…かような地、方策次第で何時でも手に入るとのお考えじゃ。
元より災害の爪痕生々しい大地等、手にして何になろう。
刈り取るにはまだ早いというだけの話よ」
尤もだ。だがそれでは今までの自分達がしてきた苦労は、耐え忍んだ屈辱は、一体なんだったというのか。
北条三兄弟がぶるぶると怒りに打ち震えれば、同じように松永久秀の手の中で踊らされていたと知った毛利隆元が労うような眼差しを送った。
国元を人質に取られた事で牙を抜かれた状態にある毛利隆元には、反意はあろうとも、今はなす術がない。
ならば、とばかりに官兵衛は、隆元を放して北条三兄弟へと向いなおった。
「一刻、差し上げよう。
先も言ったように松永久秀はと手打ちとする。そうなればこの地でそなたらは孤立しよう。
孤立無縁、陣もなく、兵糧もなく、兵もなく…あの一枚岩を相手にどう戦うおつもりか? よくよく考えられるがよかろう」
一礼をして本陣を後にした官兵衛は、陣幕の外に出ると悔しげに手にしていた脇差を大地に叩きつけた。
それから己の心を落ち着かせるように一つ深呼吸をして、顔を上げた。
首脳陣が詰める陣幕の外では、毛利の兵が皆大地に膝を付き両手を頭の後ろに回して投降姿勢をとっていた。
多くの兵を投降させたのは、無論彼が連れて来た松永家の兵達だ。
大方陣幕の中で事が動く前に、制圧されていのだろう。
命を待つ兵らに向い、官兵衛は命を下した。
「白旗を掲げ、陣から出ている将兵には撤退を命じよ!!
毛利の旗は落し、松永家の御旗を掲げた上で、使者を出すのだ!!」
「なんだよそれ、一体どういうオチだよ?!」
次々に浮かび上がってくる文字を追いながら、自分達の入れた横やりの結果を確かめていた少年―――――支援者の内、弟―――――は怒りに身を任せて吼えた。
「戦国ならあって不思議はない……同盟反故…簒奪だ…」
同じように文字を追っていた兄が茫然としながら独白する。
「くっそ!! あれだけ死に物狂いだったには何の得もなしかよ!!」
頭に来ると、弟が手にしていたコップを壁に向かって叩きつけた。
「それより大事な話って言うのは?」
怒る弟の肩を軽く叩いて宥めながら兄が問う。口調こそ冷静だが兄の目にも怒りは浮かんでいた。
たが彼は弟よりも合理主義なのだろう。
一時の怒りに身を任せるよりも、この結果が齎す次の事象に対応するべく、意識を切り替えることにしたようだ。
冷静な兄の問いを受けて、多少冷静さを取り戻したのか、弟は肩を落としながら答えた。
「、会って話してみたんだけどさ。民間人だった。しかも文系」
「そうか、それでか…。僕とシンクロ率が悪かったんじゃなくて、ただの体力の限界?」
「そうなる」
弟が言わんとしている事を言葉尻で悟った兄が呟けば、弟はがっくりと肩を落とした。
「これから救援する時は、ちゃんと考えなきゃ…」
言いかけた弟の顔が青ざめた。
「どうしたの?」
首を傾げたのも束の間、兄もまた異変を肌で感じ取った。
二人の掌が、爪先が、透き通って消えて行く。
彼ら二人が同時に机の上に広がる"神託の書"へと視線を向けた。
"神託の書"には新しい一節が浮かび上がりつつあった。
そこに記されていたのは、直江兼続と伊達政宗が救援していた二つの国が、相争っている内に北の大国に呑み込まれて滅亡したという行だった。
「…ああ…また…宿命が…変わる…」
「すまない、救世主……僕達はここまでだ…」
二人が悔しそうに視線を伏せる。
それと同時に、彼らの姿だけでなく彼らの住む世界そのものが透き通って消えて行く。
二人が口にした通り、宿命の変化によりあっという間に世界は立ち消えた。
世界の跡地となった場所には、近代的な風景はなく、音もなかった。
そこに残ったのは、砂塵だけだ。
「え? 今、誰か、呼んだ?」
舞台から降りたが振り返った。
「いいえ、どうかされましたかいの?」
本陣に戻って来た秀吉に問われたは、首を傾げつつ「うんん、気のせいみたい」と答えた。
