願い事一つ - 三成編

 

 

「あの一件があって、ようやく私、素直に逃げ出す事を受け入れることができたんだけど…」

「まぁ…そうでしたの…」

「うん……そうなんだけど………だけどさぁ……一体何なの?」

 千日戦争を終えて、城へと帰還を果たしたは、四六時中執務に忙殺されて動き回っている三成の背を見て、深い深い溜息を吐いた。
傍にはが寄り添い、お茶菓子のお代りを並べている。

「あんな熱っぽい目で告白しておきながら城に戻ってからというもの、さも何もありませんでした〜みたいなさぁ…」

 ブチブチと文句を垂れるに対し、が問う。

「あの…様」

「ん? なあに?」

様は三成様がお嫌いなんですの?」

「えっ…別にそういう訳じゃないんだけど……だけど……ねぇ?」

「…はぁ…」

 の問いかけにはっきりとした返事をせずに、は悶々としていると言わんばかりに顔を顰めた。

「それにさ、あれ以来何も言ってこないし。
 むしろ最近は仕事仕事仕事づくめでさ。接点すらどんどんなくなってくし。

 ……正直、何をどうしたら最善なのかがよく分からなくなってきてんだよね…」

「まぁ…そうでしたの」

「だってさ、ちゃん。三成だよ? 三成!」

「はい」

「鬼内政官だよ?!」

「はい。そうですわね…でも…」

「でも?」

 がお茶菓子のお代りの乗った更を盆に乗せてから、の前へと差し出す。
干菓子を一つ分取り上げたが茶器を口元へと運びお茶を呑み始めた頃に、ぽそりとは言った。

「でも…三成様は何時も様のことをよく見ていらっしゃいますし、気にかけておいでですよ?」

「そう? 完璧主義のあいつからしたら私の素行が気に入らないだけなんじゃないかと…」

「そういうわけではないと思いますわ。
 様の行動力は、戦国の世にあっては珍しいもの。
 実情を知らぬ他国の者達が、誤解から酷い事を言わぬように、気を回しているだけだと思いますけれど…」

「でもさぁ…それにしたって構い過ぎじゃない? 何かにつけて突っかかって来るし…。
 あいつの世話焼き体質、どうにかなんない?」

「あの〜。様が思われている程、三成様はお節介などではありませんわよ」

「え、そうなの?」

「はい。三成様は様以外の女性の事はとにかくどうでもよろしいのでしょうね。
 奥向きの女中衆の間でも溜息が絶えませんのよ」

「なんで?」

「ええと…」

 言葉を選ぼうとしているのか、懸命に考え込むものの、彼女の中に適した言葉が存在していなかったのだろう。
は諦めたように、自分の知りえている現実をつらつらと説明し始めた。

「その、思わせぶりとも思える態度を取られることがあるのです。
 でも突き詰めて考えると、それは全て様に関係する事ばかりで…「少し希望が見えたかも」…と女子が浮かれて
 いると次の瞬間には冷水を浴びせかけるような発言をしたり、態度を取られたりする事が多いのです。
 その度に女子が泣いてしまって、話を聞きつけた左近様が後から補って下さるのです。
 左近様もその事で何度か三成様にお声掛けして下さっているのですが、暖簾に腕押しなのでしょうね。
 学習されることなく、ずーっと続いておりますから…」

「…………マジで?」

「はい」

 呆れたと言わんばかりの顔でが問えば、がこくりと頷く。

「最近は三成様は難攻不落、寧ろ様以外との結婚はないと女子達は諦めてしまってて、他の方々が人気ですわ」

「……うわぁ…なんか蚊帳の外で知らなかったけど、色々あるんだね? 奥向きにも…」

「はい、沢山沢山、ございますわ」

 急須を取り上げて「お代わりは?」と暗に問うの前へとは素直に湯呑を差し出す。
が急須を一度降ろして、両手で湯呑を受け取り、盆に乗せてから再び急須を手にとった。
丁寧に茶を注ぎながらは言う。

「三成様は不器用ですけど嘘は仰いませんし…。
 此度の事は"何もしてこない"なのではなく…待っているのかもしれませんわ」

「待つって…え、もしかして、私からの返事とか、そういうの?」

「はい」

「や、やっぱ…ちゃんとお返事した方がいい? しなきゃダメ?」

 傾けていた急須を持ったままが目をぱちくりぱちくりと瞬かせた。

「え、何、どうしたの? なんでそんな顔するの?」

 狼狽するに対しては素直に答えた。

「した方がよろしいのではないでしょうか? 三成様もきっと喜ぶと思いますけれど…」

「どうして?」

「だって…様……」

「なに?」

「ずーっと嬉しそうに、にこにこしていらっしゃいますよ?」

「えっ、ちょ、やだぁ!!! そんなはずないってー!!」

 赤面してが両手をばたつかせる。
するとの掌がの手の中にある急須の底を打った。
急須のバランスが崩れぬようにと懸命には手に力を込めたが、蓋は奮戦むなしく宙を舞った。
落ちた蓋が盆の上にあった干菓子の乗った小皿の上へと落ちる。
 まるでトラブルが連鎖するかのごとく小皿は跳ね上がり、干菓子がそこかしこに散らばった。

