惑う風 - 風魔編 |
繰り返される無益な攻防を、山腹の木の上から見下ろし彼はつまらなそうに息を吐いた。 『……つまらぬな』
天下に名高い毛利一族と異彩を放つ女の国の攻防であろうとも、数の理は覆るまい。 『それとも…滅びの時か?』 女の身でよく持ちこたえたと言っていいだろう。 「?」
戦場となる大地から目と鼻の先の小道を、こんな時間に進む一団があることが不思議で、木から身を躍らせる。 「足場、悪いね…皆は大丈夫かな?」 「ささ、お手を…」 「うん、ありがとう」 『…?』 夜逃げでもするのだろうかと目を細めれば、そう言うわけでもないらしい。 「相図は?」 「きました!!」 「そう、じゃ、始めよう!!!」 「はっ!!」 時を待って、本陣との連携を試みる。 『…くっくっくっ…』 女の身でありながら、戦地へ赴き、策の一端をも担う。 『愉快よな……お前のような女は初めてだ…』 なんと愛おしい娯楽だろう。 「くそっ、あの一団だ!!! ひっ捕らえろ!!」
検問を敷いていた一団が藪を蹴散らしながら進む音を聞いた時、狼―――――風魔小太郎の体は勝手に動いていた。 『邪魔だ』 策を終えて撤退するの目に触れぬように、屠った兵を藪の中に引き込む。 「の姫を捕らえよ!!」 時に物珍しい演舞が敵の増援に破られ、敗走し、 「ここが正念場だ!! 皆、兵の意地を見せるぞ!!」 時に敵の奇襲隊に本陣が脅かされた。 「孫市さん!! 家康様が!!」 「つれないね〜。ま、任せとけよ」 「う、うん…お願いね!」 敗走の時には雑賀孫市が、 「感心しないね、女性は丁寧に扱わないとな」
「…逆上せ上がるな、下郎が。貴様程度の相手に、わざわざ慶次を差し向けるには及ばん。 本陣奇襲の時は、島左近と石田三成が、助太刀に入った。 『……くっくっくっ………不可思議な女だ』 力もない、コネもない。 『だがそれも……限界よな』 彼女のことだけではない。 『…充分楽しめた……もうよかろう…』 塩時は近いと判じて、傍観に徹していた狼は動いた。
「ん…? え、嘘……どっから入って来たの?!」 その日の夜、の天幕にどこからともなく一匹の子狼が姿を現した。 「迷子かな? ここは危ないから、早く山にお帰り」
自身の天幕を裏から出て陣の外へと連れて行き、放そうとするものの、子狼は山の中へと進もうとしない。 「何? 遊びたいの? ごめんね、遊びには行けないのよ」 頭を撫でてから引き離そうとするの着物を噛み続けて子狼は広がる森の奥を示し続ける。 「分かった。ちょっと待ってて」 櫓で弓兵と武器の調整をしている孫市の元へと行く。 「ねぇ、孫市さん」 「お、俺を御指名とは嬉しいね」 「もー、そういうリップサービスはいいから。ちょっとついて来てもらってもいいかな?」 「構わないが…どうした?」 「うん…この子がね…」 裾にくっつく子狼を視線で示せば、孫市は怪訝な顔をする。 「どっから入って来たんだ? こいつ」 「さぁ…でも子供だから、どこかに穴とかあるのかもね」 「やれやれだな。おい」 孫市は周辺にいる兵に声をかけた。 「穴があいてる筈だ。見つけ出して塞いどいてくれ」 相槌を打った兵が場を辞すと、は孫市と子狼を連れて、狼が示した森の奥へと入った。 「迷子だと思うんだけど…お家に帰りたがらないのよね。きっとこの森が大きすぎて怖いのかも」 「それで貴方が送り届けるのか?」
「んー、まぁ、しょうがないよね。巣穴の近くに放してあげれば、親を刺激せずに済むだろうし…。 「いやいや、逢瀬だと思えば安いもんだ」 「はいはい、勝手に言ってて」 孫市の軽口を受け流し、時に彼の手を借りて、山中に走る獣道を進んで行く。 「うげ…!!」 「ねぇ…孫市さん、これ崖だよね?」 「そうなるな」 切り立った岩山に辿り着いた時、子狼は困惑する二人を無視して、岩肌にぴょんぴょんと飛びついた。 「…狼って、こんな所に巣作るっけ?」 「さあなぁ…」 あまり本陣から離れたくはないし、どうしたものかと思案している間にも子狼は岩盤と格闘し、ずり落ちている。 「……はぁ……分かったよ…行けばいいんでしょ? 行きますよ」 はようやく自分の肩の高さの岩肌まで登って来た子狼を抱き上げて襟元に忍ばせると、崖へと手を伸ばした。 「おいおい、マジかよ?」 「まぁね…乗り掛かった船だよ。 「へいへい…分かったよ」 腐る孫市を巻き込んで、疲労感の残る体に鞭を打って岩肌を登ること二刻。 「……これって……一体…どういうこと?」 ぱちぱちと瞬きを繰り返すの下から登っていた孫市が腕力にものを言わせてその場に這い上がり、同じように見た光景に眉を動かした。 「え、ちょ、ちょっと、孫市さん!?」 驚くの肩を抱いて自分の背後に庇った孫市は、背負ってた銃を構え、子狼へと照準を合わせた。 「…なんのつもりだ?」 「何してるのよ!」 「よく考えろ。狼が迷い込んできたのはいいとして、有り得ないだろ。こんなん」 「そうかもしれないけど、ダメだよ。怖がってるわ」 孫市の構えた銃に手を添えて、は降ろさせる。 「あのなぁ…ここは戦場だぜ? 敵の忍に飼われてる可能性だって否めない。 「でもそれなら天幕に入って来た時に何かしてくると思うの。きっと偶然だよ」 は「ごめんね」と声をかけながら手を伸ばし、子狼を抱え上げた。 「孫市さん、見て、見て。反対側は凄くなだらかよ。この子、ここから登って来たんだよ」 「それで帰れなくなったって、そういうのか?」 「うん、きっとね」 こくこくと頷いたの人の好さに孫市は溜息を吐く。 「やれやれだな」 「もー、穿って物事見過ぎだよ」 はそのまま尾根から子狼を岩山の反対側へと降ろした。 「私はそろそろ本陣に戻らなきゃならないけど、来た道辿るだけなら自分で帰れるよね? 気を付けて行くんだよ」 「くぅぅ」と小さく鳴いた子狼の額を撫でつけてから、は身を翻した。 「さ、帰ろう。孫市さん。皆に気がつかれる前に戻らないと大事になっちゃう」 「…ああ…そうだな」 意味深な眼差しを子狼に送った孫市に声をかけて、は登って来た岩から岩へ身軽に飛び降りて行く。
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