それよりも早急に向き合わねばならない出来事が、彼女を待っていた。
"真・剣が峰演舞"を終えた直後、毛利の陣から毛利の旗が取り払われて、代わりに別の旗と白旗が掲げられた。
策略とは思えぬ異変に目を凝らせば、白旗を掲げた褌いっちょの老兵が書状を持って出て来て、目通りを願い出た。
託された書だけを受け取り、兵士を帰して中身を改めて見れば、毛利家が松永家に併呑された事が書かれていた。
互いに陣容を解かずに、事実上の休戦状態に入ってから三日が過ぎた。
その日、本陣には別動隊の武田信玄から宛に特急便が届いた。
特急便に込められた書状には、まず独断で毛利本国への突貫攻撃をかけたことを詫びる行があり、その後に敵将の立花ァ千代を捕縛し、四つの関を破って敵本国へあと一歩の所で他勢力に休戦を求められたとある。
休戦を求めて来た軍勢の主の名は松永久秀。
の元へ届いた先の書状にあるのと同じ名前だ。
時に機敏な信玄は、二枚目の書状の中で私見としながらも、かの者が自分達の争いを利用し、毛利の肥沃な土地を手にしたのだろうという揺るぎない現実を述べていた。
「どう思う? これ…」
が信玄からの書状と、敵陣から持ち込まれた書状を前に顔を顰める。
「…やられましたな…」
「…全くだ…」
左近、三成は言うに及ばす、誰もが眉を寄せていた。
「でも、今この国と争ってもいい事はないよね?」
「ええ、としてはもう限界を通り越しちゃってますからね」
「なら…応じるしかないよね」
「それで松永久秀は何と言ってきている?」
三成の問いに、書状を取り上げてざっと目を通した長政が答える。
「この地に持ち込んだ兵糧や武具は、分捕り品として差し上げると。
出来ることならば、とは末永く好みを結びたいとの事です」
「ふん、その程度で横取りを御破算にするつもりか。何様だ。
…それともこの戦を自分が止めてやったとでも言うつもりなのか?」
忌々しいと三成が吐き捨てれば、もまた一度は眉間に皴を寄せた。
それから何かを考えるように押し黙り、一度瞼を閉じた。
気持ちの整理をつけているのか、押し黙ったままだ。
数分が経って、瞼を開いたは、ゆっくりと溜息を吐いた。
「…帰ろう」
「様!」
の弁に驚いたように将が目を丸くする。
皆の言いたい事を代弁するかのように、三成が口を開いた。
「それでいいのか? もっと吹っかけて…」
当然の権利だと彼が言いかければ、はそれを遮った。
「三成。よく周りを見て」
声色は、肩から力を抜いたのが良く分かる柔らかいものだった。
「皆、疲れ果ててる。兵だけじゃなくて、将も、この土地も…戦はもう終わったんだよ」
「……」
「戦は、おしまい。皆で帰ろう。そしてを護れたことを喜んで、の為に死んだ人を悼もう」
書状を片付けながらは立ち上がる。
「家康様、左近さん。松永家との同盟締結、お願いします。は向こうの姿が見えなくなってから、帰ります」
「賜りました」
「承った」
踵を返して歩きだしたは、後に続く半兵衛に言う。
「信玄公にも、戻るように言って下さい。これ以上の侵攻は、必要ありません」
「御意に」
それから数日と経たずに松永家と家の同盟は成った。
軍の望み通り、松永家に併呑された毛利勢は本国へと帰国した。
旧毛利領に入っていた横槍も、毛利領自体が松永久秀のものになったと知るや否や、掌を返したようになくなった。
それもそのはず。今や松永久秀は日の本の西を一手に仕切る軍事大国の主だ。
北を仕切る明智光秀と同等の官位を持ち、あらゆる方面に独自のコネクションを持つ。
そんな相手に逆らえば、ただでは済まない。
「納得がゆきません!! どうして我々が…」
「よい、豊久…時は必ず来るものだ」
「…叔父上…」
「ふっ…上等……反骨の風、必ず吹かせよう」
毛利で禄を食んでいた長宗我部・島津は反逆を恐れられたのか、石高を大幅に落とされて松永家の持つ地方都市に封じられた。