「あ! 勿体ない!!」

 思わず叫んで手を伸ばそうとするの耳元に、深い溜息が届く。
はっとして顔を上げれば、敷居の内側に、話題の人が立っていた。

「…全くどうしょうもない姫だな。主と仰がねばならん己が身の不遇を嘆きたくなるぞ」

「な、何よ〜!」

「茶くらい落ち着いて飲めんのか? 子供でもあるまいし」

 落ちた干菓子をせっせと集めるの前まで三成は進んできて、扇でぴしゃりと掌を打った。

「っ痛! 何するの!」

「拾うな、意地汚い!!」

「な、た、食べないわよ!!」

「食べようが食べまいが、君主のすることではない。周りの者にやらせておけばいいんだ」

「だって…自分でやったんだし、後始末くらい…」

 二人が喧々囂々言い合い始めるのを見たが、一人そろりそろりと動き出す。
彼女は散らばった干菓子を広い集め、転がったままの蓋を小皿を回収し、盆の上に茶器と共に揃えると両手で持った。

「大体ね、あんた、いちいち言動がムカつくのよ!!」

「ほう、奇遇だな。俺もお前には常に苛々させられている」

「何よその態度!! あの時の殊勝な態度はなんだったの?!」

 が耳まで真っ赤にして叫べば、三成は思い当たる節はないと言わんばかりに顔を顰めた。

「ハァ? 何の話だ?」

「何、そのハァ? って。何よ、今のハァ? って!!」

「だから、何がだ」

「何って、何って……くぅーーー!! ずっとずっと、気にしてたのにッ!!」

「もっと具体的にお願いします」

「んぁ、ムカツク!! お前は若年性アルツハイマーか!! 自分で言ったんじゃない!!!」

「何を?」

「な、何をって…」

「何時何分地球が何回回った頃、俺が何と言いましたか? 君主様?」

「んなっ!! それは何時も私のセリフでしょ!! 盗らないでよ!!」

「なるほどな。言った方はこんなにも気持ちがいいものなのか。覚えておくことにしよう」

「覚えんな!! ってゆーか、自分で言ったことの方覚えてとけよ! いい加減思い出せ!! バカぁ!!」

「馬鹿と言う方が馬鹿なんだ。で、俺が何を言ったって?」

 ずずいと、三成が迫る。
が真っ赤になって一歩後ずさる。

「そ、それは…その…」

「そら、どうした? 何か俺が言ったのだろう? それが気がかりなのだろう?」

 更に三成が踏み込み、が耳まで真っ赤になりながら下を向いた。

「い、言ったじゃないよ……天幕の中で…ぎゅって…抱きしめながら…耳元で……」

「何を?」

 今や手の届く距離。
三成がその気になればは彼の両腕の中にすっぽりと収まってしまうだろう。
そんな距離に自分がいることにすら気が付けなくなっているのだろうか、は赤面したままもごもごと言葉を濁す。

「……だから…その……あの……あ…あ…」

「あ?」

「………愛してる…って……そう、言ったじゃない」

「ああ。あれか。そんな事もあったな」

 めちゃくちゃ気にしていたのに、それは自分だけだったのか。
そっけない言葉にの中で照れと怒りが爆発した。
思わず奥歯を噛み締めて、掌を振り上げた。

「最低ッ!」

 叫んで振り下ろした掌は宙を横切り盛大に空振り。
しかも反動で前のめりにつんのめる。
 そこをあっさり三成の腕の中へととっ捕まえられてしまった。

「な、なっ、なぁっ! は、放してよ〜!!」

 じたばた暴れ始めたの腰と背をしっかりと抱きとめて、三成はふふんと鼻で笑った。

「放すと殴られるからな」

「殴られるような事したのはそっちでしょ!! 何よ、何よ、本気にしたのに!!」

「主を逃がすためであれば、どうという事はない」

「こんなのってないっ!!」

 キーキーとヒステリックに叫ぶを見降ろす三成の目は冷淡なようでありながら、そうではない。
柔らかい光に満ち、口元は緩い笑みが浮かんでいる。

『………お返事を言葉で頂く意味、ありませんものね……無理もないのかもしれませんわ』

 傍観していたが一人でこくこくと納得するように頷く。
三成の心の動きも、の冷静な判断にも気がついていないのか、一人が喚き散らしている。

「三成、最低ッ!! バカー!! アホー!! 放してよ〜!!」

「駄々っ子か、お前は…」

「うるさい、うるさい、うるさいー!! 本気で心配したのにー!! 超、悩んだのにー!!!」

 やれやれと三成がわざとらしい溜息を吐いて、の耳元へと顔を寄せる。
それだけではぎくりと身を固くして息を呑む。
意味深な艶っぽい眼差しでの円らな瞳を射ぬいて、三成は口を開く。

「アイシテル」

「くぅ〜!!! 棒読みすんな!!」

「言ってほしいんだろう? 愛に飢えてるようだから、わざわざ言ってやってるのに何が不満だ?」

「全部よ、全部!! お情けなんかで言われて嬉しいもんか、バカ!!」

「全く…わがままな事だ……面倒くさい」

「面倒って何よッ!! なんなのよーっ!!」

 遊ばれていることに気がつかぬと、これ以上はないくらい楽しげな三成。
二人を余所に、部屋の敷居まで移動したは、丁寧にその場で三つ指をついてお辞儀をすると室を後にした。
 後には語る。

「お二人は、きっと今のあの状態がとても楽しいのかもしれませんわ」

 あながち、外れでもないのかもしれない。

 

"遠い未来との約束---第六部"

 

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あの告白は、勿論本気ですよん。(11.05.04.)