願い事一つ - 三成編 |
「……」 そんなの肩に這わせていた唇を放し、顔を上げると、三成はの顔を覗き込んだ。 「今、怖れ、嫌悪しただろう? 俺であっても…。 「…あ…」 「想像してみるがいい」 「…な…に?」 「お前を慕う兵が次々と首を取られる中、お前は最悪の場合……」
自身の口から言うのは、例えそれが可能性の話であってもおぞましいとでもいうように、三成は一度口を噤んだ。 「縛についた重臣の前で、数多の敵兵の中に引き出され凌辱される。 「いや……やだ……そんな…」 「ああ、そうだ。そんな事は、させない…絶対に」 ぽろぽろと涙を零して怯えを露にするの事を強く抱きしめて、三成はいう。 「俺の言った事は、ただの想像に過ぎぬと、お前は思うのだろう? 「…思想とか、矜持とか、それから復讐とか…あとは……領土とか、名声とか…お金の……為とか?」
「ああ、そうだ。皆、それぞれ欲しいものがあり、時に守りたいものがあるからこそ、争う。 「どう…して…?」 「女だ」 「おん…な…?」
「ああ。長い間女を愛でられずにいれば、男の中に渦巻く衝動は目的や大義を容易に霞ませる。 「……っ…」 恐怖がそうさせるのか、の胸が大きく波打った。 「ここは戦場だ。お前は名家の淑女と言うわけではない。後ろ盾になるような伝ももたぬ女だ」 言いたい事は分かるな? と視線で問いかけながら、三成は話し続けた。 「勝てば官軍、負ければ賊軍だ。 「でも…だって…大義は…? そんなことしたら…」
「お前の言いたい事は分かる。だが感情は、理性を越える。特にこのような場にあってはな。 切々と訴える言葉の中に三成が抱える不安が強く滲む。
「秀吉様も、俺も、慶次も、左近も、長政も、家康ですら、すぐに首を打たれる事はないだろう。 「威光? …示し…?」 「ああ…お前は、聖女ではない。ただの女だと、皆に見せる必要がある。 三成はそこで言葉を区切り、はっきりと言い切った。 「もう俺の言っている事が分かるな? 敵の手に落ちた時、お前に待っているのは…生き地獄だけなのだ」 「……や…だ……そんな……そんなの……三成、三成…」 は恐怖を示すように首をふるふると左右に振り、三成の肩にしがみついた。 「…脅えなくていい、俺達が護る。必ず、お前が逃げ切るまでは、護りきる…」 「そ、そんな…逃げ切るまでって……それじゃまるで……」 その先を言葉にするのが恐ろしくてが言葉を濁せば、三成は言う。 「…ああ、そうだ。お前の想像する通りだ。 「良くない、良くないよ…」 「いいんだ、俺は…ただ、お前さえ…生きて、落ち伸びてくれれば、それでいい」 「三成、何言って…」 上ずる声で、溢れる涙を拭う事も忘れてが懸命に何かを言おうとする。 「…頼む…頼むから、これだけは…聞き分けてくれ……」 「…三…成…」
「俺は、怖い……敗北し…お前が敵の手に落ちることを考えると……たまらない…。 否定しようにも否定しきれぬ現実がある。 「だが、俺は……俺は、お前に手を出されては………気が狂う…」 「…ッ!」 三成らしからぬ弱音に、否、言葉の中に秘められた想いの強さに、は驚いて息を呑んだ。 「…頼む、。逃げてくれ、逃げて、逃げ押してくれ。 「何言って、何言ってるの! まるで…まるでその為には、自分は死んでもいいみたいに聞こえる!」 「…ああ、そうだ。俺はそう言っている。 「良くないっ!! 全然、良くないよ…皆の命はとても大切なんだよ? が懸命に声を張り上げれば、三成は一層強くの事を掻き抱いた。 「……頼む、聞き分けてくれ……」 「三成、ちゃんと聞いて…お願いだから、悪い想像にばかり囚われないで!!!」 「……残念だがこれは、想像ではない…すぐそこまで迫っている現実だ」 顔を上げて三成はを真っ直ぐに見下ろした。 「…っあ…え…?」 額、瞼、鼻筋とゆっくりと三成の唇が触れて、最後に唇。 「いいな、今すぐ支度をしろ。すぐにでも発てるように」 身を起し、突き立てた脇差を取り鞘へと戻す。 『…今…なんか…凄い言葉を聞いた気がする……』 乱れた襟元を正し、感触の残った己の唇をは指先で触れた。 『…今……あいつ……出てく時……耳元で…』 記憶を辿れば、生々しく三成の声が脳裏に響いた。 「…愛してる…」 「ひっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」 照れがそうさせるのか、は顔を茹で凧のように染め上げて、天幕の中で絶叫した。 「っ?! な、なんじゃっ?! どうしたんじゃっ?!」
天幕の外で三成を呼び止めていた秀吉が目を丸くし、それに習うように多くの兵が視線を向ける。 「身の程を弁えよ。着替えの最中だ」 「そうなんか?」 「ええ」 「では、先程の悲鳴は…?」 秀吉と立ち止った長政に問われた三成は、しれっとした顔で言った。 「さぁ? 胸が痩せたか、逆に腹が二段に分かれてでもいたんじゃないですか? 知りませんよ」 「…全部聞こえてるわよ、ガリ痩せ反抗期!!」 天幕の中から飛んできた湯呑みが、天幕越しに三成の後頭部に当たった。 「…何もありませんよ」 「ほぅ〜?」 「何もありません」 「分かっとるよ?」 「何もないと言っているでしょう!!」 「ないない、うるさいな、ば…か…」 身支度を整えて天幕の中から出てきたが叫べば、三成が己の後頭部を軽く擦りつつ振り返る。 「ん? ん? おっ?」 秀吉がと三成を交互に見やった。 「…先の件……お忘れなきよう……」 ほんの少しだけ上擦った声で言って、三成は身を翻す。
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