惑う風 - 風魔編 |
芳しくない戦況は続く。 『…見捨てればいい……戦は、戦人がする……ここはお前の居場所ではあるまい?』 思っても傍観しているだけの身ではその気持ちは相手には届くものではなくて、もどかしさだけが募った。 「撤退するなら俺が護衛する。少し気になることもあるしな」 しばらくして、ようやく彼女は撤退を決めた。 「様、ほんにすんません! こんな荷車になっちまって…」 「お辛いでしょうが、しばしの辛抱ですぞ」 秀吉と家康に頭を下げられたは、「平気、平気」と掌をひらひらとさせながら、目晦まし用の砂袋を積み上げた荷車の中に誂えた窪みの中に身を隠した。
の脱出が始まって、すぐに戦場は大きく動いた。 「風魔」 見物を続ける自分の背後に、伊賀忍頭領・服部半蔵が現れたのだ。 「用があるのは拙者ではない」 「何?」
半蔵が視線だけで街道の一つを示せば、風魔はその隙を突くように半蔵に襲いかかった。 「ふん」
つまらなさそうに鼻を鳴らした風魔はそのまま街道を進む一団の前へと降り立った。 「サルの軍師が、何用だ」 「この撤退は敵に容易く封じられるでしょう。ですがそれでは困るのです」
秀吉への暴言はこの際大事の前の小事として片付けるつもりなのか、半兵衛は取り合おうとはしなかった。 「風魔小太郎。貴方には一つ、働いてもうことにしましょうか」 「気でも違ったか? 我は風……何人たりとも操れぬ…」 「そうでしょうね。ですが…良いのですか? 様は貴方の"余興"でしょう?」 風魔が苛立ちを顔に貼り付けて振り返った。 「余興を失った娑婆は、さぞかし退屈でしょうね?」 「………………」 風魔がゆらりと腕を動かして、半兵衛の命を脅かそうとする。 「…ふむ…」 半兵衛の命は容易に取れぬ事を悟った風魔の機嫌は益々悪くなる。 「その苛立ちは…我が君を案じるが故のものでは?」 「何?」 「見物しているだけでは…此度の難局から我が君を護る事は不可能だと思いますが?」 半兵衛は半蔵へと視線を流した。 「半蔵殿、支度を急いで下さい」 頷いた半蔵は印を切った。 『……あの女が消える………余興が…なくなる……』 半兵衛の言葉が風魔の脳裏にこびりつく。 「心掛けはいいな、じいさん。だが年寄りの冷や水は命を縮めるぜ」 「…いらぬ心配よ。それよりも小僧、鬼島津とやり合うにはちと早くないか」 「無駄口叩けなくしてやるぜ!!」 半兵衛の言葉通り、脱出の策は鬼島津によって潰されていた。 「殿と御見受け致す、我らと共に来て頂こう!!」 彼の手がの肩へと乗ったのを見た瞬間、風魔の中にあった強い嫌悪が飽和状態を越えて弾けた。
が豊久の騎馬に囚われ、来た道を迂回しながら毛利の陣を目指せば、方のホラ貝が轟いた。 「なんと!! 私は謀られたのか!!」 「当然でしょう? かような地に、我らが神聖な姫君を長々と置いておくはずがない。全ては我が計略の内のこと…」 「えっ?! ちょ、どういう…ッ!!」 従えていた兵に半兵衛はごと豊久を狙わせた。 『どうして…? なんで? なんでなの? 半兵衛さん』 「半…っ!! んっ?! んっ、んぐっ!?!」 が叫ぶ前にの後方から手が伸びて口を塞いだ。 「…相変わらず…じゃじゃ馬よな…」 『風魔?!』
視線だけで確認すれば、己の口を押さえる掌は青白く、己の体を抱え込む腕は想像以上に冷たかった。 「……今はただ…眠れ………うぬが目覚めし時は、全て、変わっていよう…」 『……え…? 風魔…小太郎…? どうして…? なんで? 何が…起きて…??』 風魔がの目を見れば、催眠術にでもかかったように、の意識はまどろんだ。 「さて、私達も本陣に向うとしましょうか」 「しかし半兵衛様、姫様は…」 「案ずることはありません。この戦は、時期に終わりますよ」 断定的に答えた半兵衛の指揮の元、一団は本陣を目指した。
「…ん……」 すうすうと寝息を湛える女の体は小さく柔らかい。 『………つまらぬな…』
結局、半兵衛の想定した通りに動いてしまったことに気がついて、手の中の女を投げ落としたくなる。 「んー」 それでも起きない。 「……ッチ…………」 月明かりの下。 「…何故だ…」 独白に答えてくれる声はない。 「………余興であるが……故か…?」
原因を生んでいる女に直接聞いてみようかと思うものの、当の本人は熟睡中だ。
「ということは…?! な、んぁぁあああ!!! 本陣に近付けば、格好のタイミングだったのか、陣中で秀吉が騒いでいた。 「落ち着いて下さい、秀吉様。姫様であれば、ほら…この通り」 半蔵が示した方向を指し示した。 「座興であればこそ、死なせるわけには参らぬ。でしたね? 小太郎」 「…クックックック…風を遣うか……」
半兵衛の言葉をこの時ばかりは肯定しないわけにはゆかなくなって、風魔は答えた。 「…だが、これだけよ…」 「重々分かっておりますよ。大義です」 人に使われるのは好きではない。
その後、戦は大きく様変わりした。 「…帰ろう」 「それでいいのか? もっと吹っかけて…」 漁夫の利を取られた事に激怒する家臣達の前で、は冷静に状況を分析し、英断を下した。 「三成。よく周りを見て。皆、疲れ果ててる。兵だけじゃなくて、将も、この土地も…戦はもう終わったんだよ」 「……」 「戦は、おしまい。皆で帰ろう。そしてを護れたことを喜んで、の為に死んだ人を悼もう」 書状を片付けながらは立ち上がる。 「家康様、左近さん。松永家との同盟締結、お願いします。は向こうの姿が見えなくなってから、帰ります」 「賜りました」 「承った」 踵を返して歩きだしたは、後に続く半兵衛に言う。 「信玄公にも、戻るように言って下さい。これ以上の侵攻は、必要ありません」 「御意に」 全員に的確な指示を出して、自分の天幕へと歩き出したが、ふと、足を止めた。 "助けてくれて有り難うね、風魔" 「!」 風魔は驚いたのか目を丸くして、その後で嬉しそうに目を細めた。 「……吸っておけば良かったか…」
髪ではなくて直接唇にしておけば良かったと、風魔は独白してから夜の闇に溶けた。
"遠い未来との約束---第六部" 了
|
戻 - 目次 |
ストーカーじゃありませんよ。ストーカじゃなくて風魔です。※大切なことなので2回言いました。(11.05.03) |