「おのれ…松永久秀……このままでは済まさぬぞ…」
「その通りだ、兄者」
「必ず、共々、この手で冥府に送ってやろうぞ!!」
毛利に逃げていた北条三兄弟はまたもや野に伏して世から姿を隠した。
「此度の策謀、見逃す訳には参らぬ。潔くされるがよかろう」
松永家の一家臣となった毛利は数ヶ月間は大人しくしていた。
だがやはり他人に使われるような一族ではなかったようだ。
松永久秀暗殺を目論むも、黒田官兵衛の妨害に遭いあえなく失敗。
暗殺を企てた者達の責任を問われて、当主・隆元が切腹させられたそうだ。
これに激昂した毛利一族が松永家から離反し、時を待つように野に伏した。まさに乱世である。
こうして毛利・北条連合と家との千日戦争の幕は閉じた。
後の世に残った文献では、戦いで失ったものを再構築する為に掛った時間は、松永家との同盟締結から優に三年は要したと記されている。他に類を見ない血で血を洗う攻防戦の齎した弊害は、それだけ熾烈であり、大きいものだった。
得る物よりも失うものが多かった戦を終えて、本国へと無事に帰国したは、すぐに再建中の城壁の上に立った。
彼女の眼下には、従軍した者から後方支援に徹していた者、災害復興に尽力していた者と様々な人影があった。
は一時皆の姿を見下ろし、すぅと息を大きく吸い込むと声を上げた。
「皆、長きに渡る戦は今、終わりました!!
失ったもののとてもとても多い戦だった!! 得るものはないに等しい戦いだった!!
でも、恥じる必要はありません!! 悔やむ事も、恨む事もしてはなりません!!
何故なら、皆は今こうして生きている!!! そしてこれからも生き続けて行く!!
この生は、多くの犠牲の元に得たものです!! この生こそが、私達の得た何物にも代えがたい戦果です!!
それを忘れることなく、胸を張って生きましょう!! そして我が国の礎となり散った多くの者には、
哀悼と感謝を込めて、安寧の眠りを永久に得る事が出来るように……皆で黙祷を捧げよう!!」
が両目を閉じて黙祷を捧げれば、言葉を聞いていた将兵が、民が、一人、また一人と目を閉じた。
常に音の絶えない活気のある町が、ほんの一時であっても、静寂に包まれた瞬間だった。
「…姫…お疲れ様です」
「…うん…」
左近が声を掛けて、が瞼を開く。
本拠地に入った事で得られた安堵と、あの想像を絶するような日々とを思い、涙が自然と頬を伝った。
はその涙を拭う事はせずに、身を翻した。
代わって城壁の上に立って下知を飛ばしたのは、秀吉だ。
「皆、良く聞くんじゃ!! これから一ヶ月は、祭りや音曲の類は自粛してちょ!!
さっき様が言ったように、死者を悼むのに音楽はいらんでよ!!
生を胸に、の誇りを胸に生きて、生き抜いて、最後に儂らは笑うんじゃ!!
戦は終わったが、まだまだあちこちぼろぼろじゃ!! 明日からは災害復興っちゅー名の戦が待っちょる!!
でもこの戦じゃ誰も死なんでよ!! 力合わせて頑張ろうやー!!!」
秀吉の声に合わせて勝鬨にも似た声が城下町のあちこちから上がった。
この様子を見て、本当に戦は終わったのだと実感したのだろう。が己の胸をゆっくりと撫で下ろした。
は場を秀吉に任せて、皆を労いながら階下へと降りようとする。
同時期、竹中半兵衛から天守閣を預けられた高坂昌信の手の中に伊達政宗から届いた一通の書状あった。
政宗が"特急便"として送付してきた書の中には、自分と兼続が救援していた国が、今回の松永家と同じ要領で北の大国に併呑されたという事実が記されていた。
昌信が驚いて立ち上がる。
この事をに早く伝えねばならないと、彼が室を飛び出すのと時同じくして、の体に異変が訪れた。
「ッ!?」
の意識は再び現世と引き離されて時空を泳いだ。行き先は、またあの世界だ。
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